これから書く話は、医療の世界でもブログの世界でも感じることだ。
ゲームでハイスコアを狙っている時にも通じている。
だから割と普遍的で、それ以外の分野にもしばしばあてはまると思って読んでみてほしい。
1.「シロクマ先生、”きわどいところ”を渡ったね」
私が研修医を終えるか終えないかの頃、ある若い患者さんを担当していた時のことだった。
その若い患者さんはご両親に強い反発をおぼえていて、「一人でアパート暮らしをしたい」と前々から主張していた。
彼は薬物療法を中断してしまうとすぐに症状が再発してしまう患者さんで、逆に言うと、薬物療法が続いてさえいればほとんど問題なくやっていける患者さんだった。
ひとり暮らしになれば薬を飲むのをさぼってしまい、再び具合が悪くなるのではないかと両親は心配していた。
入院してからの首尾は良く、薬物療法によって彼の精神症状は改善し、やがてなくなった。
そうなったうえで、患者さんは「アパートで一人暮らしできるならきちんと通院して薬物療法も続けます」と主張していた。
こうしたことを踏まえて、ご両親をまじえた四者面接の際、私はご両親の意見よりも本人の主張を優先させるべきと主張し、最終的に本人は念願のアパート暮らしを始めることになった。
幸い、アパート暮らしを始めた彼はきちんと通院し薬物療法を続けてくれ、精神症状がぶり返すこともなかった。
やがて働くようになり経済的にも自立していった。
結果論としては、治療が非常にうまくいったケースだったと思う。
ただ、この若い患者さんが退院していく頃に、一部始終をみていた指導医がチラリと私にこう言った。
「シロクマ先生、今回は”きわどいところ”を渡ったね」
批判するような口調ではなかった。
そうかな?とも思った。
それでもしばらく考えるうちに、心配な気持ちがわいてきた。
治療自体はうまくいったが、私の治療のどこかに指導医から見て”きわどいところ”があったわけである。
振り返って考えれば、当時の私はその若い患者さんに肩入れしていた。
少し思い入れが強すぎたと思う。
気が付けば、私自身までもがご両親に反発をおぼえはじめていた。
精神医療において、ご家族と患者さんとの関係はきわめてデリケートな問題だ。
たとえばの話、ご両親が患者さんの味方であり続けてくれるのとご両親が患者さんを敵とみなし、見放すようになるのでは、治療の難易度は大きく違ってくる。もちろん患者さんの人生も違ってくるだろう。
後で指導医に教えていただいたが、その時の私はご両親の考えを十分に汲み取れていなかった。
それだけでなく、ご両親の立場や面子に対しても配慮が足りていなかったと思う。
駆け出しの研修医に、立場や面子の配慮もなくズケズケと物言いをされたご両親は、それをどう受け取っていただろうか。
繰り返すが、結果論としてはその治療は非常にうまくいったケースだったし、駆け出しの研修医が患者さんを強くプッシュしたからこそうまくいった側面もあっただろう(指導医は、この点を買って経過を見守っていたという)。
だが、少なくともご両親への対応という点では、もう少しご両親の側に意識を回す余地があったはずで、なのに、若い患者さんに肩入れするうちに全体が見えなくなっていた。
指導医はその点を教えてくれたのだった。
2.「あなたには成功でも、私にはインシデント」
似たような”きわどさ”はブログやtwitterでもしばしば起こる。
たくさんのPVやインプレッション数を集めた投稿があったとして、それは成功だったのか。
それとも”きわどいところ”、つまり一種のインシデントだったのか。
私はブログやツイッターを十数年続けているので、長生きしている部類だと思う。
その私からみてインシデントとしか思えない投稿を、より若いブロガーやツイッタラーが成功とみなし、喜んでいるところをときどき見かけた。
もちろんPVやインプレッション数を集め、そのうえ炎上していなければ表向きとしては成功に違いあるまい。
だが、その成功がハイリスクを冒した結果としての成功だったなら、素直に喜んでばかりはいられないはずだ。
ハイリスクを冒したうえでの成功を繰り返していれば、やがて成功はインシデントに、いや、アクシデントになってしまう。
たとえばPVやインプレッション数を集めた投稿のうち10回に1回程度がアクシデントになってしまうとしたら、そのブログやツイッターのアカウントはアクシデントが絶えず、長続きはしないだろう。
長く続けたいなら、ただ成功するだけではだめだ。
インシデントやアクシデントに至りにくい成功を求めなければならない。
実際、長く活動しているブロガーやツイッタラーはインシデントやアクシデントの可能性をうまく察して、はじめのうちは怖い者知らずでも、次第に用心深い投稿、アクシデントになりにくそうな投稿へとスタイルを変えていく。
他方、察しの悪いブロガーやツイッタラーというのもいて、いつまでも”きわどいところ”を連投し、やがて消えていく。
3.「”きわどさ”を、インシデントを排除しハイスコアを目指せ」
ゲームや勝負事のたぐいでも、これは似たことが言えるのだと思う。
