先日亡くなられた、落語家の桂歌丸さん。

歌丸さんの弟子だった桂歌助さんが、著書『師匠歌丸』のなかで、こんなエピソードを紹介しています。

前座見習いとして寄席の楽屋に出入りする前だったと思う。

歌丸のかばん持ちとして出かけたときのこと。交差点で歌丸が足を止めた。

「歌児(前座のときの歌助さんの名前)、あの信号の色は何色だ?」

「赤です」

「赤じゃなくて、あれは青だ」

何を言い出すのかと思ったが、師匠の言うことは絶対だ。歌丸だから、というわけではない。落語の世界では、先輩や師匠が言ったことに盾をついてはいけないのが常識だ。

だからわたしは「すみません、青でした」と答えた。

「そうだ青だ。だから渡りなさい」

目の前を車がひっきりなしに通り過ぎていく。ここは渡るべきか。渡ったら交通事故に遭うだろう。歌丸は止めてくれるのか? 躊躇しているうちに信号が青に変わった。

「歌児、いいかい、こういうときは”わたしはかばん持ちなので師匠、おさきにどうぞ”ぐらい言うもんだ」

歌丸の口元にはかすかに笑みがこぼれていた。

あの言葉は、初めて楽屋入りする弟子へのはなむけだったと思っている。「理不尽な言いつけに対してはシャレで返せ」という。

歌丸さんは、真面目で几帳面な人で、お酒も飲まず、仕事で旅に出るときも、自分の身の回りの準備はすべて自身でされていたそうです。何かあったときに、他人のせいにしないように、と。

 

師匠と弟子という関係には、相性みたいなものがあって、この本を読むと、東京理科大を卒業し、地元で先生になるつもりだったという歌助さんにとっては、真面目でちゃんとしている(むしろ、落語家としては、ちゃんとしすぎているくらいの)歌丸さんのようなきちんとした師匠が向いていたような気がします。

 

立川談春さんの『赤めだか』での立川談志さんのさまざまなエピソードを読むと、かなりの「ムチャぶり」が多くて(とはいえ、談志さんは芸に関しては、ものすごく真摯な方で、それまで曖昧だった前座から二枚目、二枚目から真打へ昇る基準を明確にするなどの改革も行っています)

もし、歌助さんが談志さんに入門していたら「そりが合わなかった」可能性が高いし、談春さんが歌丸さんに弟子入りしていたら「堅苦しくて、やってられなかった」のではないか、などと想像してしまいます。

 

芸や技術を習得するには、本人の努力はもちろん必要なのですが、「誰を師匠に選ぶか」というのは、ものすごく重要ではないかと思うのです。

 

この歌丸さんのエピソードなのですが、僕はちょっとヒヤヒヤしながら読んでいたんですよね。

歌丸さんはパワハラをやるような師匠ではないのですが、落語という古典芸能の世界には、今の感覚からいえば、理不尽とも思えるような「しきたり」が、たくさんあるのです。

弟子に対して、陰になり日向になりサポートしてくれていた歌丸さんなのですが、年が離れた歌助さんとは感覚が合わずに、礼儀に反しているということで破門寸前、となるような出来事もあったそうです。

(これも、歌助さんに世代が近い僕の感覚でいえば、歌丸さんのあまりに厳しすぎる反応ではあったのですが)

 

これを読んで、僕は歌丸さんの「アドバイス」に「なるほどなあ」って思ったんですよ。

「業界のしきたり」とか「新人に対する厳しい反応」というのは、今の世の中でも、多くの世界にありがちなもので、みんなそれで酷い目にあっているのに(あっているからこそ?)なかなかやめられない。

そこで、本当に「言われた通りに」やろうとして、心が折れてしまう人もいます。

 

今はネットで情報共有できる時代でもありますし、そういう「しきたり」「通過儀礼」的なものに対して、徹底的に反発し、「これはおかしい!」と声をあげる人もいる。

後者は「やっていることは正しい」のだけれど、その業界で仕事を続けていく、という点では、周囲との軋轢を生みやすいのも確かです。

 

自分が置かれた状況に馴染んでいない新人や若手は「すべてを受け入れようとする」か、「徹底的に反発する」か、という二者択一に陥ってしまいがちになります。

そこで、歌丸師匠は、弟子にこんなムチャぶりをしたのです。

歌助さんが、師匠の言葉を聞いたとたんに「わかりました!」と車道に突っ込んでいくような人だったら、こういうやり方はしなかったはず。

世の中には、言いなりになるのも、言いつけを徹底的に拒絶するのも難しいことがある。そういうときに『笑い』や『ユーモア』を利用して、危険をうまく避けながら、その場を丸く収めるというやり方もあるんだ

もちろん、「これは落語の世界だから通用することで、社会(あるいは会社)での理不尽な上司には、こんなの無理だ」と感じる人も少なからずいるはずです。

 

でも、そこで「言いなりになるか、徹底的に抗戦するか、逃げるしかない」というふうに自分を追い詰めてしまいそうなときに、「こういう処世術もある」と思い出せば、ちょっと「考えてみる余裕」ができると思うのです。

 

師匠のお説教をうまく受けるというのも、弟子のひとつの「役割」なわけで、もし歌児さんが、この場面で、いきなり「わたしはかばん持ちなので師匠、おさきにどうぞ」って返していたら、それはそれで、「空気が読めない弟子」になってしまいそうではありますけど。

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

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(Photo:TANAKA Juuyoh (田中十洋)