「遊ぶのって難しいな」と思うようになった。
「1時間スカっと遊んで気持ちを切り替えたい」みたいな日が僕には時々あるんだけれど、32歳になると「ちょっと遊ぶ」というのはなかなか難しい。
そんなにお金をかけず一人で手軽に遊ぼうと思ったら、選択肢は限られてくる。手軽なリフレッシュというのは、とても難しい。
大人が遊ぶとなると、とりあえず思いつくのが酒を呑むことだけれども、あれはあれで問題が結構ある。
依存性もあるしお金も時間も必要だ。歯止めというものも難しい。付き合い方の難しい遊びだと思う。ゲームみたいなのめりこみ系やアウトドアみたいな遠出系も、「ちょっと遊んで気持ちを切り替える」には向いてない。
そんな時に僕を救ってくれるのが銭湯だ。東京は良い街なので、大抵の駅から10分歩けば銭湯がある。
営業マンとして東京中を歩き回っているか、あるいは家で原稿に向かってカリカリしている生活の僕にとって本当にありがたい。
原稿に詰まったとき、あるいは緊張を強いられる交渉の後、気持ちを一気に切り替えてくれる銭湯がないと、僕は暮らしていくことが出来ない。
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銭湯というのは長らく僕にとってよくわからない存在だった。僕は北海道出身なので、「自宅に風呂がない家」というのはそれほど多くなかったし、たくさんの人と一緒に風呂に入るというのも、性質的に過敏症的なところがある僕にとってはハードルが高かった。
もちろん、僕の故郷にも銭湯はあった。それほど繁盛していたとは言い難いけれどとても大きな駐車場を持っていたので、夏になるとそこでお祭りがおこなわれていて、老若男女が酒を呑んでいた(ご存知の通り、北海道では12歳から飲酒が許可されている)。
だから、僕が銭湯について思い出すのは日本酒早呑み大会で優勝したことくらいになる。
そんなわけで、東京に来るまで僕はあまり銭湯についての記憶がない。
風呂というものを一種のレジャーとして捉えたこともなかったと思う。身体を清潔に保つための面倒な作業、それが僕にとっての風呂だった。「遊び」でも「リフレシュ」でもなかった。
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受験のために東京に来た時、お金がないのでとても安いホテルに泊まった。
そこはまるで座敷牢みたいな部屋に妙に巨大なベッドがおいてあって、3歩歩いて足の裏を見ると埃と髪の毛がべったりついているようなホテルだった。
それが僕にとってのユニットバスというものの初体験だったけれど、北海道から出て来た田舎者にとってはあまり心弾む体験とは言えなかった。正直「東京の生活は厳しいかもしれない」と感じたのを覚えている。
そんなわけで、銭湯を探した。適当に街をフラフラと歩くとわりと簡単に見つかったのを覚えている、まだスマートフォンもなかった時代だと考えると随分昔のことのような気がする。
男湯の暖簾をくぐると、こじんまりとした空間に茣蓙の敷かれた長椅子とか、つまみをひねって風量を調整する年代物の扇風機とか「動きません」と貼り紙されたマッサージ機とかそんなものが置いてあった。
「銭湯で健康に」みたいなことが書かれたポスターは、20年は貼りっぱなしの様子で茶色く変色していた。
まだ日も高かったので客は僕しかいなかった。そして、風呂の湯は信じられないくらい熱かった。
ムキになって湯につかり、水風呂で火照った身体を冷やすのを繰り返すうちになんとなく視界が広くなってきて、天井がとても高いことに気づいた。そして、換気窓から四角く切り取られた青空が見えた。
昇っていく湯気と小さな空を眺めているうちに、なんとなく東京でもやっていけそうだなと思った。
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銭湯には二種類ある。
「アッパー系」「チルアウト系」と僕は呼んでいるけれど、「さっさと湯に浸かって帰れ」と言わんばかりの銭湯と、「ゆったりしていきなさい」という方針が見て取れる銭湯の二つだ。
そして、おおよその場合「アッパー系」の方が繁盛している。江戸っ子は熱い湯が好きだというのは、元来お店の回転率の問題だったのだと思う。
お客さんが放っておいてもたくさん来るなら、さっさと帰ってもらいたい。商人ならそう考える。しかし、そこには独特の効果が生まれた。
アッパー系の特徴は、とにかく熱い湯だ。42度が最低温度みたいな銭湯も東京には結構ある。
そして、僕も10回のうち7回はアッパー系の銭湯に通っている。こういうタイプの銭湯は、風呂の数はそれほど多くない。広くもないことが多い。ただ、効率よく全身を温めるための深さはある。そして、水風呂がキンキンに冷やされていることが多い。
こういった銭湯は刺激を楽しむところだ。熱い湯と冷たい水。この二つを往復する。僕はサウナも好きなのだけれど、サウナをヘビーに楽しむにはキンキンに冷えた水風呂が必須になる。
もうだめだ、の一歩前まで熱さを楽しみ、水風呂で冷やす。この繰り返しはちょっと信じられないくらいクセになる。雑念が取れて頭がクリアになるので、原稿仕事の前には欠かすことが出来ない。短時間で精神統一したいなら、それはもう間違いなく銭湯に限る。
サウナでも温冷浴でもいいけれど、どちらにせよハードな温度差が必要なのだ。せっかちな江戸っ子気質に、あるいは多忙な現代人にとてもマッチしている。
