あらかじめお伝えすると、この記事は
「仕事に全力投球して可能なかぎりの成功をおさめたい。そのためにはどんな努力も惜しまない」
という人にとっては、なんの意味もないものだ。
「もっともっと」という野心あふれる人が読んでも時間のムダになるから、おすすめしない。
じゃあ、だれに向けて書いているのか?
それは、
「現状にある程度満足しているけど、満足してちゃダメだという焦りもあって、上を目指すべきだとは思いつつも楽なほうに流れ、なにをするでもなくなんとなく毎日を過ごしている」
という人……つまり、わたしみたいな人に向けている。
「なにを目指したらいいのかわからない」のがわたしの悩み
というわけで、ちょっと悩み相談してもいいですか?
「海外で暮らしながら文章を書いている」と言えば、9割9分「かっこいい」と言ってもらえる。
たしかに、ステータス的にはめちゃくちゃかっこいいのかもしれない。でも実際の生活は、かなり地味で平凡だ。
膨大な知識をもとに書かれた記事を見ては「わたしにはこんな専門知識がない」と落ち込み、
最前線の現場でなされた丁寧な取材によるノンフィクションを読んでは「なんて情熱がある人なんだ」と感嘆し、
涙せずにはいられない情緒たっぷりの小説に入り込んでは「こんな文章を書けたらなぁ……」と嫉妬する。
わたしには、「これなら」という専門知識もなければ、「どうしてもこれを伝えたい!」という確固たるテーマもなく、文章技術だけでどうにかできるほどの技量もセンスもない。
つまりわたしは、その程度の人間なのだ。
自分の底を知ってしまってからというもの、出口の見えないトンネルを、ずっとひとりでとぼとぼと歩いている。
なんの経験もないまま勢いでライターになり、おかげさまでいろいろなメディアで執筆させていただいた。
驚くほど順調に、ここまでやってこれたと思う。自己評価してみても、「上々」というのが妥当だ。
でもみんな口をそろえて、「満足したら成長しない」「現状維持は下降」と言う。
だから、もっとなにかに向かって努力すべきだとは思うんだけど、なにを目指せばいいのかがわからない。
いや、決して、やる気がないわけじゃないんだ。
文章を書くのは好きだから、もっといいものを書きたいという気持ちは常にもっている。
でも、「これ以上自分はなにを望むのか」「なにを目指したいのか」と自分に問いかければ、なにも答えられず立ち往生。
このところ、そんなモヤモヤがずーっと頭の中を占領している。
そして意外なことに、こんな思いを抱えているのが、わたしだけじゃないことを知った。
7割の努力で7割の成果。正直それでいいんだけど、10割じゃない自分がなんだかダメな気がして心配になる。
一時帰国していろんな友だちに会ったところ、案外みんな、似たような悩みをもっているらしかった。
そうか、自分だけじゃないのか。
だったら、ちょっと格好悪いけど、「やる気はあるけど全力にはなれない人間」のひとりとして、思っていることを率直に書いていきたい。
スティーブ・ジョブズとわたしは、ちがう種類の人間なのだ
「Stay hungry, stay foolish」
スタンフォード大学での伝説のスピーチでこう語ったスティーブ・ジョブズは、まさに「10割」の人間だ。
ちょっとでも止まったら死んでしまう人。
常に貪欲で、まわりからなんと言われようが「俺はやってやる」と愚直に走れる人。
並々ならぬ情熱をもって、夢中になれる人。
「なにか」を成し遂げるのは、やっぱりそういう10割人間なのだ。
7割で満足して、残り3割の空白を前に「なにかしなきゃなー」とゴロゴロしているわたしなんかとは、格がちがう。
いいなぁ。かっこいい。
素直にそう思う。
インフルエンサーやそれに連なる人、自己啓発本を書くような人はこぞって、この「10割」を求めてくる。
本気になれ、今すぐやれ、行動しろ、全力でやってみろ、そうしないと置いていかれるぞ……。
そういう言葉を耳にするたびに、燃えさかるほどの情熱をもちあわせていない自分は、「努力していないダメな人間なんだ」と焦らされる。
貪欲で愚直になんて生きられない、そんな人間は、どうしたらいいんだろう?
わたしは本当に、限界に挑戦することに喜びを感じるのか?
