今から、しんざきの年末の過ごし方に関する、すごーーーく個人的な話をします。

 

今年から、年末を実家で過ごさないことになりました。つまり、年越しの瞬間に、私の父と握手をすることがなくなりました。

どういう話かというと。

しんざき家の年末の動き方というのは、十数年来、次のようにルーチン化されています。

・12/30頃から、しんざき方の実家に帰省する、ないし実家の年末旅行に随行する

・12/31に年越しを迎える

・1/1にしんざき方実家と別れて移動し、しんざき奥様方実家に帰省する

・正月をしんざき奥様方実家とご一緒に過ごす

まあ、多分そこまで特殊な動き方でもなかろうとは思うのです。

当然のことながら、夫婦で実家は一つずつあるので、年末の挨拶と年始の挨拶をローテーションで済ませてしまおうという感じで、普段は会えない孫たちに会える実家もそれぞれ喜んで下さるという、なかなかリーズナブルな動き方だった訳です。

 

しんざきおよびしんざき奥様は、少なくとも現在は、それぞれの実家とは割といい関係を築けていると思っています。

遠過ぎず近過ぎず、夫婦としても大変居心地のいい距離感で、ありがたいことに子どもたちを大変可愛がっていただいてもおり、恵まれているなあと思うことしきりです。
ところで、これは凄く凄く個人的な話なのですが、私個人にとっても、年末の動き方というのはある部分でルーチン化されています。

それは、上記しんざき家の動き方とはまた別に、途中色々と紆余曲折もありながらも、ほぼ30年来続いている慣習です。

・23:45までそれぞれ好きなように過ごす

・23:45に始まる「ゆく年くる年」を、しんざき父としんざきの二人で見る(しんざき母は大抵先に就寝しており、しんざき兄は大抵酔いつぶれて寝ている)

・24:00きっかりに、「〇〇年、平成〇〇年の幕開けです」というナレーターの台詞を聞く

・父としんざきで握手する

ただこれだけ。たったこれだけの、15分間のルーチンです。

 

しんざき実家は、昔から就寝時間については厳格でした。

小学校時代は基本、21時以降に子どもが起きていることは許されませんでしたし、中学以降も23時に起きていることが許容されることは基本的にありませんでした。

 

ただ、唯一大晦日の夜だけは例外でして。この日だけは、何時まで起きていても一切文句を言われることがありませんでしたし、夜更かしして好きなことをしていてもいいということになっていました。

で、小学校低学年くらいの時分から、眠い目をこすって、年が変わるまで頑張って起きているようになりました。

 

母は寝るのが早く、兄には私のようなこだわりはなく、そうして起きているのは私と父の二人だけでした。

もとより、私や兄と直接接することはあまり多くない父でした。父と二人でゆっくり共有する時間、というのは、1年の間でもそれ程長くなかったと思います。

 

日付が変わる瞬間というのは、子どもにとって神秘です。

時間がリセットされる。すべてが00:00に戻る。それと同時に日付が一つ進む。

大晦日というのはそれのスペシャルバージョンのようなもので、日付と一緒に西暦まで進んでしまうのです。それが、子どものころの私には、何か魔法のようなものであるように思えました。

 

そして、魔法のようなイベントが起こった次の瞬間、真面目くさって「明けましておめでとう」と言いながら私と握手する父との交錯は、何かとても厳粛で、まるでそのほんの一瞬、自分が大人になったように感じたのです。

私は、大晦日が終わり、新しい年が始まる、その瞬間が好きでした。「ゆく年くる年」が好きでした。
学生時代の一時期、父との関係が色々ごたごたしていたこともあり、普段は殆ど接触がないという状態もありましたが、そんなときでも大晦日のその時間だけは欠かさず「ゆく年くる年」を見ることにしていました。

そして、それまでどんなごたごたがあったとしても、父は無言で私と握手してくれました。それでなんとはなしに父との関係が改善したことも、一再ではありませんでした。

 

それ以降、私が大学生になり社会人になって、物質的にも精神的にも完全に実家を離れ、ほぼ両親と連絡をすることがなくなっても、その習慣、その15分間だけはなにやかやで続いていたのです。

それは、一言で言ってしまうと「伝統」というものでした。なんだかんだで途切れない、血筋というものの象徴のようなものでもあったかもしれません。

 

月日が経ちました。
小学校のころ机に置かれていたお茶やジュースは、いつからかウイスキーのグラスになり、私の隣には私の父ではなく、私の長男が座るようになりました。

父と同じように、私も長男に対して「大晦日はいつまで起きていてもいい」というルールを敷いておりまして、一昨年彼は初めて、年が変わる瞬間を我々二人と共有しました。

 

そんな折、父から改まって、今年の年末を一緒に過ごさない相談がありました。色々と事情もあるのですが、詳細は省きます。

 

最初思ったのは、「そうか、今年からはもう、年越しの瞬間に父と握手することはないんだな」ということでした。

「伝統が途切れちゃうのは軽く心残りだな」とも思いました。

その後すぐに、いや違う、と思い直しました。伝統は途切れるばかりのものではなく、多分時には新しく作らなくてはいけないものなんだ、と。

私の子どもたちとの年末の過ごし方は、我々夫婦がデザインするものなんだ、と。

 

つまり私は、自分が、自分の子どもたちにとっての「伝統」を作っていく側にとっくの昔に回っているんだということに、その瞬間まで気づいていなかったのです。
親子の関係性というのは家庭それぞれ、人それぞれです。父が私ではなかったように、私の長男も私ではありません。

彼は、私と一緒にゆく年くる年を観たがるかも知れませんし、観たがらないかも知れません。

 

ただ、それでも恐らく、彼が成長していくに従って、なにがしかの「伝統」というものは出来ていくのだろうと思います。

もしかすると、ずっと大人になっても残るかも知れない、子どもの頃からの伝統。もしかすると、何十年も続くかも知れない15分間。

 

そして、私と私の子どもたちの間での「伝統」は、他の誰でもない、私が作り始めなくてはいけないのだ、と。

それはもしかすると、私に対する、父の数少ないメッセージの一つだったのかも知れません。

 

私にとって、育児の一番の基準は「自分の育てられ方」です。自分がされて良かったなと思うことは真似するし、あまり良くなかったなと思うことは真似しないでおこう。

それが、全てのスタート地点になっています。

 

そして、私が過ごしてきた年末の15分間は、多分私にとって大切な時間だったのだろう、と。

だから私は、「大晦日の夜だけは、何時まで起きていても良い」というルールを踏襲しようと思うのです。
ほんのちょっとした、1年の内でのたった15分間のエピソードでしたが、個人的には一つの転機でしたので、ちょっと書き留めておきたくなりました。季節外れの話で申し訳ありません。
今日書きたいことはそれくらいです。

 

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(2024/1/22更新)

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

(Photo:atsushi masegi