アッパー系銭湯の代表格と言えば、早稲田の「松の湯」だ。学生時代から度々お世話になっているけれど、今でも週に3回はお世話になる。とても繁盛しているので、長居をしたい人には全く向いていない。お義理程度にマッサージ機が置いてあるけれど、あれを使っている人はまだ見たことがない。そういう雰囲気ではないのだ。
風呂は基本的に熱い。メインの湯は季節にもよるけれど43度はある。ぬる風呂が好きな人だと入れないくらいかもしれない。
そして、水風呂は15度くらいまで冷やされている。これもまた、初心者向けではない。友人を連れていっても「入れない」という人が多い。しかし、僕の精神統一にはこの温度差が必要なのだ。そんな人は僕だけではないようで、松の湯はいつも人でごった返している。
ごった返すと言えば、松の湯には少し前までありとあらゆる政党のポスターが貼られていて、往年の「ごった返して」いた時代の気配を色濃く残していた。
ありし頃、あの銭湯はある種の中立地帯だったのだろう。右翼だって左翼だって宗教家だって反社会的勢力だってテロリストだって、風呂には入らなきゃいけない。無口な御主人の威厳ある雰囲気とともに、ロビーではどことなくみんな礼儀正しくなってフルーツ牛乳なんかを飲んだりする。
もちろん、「刺青の方お断り」なんてことも書かれていない。年を経て背中の鯉が金魚になった爺さんも、レゲェスタイルのおっちゃんも、最近ブイブイ言わせている新興宗教の若者たちも、そしてもちろん早稲田の学生も、みんな気持ちよさそうに湯を浴みている。
その中に僕が混じっても特に違和感がないので、とても安らいだ気持ちになる。よし、精神が整った、書きたくないけど原稿書くかと思いながら早稲田通りを帰るのは、楽しい。
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もうだめだ、今日は休みたい。そんな日もある。
1時間「アッパー」をやっても立ち直れる気がしない。今必要なのは休息だ、それも混じりけのない純度100%の休息だ。そんな日に必要なのはチルアウトだ。
「チルアウト系」銭湯の代表格といえば、池袋の「健康ランド末広湯」だと思う。ここはまさに「じっくり休んでいけ」と言わんばかりの銭湯だ。
売りはなんといっても露天風呂。巌を組んで藁ぶきの庇をかけた内装も良いし、そこにぼんやり灯る灯篭も良いけれど、是非この風呂に入ることになったら空を見上げて欲しい。卵豆腐の型に流し込まれたような、真四角に切り取られた池袋の空を眺めることが出来る。
露天風呂はとてもぬるい、長湯にはもってこいだ。通り抜けるビル風のうなりを聴きながら足を延ばすのはとても安らいだ気持ちになる。ささやかな隠れ場所、という趣がなんともささくれた心にありがたい。
そしてもう一つ。ここは風呂の種類が結構多いのだけれど、30度の水風呂という独特の風呂がある。
僕は熱いサウナからキンキンに冷えた水風呂の往復こそ最高と思っていたけれど、このぬるい水風呂に浸かって「これも素晴らしい」と心から思った。
サウナから出て、まずは20度程度(ベストとは言えない温度だ)の水風呂で身体を軽く冷やし、じっくり時間をかけて30度の水風呂に浸かる。これは、精神統一ではなくリラックスにとても向いている。身体も心もとても休まる。
ただ、ここのサウナはちょっと侮れない。温度は90度程度と普通なのだけれど、セラミック材のタイルが貼られているので、輻射熱がとんでもない。
しかし、薄く中立的なBGMが流れていて、「まぁ、リラックスしろよ」というご主人の気配りが行き届いている。そして、更に素晴らしいのはサウナの利用料金を払うと2階の休憩室が使えることだ。
これは「健康ランド」を名乗る所以なのだろうけれど、背もたれを倒して身体をあずけられる椅子が並んだ空間が用意されている。
もちろん、とても古びていてお世辞にも豪華とは言えないけれど、山積みになったペーパーバックの漫画を適当に1冊ピックアップしてのんびりするのは最高の休息になる。おかげで、四代目山口組組長の生涯について知ることも出来た。
純粋なる暇つぶしに読むどうでもいい本というのは、とても素敵だ。
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ささやかな喜びが人生には必要だと思う。そりゃあ大人だからいろいろあるけれど、これがあればとりあえず豊かな気持ちになれる、そういうものがいくつかあれば結構生き延びられる。そんな気が最近はしている。
東京の街は、よく探すと結構そういうものがある。
お金があるときは時間がないし、時間があるときはお金がない。心の余裕なんてあった試しがない。そんな人生を僕も送っている。皆さんも結構そうだと思う。いつだって何かは足りないし、全てが満たされることなんてまず無いんだろう。
だから、ささやかな遊びと喜びをたくさん集めて暮らしたい。銭湯がたくさんある東京は、いい街だ。
働いてる人も働いてない人も、ささやかに東京を遊んでいこう。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【プロフィール】
借金玉32歳です。
診断はADHDでコンサータ72ミリを服用しながらなんとか生きている発達障害者。ASDの傾向も多分にあり。
大学卒業後、金融機関勤めを経て起業の後大コケしたというキャリアです。現在は雇われ営業マンをやったりブログを書いたりツイッターを書いたり文章を書いたりしています。よろしくお願いします。
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(Photo:toyohara)