わたしには好きな女性のモデルがいた。

とてもスレンダーで、溌剌としていて、チャーミングで。真っ赤な口紅もよく似合っていて、ステキなモデルだなと思ってSNSで彼女を見ていた。

 

ところが、パタリと姿を見せなくなった。

あれ、忙しいのかしら、と思っていたら数ヶ月後に彼女は再び姿を表した。

 

ところが、なんか違和感がある。

海外のモデルだからか肌を大きく露出することにあまり抵抗はないと思うのだけれど、再びSNS上に現れた彼女は、とにかく裸体が多いのだ。トップは流石に隠しているけれど。

おかしい、なにかがおかしい。妖艶な下着姿だったり、水際の写真が多かったり。一体どうしたんだ?なんでこんなにも露出が多いのだろう。

今まではまったくそんなことなかったのに。そう思いながら彼女の体をみて、はたと気がついたでのある。

 

あ、おっぱいが大きくなってる……。

どうやら、姿を消していた間に、彼女は豊胸手術を受けていたようなのだ。

えー、なんで胸、大きくしたのよー、わたし、あのヘルシーな胸が好きだったのに、と激しく動揺した。

人の胸なのに。人の勝手だろ、ほっといてやれよ、という話なのだが。彼女の溌剌としたキャラクターとヘルシーな胸が妙にマッチしていて、とても好きだったのだ。

 

ところがこの状況を鑑みるに、彼女は自分の胸に満足していなかったことになる。

いや、もちろん、モデルという仕事柄、より良い仕事を求めて止むに止まれず豊胸手術に踏み切った、とも考えられる。

と、なんで知らないモデルの豊胸手術について、こうも熱くなっているのか。わたしはバカなのか、と思うけれど、そこに「胸」を取り巻くさまざまな心模様を見るからである。

 

胸の大きさは千差万別あり、そこに込める思いも千差万別ある。

もちろん自分の胸に関心がない女性ももちろんいることだろう。なので、ここではわたしの話をしようと思う。

 

***

 

不幸なことに、わたしは、立派な胸を持つ母と姉が居る環境で育った。

具体的なサイズをいうのは個人情報的に問題なので差し控えるが、そりゃもう、ご立派なお胸をお持ちである。ちなみに姉の洋服サイズは5号である。

 

忘れもしないあれは高校生の頃。一人お風呂に入っていると、なんの用事だったのか、母がガチャリと風呂の扉を開けて話しかけてきた。

話の内容などすっかり忘れてしまったのだけれど、彼女が去り際に私に言い放った言葉は今でも忘れることができない。

 

「かわいそうに」

私の胸を一瞥し、彼女はその言葉だけを残して去っていった。

浴槽の中で身を小さくする私は「ちょっと見ないでくれる」というのが精一杯だった。

 

っていうか、これが母親の言う言葉か!ただでさえ、自分でもちょっと小さいなーと思っていた胸なのに、それを多感な年頃の娘に向かって母親が指摘するなんて。

あまりにも腹が立って、風呂上がりに母に抗議した。

 

「普通母親があんなこと言わないんじゃない?」

すると母は言った。

「だって、本当にかわいそうだなと思ったんだもん。お姉ちゃんを妊娠した時には、せっせとチーズを食べていたのよ。あなたを妊娠した時には小魚だったの。その違いが出たのね。乳製品は大事ね」

 

「そんなこと関係してる?なんで妊娠中に母親が乳製品食べたら、産まれた子の胸が大きくなるのよ。・・・・・・いや、そーゆーことじゃなくてさ」

「だってお医者さんがそう言ったんだもん」

てんで話にならない。そこじゃねーんだ、私が訴えたかったのは。

それに私の骨はちっとも丈夫じゃなくて、よく骨折したじゃないのよ。

 

母親というのは時として無神経に子供を傷つける。

そうじゃない家庭ももちろん多いと思うが、うちではこんなことがよくあったのだ。

 

こうして母親にも不憫がられるぐらいのサイズだった私は、大学生になると益々自分の胸をなんとかしようと躍起になった。

鳥の胸肉とキャベツを食べると胸が大きくなると聞けば、そればかり食べたし、今更遅いかと思いながら、牛乳も飲んだ。

 

