最近、小学生の娘が「決められない」と口にすることが増えた。

 

例えば「何をして遊ぶか」。

外で自転車に乗るか、ウチでままごとをして遊ぶか、それとも本を読んで過ごすか。

 

「決められないから、お父さんきめて!」と決定を投げてくる。

「好きにすりゃいいじゃん。」

というと、

「決められないの!」とむくれてしまう。

 

あるいは「学校の宿題をいつやるか」。

「宿題手伝って!」と娘が言うので、

「いいよ、いつやるの?」と聞くと、

「決められない」という。

 

「じゃ、すぐ始めるか、おやつを食べてからやるか、あるいは夕食前にやるか、いつやる?」と聞いても、

「えー、わかんない」という。

「決めてくれないと、お父さんも予定が立たなくて困る」というが、

「じゃ、お父さん決めてよ」と娘は言う。

また「決めてよ」か……と思う。

 

「じゃ、今すぐ」と私が言うと、

「えーーー、いますぐはイヤ。」というので、

「じゃ、いつがいいの?」と聞くと、

また「えー、わかんない」と、意思決定を放り投げてしまう。

 

子供はみんなそうなのか……とも思ったが、もうひとりの娘(妹)は、上の娘(姉)とは全く異なる。

何においても、決めるのがめっぽう早い。

「どっち?」と聞くと、間髪を入れず「こっち」と決める。

 

「もうちょっと考えたら?」と母親が熟考を促すときもあるが、それによって意思決定が翻ることは殆どない。

だから上の娘が「子供だから決められない」というわけでもなさそうだ。

 

それにしても、一体なぜ、娘がここまで「決められない」のか。

残念ながら、私には、娘の「決められない」という気持ちが全くわからなかった。

 

 

だが、よく周りを見渡してみると、大人でも「決められない人」は、実はかなりたくさんいる。

 

例えば就職。

相談をしに来た学生に「何をやってみたいんですか?」と聞くと、「決められない」という人は、想像以上に多かった。

また「親が勧めているので、この会社がいいです」と、決定を親に委ねる人もいて、根が深いな、と思うこともあった。

 

あるいは仕事。

上級管理職なのに「決められない人」がいることに、私は驚いた。

部下からの要求に対して、「YES」も「NO」も言わず、保留するばかり。

 

「社長に聞いておくから」と口では言うのだが、社長に相談した形跡もない。

彼は「決めることを避け続ける」ので、「何であんな人が部長をやってるの?」と、憤りをあらわにする人もいた。

 

彼が部長をやっていたのは、社長と仲が良かったことが大きいのだが、部下にとってみれば「決められない部長」は、仕事をしない無能以外の何物でもない。

 

もちろん、結婚、転職などの大きな意思決定だけではない。

日常でしなければならない些細な意思決定、例えば服装、休日の過ごしかた、趣味の品の購入、見るべき映画の演目、友達との約束など、「決められない人」は、無数に存在する。

 

 

大人になって、自分の人生の選択を決められないのは気の毒に思うし、また、先に挙げた部長のように、「決める仕事」を放棄するのは論外だ。

 

だが、念のために断っておくが、この文章は「決められない人」を貶める意図はまったくない。

当然、私の娘に対しても「決められない」について責めたり、怒ったり、叱ったりすることはない。

 

ただ、娘にはこれだけは言っている。

「自分できちんと考えて、決めなければならない時が、いつかかならず来る。そのために、今から決めることに慣れておくのは大事だ」と。

 

それは、「人生は自己責任」とか「自分で決めたことはきちんとやれ」とか、そういった薄い話ではない。

「決めること」は「他人ではなく、自分の人生を生きること」だと言いたいのだ。

 

人生は、誰がなんと言おうと、有限である。

人生100年時代、というが、100年なんて、生きてみればあっという間だ。

その有限の「生」を、何に投入するかを真剣に考え、意思決定していくことは、人生の充実度に大きな影響を与える。

 

「私は何を食べたいのか?」

「私はどんな学問を修めたいのか?」

「私はどんな仕事がしたいのか?」

「私は誰と友だちになりたいのか?」

「私はどのようなコミュニティに属したいのか?」

「私はどのようなパートナーと過ごしたいのか?」

「私はどのように余生を過ごしたいのか?」

「私にとっての幸福とはなにか?」

 

