日本で生きるなら、上下関係は大切だ。
後輩は先輩に従い、雑用をし、先輩を立てる。
先輩は後輩を導き、責任を負い、上の立場の者として振る舞う。
こういった上下関係を小さな頃からすりこまれたわけだけど、大人になってからは、「対等に話し合うための『左右』の関係も大事だよなぁ」と、ことあるごとに感じる。
社会に出たら、『上下』だけでなく、立場や年齢、性別にかかわらずふらっとに話し合う『左右』の結びつきも必要なのだ。
日本語は暗黙の上下関係を要求するコトバ
日本ではいつでもどこでも、序列がある。
集団登校では上級生が下級生の面倒を見て、お兄ちゃんやお姉ちゃんは弟、妹のために我慢するのが当然。
部活では数ヶ月誕生日が早い先輩が大きな権力をもち、年上は年下に対しほぼ無条件にタメ口で話す。
だから、年下の上司と気まずくなったり、中途入社した新人管理職が古参の部下と馴染めなかったりする。
この上下関係は、日本的価値観というのもあるけど、どうやら日本語で話すかぎりしぜんと起こってしまうらしい。
厄介なことだ。
日本語の会話というものが上下の規定を要求し、
「年長者は上、若年者は下」
「男性は上、女性は下」
「サービスの顧客は上、提供者は下」
「無言の多数派は上、例外事態の元凶は下」
「無言の理解者は上、分からないので質問する人は下」
といった暗黙の上下関係を会話において要求する、そのことが人々に「会話」を忌避させている。
その結果として、小さな孤立が日常生活のあちこちに発生したり、異なる者同士が接点を持たなかったり、小さなコンフリクトにコミュニケーションが耐え得なかったりするのだ。
出典:『「上から目線」の時代』
たしかに、仲良くしようと思っても、刷り込まれた上下関係による遠慮や気まずさ、面倒くささからコミュニケーションを避けてしまう……なんてことは実際にある。
お互い腹を割って話し合い、協力しあうには、対等な『左右』の関係が必要になるわけだけど、日本語ではなかなかむずかしい。
日本では話は最後まで聞くべきだけど、ドイツはちがう
では上下ではなく左右に結びついた「対等」な会話とは、どういうものだろう。
丸々紹介するにはちょっと長いので、『「上から目線」の時代』から一部を抜粋してまとめさせてもらう(気になる方はぜひ『「上から目線」の時代』の176ページを開いてほしい)
・英語の会話では話し手と聞き手の上下関係が薄く、聞き手はいつでも話し手になれる
・あいづちが圧倒的に少なく、相手の目をじっと見ながら聞く
・日本語の場合、話し手と聞き手は明らかな上下関係があり、話は最後まで聞くべきだとされる
・あいづちは相手が話し続けるのを認める行為であり、話し手が発言の権利を移譲しない限り、聞き手が話し手に取って代わるのは難しい
これは、わたしが住むドイツでもとても強く感じることだ。
みんな、話終わるのを待たずにどんどん自分の話をする。
話をかぶせまくり、話の腰という腰をボッキボキ折っていく。
話し続けたければ、どれだけ割り込まれようと話をやめずに発言を続け、主導権を死守しなければならない。
うっかりそこで黙ると、主導権はあっさり他人に奪われ、最後まで話すことはできないのだ。
もちろん、相手によっては割り込みを多少遠慮することはある。
それでも、たとえば「新人が上司の理不尽に対してなにも反論できない」「先輩の言うことにはなんでもイエス」といった極端な上下関係はあまり聞かない。
ドイツには、上司と部下が(年齢にかかわらず)互いにさん付けで呼び、丁寧語を使いあう企業もふつうにある。
一方的な上下関係といえば、大人と子ども、学校の教師と生徒くらいだ。
だれでも会話の主導権を握れるというのもあって、立場がちがえどもある程度フラットに話せるのだと思う。
でも上下関係にきびしい日本で、「フラットに会話する」というのは、言語的特徴を考えてもかなりハードルが高い(もしかしたら、だからこそ「無礼講」なんてものがあるのかもしれない)。
さて、どうしたものか。
コミュニケーションエラーは望まぬ結果を引き起こす
ちょっと話は変わるが、『メーデー!:航空機事故の真実と真相』という番組をご存知だろうか。
タイトルどおり、航空事故の真相を解明するドキュメンタリー番組である。
そこで、「CMR(Crew Resource Management)」という言葉を知った。
ヒューマンエラーを乗員のチームワークで防止する訓練のために「コックピット・リソース・マネジメント」 (Cockpit Resource Management) 、略して「CRM」という言葉が提唱された。
初期のCRMは、コックピットで使用可能なすべてのリソース(資源)を使って 運航安全を実現することを目的とし、上意下達を維持しながらも運航乗務員らの協力関係を促進して、より非権威主義的な文化をコクピット内に醸成することを意図した概念である。
出典:Wikipedia
要は、「人為的ミスによる事故を防ぐために、乗員が協力しやすい雰囲気にしてうまく役割分担しようね」という話だ。たぶん。
たとえば、
「ミスに気づいたけど大きな権力をもった機長には言えない」
「役割分担せずみんながひとつのことにかかりきりになって他の操作がおろそかになる」
「機長が機関士からの進言を無視する」
といったコミュニケーションエラーが、実際に大事故につながったらしい。
多数の命を預かる乗員たちは、指揮系統を守りつつも、上下関係にこだわらない柔軟で対等に協力しあえなきゃいけない。
だからこそ、『上下』ではなく『左右』(非権威主義的)の関係がとくに必要になのだろう。
でも、この『左右』の関係が大事なのは、どの組織でも同じだと思う。
それでもなにかを一緒にやるのなら、指示系統という意味での『上下』も大事だが、お互いが協力しやすい横のつながりも絶対に必要なのだ。
いい上下関係のためには左右の関係が大切
じゃあ、日本において左右の関係を築くためには、なにが必要なんだろう?
矛盾するようだけど、わたしはその答えは「いい上下関係を築くこと」だと思っている。
指揮系統自体は必要だから、上下関係を完全に撤廃する必要はないし、それは現実的じゃない。
でも、下の者が萎縮してなにも言えなかったり、逆に増長して指示を無視したり、上の人が諫言を受け入れなかったり、理不尽に下を押さえつけたりすれば、それはいびつな上下関係にしかならない。
ゆがんだ上下関係のなかでは、上の人は立場を失わないために下の人に無茶させたり、自制せずに言いたいことを言いちらかすし、下の人は上に責任を押し付けて指示待ちするし、怒られても反論できないからふて腐れてイヤな気持ちになる。
一方、「いい上下関係」では、上の人は下の人の意見を聞きながら責任をもって判断し、下の人は上の人をサポートしつつしっかりと自分の役割をこなす。
皮肉なことに、上下関係をうまく機能させるためには、対等に話し合える左右の関係が必要なのだ。
ちなみにここでいう「対等」とは、立場にかかわらず言いたいことが言い合え、互いがそれを受け入れられる、という意味である。
上に立つ人が要求される「リーダーシップ」というのは、見方を変えれば「みんなとうまく対等な関係を築くこと」なのかもしれない(カリスマ性で引っ張るタイプのリーダーもいるけど)。
より多くの人が活躍するため、うまく上下関係を機能させるため、立場にとらわれずに肩を並べて協力する横の関係の大切さも、もうちょっと注目されてほしい。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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(Photo:Alessandro Caproni)