時は寄せて上げるブラが全盛期。もうこうなれば、騙せばいい。見せかければいいのだ。そういうことになって真実が暴かれても、それはそれ、仕方がない。ということで、そんな下着の力も借りた。

大学生、そして20代の社会人になっても、実態よりも何とかして胸を大きく見せようと、私は努力を続けたのである。

 

この辺りは私に限らず、多くの女性が経験したことがあるのではないか。

少なくとも私の周りの友達たちは自分の胸のサイズに満足せず、あれやこれやと大きくなるように実践したり、情報交換したりした。

 

では、これは、一体誰のためにやっていたのだろうか。

単純な話。他者の視線を気にしていただけである。

 

恥ずかしい話、大学生の私は胸が大きいことがモテる条件だと勘違いしていた。

男はみんな巨乳が好きだと思い込んでいたのもある。

胸が大きければ、スタイルが少々悪くても誤魔化せるとも思っていたし、なんとかなると思っていた。人として中身に自信がない分、大きな胸を持つことで、女性としての魅力を手に入れたと錯覚したかったのである。

 

女友達の目線も気にしていた。女子大に通っていたこともあり、会話が開けっぴろげで「あの子は胸が大きくて羨ましい」だの「私のこの貧乳ではどうにもならん」だの、休み時間となればそんな会話が繰り広げられた。

だからか「巨乳は正義」ぐらいの感覚になっていったのだ。

 

なんと浅はかな話であろうか。人としての未熟さ、自信の無さを、胸の大きさによって補おうとしていたなんて。

私の胸は、自分の体の一部であるにも関わらず、自分がどうかというよりも、他者により魅力的な人間として評価してほしいがために存在していたのである。
今では40歳を過ぎ、削げてきた小さな胸を見ながら、これでいいのだと思えるようになった。大きかろうが小さかろうが、そこは問題ではない。誰のものでもないのだから。

 

若い頃、合わせようとしていた男性の幻想に寄せる必要などまったくなかった。

胸に限らず、この歳になると、あちこちに体の変化が現れる。

シワもシミも増えるし、胸だけでなく、すべてのパーツが垂れ下がる。頰のたるみも白髪も、できれば見ないことにしたい。手のシワも気になる。

これからますます進む体の変化を受け入れていくことは、女性にとってなかなか苦しい作業になる筈だ。

 

ただ、少しばかり若い時より時間が経ったことで、自分にも自信が持てる部分ができたり、「仕方ない」と諦めることや、感情を手放すことができるようになった。

そのおかげで随分と楽になれたし、本当の意味での自分自身を手に入れたように思う。

 

他者は他者である。

そのままの自分を受け入れることが結果的に1番楽に生きられるのだ。気がつくのが本当に遅くて恥ずかしいのだけれど。

 

男性が思う以上に、女性は自分の胸に色々な感情を持っている。

自信にもなるし、コンプレックスにもなる。場合によっては失うこともあるから、本当にさまざまな思いとともに胸はある。

 

たかがおっぱい、されどおっぱいなのだ。

冒頭のモデルは、胸が大きくなってから、より一層ステキな笑顔を見せるようになった。

だとしら、人がなんと言おうとそれでいいのだと思った。

 

 

 

譽田亜紀子(こんだあきこ)

文筆家。「土偶女子」の異名をもち、昨今、ジワジワと流行りだしている縄文時代ブームの立役者のひとり。

間違っても歴史好きではないことがポイント。縄文時代以外はさっぱりわからない。

土偶好きが高じて、著作に『はじめての土偶』2014年『にっぽん全国土偶手帖』2015年(共に世界文化社)『ときめく縄文図鑑』2016年(山と溪谷社)『土偶のリアル』『土偶界へようこそ』2017年(山川出版)『知られざる縄文ライフ』2017年(誠文堂新光社)がある。

現在『かわいい古代』と題して東京新聞、中日新聞の水曜日夕刊に連載中。

 

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