僕が生まれて初めて死を意識したのは祖父が亡くなった時だ。

 

それまでの僕の祖父に対するイメージは、お正月にお年玉一万円くれる気のいい爺さん位のイメージしかなかった。

後で家族に昔の話を聞くと随分と怖い人だったとのことだったが、さすがに孫である僕に対して厳しい当たり方をする人ではなかったように思う。

 

祖父が無くなったのは僕が小学校の高学年に入るか入らないかの頃で、かなり急激な経過であったように記憶している。

キチンと確認はしていなのだが、死因は恐らく肺炎あたりだろう。

 

まだ小さかった事もあって両親が気を使ったからなのか、僕が祖父の死に初めて直面したのは病院ではなく、死後時間が経ち、祖父が自宅へと帰ってからだった。

祖父の顔にかけられた布を外し、ふとなんとなく祖父の身体に触った時の衝撃は今でも忘れられない。

 

「冷たい・・・」

 

これはシンプルに恐怖だった。

たぶん、なんとなく人間に触ると温かいというイメージが強かった事もあるのだろうが、人間の身体がこんなにも冷たくなるという事は小学生の理解を超えていた。

僕は「こんなに冷たいとかわいそうだ」と言って祖父の肌を温めようとし、親族から止められたような記憶がある。

 

その時はまだ死というもののイメージがぼんやりとしており、人間が冷たくなる以上の事は特に思わなかったように思う。

だが、次第と祖父の人格がここではないどこかへと逝ってしまった事に対する恐怖感が強くなってきて、泣きながら「祖父はどこにいってしまったのか」と両親に問いただした。

 

当然というか、両親は明確な答えを返すはずもなく、僕は死に対するあまりの訳がわからない感覚を抱きつつ、そのまま時計の針は火葬場へと進む事となった。

 

ここでもまた衝撃であった。

今では火葬と聞いても何も思わないが、あのときは死体を焼くだなんて処置は想像を超えていた。

 

「えっ!?焼いちゃうだなんて、痛いじゃん。かわいそうだよ、やめようよ」

 

こんな事を思ったか言ったかしたような記憶があるのだが「死んだから痛くないんだ」なんていう、これまた小学生の想像をあまりにも超えた回答が返ってきて困惑した。

 

その後、白骨となった祖父を骨壷に詰め、僕は愕然とした。

死んだら業火で焼かれ、壺に詰め込まれるだなんて、それまで考えたこともなかった。

 

それまでは死ぬとなんとなく天に召されて消えるイメージがあり、墓に入るという事をキチンとわかっておらず、ようやくお墓の中にある骨がどのように作られたのかを僕は理解した。

恐らく時間にして一週間程度の事だったと思うのだが、あの時以上に理解ができなさすぎるインパクトを受けた事はない。

 

このときから、僕は死を物凄く怖いものだと思うようになった。

死んだら自分がどこにいってしまうのか全くわからなかったし、何より死に至るまでの道のりは物凄く痛そうである。

それに・・・あんなに冷たい身体になってしまうのだから、とても寒そうである。

 

生きている今はまだいい。

身体に痛みは何もないし、布団にくるまれば温かい。

しかし・・・調べたところ、残念ながら生物は必ずといっていいほどに、死を免れられそうにない。

 

これを理解した当時の僕は物凄く陰鬱な気持ちになり、その気持ちから逃れるためにその辺の大人・子供をひっ捕まえてきて、死ぬとどうなるのかを問いただしたのだが、誰も彼も具体的な事は何も言えなかった。

 

身近な人は頼りにならぬと、図書館へ出かけ、臨死体験等を経て死後の世界について話している人の話も読み漁ったのだが、いずれも50歩100歩であった。

そもそも死んだら生き返れないのだから、死は基本的には検証不可能な事象で、その話の中には根拠が一つたりとしてない。

 

そうこうしているうちに「まあ、よくわからないけど、少なくとも今すぐに死ぬことはなさそうだ」という事にふと気が付き、僕は死に関する興味を失った。

恐怖はあったが、少なくともいま現在持つ知識でいくら真面目に考えたところで、堂々巡りしかできない。

 

「いま考えるのは時間の無駄だ。勉強していれば、いつかわかる日がくるかもしれない」

根がちゃらんぽらんな事もあって、そう結論づけて僕の死に対する想いはその時は終わった。

 

そして、祖父の死から10年以上の時が経ち、僕は死を疑似体験する機会に恵まれる事ととなった。

導入が長くなったが、ここから僕が体験した麻酔による仮死の話をする。

 

全身麻酔で死を疑似体験する

大学生3年生ぐらいの頃、僕は喉に謎の違和感が感じられるようになった。

何かが喉につっかえているような違和感が四六時中続くのである。

あの頃は知らなかったのだが、これはストレスを強く感じた人が持ちやすい症状であり、東洋医学で”気滞”と称されている症状とのことであった。

 

