あ、これはじいじの匂いだ、と思った。

 

ちょっと個人的な昔話を書かせて欲しい。ここにあるのは単なる私の過去の断片であって、それ以外のものは何もない。

 

昔から、子どもの頃の記憶が薄い。私はどうも、ちょっと記憶力が故障気味であるようで、自分が子どもの頃の光景をかなり断片的にしか覚えていない。

印象的な言葉、印象的な光景というものを全く残していない訳ではないのだが、ある程度連続した記憶がきちんと残り始めているのは、ほぼ中学に上がって以降のことだ。

 

人と話していると、皆はそんなに小さい頃からちゃんと連続した記憶があるのか、と驚くことがある。 私が断片的に覚えている一番古い光景は、大きな犬の背中に揺られて、近所の駄菓子屋に通っていた頃の記憶だ。

近所に仲の良いおじさんがいて、そこでは大きな犬を飼っていた。小柄だった私は、時折その犬の背中に乗せてもらっていたようだ。恐らく当時、幼稚園に入ったばかりとか、それくらいの頃だったのだと思う。

犬の方は、犬種も年も良くわからなかったが、チビガキとはいえ子ども一人を背中に乗せて悠々と歩いていたのだがら、恐らくそれなりの年齢だったのだろう。 妙なことだが、犬の名前と、駄菓子屋の名前だけはしっかりと覚えている。

犬はラグと言って、駄菓子屋の名前は「つくい」と言った。その駄菓子屋には「ゼビウス」と「Mr.Do!」の筐体があって、私のゲーム原体験はそのゼビウスとMr.Do!だ。といっても、自分でプレイすることは稀で、専ら他人のゲームプレイを眺めているだけだったように思う。

 

匂いの話をする。

個人差もあるのかもしれないが、匂いの記憶というものは強烈であって、なんということもないふとしたタイミングで、予想だにしない距離と質量の記憶が蘇ることがある。

同じ匂いだ、ということをトリガーとして、普段は思い出しもしない、曖昧な記憶が鮮烈な存在感をもって蘇ってくるのである。

例えば、20年前につぶれた近所のゲームセンターの記憶だとか。 小学校の裏庭にあったウサギ小屋の世話をしていた時の記憶だとか。 毎年一回家族で行っていた、宮城の簡保の旅館の記憶だとか。

私は鼻が良い方ではないのだが、それだけに、たまに感じる匂いというのは却って鋭敏に覚えているようだ。

 

この前、何かの拍子に嗅いだ匂いで、私は何の脈絡もなく母方の祖父のことを思い出した。

 

優しい人だった。

私は当時、父方の祖父のことを「おっきいおじいちゃん」と、母方の祖父のことを「じいじ」と呼んでいた。

まだ存命である父方、母方それぞれの祖母に比べ、祖父はいずれも早くに亡くなった。父方の祖父は確か、私が幼稚園か、小学校低学年くらいで亡くなった筈だ。

母方の祖父である「じいじ」も同じく、小学校の頃亡くなった。 じいじには毎年夏休みになると会いに行き、随分可愛がってもらった筈だが、残念なことに断片的な記憶しか残っていない。

特に引け目に思っていることが、私がじいじについてはっきりと残している唯一の記憶が、「カメが潰れた」記憶だということだ。

 

ほんの一時期、小さなミドリガメを飼っていた。朧げな記憶からすると、お祭りか何かで掬ったものだったのだと思う。

私は幼稚園か、せいぜい小学校低学年くらいだった筈だ。恐らく私が、折角掬ったのだから飼いたい、と無理を言ったのだろう。古い水槽を引っ張り出してきて、中には石やら草やらを入れて、随分入れ込んで飼っていた様子が、昔のアルバムからは窺える。

 

毎年夏休みになると、じいじがいる仙台に旅行に行っていた。プールに行ったり大きな木のある公園に行ったり、一週間ばかり遊び倒していた筈で、随分楽しかった記憶があるが、なかでも楽しかったのは、「1日だけ、布団部屋ではなくリビングのソファーで寝ていい」というルールだった。

