先日、西日本を大雨が襲った。現時点でなんと200人を超える方々がお亡くなりになられてしまったようだ。

204人死亡、2千人なお孤立状態 西日本豪雨1週間:朝日新聞デジタル

 

さて、被災といえば毎回毎回問題となるのが千羽鶴問題だ。僕も小学生だったかの頃、難病で苦しむ入院中のクラスメートに担任の鶴の一声で千羽鶴を作成する作業に参加した事がある。

 

あの時は無邪気だったので「〇〇君はこれを見て勇気づけられるに違いない」と思っていたけど、冷静に考えると体調不良でウンウン唸ってた〇〇君が千羽鶴を見て、心が安らいだかどうかは疑わしい。

果たして千羽鶴は意味があるのだろうか?それとも無意味なのだろうか?今回は、その辺りの事を考えてみようかと思う。

 

不幸に共感できると、人は動きたくなる

人間、誰しもが何らかの不幸にあってしまう可能性がある。東日本大震災や熊本の地震があった時、そこに住む人々は生活基盤としてのインフラに強烈なダメージを与えられた。

今回、大雨にあってしまった西日本の方々も、これに負けず劣らず強烈な不自由さを押し付けられている事だろう。災害大国日本で暮らすのは、常に目に見えないリスクを抱えている事と同義である。

 

天災が起きる事で、そこに住む人達は困る。となると困った時はお互い様というわけで、その不幸に共感した人達から「何かできる事はないだろうか」という感情が湧く事は自然である。 

かくして人は「着るものがないと大変だろう」とか「食べ物がないのは苦しいだろう」と各々の考える共感できる事を通じて、被災地に支援を行ったりする。

 

この心がけ自体は大変立派である。

しかし驚くべきことに、これが被災地に住む人達にとっては心的負担になったりする事をあなたはご存知だろうか?

 

返報性の原理

1980年に発表されたGreenbergらによるA theory of indebtednessという論文によると、被災地に住む人達は、外部からの支援に対して「ありがたい」と感じるとともに、「申し訳ない」「どうお返しをしてよいかわからない」とも感じると述べている。

Greenbergらは、この申し訳無さを感じる現象を「心理的負債感」と定義した。

 

チャイルディーニの有名な「影響力の武器」という本でも、”返報性の原理”という概念が紹介されているが、人は何かを貰ってしまうと、それに対してお返しをしなくてはならないと思いがちだ。

 

例えば、お歳暮を貰ったら送り返さないとキモチワルイし、年賀状も貰ったら返さないと何かイケナイコトをしているような気持ちになってしまう。

 

そう、実は私達が「困った時はお互い様」と相手に何の見返りを期待していない支援ですら、被災地に住む人からすると”お返しのできないお歳暮や年賀状”のような重しとなりうるのである。

 

もちろん、支援している人達のほとんどは何の見返りも求めていない。それどころか「困った時はお互い様」の精神で、何かの助けになる事を祈って支援をしているわけだ。

けど、それが被災地に住む人には逆に心的負担となったりするのだから世の中というは実に難しいものである。

 

このように、良かれと思った事が逆に相手の負担になったりするのだから、世の中というのは実に難しい。

当事者にならないと、わからないことが世の中には沢山あるのである。

 

支援者と支援を受ける側のニーズのズレ

他にも、難しい話は沢山ある。例えば、田中 優さんによる”非被災地における被災者支援の社会心理学的問題”という論文によると、被災地に住む人が欲しい支援と、支援する人が与えたいと思っているモノとの間に致命的なズレが生じる事があるという事が述べられている。

 

田中 優さんが阪神淡路大震災でボランティア活動に従事していた際、仮設住宅には週末ごとに被災者に元気を届ける為に

「歌を歌いたい」

「生花を送りたい」

「自分の特技を披露して、勇気づけたい」という善意の申し出があったという。

 

あなたはこれを見て「困った人の力になりたいだなんて、殊勝な心がけだ」と思ったかもしれない。

けどここにも支援を受ける側と支援をする側の認知の違いが隠れている。

 

さて実際に被災地に住む人が、この申し出をどう思っただろうか?

実はありがたさよりも、「勘弁してくれ。週末ぐらい、そっとしておいてくれ」という感情の方が大きかったのだという。

 

冷静に考えると、被災地に住む人達は毎日がサバイバルである。そんなリアルサバゲーにいる中で、素人の歌った歌を毎週末ごとに聞かされたりするのは疲れるに決っている。

それなら休日ぐらいゆっくり休んで、仮設住宅で缶ビールを一本プシュッとやりたいと思うのも当然といえば当然の話しだろう。

 

じゃあここであなたに質問だ。被災地に住む人達が最も欲しがった支援とは一体なんだっただろうか?

正解は「(自宅再建のための)法律の相談」だったという。この申し出に関する事ならば、いつだってウエルカムだというのが、皆の共通の意見だったのだという。

 

果たして、この文章を読んでいる人の中で、被災地に住む人がこのニーズを欲していた事を予期できた人は何人いただろうか?ちなみに僕は全くこんな回答は想定できなかった。

 言われてみれば、この支援を欲するのは至極当たり前の事のように思える。

けど、言われるまでは、ほとんど誰一人としてこれが一番必要とされているモノだなんて想像できなかったんじゃないだろうか?

 

やっぱり、当事者にならないと、わからないことが世の中には沢山あるのである。

 

千羽鶴は無難にもほどがある

こうして見てみると、実は被災地支援は物凄く専門性が高いことだという事がわかるはずだ。

素人が生半可に手を出すと、逆効果にすらなりうるのだから、災害というのは実に厄介なものである。

 

こうしてみてみると、千羽鶴というのは実はある意味では物凄く合理的な活動の一つである。

 

実は既にこの世は、みんなが頑張るより優秀な人だけが頑張った方が圧倒的に生産力が高い社会に突入しつつある。

さきほど例にあげた被災地支援だって、実は自衛隊やその他の専門知識を持った人が、全力で活動した方が、素人が支援をするより、よっぽど被災地に住む人の助けになる。

となると、実は専門家以外の人達の最適解は、むしろ専門家を邪魔しないという事になる。

 

実は現代社会は、こういう時の為に福祉制度をキチンと整えている。

日本国民であれば、毎月毎月稼ぎから税金が天引きされているわけだけど、被災地活動において最も必要とされているのは言うまでもなくマネーである。

 お金があれば、専門家を正当な報酬でちゃんと雇うことができる。被災地に住む人達が本当に必要なものも、自分で選んで買ってもらえる。

 

だから私達は、災害大国日本に住むにあたって、日々汗水たらしながら「困った時はお互い様」の精神できっちり税金を納めるべきなのである。

給与明細を見ると気が遠くなるような金額が引かれた手取りの額面をみて、「税金ってなんじゃわれぇ!役人に助けて貰ったことなんてねーぞ!」とつい憤りたくなってしまうけど、あれはこういう時の為に必要な蓄積なのだ。

 

それでも、何かしたい気持ちが収まらないのなら、義援金を送ればいい。義援金を送れないぐらい生活が切迫している人は、祈ればいい。 

祈るだけじゃ居心地が悪い。やっぱり、何か手を動かして支援ができないだろうか?と思うだろうか?

 

それなら仕方がない。千羽鶴でも、折りますか。

というわけで毒にも薬にもならない千羽鶴は、重すぎず軽すぎずで、意外と悪くない回答なのだろう。

 

世の中、いつまでたっても形に残っているものは、意外と優秀なのだ。

 

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(2024/3/26更新)

 

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高須賀

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