そういった問いに対して、これだ、と「決めた人」は全力投球でそれに取り組めるだろう。

 

 

とはいえ、「決める」のが苦手な、しかも子供である娘に、それを伝えるのは難しい。

 

そこで、聞いてみた。

「なんで、決めるのが難しいと思ったの?」と。

娘は言った。

「あとから、「あっちにしておけばよかった」と思うのが嫌なの。」

「でも、両方はいっぺんにできないよ。どっちかを捨てないと。」

「捨てるのが嫌なの。捨てないで済む方法って、ない?」

 

そうか。

ここで、疑問が氷解した。

決められない人は、「自分が選択しなかったほうを捨てる」のが苦手なのだ。

 

そう言えば、思い当たるフシがいくつもある。

おもちゃ箱から溢れたおもちゃを、「入らないなら、捨てないといけない。」と言ったとき、最後まで嫌がったのは姉の方だった。

逆に、妹のほうは、「すてていーよー」と気楽にいう。

 

他にも、姉は極端に「捨てること」を嫌がっていた。

自分のものだけではなく、古くなった家具の買い替えに伴う、家具の廃棄がイヤ。

故障した機械を捨てるのもイヤ。

落書きをした紙を全部とっておきたい……

 

「決められない」の正体は、「捨てられない」だったのだ。

だが……「捨てられない」に対して、処方箋はあるのだろうか?

 

 

近藤麻理恵さんの、世界的ベストセラー「人生がときめく片付けの魔法」には、こんな言葉が出てくる。

「心がときめくモノだけを残す。あとは思い切って捨ててみる。すると、その瞬間から、これまでの人生がリセットされ、新たな人生がスタートする」

これは、良い処方箋ではないだろうか。人生も同じだと思う。

結局「心がときめく、本当に大事なことをする時間」が、人生には大事なのだ。そのためには「ワクワクしない時間」は捨てていく必要がある。

 

昔、誰かが「大人になっていく、ということは、可能性を捨てていくということだ」と言っていた。

シロクマ先生も、「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない、という。

孔子も、「四十にして惑わず」と言った。

 

「自分の人生を生きる」は「要らないものは捨てる」と等しい。

まずは娘に「要らないものを、きちんと捨てられる」ようになることから教えなくては、と思う。

 

 

◯Twitterアカウント▶安達裕哉人の能力について興味があります。企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働者と格差について発信。

Eightアカウント(本記事の読者の方であれば、どなたでも、名刺交換リクエストを受け入れます。)

 

【お知らせ】地方創生サービスに関するウェビナー開催のご案内


【ウェビナーのご案内】
中堅・中小企業の経営者や人事担当者様向けに仙台を拠点に活躍するベンチャーキャピタル・スパークル株式会社様と共催セミナーを実施します

営業リストが尽きたらどうする?生成AIを使って自社で始めるDX人材育成とweb集客

社員が主導で新規顧客を呼び込む体制づくり ~成功事例をベースにわかりやすく紹介~

<内容>

-スパークル株式会社-

1.企業の課題解決に向けたDX推進人材の採用・育成に関する状況
2.DX推進人材の具体例とスキル要件
3.人材育成の進め方とそのポイント
4.弊社の支援内容の紹介

-ティネクト株式会社-

1.「営業リストが尽きた時に次に取るべき行動とは?」
2.【STEP 1:自社で始める生成AIを使ったWEB集客の基本ステップ】
3.【STEP 2:成功事例で学ぶ生成AIを使った具体的なアプローチ】
4.生成AIを使った自社社員が動ける仕組み作り
5.まとめと次のステップへ


日時: 2024/11/22(金) 10:00-11:30
参加費:無料  
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。


お申込みは ティネクトウェビナーページ ご覧ください

(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

 

【著者プロフィール】

◯Twitterアカウント▶安達裕哉

◯安達裕哉Facebookアカウント (安達の記事をフォローできます)

Books&Appsフェイスブックページ(Books&Appsの記事をフォローしたい方に)

◯ブログが本になりました。

(Photo:Melanie Tata