わたしのような凡人が、「全力で生きなければいけないんだ」というプレッシャーから解放されるために必要なのはきっと、貪欲で愚直に突き進むこととは反対の概念、「足るを知る」ことだと思う。
全力で「なにか」を追いかけられないなら、どこかで「わたしはこででじゅうぶん」だと思ってもいいんじゃないだろうか。
エベレストの山頂から見る景色は、たいそう素晴らしいものだろう。
でも、近所の小高い丘でピクニックをするのだって、楽しいじゃないか。
エベレストに登らないからといって焦ったり、劣等感を感じたり、自分にがっかりしたりしなくてもいいじゃないか。
そもそもわたしは本当に、エベレストに登りたいのか?
エベレスト登頂のために、必死になれるんだろうか?
そうじゃない。
わたしがほしいのは、そういうのじゃない。
そうじゃないなら、焦る必要も、不安になる必要もない。ないはずなのに、なぜか焦ってしまう。
それは、罪悪感があるからだ。近所の丘の上で満足してしまう自分に。できるかぎり上を目指さない自分に。人生に手を抜いているようで、なんだか肩身が狭い。
それにしてもふしぎだ。エベレストを目指していない人間が、エベレスト登頂のために努力しない自分を責めるなんて。
エベレスト登頂より、近所の丘でピクニックすることがわたしの幸せ
モノに関しては、「望みすぎは良くない」「今あるものを大切にしよう」とよく言われる。
それなら、そういう考えで仕事と向き合ったっていいんじゃないか?
10割の人間は、たしかにかっこいい。大成功をおさめるのはきっと、そういう人たちだ。
でも、7割くらいで、「もうじゅうぶんです。いまあるものを大事にします」と満足することに、罪悪感を抱いたり焦ったりしなくてもいいじゃないか。そんな自分を許してあげたっていいだろう?
念押しすると、わたしは文章を書くことがだいすきで、仕事で手を抜いてるつもりはない。
これからも文章を書いていきたいと思ってるし、できれば多くの人に読んでもらって、喜んでもらえたらうれしいと思う。
でも、そもそも、10割人間とは馬力がちがう。
「わたしの文章で世界を変えたい!」なんてだいそれた夢はもってない。
ただ、読者の方ひとりに「いい記事だった」「ありがとう」と言っていただければそれで満足。
わたしはそのためにがんばってるし、それ以上の野望を抱くことはない。
だから、「なにを目指したらいいのかわからない」のだ。だって、それ以上を望んでいないのだから。
自己啓発本を読んだって、書いている人の大半が「10割人間」だから、7割で満足する凡人はなかなか実行できないのだ。
どこかで「このへんでいいや」という満足ラインに達してしまう。
じゃあ、そこで満足してもいいじゃないか。満足すればいいじゃないか。
エベレストに登らなくとも幸せになれるんなら、ムリして登る必要はない。
近所の丘でのピクニックを、存分に楽しめばいい。
スティーブ・ジョブズのような生き方をかっこいいとは思うけど、わたしは、スティーブ・ジョブズになんかなれない。
目指したいとも思わない。
これは、自分の可能性を諦めているんじゃなくて、自分の能力と自分の性格をわきまえた結果だ。
凡人は上よりも足元を見て「足るを知る」ほうがいい
「本気でやれ!」という10割人間にとっては、怠惰で歯がゆい、意識の低い主張かもしれない。
「逃げ」と言われるかもしれないし、実際に言い訳なのかもしれない。
でも、7割人間が幸せになりたければ、おとなしく「足るを知る」ほうがいいと思うのだ。
「自分はこれでじゅうぶんです。多くを望まず、相応な高さの山の山頂でピクニックでもしてます」
こう思えればきっと、わたしが長いこと抱えている、このイヤな焦りからも解放される。
エベレストを目指さない生き方をしたっていいじゃないか。
登りたくもない山を見上げて、嫉妬したり、焦ったりするのは、もうやめにしたい。
わたしができることを、わたしのペースで。
それでだれかが喜んでくださるなら、それでじゅうぶん。
身の丈に合わないヒールを履いて立派に見せようとせず、不相応なことを望んでムダに自分を追い詰めず、できることを丁寧にやって、毎日をそれなりに楽しむ。
それでじゅうぶん。それで幸せ、それが幸せじゃないか。
いつかわたしも、10割人間として、貪欲に愚直になにかを追い求めるかもしれない。
でもそのときまでは、7割くらいの努力と成果で、ふんわりとした幸せを目指したい。
それに罪悪感や焦りを感じず、胸を張って「充実した人生です」と言いたい。
3割の余白で心に余裕をもって、自分とまわりに優しくできる人間でありたい。
わたしのような人間には、それぐらいがちょうどいいのだ。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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(Photo:Steve Halama)