プロゲーマーのときどさんが記した『世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0』のなかに、こんなくだりがある。
今の僕にとって何かが「できる」とは何か。その答えのひとつが「言語化できる」ことです。自らの行動を理解していれば、もう一度再現したり、「ここが良かった・悪かった」というフィードバックにつながります。反対に、もしブラックボックスのままだといざ不調になったときに改善ができなくなってしまいます。
僕の麻布合格が典型的な例ですが、「できている」場合はそのメカニズムを意識する必要がないので、本人にとってブラックボックスになりやすい。注意が必要です。
また何となくできてしまうと、本人が感情として「ありがたみ」を感じないことも問題です。体が丈夫なことを強みにして活躍したスポーツ選手が、体のメンテナンスを怠ってけがに苦しむのはよくある例です。
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ただ勝つことを喜ぶのと、何が自分に勝ちをもたらしているのかを理解することはイコールとは限らない。
勝負そのものには勝っていても、自分の良かったところや悪かったところがブラックボックスのままの勝ち方、”きわどさ”を放置したままの勝ち方では勝ち続けにくく、負けはじめた時の対策が遅れてしまうだろう。
もちろんこれはプロゲーマーに限ったことでもないし、対戦格闘ゲームに限ったことでもない。
たとえばシューティングゲームのハイスコア稼ぎでも、「なんとなく難しい局面をこなして、なんとなく高得点が得られた」のままでは最終的なハイスコアは伸びない。
「なんとなく難しい局面をこなして、なんとなく高得点が得られた」とは、ハイリスクなブラックボックスを分析しないままの高得点、アクシデントを招きやすい成功でしかなく、そのようなプレイを1面から最終面まで続けていれば、どこかでアクシデントが生じてスコアが下がってしまうだろう。
単に高得点が得られるかどうかでなく、どういうメカニズムで高得点が得られるのか、アクシデントが発生し得るとしたらどこがネックになっているのかをちゃんと言語化し、実践できなければハイスコア稼ぎはおぼつかない。
4.「教えてくれる上司や先輩がいるうちが華」
結局、アクシデントを回避しなければならない分野ならどれでも、インシデントを含んだ”きわどい”成功は野放しにしてはならず、アクシデントに発展しかねない要素を丁寧に洗い出すような、そういうプラクティスを積んでいかなければならないのだと思う。
では、どうやったらアクシデントの手前にあたるインシデントに注意を向けられるのか。
あらかじめ断っておくと、インシデントをインシデントとして気づく勘の鋭さにははっきりとした個人差があり、条件や環境によっても気づきやすさは異なる。
インシデントがアクシデントに発展してようやく気づく人もいれば、アクシデントに発展しても気付かないままという人もいる。
他方、インシデントになりそうなきわどい”成功”を一度か二度経験しただけで勘付き、自分で軌道修正できる人もときどきいるが、新人のうちからそんなことができる人は稀だろう。
やはり、研修医時代の私にとっての指導医のような、”きわどい”成功に潜むインシデントをピックアップしてくれるような第三者、または組織があったほうが良いのだと思うし、いまどきの職場教育とはそのようなものであって欲しい。
一般に、新人は”きわどい”成功とそうでない成功の区別がまだつかないが、まさにその”きわどい”成功とそうでない成功を教わるチャンスがなければインシデントを意識するのは難しく、意識しないままでは”きわどい”成功を繰り返してしまいかねない。
他方、ブログやツイッター、動画配信といったインターネットメディアは仕事よりもずっと自由だが、”きわどい”成功やインシデントを告げてくれる第三者を得るのが簡単ではない。
ひょっとしたら視聴者や読者のリアクションから”きわどさ”やインシデントの種に勘付くことができるかもしれないが、これも個人の資質による。
もう言い切ってしまってもいいと思うのだが、ブログやツイッターや動画配信は、”きわどい”成功やインシデントに勘付くセンスの乏しい人は基本的に向いていないと思う。
それに比べれば、”きわどい”成功やインシデントを誰かが教育してくれる場所はまだしも温情的で、まともだ。
そういうことを教えてくれる上司や先輩がいるうちは、是非教わって、インシデントを最小化できるプロフェッショナルに育って欲しい。
なお、一定の年齢を過ぎると、そうした組織のなかでさえ教わる機会が少なくなってくるので、教わるならどうかお早めに。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
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ブログ:『シロクマの屑籠』
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