相変わらずこの時期になっても新卒の採用面接が続いている。
採用難と言われる時代ではあるが、地方にはまだまだ東京での職を熱心に探している学生の方も多く、appear.inなどのビデオチャットツールを使ってwebを通じての面接がかなり多くなった。
時代の流れだなあ、と思う。
その潮流の延長なのだろうか、webで面接をしていると、学生の方から社内の雰囲気を知りたい、という要望をもらうことが多くなった。
実際に自分が働くかも知れない会社の様子を知りたい、というのは当然ではである。
何を持って「社内の雰囲気」というのかについては、議論があるだろうが、そのような要望を受けた場合、カメラ越しにサイトツアーを行い、働く場所や、社員たちの様子を見せて回る事が多い。
そのときである。
特に今年は多いと感じるのだが、社員たちの様子を見た、少なからぬ学生の方から「私服は禁止なんですか?」と質問されるようになった。
しかも、1社だけではなく、複数の会社でだ。
私服でOKの会社もずいぶんと増えたが、まだ世の中はスーツを着て働いている会社の方が多い。
ある会社で、「面接官が「うちはスーツなんです。」というと、学生は何も言わなかったが、明らかに落胆の様子を見せた。
また、会社がぜひとも採用したいと思っていた、優秀な学生の一人は「スーツでない会社で働きたいと思ってます」とはっきりといい、辞退されてしまう、というシーンもあった。
そして、この傾向はレベルの高い学生ほど顕著になっているとも感じる。
*
最近、スーツを着る人は明らかに減ってきている。
事実、青山商事、AOKIホールディングス、コナカの紳士服大手3社の業績が11月に3社が発表した直近の決算は、3社とも減収、最終赤字だった。
スーツ大手3社が赤字転落で壊滅状態に…AOKI、漫画喫茶などカフェ事業拡大で生き残り図る
青山商事、AOKIホールディングス、コナカの紳士服大手3社の業績が深刻だ。決算期間が異なるが、11月に3社が発表した直近の決算は、3社とも減収、最終赤字だった。
個人的な体験では、つい先日、私が地下鉄の駅で見かけたダーバンのディスプレイ広告が、スーツの売上減少を示している。
ダーバンの焦りがリアルに伝わってくる。 pic.twitter.com/ksZUSTs6is
— 安達裕哉(Books&Apps) (@Books_Apps) 2019年3月6日
服装規定を緩めていく会社が増えたためだろう。
日本企業でも最近ではIT系のスタートアップやアパレルを中心に、服装は自由、という会社も多い。
また、欧米の外資系では積極的に服装規定の緩和を図っているようだ。
「カタい」イメージのある、製造業や金融業でも、緩和が進んでいる。
例えば、コカ・コーラボトラーズジャパン。
コカ・コーラボトラーズジャパンは4月から、ジーンズやスニーカーなどカジュアルな服装を認める新たな服装規定を導入した。同社の従業員は約1万7千人。
ただ、工場勤務で制服を着用する人や、営業職でスーツを着る人は従来通りの服装で仕事をするため、カジュアルな服装で勤務するのは本社の事務部門などの約3700人となりそうだ。
あるいは、ゴールドマン・サックス。
ゴールドマンがドレスコード緩める、職場でより自由な服装を容認
ウォール街の伝統的ファッションの牙城ともいえるゴールドマン・サックス・グループが、ドレスコード(服装規定)を緩める方針を行員らに伝えた。
米国では5割を超える企業がカジュアルOKとの報道もなされている。
その理由は「人材確保」だ。
今の時代にはカジュアルな雰囲気を出す必要があると、ゴールドマン・サックスの上層部が感じたということだろう。そうしなければ、GoogleやFacebookなどに優秀な人材を奪われてしまいかねないからだ。
そうだ。
スーツへの批判はこれまでも
「スーツは窮屈」
「肩がこる」
「暑い」
「非生産的」
など、様々な意見があったが、最近はもう少し深刻だ。
それは、「服装が、社会的な階層や、会社のカルチャーを表す」という観点だ。
つまり「オールドエコノミーの、画一的で、大企業病の香りがする」のが、スーツ姿なのだ。
彼らは「社畜」であり、社会的な階層も昔ほど高くない。
