私はブログや書籍でたびたび「挨拶はとても大切」「社会適応の基礎だから、挨拶はできるようにしましょう」と述べてきた。
挨拶は、最低限の言葉でお互いの心証を保ち、不信が発生する確率を減らせる便利なシグナルだ。
だから挨拶は社会に適応するために最初に覚えることとなっているし、どこの国にも挨拶がある。
そういう便利なシグナルをみんなが用いているものだから、挨拶ができない人は挨拶ができる人に比べて心証を保ちにくく、不信感を持たれやすい。
挨拶ができない人は、ただそれだけで社会適応のハンディを抱えているにも等しい。
挨拶するたびに”HPが減少する”人がいる
だけど、挨拶って本当に誰にでもできるものだったのだろうか?
どこの国にも挨拶があり、誰もが当然のように用いているからといって、それがノーコストとは限らない。
便利なシグナルだからといって簡単なシグナルだとも限らない。
挨拶が当たり前になっているからといって、誰もが同じコストで挨拶というシグナルを発信しているわけでもない。
言ってみれば、世の中には、挨拶するたびに”HPが減っていく”人もいる。
たとえば『ドラゴンクエスト』シリーズには一歩歩くごとにHPが減少する毒の沼地があったが、あれに似た感じで、挨拶するたびに体力や気力を奪われてしまう人がいることを私は知っている。というより私もそうした人間の一人だったから、挨拶が苦痛な人・挨拶にしんどさを感じる人を見かけると私はシンパシーを覚える。
挨拶にしんどさを感じる人にシンパシーを覚える一方で、「挨拶はとても大切」「挨拶は社会適応の基礎だから、できるようにしましょう」と言ったり書いたりする私という人間は、矛盾を抱えていると思う。
だけど挨拶が苦痛でちゃんとできていなかった10代から出発し、20代の頃に挨拶の重要性を思い知らされ、30代に挨拶がしんどい人がたくさん存在していてHPをジクジク減らしながら生きていることを思い出したのが私という人間なので、この矛盾そのものが私なんだろうと思う。
話が逸れた。
ともかく、世の中には挨拶になんの苦痛も感じない人もいれば、挨拶するたびに”HPが少しずつ減っていく”人がいる。
なかには”挨拶するたびにどんどんHPが減ってしまう”人もいる。
私の観察と経験によれば、挨拶でHPが減る程度は、トレーニングや慣れによって改善していく。
だから新入生や新社会人に「挨拶をどんどんしましょう」とアドバイスするのはたぶん正しい。
けれども元々これはスタート地点が公平とは言えない。
小さい頃から挨拶がぜんぜん平気な人もいれば、思春期を過ぎても挨拶がまだまだ辛い人もいる。
このあたりは、生来的な気質や家庭内で挨拶がどれぐらい日常的だったのかにも左右されるだろう。
じゃあ、挨拶のたびに”HPが減っていく”人と一緒に過ごすことになったらどうすればいいのだろう?
私のなかでは、この問題の答えはまだ出ていない。
「挨拶しないほうが気楽な人には、むやみに挨拶をしないほうが良い」と結論を出したくなるが、そうとは限らないように思える。
なぜなら挨拶を避けていると、やっぱりお互いの心証が保たれなかったり、不信の種が生まれたりするからだ。
まして、AさんとBさんとCさんには挨拶をするなかで、挨拶のたびに”HPが減っていく”Dさんにだけ挨拶をしないようなシチュエーションができあがると、Dさんとの関係は間違いなくおかしなことになってしまう。
ひょっとしたら、その場にいる全員が一斉に挨拶をやめれば心証の変化など起こらないのかもしれない。
けれども挨拶という便利なシグナルを全員で一斉にやめるなんてちょっとできそうにない。
少なくとも社会全体で考えるなら、挨拶を全員が一斉にやめるなんてことは絶対にあり得ないだろう。
だとしたら、挨拶のたびに”HPが減っていく”Dさんにも分け隔てなく挨拶をしたほうが結局お互いのためになる。
「おはようございます」「お疲れさまでした」という一言を発するたびにDさんのHPが減っていくのを知っているからといって、挨拶をやめるわけにもいかない。
逆もまたしかり。
トレーニングや慣れによって挨拶を克服したとはいえ、たとえば私はほんらい挨拶が苦手な人間だ。
コンディションが悪いときには挨拶をとおしてHPが少しずつ削られるようになってしまう。
家に引きこもってゲームやアニメだけ相手にしていたい時などは特にそうだ。
だからといって挨拶をやめるわけにはいかない。
お互いの心証を保ち、不信が発生する確率を減らせるためにも、身を削る思いで挨拶を実行しなければならない。
「あの人、頑張って挨拶に慣れた人のにおいがする」
挨拶に限らず、コミュニケーションのTPOにはそれぞれに利便性があって、やれば人間関係が円滑になるし、やらなければコミュニケーションに悪影響が出る確率が発生してしまう。
最近は廃れかけているが、お中元やお歳暮、年始の挨拶なども、人間関係を円滑にするためのTPOだったのだろう。
お互いの心証を保ちつつ、不信を芽生えさせることなく生きていくためには、結局、挨拶が避けて通れない。
挨拶するたびにHPがごっそり減っては社会人をやっていくのが辛くなるから、なるべく挨拶に慣れ、挨拶をトレーニングして、せめてHPの減りを少なめに抑えていくしかないのだと思う。
そうやって挨拶ができる自分というものを頑張って作り、なるべく消耗しない社会人として生きていくしかない。
だけど私は時々感じてしまう。
「ほら、あの人。あの人、頑張って挨拶に慣れた人のにおいがする」
「社会人のスキルでごまかしているけれど、あの人は”同族”だね」
訓練された挨拶の隙間からみえる努力の痕跡。
穏やかな物腰から微かに感じられる「頑張っている感」。
そういったものを私は見つけ出してしまう。
そしてひそかに共感せずにいられない。
よくできた社会人という体裁の内側に、本当は挨拶するたびにHPが減っていくをこらえているさまを見つけることは割とよくある。
あなたのまわりにも、そういう人っていませんか。
というより、意外とたくさんの人がHPを僅かに減らしながら挨拶をしていて、コミュニケーションもしていて、それでも生きていくためには頑張るしかないと割り切っているのではないだろうか。
挨拶に限らず、コミュニケーションには多かれ少なかれコストがかかる。
そうやってコミュニケーションに消耗する側面があるとしても、私たちはコミュニケーションしないわけにはいかないし、お互いの心証を保たないわけにもいかない。
しんどいことだが、この社会で生きていくためにはそれぐらいのコストを支払っていくしかないらしいのだ。
いま私は「それぐらいのコスト」と気安く書いた。が、まさにそのそれぐらいのコストが問題になる人もいるし、普段はへっちゃらな人でも衰弱している時にはそのコストが最後の一押しになってしまうこともある。
地球に無重力の場所はないのとまるで同じように、世間にはノーコストの場所は存在しない。
我が身を削るように挨拶をする人の挨拶をみた時、とにかく、私も返礼をする。
せめて心をこめて。それ以外のなすすべを、私はまだ知らない。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』