そんな事は全く知らなかった僕は「まあ何かあるなら、胃カメラすりゃみえるだろ」と、軽い気持ちで近所の消化器内科へと出かけ、上部内視鏡検査を希望した。

その時「検査はいろいろ大変だから、苦痛を取り除く処置をしてもよいか?」と聞かれ、僕は「まあ選べるなら楽な方がいいです」と答え、全く予期せぬ形で全身麻酔を受ける事となった。

 

これが本当に凄い体験であった。

何が凄いって、麻酔が身体に入り込むと、意識があまりにも突然”落ちる”のだ。

眠気のようなわかりやすい導入部分はゼロで、まるでスイッチが切られたかのように100あった意識が0になる。

 

そして落ちた意識が、検査が終わって麻酔から覚める薬を投与されると、突然”無”から意識が立ち上がり100になる。

こんな不思議な体験はそれまで一度も経験がなかった。

睡眠ならびにそこからの覚醒は、まだ起きている時との連続性が感じられるのだが、麻酔のそれは明らかに”断絶”がある。

あまりにも突然全てが終わりすぎるし、あまりにも突然全てが始まりすぎる。

 

本当の本当にこれは衝撃であった。

あまりにも衝撃が強すぎて、喉の違和感は胃カメラ後、完全に消失していた。

 

検査後に、あまりにも理解を超えたあの体験を言語化しようとあれこれ考えているうちに

「ひょっとして、宇宙の始まりであるビッグバンはこんな感じで”突然”始まったものであり、人の死はあんな感じで無に”突然”包まれて終わるのではないか」

というのを僕は感覚的に”納得”した。

 

「ああ、死って、たぶんこんな感じで無に包まれて、”終わる”んだな」

 

死について、生まれてはじめて納得を感じられた瞬間であった。

 

麻酔の時間が長くなろうが、やはり無であることには変わりがない

その後、実際に自分で麻酔をかける側にまわる事になったのだが、やはり覚醒後の患者さんは麻酔中の出来事を全く何もおぼえていなかった。

 

念の為、100人に至るまで僕は自分が麻酔をかけた人に対して「麻酔中の事を覚えていますか?」と聞いたのだけど、誰ひとりとして麻酔中の記憶を保持している人はいなかった。

 

「ここまで人間は”無”になれるのか」

 

まさかこんな所に、幼い頃に疑問に思った死に最も近い場所があるだなんて。

いやはや、長生きはするものである。

 

その後、運が良いのか悪いのかわからないが、僕は去年ちょっと大きい病をやらかし、またしても全身麻酔を受ける機会を得ることになった。

 

胃カメラをうけていた時は、恐らく長くても麻酔時間は10分程度だっただろう。

それが今度は1時間以上である。

正直、手術は嫌で嫌で仕方がなかったが、それ以上に果たしてあの”無”が長時間にわたる事でどう変化するのかに対する興味のほうが強かった。

 

結果だが・・・やはり”無”は”無”であり、時間が長くなろうが特に変化はなかった。

意識はブレーカーのように落ち、突然の”無”が始まる。

 

点滴の管から白い液体が僕の身体に入りこむ瞬間、僕は「絶対に落ちてやるものか」と抵抗を試みてはみたのだが、眠気と違って麻酔には全く何も抵抗ができない。

麻酔中の記憶もやはりというか残念ながら何もない。

 

意識が立ち上がる瞬間はゼロから突然意識の灯火が立ち上がる、とても不思議な感覚である。

麻酔が覚め、僕の意識は恐らく”死”に最も近い所から”現世”へと忽然と湧き上がる。

そしてその自我は、何の違和感もなく僕の身体へと宿るのである。

 

「ああ、またこの世に返ってこれた。まだやり残した事がたくさんある。必死に生きねば」

 

二度の全身麻酔の体験を通じて、僕はその思いをより一層強くする事となった。

 

死は無である

「死は”無”と一つになる事」

 

これが僕が二度の全身麻酔を経験した事により得た感覚だ。

 

今では僕は死ぬことはあまり怖くはない。

”無”は寒くもないし、痛くもない。

そこに至るまでになんらかのイベントはあるだろうが、少なくとも”無”は生き地獄からは程遠い。

 

”無”はひたすらに”無”である。

たぶん、そこは誰であろうが拒絶される事はなく、受け入れてくれるだろう。

ああ、僕は死んだとしても、少なくとも仲間はずれにされる事はなさそうだ。

”無”は誰にも等しく”無”だ。そこに優劣はない。

 

そして、ひたすらに”無”に包まれ悠久の時が流れた後、運がよかったらまた意識が”無”からビッグバンのように生れ出づるのかもしれない。

次にまた、ヒトとして生を受けるのかどうかはわからないけど。

 

 

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【プロフィール】

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高須賀

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(Photo:Petras Gagilas