もっともいま、社会的な階層が高いのは、GAFAなどに代表される、ニューエコノミーの「私服のスペシャリストたち」である。
*
いまからは考えられないが、実はかつて、「スーツを着て働くこと」は憧れのことだった。
まだ肉体労働者、つまりブルーカラーが会社員の多くを占めていた頃、「スーツを着て働く」ことは、高収入と、高い社会階層を表す一種の象徴であった。
いまでも、そのような感覚を持っている人もいる。
職業に貴賎はない。
が、ブルーカラーの労働者は、より高収入で、知的で、社会的地位の高いホワイトカラーに憧れ、「スーツを着る仕事に付きたい」と願ったのだ。
翻って現代。
もはや「ホワイトカラー」へのあこがれは、「超優秀層」の人々には存在しない。
むしろ、事務や営業職に代表される、ホワイトカラーは「やりたくない仕事」のひとつなのだ。
例えばGoogleのエピソードは、その価値観の転換を如実に示している。
僕の面接に立ち会ったのは、エンジニアリングのトップにいた人でした。無造作な長髪に、古くさいTシャツ、大きめの眼鏡に、伸ばし放題のヒゲ。
僕がそれまで一方的に見下していたタイプそのままの格好でした。
しかし、会話を始めた瞬間に印象が変わりました。なぜなら、エンジニアなのに、人材育成について非常に鋭く、核心を突いた質問を矢継ぎ早にしてきたからです。
そのときから、スーツを着るかどうかなど、どうでもよくなりました。同時に、自分がどれだけ偏見を持っていたのかも理解しました。そして、「この会社なら何か面白い仕事ができるかもしれない!」と直感しました。
グーグルのドレスコードは、Wearsomething。要するに何か着ていれば、裸でなければ何でもいいということ。
グーグルの社員は皆、「スーツよりも、Tシャツのほうが格好いい」という価値観を持っています。
僕もグーグルに入社してから、着たい服を着たいように着る、と心に決めました。
すでにシリコンバレーでは、スーツを着ている人たちがモテなくなっています。フェイスブックやグーグルの経営者をはじめ、今伸びているスタートアップで働く人は、純粋に仕事の結果だけで勝負をします。
彼らが求めているのは「ゼロから新しい価値を生み出すこと」。そこに着るものは関係ないという考えです。
外見で人や仕事を判断していた時代が終わり、「私たちはどのように働き、生きるのか」という大きな視点で見ても変化が必要な時代に入っているのです。
スーツが「オールドエコノミーの象徴」に成り下がってしまったこと。
これが機を見るに敏な学生の「スーツは嫌だ」という発言につながっているのだろう。
もちろん、スーツはスーツの良さがある。
私も娘の七五三や入学式にはスーツを着た。
スーツそのもののデザインはかっこいいし、楽に自分の姿を幾分マシにしてくれる。
だから、「スーツは悪」とか「スーツのせいで非生産的になる」等と言った言説には、私は同意しかねる。
スーツそのものが悪いのではないのだ。
悪いのは、「スーツを着なければならない」という、お仕着せのルールと、それを追認する、オールドエコノミーのカルチャーである。
ニューエコノミーの私服を着る人々は、スーツそのものを嫌っているのではなく、「服装ごとき、会社が指図するな。」という話なのだ。
裏を返せば、「そんなことは自己責任でやるわ」が、現在資本と人材が集結するニューエコノミーの本質なのだ。
成果を出せば、何も問われない、ということの表れが、服装自由、なのである。
だから、最優秀層は、スーツを来たがらない。
彼らは会社に指図されることを好まないし、実際、会社が指図しないほうが結果を出す。
だから、最優秀層の人材獲得においては、「服装自由」が大きな意味を持つのである。
*
かつて、ホワイトカラーのスーツが憧れの的だったように、今は服装自由のニューエコノミーが憧れの的となる。
ついに、スーツを着て働くのが「かっこ悪い」と思われる時代になったのだ。
それは、表面上の「服装」という話ではない。
経済の中心となる考え方や、権力が大きくシフトした、という事実を如実に反映しているのである。
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