子どもの頃、大人になり、歳を重ねるにつれて、分別がつき、自分の感情をコントロールできるようになるはずだ、と思っていたのです。
ところが、そんな「悟り」はなかなか訪れてくれません。
僕の場合、「怒らないようにしよう」と自分に言い聞かせつつ、悠然と構えることもできずにイライラしている、というシチュエーションがけっこう多いのです。
「怒る」のは自分が未熟ということであり、それと同時に、相手が危険な人物であった場合、かえってリスクを呼び寄せることにもなってしまいます。
少なくとも、いまの日本では「怒る」ということが、ポジティブに語られることは、ほとんどないですよね。
アルボムッレ・スマナサーラさんの『怒らないこと』という本がロングセラーになっているのは、きっとみんな「怒らないようにしよう」という気持ちと「それでもやっぱり腹が立つ」という現実の間で葛藤しているからなのだと思います。
怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
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僕も『怒らないこと』を読んでみたのですが、正直、あまりしっくりこないというか、やっぱり本を読んだくらいで、どうにかなるものじゃないな、と感じていました。
そんななかで書店で見かけたのが、『日本人のための怒りかた講座』(パオロ・マッツァリーノ著/ちくま文庫)だったのです。
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日本の社会では、成熟した大人は「怒らない」「感情的にならない」ことが美徳とされていますが、著者のパオロ・マッツァリーノさんは、そんな日本人にあえて「怒る技術」を伝授しようとしています。
「もっと日本人は怒ったほうがいい!」と、それも、テレビの前や雑誌のエッセイで、「キレ芸」をみせている文化人的にではなく、もっと実践的かつ効果的な「怒りかた」を指南してくれています。
私はこれまでマナー違反をしている日本人に、何十回となく注意してきました。もちろん相手はまったく知らない他人です。年寄りに対してもこどもに対しても、公共の場で、私ひとりでやってきました。
ですからマイスターとまではいかなくても、みなさんにコツをアドバイスできるくらいにはなれたかと。
日本人の気質や日本文化を長年研究してきた私が、身を持って実践した上で体得した、日本人にとってベストと考えられる怒りかた、注意のしかたを、本書では具体的に伝授いたします。
著者は、これまで長年、「目の前の人の問題行動を注意する」といいう行為を継続し、その結果、効果を踏まえて、この本を書いたそうです。
「怒るおじさん」は、『サザエさん』の中にだけいるわけじゃなかったんだ!
「本当に危ない人(明らかに反社会勢力と思われる人や麻薬中毒者や泥酔者のような、話が通じる可能性が極めて低い人)」は、1対1で注意するのは危険なので避けたほうがいい、とも仰っているのですが。
著者は、「叱りかたの三原則」として、「まじめな顔で」「すぐに」「具体的に」の三つを挙げて、それぞれ例をあげながら噛んで含めるように説明しています。
この本には、「怒りを抑え込んで我慢すること」の弊害についても、ものすごく丁寧に書かれているんですよね。
気にくわないことがあるとすぐにキレて暴力をふるうクズ人間も、もちろんいます。
でも意外と、人はキレないものですよ。みんな想像以上にガマンしています。苦情をいったり訴訟を起こす人に対して、日本人は冷たい視線を送りますが、事情をよく聞くと、多くのケースで、ガマンにガマンを重ねた末に、ガマンしきれず苦情をいったり、訴えたりしてるんです。
いい人、やさしい人ほど、社会の不条理を敏感に感じ取って、不愉快な思いをします。そして、そういう人ほど、なるべく怒りをガマンしてるものです。
それでも人間ですから限界があります。普段から人一倍ガマンしている人なのに、たまたま限度を超えてキレてしまい、その一発だけが原因で、周囲からの評価を大きく落としてしまったという非常に不幸な人は、けっこういるはずです。
キレたという事実は、だれの目にも明らかな行動ですが、日頃怒りをガマンしていることは、外見からはわかりません。怒りをガマンする努力は、だれからも評価してもらえないんです。
何年もガマンしてきた努力はまったく評価されず、たった一度キレてしまったことのみで、キレる人のレッテルを貼られてしまうんです。ガマンあ、それほどまでに報われない行為なのです。
だから、ささいなことにこそ怒ってしまいなさい、とおすすめしてるんです。
私はよそのこどもやオトナに注意する(怒る・叱る)際に、めったなことでは怒鳴りつけたり声を荒げたりしません。
こども相手なら「〇〇してくれないか」「〇〇はやめてくれないか」、オトナが相手なら「すいませんが、〇〇してくれませんか」「すいませんが、〇〇はやめてくれませんか」といった調子でまじめな顔で話しかけます。
そういう点も、注意でなく「交渉」なんですけど、そうやって冷静に交渉できるのは、問題がささいなうちに相手にいうからです。
人間が「ガマンしているところ」って、周りからは見えないし、うまく伝わらないんですよね。
ずっとずっとガマンして、ついにガマンの堤防が決壊してしまった人が怒り狂っている場合でも、傍からみれば、「突然ひどくキレてしまう人」になってしまいます。
それまで、おとなしくガマンしていればいるほど、なおさら。
むしろ、日頃からイライラしている人がキレるほうが、周りからすれば「想定内」として受け入れられやすい。
この「問題がささいなうちに交渉する」というのは、お互いに冷静さを保つために、ものすごく大事なことなのです。
言われてみれば「確かにそうだ」という話なのですが、実際は、「向こうが気づいて自発的にやめてくれるかもしれない」とガマンしているうちに、苛立ちは深まり、その怒りが噴火してしまったときには、相手も「なんでいままで何も言わなかったのに、急にキレるんだ?」と喧嘩腰になってしまう。
