訳あって、アンダークラスについてちょっと調べている。この言葉は、なんらかの階級を指し示しているようで本当はそうではない気がしていたからだ。

そのうえで、私が診察室の内と外で見てきたアンダークラスらしき諸現象も思い出しながら、個人的な所感を付け加えたい。

 

まず、アンダークラスとはなにか。
これはそのものズバリ、そういう新書がまとめられているので参照する。(注:この文章で引用されているグラフも以下の新書からの引用です)

 

著者は、はじめに永山則夫の言葉を引用しルンペンプロレタリアート(モノ持たぬ労働者階級)に言及したうえで、アンダークラスについては以下のように定義する。

……そして底辺には、低賃金で不安定な非正規労働者の大群が形成されていて、その数と全体に占める比率は、増大を続けている。そしてこの構造は社会不安の大きな源泉になっている。

ここで非正規労働者のうち、家計補助的に働いているパート主婦と、非常勤の役員や管理職、資格や技能をもった専門職を除いた残りの人々を、「アンダークラス」と呼ぶことにしよう。その数はおよそ930万人で、就業人口の15%ほどを占め、急速に拡大しつつある。

……平均年収はわずか186万円で、貧困率は38.7%と高く、とくに女性では、貧困率がほぼ5割に達している。仕事の種類は、マニュアル職、販売職、サービス職が多く、具体的には販売店員、料理人、給仕係、清掃員、レジ係・キャッシャー、倉庫夫・仲仕、介護員・ヘルパー、派遣の事務員などである。平均労働時間はフルタイム労働者より1~2割少ないだけで、多くがフルタイム並みに働いている。

 

管理職や役員や専門職を除外した、非正規労働者で低収入の雑多な職種の人々がアンダークラスであるという、かなりざっくりとした定義がうかがえる。なお、本書はコロナ禍の前に著されているため、今日ではもう少し平均年収は高いかもしれないが、いずれにせよ低収入である点は変わるまい。

同書によれば、このアンダークラスという言葉を現在に近い意味で最初に用いたのは、スウェーデン出身のミュルダールという経済学者が最初であるという。

アメリカ社会の大多数は教育を通じて社会的/経済的移動が盛んで、また可能だが、そうした大多数の下には失業や不安定雇用が長引きやすく社会的/経済的移動が困難な人々があるという。その、社会的/経済的移動が可能か不可能かのボーダーラインより下に位置するのがアンダークラス、というわけだ。

 

その後アメリカでは、アンダークラスという言葉が素行の良くない人々へのレッテルとして用いられたり、福祉政策への依存により生み出されたものとみなされたりするなかで、「救済に値しない人々」といったニュアンスを帯びるようになっていった、ともある。

 

アンダークラス≠労働者階級

これらを踏まえたうえで、じゃあアンダークラスとは何か? を私なりに咀嚼しようとした時、それは「いわゆる労働者階級」とイコールではないな、と感じずにはいられなくなる。

かつて、「階級」という人々の区切り方があった。支配階級~中間階級~労働者階級とか、ブルジョワ階級~プチブル階級~労働者階級といった、特にヨーロッパ社会で用いられてきた区切り方だ。この階級という考え方のなかでは、労働者階級が一番下の階級、とみなされている。

では、アンダークラスはそのまま労働者階級とみて良いのか? とてもそうは思えない。そもそもアンダークラスは非正規労働者であって正規労働者ではないし、その内実は雑多だ。実際、『アンダークラス』の著者・橋本健二はこう書いている。

 これまでの日本の労働者階級は、資本主義社会の底辺に位置する階級だったとはいえ、その大部分は正社員としての安定した地位をもち、製造業を中心にそれなりの賃金水準を確保してきた。

これに対して激増してきた非正規労働者は、雇用が不安定で、賃金も正規労働者には遠く及ばない。しかも次章でみるように、結婚して家族を形成することが難しいなど、従来からある労働者階級とも異質な、ひとつの下層階級を構成し始めているようである。

労働者階級が資本主義社会の最下層の階級だったとするならば、非正規労働者は「階級以下」の存在、つまり「アンダークラス」と呼ぶのがふさわしいだろう。

 

労働者階級はいわゆるブルーカラー層にあたる。だからといって非正規労働者ではない。

逆に、アンダークラスだからといってブルーカラー層にあたるとも限らない。旧来の三つの階級の外側の存在とみるなら、アンダークラスという名称にも納得できるというものだ。同書所収の調査結果からも、それはうかがえる。

