先日、「豊かさとは、経験のバリエーションである」というお話をbooks&appsで読んだ。
「冒険の末に手に入れたもの」ではなく「冒険の過程」こそが、真に人を豊かにする。
この感覚を他人にうまく説明するのはなかなか難しい。
なぜかと言えば、豊かさとは「達成する」「手にする」ことと考えている人が多いのに対して、私は豊かさとは「経験のバリエーション」と考えているからだ。
わかりやすく「◯◯があるので、豊かです」「◯◯を手に入れたので、豊かです」と言えないのである。
そうではなく「豊かでいる」「豊かに過ごす」が正しい言い方だ。
例えば上にあげた登山では「頂上に到達すること」で豊かになるのではない。
毎回異なる経験を得る、登山そのものが「豊か」なのである。
仮に天候が悪く、頂上に到達する前に引き返さざるを得なくなったとしても、それは経験のバリエーションを増やしているので「豊か」なのだ。
この感覚に、私は深く同意する。
私の場合は、登山に相当するのはワインや旅行だ。
高級なワインを買うことも、素晴らしい飲み心地のワインを飲むことも、もちろん豊かさではある。
しかし私にとって、低価格のワインで驚きのおいしさに出会ったり、大枚をはたいたワインが「ハズレ」で悔しい思いをするのも「豊かさ」の大切な一部だ。
そうやって驚いたり痛い目に遭ったりすることで経験のバリエーションが広がり、ワインに対する理解も深まっていくからだ。
旅行も経験のバリエーションを広げてくれる。
現地の人々を理解するには不十分かもしれないが、普段の生活では経験できない匂いや食べ物、言葉や習慣に出会うには十分だ。
「経験のバリエーション=豊かさ」という考えにもとづいて旅行を選ぶなら、過度に観光地化されていない、その土地の匂いや言葉に出会えそうな旅先を選び、そういう旅行を企てるのが望ましいように思う。
子育てにおける「経験のバリエーション」
「経験のバリエーション=豊かさ」という考えを突き詰めていった時、無視するわけにはいかなそうな経験があると思うので、ここではそれを推してみたい。
それは子育てだ。
子どもが生まれるのに前後して、親は次々に未経験を重ねる。
特に女性であれば妊娠、出産、授乳といった未曽有の体験が待っている。
間違いなく、経験のバリエーションが広がる。
ちなみに私は男性だが本当は妊娠して出産して授乳してみたかった。
考えてみて欲しい、自分の身体のなかに別の生命が宿り、それが日に日に大きくなって身重になっていき、出産し授乳するというプロセスは考えただけでドキドキする。
それは社会的経験だけでなく、バイオロジカルな経験でもあるはずだ。
現代社会では、たいていの社会的経験は、たとえば旅行などをとおして「買う」ことができる。
ところが妊娠や出産や授乳のようなバイオロジカルな経験を「買う」ことはできない。
そして今のところ、妊娠や出産や授乳できるのは女性だけだ。
とはいえ子育てが始まるにつれて男性もまた経験のバリエーションを広げずにはいられない。
生後間もなく→半年後→満一歳と進むにつれ、子どもの反応や挙動はどんどん変わっていく。
子どもが変われば親の対応も変えなければならないわけで、親がすべきことも、親が身に付けることもすごいスピードで変わっていく。
たとえば食事の用意ひとつとっても、ミルク→離乳食→幼児の食事→小学生の食事へと変えていかなければならない。
先日、『こうしておれは父になる(のか)』という父親の子育てエッセイを読んだが、このエッセイには、父親たる筆者が子どもの成長によって変わっていく経験と、それにともなって変わっていく自分自身の経験がまさに記されている。
病院を出ると、新生児は空気の違いや私の緊張に気付いたのか、心なしかこわばっているようだった。
抱っこひもなどもなく、直接抱きながら曇天の下でタクシーを拾おうとするものの、こういうときほど捕まらない。
しばらくすると、ぽつりぽつりと雨まで降ってきた。
さっそく世界が現実の厳しさを教えてくれようとしているのが伝わってくる。
どうにかこうにか捕まえたタクシー、そのドライバーはちょうど孫が生まれたばかりだいう初老の男性。
彼が赤子の人生初乗車に立ち会えたことを喜んでくれたことで、ようやくこちらの心がほぐれる。
こうしておれは父になる(のか)
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子どもを初めて病院から家へ連れ帰る時のことは、私もよく覚えている。
天気も状況もよく似ていたので、この心細さや心がほぐれる感じにはシンパシーを感じた。
子どもを無事に家に連れ帰った後も、期待と不安によろめきながら未経験と向き合い、それらは簡単ではなかったけれども忘れがたい思い出になった。
「経験のバリエーション=豊かさ」という価値観を持っている人にとって、子育てはそうした経験の宝庫だ。
登山や釣りと同じく、必ず上手くいくものではないし、間違いなく苦労もするけれども、苦労のしがいはあるはずだ。
子どもの変化だけでも驚きの連続だが、その子どもに向き合う自分自身のライフスタイルやスキル、考え方まで変わっていくのだから、経験のバリエーションの豊かさという点では類を見ないものになる。
もちろん裏返しに捉えるなら、子育てに深く関われば変化は避けられない、ということでもある。
経験のバリエーションを豊かさとは感じていない人、変化をできるだけ避けて生きたい人には、子育てのそうした側面は苦痛かもしれない。
子育てから得られる経験は未知との遭遇
豊かな経験として子育てを考える際に、見過ごせないもうひとつのポイントは「子育ての経験は、親子それぞれによってまちまち」なことだ。
親の境遇や価値観、パートナーとの関係、生まれてくる子どもの性質によって子育ての経験はいかようにも変わる。
さきほど触れた『こうしておれは父になる(のか)』にしても、夫婦でサブカルチャーと深く関わり合いながら子育てしていくスタンスには一種独特の気配があった。
たとえば私なら「子連れの長距離移動なんて大変だろうに……」と控えるところが、この夫妻はそれを躊躇わない。
それで苦労もしている反面、子連れの長距離移動をしなければ知り得ないことをたくさん経験しているさまが読み取れた。
「この親子ありて、この経験あり。」
たぶん、どこの家の子育てもこんな具合に違っているのだろう。
インターネットで子育てブログやツイッターアカウントを巡回していても、親自身の境遇も価値観もまちまちで、子どもと過ごす経験の内容も、それに対する親の受け止め方も違っている。
我が家の子育ての参考になることもあれば、まったく参考にならないことも多い。
きっとそれでいいのだろうと思う。親子はみんな、違った経験を積み重ねているのだから。
それから子育ては、経験のバリエーションが豊かになるだけでなく、経験が未知である度合いが高く、肝心な部分の幾つかがメディアに載っていない、そういうたぐいのものだとも思う。
もちろん「お役立ち情報」のたぐいなら、ネットで検索することも書店で買い求めることもできるが、それだけでは決してカバーできない、手探りの部分を必ず伴っている。
それを悪しとする人にとって、子育ては不安に満ちた、脅威度の高い経験になりかねないけれども、それを良しとする人にとって、子育てはまたとないアドベンチャーだ。
ベビーカーのなかで眠るあの小さな姿は、登山や旅行にまったく劣らない、忘れることのできないアドベンチャーの塊ではないだろうか。
これから子育てを始める人は、子どもに好奇心を傾けて、是非、ひとつひとつの経験を味わい尽くしていただきたい、と思う。
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【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
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(2025/6/2更新)
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。
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ブログ:『シロクマの屑籠』
(Photo:Wonder Woman)