わかっていても、なかなか「最初の一声」を出すのは難しいとは思うのですが、こういうことを意識しているのといないのとでは、気の持ちようがだいぶ違います。
「これまでガマンしてきたのに!」から、「こうなるまで対処しなかったのは自分のせいでもある」と思うようになれば、多少は冷静になれるかもしれないし。
著者は「正義のための怒る」というのでは、うまくいかない、と述べています。自分が気に入らないから怒るのだ、と。
正義を目的に何かをしようとすれば、必ず失敗する。私は先ほどどう断言しました。その原因は、完璧主義にあります。
正義のために不道徳な行為を注意するのだ、なんて宣言して実行してごらんなさい。確実にこういわれます。「おまえはそこの不道徳者を注意してやめさせた。でも、街の反対側には、べつの不心得者がいるのだ。そっちはやめさせたけど、あっちは野放しでいいのか。そんなんで、正義だとかいい気になってんじゃねえよ!」
なんとも幼稚な――おっと失礼。ピュアで理想主義的な意見ですね。人生の酸いも甘いもかみ分けたオトナなら一笑に付すだけです。
駐車違反を取り締まられた人がよくこの論理を用いて警察を批判してますよね。自分がしてかした悪さを棚に上げて、警察の正義の不完全さを批判する幼――ピュアな人。
しかし正義を標榜するような人もまたピュアだったりするんです。だからこの手の批判をされると、真に受けて悩んじゃったりする。正義にとって最強のボス敵は悪ではなく、完璧主義なんです。完璧主義こそが、正義を殺すのです。
現実主義者なら、こう考えます。仮にその晩、街でマナー違反や不道徳な行為が百件起こってたとして、そのうちのたとえ一件でも注意してやめさせることができたなら、それは確実な前進です。
それが二件、三件、十件と、増えれば増えるほど成果はあがったと評価できるのです。なにも注意しないで見て見ぬふりすれば成果ゼロ。進歩ゼロ。ゼロと一を比べたら雲泥の差があるのに、ピュアな理想主義者は100と1を比べて悲観的になるのです。(中略)
エセ完璧主義者はしばしば、ゼロか百かの二択にとらわれ、不完全な一歩を踏み出すことを躊躇するものです。
だいぶ以前に聞いた話ですが、バリアフリー運動がまだ世間に浸透していなかったころ、車椅子を使ってる障害者のかたが、住まいの最寄り駅にエレベーターを設置してくれるよう運動をはじめたんです。
すると、「おたくの最寄り駅だけに作ったって、降りる駅にもなければ無意味じゃないか」と嘲笑されました。その障害者のかたは涼しい顔でこう答えたそうです。「最初の一個ができなければ、ずっとゼロのままですよ」。
僕にもこの「エセ完璧主義者」的なところがあるので、こういうふうに「論破」すれば良いのか!と感動してしまいました。
理想主義、完璧主義は、結局のところ、世の中を進歩させてはくれないのです。
それを突き詰めると、カルト宗教の力や暴力的な社会主義革命で世の中を変えようとした人々のようになってしまうこともある。
この本に書かれている「怒りかた」というのは、「自分が生きやすくなるための交渉術」なのです。
「喜怒哀楽」から人間は逃れることができないのだから、無理に怒りを押さえ込もうとするよりも、うまく怒ったほうがいい。
もし私が校長になったらどうするか。まずは、こどもたちが他人とできるだけ関わるようにします。
日本の学校教育では――というか、日本社会全体にもあてはまることですが、なにか不満があっても、言葉で相手に注意したり、行動を変えてくれるよう他人と交渉するといった姿勢が、非常に弱い。
近所のこどもやよそのオトナにじかに口頭で注意している人なんて、ほとんど見かけません。注意してトラブルになるくらいならひたすらガマンすることを選ぶ日本人が多い現状からすると、学校の先生たちがいう、「口でいってもきかない」という言葉を、私は信用できません。
ことあるごとに、”ふれあい”なんて言葉を使って人間関係の大切さをほのめかしますけど、実態は、自分と意見を同じくする者同士とだけ”ふれあい”を求め、意見のあわない人とは極力ふれあわない。それどころか危ない人として避けようとする。
他人とふれあうことは、必ずしも楽しいことばかりではありません。心がほっこりするどころか、傷ついたり腹立ったりすることも多いんです。他人とのふれあいがこわくてひきこもっている人たちの感性は、正しいんです。ひきこもりの人たちは、人間を正しく見すぎるゆえに、過剰に他人を恐れてしまっているのです。
だけど、不愉快な相手に注意したり、苦手な人と交渉して傷つくことも立派な”ふれあい”だし、そういう現実と向き合うのも大事な教育です。
とはいえ、注意されたことを根に持って、高速道路で危険な煽り運転をして事故を起こさせた事件などを知ると、やっぱり、「他人を注意するリスク」も考えずにはいられないんですよね。
今は、反社会勢力と一般人との境界が曖昧になってもいるし。
相手が怖い人だったら注意しない、というのは、なんだか腑に落ちないところではあるのですが、それこそまさに、「エセ完璧主義」の弊害とも言えるのでしょう。
変えられそうな人からでも変えていったほうが、最初からあきらめてしまうより、たぶん、世の中を良くしていくのです。
僕は、この本を読んだおかげで、自分の子どもへの接し方が少し変わりました。
これまでは、大人なんだからとガマンしていて、限界を迎えるとけっこうキツい態度になってしまいがちだったのですが「気づいたことは、その場で、怒っていることを表情にもあらわして、声を荒げずにきちんと説明する」というのを意識していると、それほどストレスがたまらないような気がします。
「怒り」も、早期発見、早期治療が肝要、ということなのでしょうね。
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(2025/3/27更新)
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著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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