 

 

これを見ると、アンダークラスには事務職が少なからず含まれている。

仕事の種類からいえば、これはブルーカラー層というよりホワイトカラー層、労働者階級というより中間階級やプチブル階級と呼ぶべき人々である。

 

学歴にも注目したい。非アンダークラスと比較して中卒者が多く大卒者が少ないとはいえ、それでも、決して少なくない割合の大卒者が混じっているのである。

だから、少なくとも日本のアンダークラス=零落した労働者階級とみるのは正しくない。零落した中間階級、持続不可能になったプチブル階級もかなり含まれたまとまりとみるべきなのだろう。

関連して、アンダークラスの貧困率や性差も興味深い。

 

男女年齢別の貧困率、生活満足度についての調査結果を見ても、この、アンダークラスなるものが一律でも一枚岩でもない、さまざまな属性を持つ人々であることがうかがえる。

もちろん著者も、年金を取得している高齢者は、若年者とは様子が違っていることには自覚的だ。著者はそこから、アンダークラスを年齢や性別により四つのサブタイプに分類していく。

が、そのあたりについてはこの文章の主旨からは逸れるので興味のある人は『アンダークラス』をお読みになっていただきたい。

 

階級にふさわしいハビトゥスや趣味は、アンダークラスにありや?

ここからは、私自身が診察室の内外で見聞きしたことも踏まえながら個人的な所感を書くので、そのつもりでいてください。

雑多な属性を持った一群だから仕方ないかもしれないが、私は、アンダークラスに当てはまる人々に固有のハビトゥスや趣味を感じ取ることができない。

アンダークラスだから○○を特異的に愛好しているとか、アンダークラスだから××のような仕草をしがちといった、階級固有の「やりかた」「処世術」「嗜好」といったものは想像できない。

階級にふさわしいハビトゥスや趣味といえば、社会学者のブルデューが『ディスタンクシオン』でまとめたものを私は思い出す。そ

こでは、支配階級、中間階級、労働者階級それぞれには選びがちな趣味があり、それぞれにありがちな所作やハビトゥスがあるとされている。

たとえば労働者階級は実用性に即して趣味を愛好し、中間階級は上昇志向的に即して趣味を愛好し、支配階級は実用性から距離を取った趣味が選択できると同時に、余裕ある趣味態度をつくりがち……といった具合だ。

そうした趣味選択や趣味態度には、それぞれの階級の経済事情や他階級に対する卓越性の提示が染み込んでいる。

たとえば中間階級の勤勉な趣味態度は、支配階級に近づきたい上昇志向を遂行する推進力たり得ると同時に、労働者階級に対してみずからの卓越性を示す証拠ともなる。

 

他方、労働者階級は中間階級とは異なる趣味態度をとおして、勤勉さという中間階級のモノサシから心理的距離を取ることができ、そのおかげで無用の劣等感を抱えずに済むだろう。

ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』やリチャード・ホガート『読み書き能力の効用』に記されている労働者階級のハビトゥスや趣味も、そのような性格を併せ持っているものだった。

 

このように、ブルデューが『ディスタンクシオン』でまとめたそれぞれの階級に固有のハビトゥスや趣味は、それぞれの階級の社会的適応や心理的適応に貢献する一面を持ったものとしても読み取れる。

たとえそれが、融通無碍なものではなく、ときには呪わしい一面をみせるかもしれないとしてもだ。

しかし、アンダークラスとまとめられる人々には、こういった固有のハビトゥスや趣味が見当たらない。

アンダークラスに該当していそうなさまざまな人々の実観測でも、そのハビトゥスや趣味は雑多というほかなかったと思う。労働者階級っぽさが感じられる人もあれば、中間階級っぽさが感じられる人もある。ハビトゥスや趣味といえるものが失われてしまっているとみえる人もいる。

そもそも日本では、ブルデューが1970年にフランスでまとめたような、ヨーロッパ的な階級と階級意識は乏しいように思われる。

戦前はさておき、太平洋戦争やGHQの施策などをとおして貧富の差が少なくなり、”一億総中流”という言葉すら生まれた後の日本社会では、労働者階級と中間階級の境目ははっきりせず、支配階級も目立ちにくい。

