最近は、どこもかしこもパンデミックの話題ばかりで、オンラインでもオフラインでも人々の慌てふためくさま、不安や苛立ちに衝き動かされるさまが目に飛び込んでくる。

不安で仕方がない時や苛立っている時、そういった気持ちを抱えたままマトモな判断ができるものだろうか?

 

いや。たいていの人はマトモな判断などおぼつかない。

不安や苛立ちは私たちの判断を曇らせて、言動を歪ませてしまう。

そういった難しいエモーションをモチベーション源として行動すると、激しく失敗したり、人間関係をこじらせたり、なにかと後悔の源になりやすい。

 

「馬鹿の考え休むに似たり」という言い回しがある。

「下手の考え休むに似たり」という言葉を元にして生まれた、愚かな者がいくら考え込んでも妙案など浮かばないということを意味する語。

(Weblio辞書より)

東日本大震災の時もそうだったが、今回のパンデミックでも、SNSを通して「馬鹿の考え」を垂れ流してしまったり、デマや未確定情報に惑わされてしまったりしている人々をしばしば見かける。

 

そういった人々とて、心穏やかな時はもっと良い考えを発信できたり、デマのたぐいを避けられたりするものだろう。

しかし不安や苛立ちの渦中にある時、私たちはしばしば「馬鹿の考え休むに似たり」に陥ってしまって、最悪の場合、そのことを自覚できないまま悪手を連発してしまう。

 

不安や苛立ちによって判断を曇らされる度合いには個人差があるので、なかには、騒動の渦中でこそ光る才能を持った人もいるだろう。

だが、知識人と言ってもおかしくない人のなかにさえ、不安や苛立ちによってミステイクを繰り返し、知性や品性を疑われてしまう人もいる。

 

不安や苛立ちに駆られて買いだめをしている人々を馬鹿にしているまさにその当人が、不安に駆られて「馬鹿の考え休むに似たり」を繰り返しているのを見かけると無残に思えるが、その無残さと無縁でいられる人は案外少ないのではないだろうか。

つくづく、難しいエモーションというのは難しいものだと思う。

 

不安に満ちたつながりから身を引く

00年代後半からスマホやSNSが本格的に普及し、私たちはリアルタイムに、より頻繁にコミュニケーションするようになった。

そのこと自体は、良いことだったのだろう。

 

だがこの変化に伴って、私たちは情報だけでなく、エモーションまで共有するようになった。

それが良い風に働けば、話題の映画でみんなが盛り上がったりタピオカミルクティ屋が儲かったりすることもあろう。

だが悪い風に働けば、東日本大震災や今回のパンデミックのように、たくさんの人が難しいエモーションまで共有してしまい、個人も社会もいよいよ混乱してしまう。

 

2020年4月現在、オンラインには真偽のはっきりしない情報と不安や苛立ちの混合物が渦巻いている。

そうした混合物の渦中で、不安や苛立ちでみんなと繋がりあったまま何かを考えたり何かを判断したりするのはとても難しい。

そういう状況のなかでは信頼や心証を失う人も珍しくないことを、東日本大震災の頃に私たちは学んだはずである。

 

私自身について言えば、3月に入ってからだんだん不安の水位が高まってきて「これは危ない」と感じたので、しばらくの間、SNSやはてなブックマークを見ないようにしていた。

なぜならSNSやはてなブックマークをとおして難しいエモーションが大量に流れ込んできて、私自身も不安や苛立ちに呑まれそうになったからだ。

 

とはいえ、情報を完全遮断はしたくなかったので、NHKの7時のニュースだけは見るようにしていた。

こういう時には、整理された、エモーションを抑えた情報を提供してくれる報道機関のありがたさがよくわかる。

 

混乱を避けるためにも、日常を守るためにも、ときには情報を遮断し、不安や苛立ちの源から距離を置くのは処世のスキルのひとつだと思うし、これはこれで究めておく値打ちがあるように思う。

SNS越しに不安や苛立ちをたっぷり吸いこんで心が咳き込んでしまっている人は、「いまはむやみに覗き過ぎない・考え過ぎないこと」を是として、不安や苛立ちの源からできるだけ距離を置くことをおすすめしたい。

 

逆境を生かしている剛の者もいる

さて、そうやってオンラインから距離を取っていた少し後に、この逆境をむしろ生かしている人を見かけた。

 

ライトノベルやSFに詳しいライターであるの前島賢さんは、大きな災害が起こると現実逃避として原稿に集中するという。

ライター業にとって原稿は仕事の生命線だから、前島さんは、現実逃避をしながらいつも以上の仕事をこなしていることになる。

「現実逃避」というと悪いイメージを持つ人も多いかもしれないが、こんな具合に、その現実逃避によって飛躍する人、ふだん以上の成果を出してしまう人もいる。

 

私の知人にもそういう人がいた。

彼は好きな女性に振られてしまった辛さから逃避するため、一心不乱に勉強に励むようになった。

普段はあまり勉強したがらない性質だったが、このときばかりは凄まじい集中力で勉強に集中し、いかなる時も参考書を手放さなかった。

数か月後、彼の学業成績は急上昇し、あまりにも成績が伸びたので驚いている様子だった(ただし悲しい現実が再びこみあげてきたらしく、あまり嬉しくなさそうだったが)。

 

さきにも述べたように、一般に、ネガティブなエモーションはモチベーション源としてはハイリスクで、敬遠もされやすい。

ところがそのネガティブなエモーションから遠ざかるための現実逃避というクランクシャフトを介すると、効果的で、強力なモチベーション源として機能することがあり得る。

 

オンラインも駄目、外出も自粛せざるを得ない逆境のなかで、難しいエモーションをポジティブな活動のモチベーション源として役立てるすべはないものだろうか?

 

なかなか着手できなかった整理整頓、難解な書籍の読解、いつも以上に丁寧な仕事への没頭など、今だからこそ集中できること・エイヤとやってしまえることもあるはずだ。

この逆境にただ翻弄されるのでなく、不安や苛立ちをもハックして、したたかに生きていきたいところだ。

 

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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