この前友だちとご飯を食べていたときに、「優しさとはなにか」という哲学的な話で盛り上がった。
他人のために努力できる人、他人を傷つけない人、他人の心を癒せる人……。
「優しさ」の定義は、ひとそれぞれだ。
そんな話をしているとき、わたしはふと、小学5年生のクラスの担任だったY先生のことを思い出していた。
ニキビ顔の新米教師、Y先生
小学5年生になる春休み、わたしは香川県へ引っ越した。
桜が満開になる数日前、人生ではじめてセーラー服に身を包んで、母と一緒に転校先の学校へ向かった。転校は何度か経験していたけど、やっぱり緊張するものだ。
担任の先生として紹介されたのは、大学か大学院を卒業したばかりの新米教師、Y先生。
Y先生は顔にたくさんのニキビ跡があるふつうの若者だったのだけど、10歳のわたしとってはとても頼もしく見えた。
教師という職業に情熱と夢を抱いていたであろうY先生は、「家族に聞いて方言を調べよう」という総合学習の課題に頭を悩ませていたわたしを助けてくれたし、新しい環境に馴染めているかを常に気にしてくれていた。
わたしは、若くて頼りになるY先生を、すぐに好きになった。
もしかしたら、若い大人の男の人に舞い上がってたのかもしれないけど。
クラスのみんなも、最初はそんな感じだった気がする。
女子は新しい髪型を先生に自慢して褒めてもらいたがったし、男子は「ドッジボールをやろう」と先生を囲っていた。
でもそんなほほえましい状況も、長くは続かなかった。
子どもというのは、力関係に敏感なイキモノである。
副担任であり、お目付け役である学年主任に怒られてばかりいるY先生を見て、子どもたちも先生のことを見下すようになったのだ。
一部の生徒は連絡網の日記欄に「死ね」「席替えやり直せ」「お前の授業はわかりづらいけん教師やめた方がええよ」と書いて提出するようになったし、怒られても「そんなに怒らんでもええやん」「彼女に嫌われるで」とまともに取り合わない。
学級崩壊なんて、そんなたいそうなものじゃない。
一生懸命なオニーサンをからかってやろう、ちょっと困らせてやろうという、子どもの無邪気なお遊びだった。
大人は強いから、きっと大丈夫。
それでもY先生は、生徒の日記に丁寧に返事を書いていたし、「宿題やっとん?」「雨が降りよるけん気を付けて」と、こまめに生徒に声をかけ続けていた。
でも夏休みが終わって少しするくらいになると、生徒たちは「Y先生イジリ」にすっかり飽きだした。
怒られたら適当に謝り、連絡網の日記は書かず、質問に対して答えない。「ロリコン」「キモい」という陰口。
(「キモい」という言葉がちょうど流行りだした頃だった)
そんな様子にY先生も諦めたのか、日記に「よくできました」のスタンプを機械的に押すだけになり、うるさい生徒を注意することもなくなった。
それでもわたしはY先生が好きで、休み時間に職員室に言っておしゃべりするのが好きだった。
だけど、それがリーダー格の女子の癇に障ったらしい。
「先生にゴマすりよん?」と言われて、わたしは先生のところに行くことをやめた。
それどころか、先生を慕っている自分が子どもっぽくてカッコ悪いとすら思った。
少ししてY先生に「最近来てくれんけんさみしいわ」と言われたけど、目も合わさずに「最初はだれも知らんから先生と話しよっただけで、いまは友だちがおるけん別にいらん」と言ってしまった。
ちょっと言い方悪かった気ぃするけど、先生は『友だちができてよかったやん』って返事してくれとったし、先生もたいして気にしとらんやろ。
大人は強いイキモノやし、先生ならこういうことも慣れているやろうし、大丈夫や。
そう思っていた。
Y先生が、不登校になってしまった
でも、大丈夫じゃなかった。
その知らせを聞いたとき冬服のセーラー服を着ていたから、たぶん冬休み明けだったと思う。
学年主任の副担任が、「Y先生は胃の病気になったから、療養中はわたしが担任を務める」と言ったのだ。
その副担任の先生は神妙な顔をしてはいたけど、担任を持てて喜んでいるのが伝わってきた。
結果、Y先生の療養は長びき、そのまま年度末に退職。
5年生と6年生になるときにクラス替えはないから、副担任がそのまま担任になり、彼女のクラスとして卒業文集が作成され、Y先生はいなかったことにされた。
「ずっと夢だった」と言っていたはじめての教師生活は、きっとY先生にとって、最悪の思い出として残っているだろう。
それでもわたしは「病気ってえらい(しんどい)んやろうなぁ。若いのに……」くらいにしか思っていなくて、間近に迫る中学校生活の方に気を取られていた。
ところが中学生になって、「退職したY先生がちがう学校でまた先生になったらしい」という風の噂を耳にしたのだ。
同じ学校に復帰しなかったことを考えると、やっぱりわたしたちのクラスが先生を追い詰めていたんだと思う。
自分より倍も年を取っている大人のY先生は、子どものすることなんてなんとも思ってないんだろう、全然大丈夫だろう、と勝手に思い込んでいた。
12歳になったわたしは、そこではじめて「ひとりの人間の心を深く傷つけていたこと」に気づいた。
本当の表情を想像するちから
わたしはこの前26歳になり、「頼りになる大人」だと思っていたY先生の当時の年齢をすでに追い越した。
Y先生はいま、幸せだろうか。
まだ先生をやっているんだろうか。
香川県に住んでいたのは2年と4か月だけだったけど、Y先生のことはいまでもわだかまりとして、心の中に残っている。
謝りたかったし、とても慕っていたこと、たくさん助けてもらったことのお礼も言いたかった。もちろん、それが自己満足だってわかっているけど。
わたしは、先生の背中しか見ていなかった。
後ろ姿が大きかったから、勝手に強い人だと思い込んでいた。
そんな人だって、本当は向かい風に顔をしかめているかもしれないし、泣いているかもしれない。わたしはそんなことを、少しも考えなかった。
他人に見せている部分なんて、そのひとのほんの一部にしか過ぎないのに。
もしかしたらわたしは、ほかの誰かのことも、背中しか見ていないのかもしれない。
「大丈夫」「がんばるよ」と背中を向けて一歩踏み出したあの人は、本当に大丈夫だったんだろうか。
「もう放っておいて」と背中を向けたあの人は、本当にひとりになりたかったんだろうか。
背中を見せている人が本当はどんな表情をしているのか、それを想像する気持ちを、「優しさ」と呼ぶのかもしれない。
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