少なくとも、読む新聞も話す言葉も通う飲み屋もまるきり違うほどの差異は、日本ではみられない。

Xの行儀の悪い領域では、ときどき「○○はアンダークラスの趣味」といったメンションを見かけることがある。

しかし納得できるものを見たことはない。

 

ましてや、アンダークラスの社会的適応や心理的適応に貢献もしているハビトゥスや趣味となると尚更だ。ハビトゥスや趣味の桎梏から自由であるとも言えるが、ハビトゥスや趣味に守られている度合いも薄いのだろう。

特に中間階級的な上昇志向を内面化したまま、勤勉にアンダークラスを続けるのは、きついことのように思われる。

 

くだんの『アンダークラス』の後半には、アンダークラスの人がそうでない人よりもメンタルヘルスの問題に多く直面している統計的データが記されているが、中間階級的な上昇志向を内面化した零落した中間階級の人ほど、アンダークラスという状況に葛藤をおぼえるように推察した。

 

世代再生産が成らないなら階級っぽくない

それからもうひとつ。

前述の古典的な階級は、親から子へと継承されがちなものだった。支配階級の子どもはそのハビトゥスや趣味がアドバンテージとなり、同じく支配階級になれる確率が高い。

 

ときには、経営者の子が弁護士となったり弁護士の子が大学教授になる等、サブカテゴリが移動することは、ある。また正統な継承ではないとしても、支配階級の子がメディア産業やサブカルチャー領域に転じて活躍することも少なくない。

そうやって、ハビトゥスや趣味は階級間移動や階級内サブカテゴリ間の移動を伴いつつ、世代から世代へ続いていくものだ。

 

しかし、そうした営みが続くためには、どうあれ世代再生産が必要になる。逆に言うと、世代再生産が持続してきたからこそ階級という社会的/文化的まとまりが存在し続けてきた、とも言い直せるかもしれない。

ところが、ここでいうアンダークラスは世代再生産が成っていない。

世代再生産の適齢期のアンダークラスに絞って言えば、アンダークラスは子どもをなかなかもうけることができない。

特に男性においてその傾向は顕著だ。かつての労働者階級とは異なり、アンダークラスは世代を紡いでいくことができない。だとしたら、アンダークラスは世代を跨げず、そういう意味でも階級たりえないようにみえる。

なかには子をもうけられたアンダークラスもあろう。しかし、アンダークラスがそれそのままに子どもを育てることは今日とても難しい。

中間共同体がさまざまなリソースや経験を提供・共有していた時代が去った今、子育てにまつわるあらゆるリソースは親が直接伝授するか、購入可能な分野ならば金銭で贖わなければならない。

それができなければ、渡世のリソースとなる学力もスキルもハビトゥスや趣味も乏しいまま子どもは社会へ、その前段階としては学校へ放り出されることになる。

私が世の中を眺めて思うのは、実際には、アンダークラスの家庭に育った子どもが社会や(その手前の)学校で不適応を呈したりメンタルヘルス上の問題を呈したりすることは、かなり多いということだ。

アンダークラスという状況は子世代の不適応やメンタルヘルス上の問題を引き起こしやすいようにみえる。

 

と同時に、親子どちらかの社会不適応やメンタルヘルス上の問題がアンダークラスという状況を招き寄せる場合もあるようにみえる。

だから、アンダークラスという階級……というより状況は、経済的な問題が原因/結果になっているだけでなく、心理的な問題が原因/結果になっているようにもみえる。

 

もっと一般化した表現を試みるなら、

「経済・心理・社会的な諸資源の総合としての世帯が回らなくなると、アンダークラスという状況が到来する」

といったところだろうか。

アンダークラスという状況にはセルフネグレクトの問題も近接しているはずで、ここも、経済・心理・社会的な諸資源の欠乏が見え隠れする領域だ。

中間共同体がほとんどなくなった今、理論上、そうした領域への援助は社会契約に基づき国や自治体を経由して行われるべきかもしれないが、実のところ国や自治体やボランティアはそこまで小回りがきかないし、プライバシーという別の問題との兼ね合いもある。

ともあれ、世代再生産という見地から見てもアンダークラスは従来の階級とは違った何かに見え、かつ、これが大きな社会問題であるとは想像しやすい。

社会問題として、この方面についてもう少し知ってみたいなと今は思っている。

 

 

 

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(2026/2/9更新)

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Steve Mushero