子どもは、どういう訳か「いつもと違う場所で寝られる」ということで異様にテンションを高くすることがある。親と別の部屋で、布団とは違う寝床で寝るのが妙に嬉しかったということなのだろう。

 

暑い日だった、筈だ。じいじの家には庭があって、その庭にはちょっとした野菜園や、コケまみれの大きな岩があって、私はその庭で遊ぶのも好きだった。

旅行中家においておくわけにもいかないからということで、水槽ごと連れていっていたミドリガメを、私はその時一緒に庭に放して遊ばせていた。

そんな時、庭で私や兄を遊ばせていたじいじが、誤ってミドリガメを踏み潰してしまったのだ。 あれは多分、私にとって、「身近な生き物が死ぬ」という経験の原体験だ。 子どもの時分だ、ぎゃんぎゃん泣いたのだったと思う。墓も作ったし、線香も立てた。布団をかぶってその日一日泣いて過ごした。

 

悲しさの記憶というのは妙なもので、新鮮な悲しさの質というものは失われても、悲しさの量はうっすらと残っている。でかい雲の塊のような悲しさだった。

ただ、ふと思い起こしてみると、あれについてじいじをフォロー出来た記憶がない。 私と兄を散々かわいがってくれていたじいじだ。孫が飼っていたミドリガメを踏み潰してしまって、楽しい筈の孫の旅行を1日悲嘆にくれる日にしてしまったということであれば、それはもう後悔したことだろう。

 

親になってみてわかることだが、自分が原因で子どもを落ち込ませてしまうという経験は、結構精神的にへこむイベントだ。それが孫ということであれば一層だろう。

実際、ずっと後になっても、じいじがカメをつぶしたことをしきりに気にしていた、ということを聞いたことがある。

ただ、子どもの頃の私は、「じいじ、気にしなくていいよ」と言えたのだろうか。「ちゃんとお墓をたてたからいいよ」と言えたのだろうか。 言えなかっただろう。 今から考えれば、そもそも無造作にその辺にカメを放していた自分が悪いことは分かるし、孫煩悩の祖父を気に病ませるような話でもなかった。

 

ただ、当時は「自分が飼っていた命が失われる」というのが本当に天地がひっくり返るほどのショックだったし、幼かった自分がそこまで大人びた振る舞いを出来たとは思えない。さぞかしじいじに辛い思いをさせただろう、と思うと今でも心が痛い。

それからしばらくして、じいじが「病気で入院した」と伝えられた。「亡くなった」と伝えられたのは、更にそのもう少しあとだった。仙台に急行して、通夜に出た。 そんな経緯で、楽しかったことも山ほどあった筈の私の記憶は、「カメが死んだ」「じいじが気にしていた」「それを許してあげられなかった」ということに塗りつぶされてしまった。

 

今でもじいじについて思い出す時には、セットでミドリガメの話を思い出す。それ以外の楽しい思い出を思い出してあげられないのだ。

だから、じいじについて思い出すのは悲しい。あの時「気にしなくていいよ」と言ってあげられていれば、もう少し楽しい思い出と一緒にじいじを思い出してあげられたのだろうか、とも思う。

 

ほんの一言、何かを言えなかったということが、その後ずっと尾を引くことがある。伝えたいことを伝えられるチャンスというのは、実際には極めて貴重で、かつ希少だ。

伝えたいことは、どんなことがあってもきちんと言葉にしないと、と改めて思う。

じいじを思い出したトリガーは、じいじが好きでよく食べていた、きゅうりの漬物の匂いだ。 漬物と、目の前に並んだ私や兄の顔を肴に、嬉しそうな顔でビールを飲んでいたじいじの顔だけを、今、ぼんやりと思い出す。

 

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【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:Scott Lin