ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。
佐野洋子さんの有名な絵本「100万回生きたねこ」(講談社 1977)は最後が「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」で終わっている。
何回も何回も生きかえり、あるときは王さまのねこだったり、また船のりのねこ、サーカスの手品つかいのねこ、はたまたどろぼうのねこ、ひとりぼっちのおばあさんのねこ、また小さな女の子のねこだったり、時にはただの野良だったりするねこは、また、あらゆるめすねこにも愛されたが、それを相手にもしなかった。
だが、自分にみむきもしない一匹の白いねこに出会って、ふたり?はやがて(結婚して?)たくさんの子供を産み、年老いていく。
ある日、白いねこは死に、100万回生きたねこはそのかたわらで泣きつづけ、やがて死ぬ。
そして冒頭の「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」でおわる。
こういうよくできた作は、どのような見方でも許すはずで、これをロマンティック・ラブ、相思相愛の恋愛の賛歌であるとしているひともいるようである。
また、相思相愛賛歌ではなく、もっと大きく、輪廻転生の流れの外にでて、今回の生をもって、生きることの最後とするという思想を伝えるものともみることもできるかもしれない。
さらに一般的には、非常に充実した生をおくることができたならば、もう死をおそれなくなる、という寓意をしめしていると見るひともあるだろうし、長く他人を見下して傲慢に生きてきた人間が、はじめて対等で謙虚な関係のすばらしさを知る話というひともあるかもしれない。
007シリーズに「007は二度死ぬ」というのがあるのだそうである。
原題は「You only live twice」。
直訳すれば「あなたが生きられるのは二回だけ!」
これはイアン・フレミングが日本に来た時に詠んだ俳句?まがいの‟You only live twice: Once when you’re born, And once when you look death in the face.” から来ているらしい。
このYou only Live twice にも輪廻転生思想が影を落としているのだろうか?
前近代の人間は、自分と外部の境がない
「100万回生きたねこ」を思い出したのは、最近、ここにアップされた黄金頭氏の「反出生主義者が、「死」に思いを馳せてみる」という文を読んでである。
輪廻転生にもふれているこの記事で、シオランの徒であるらしい氏は、石牟礼道子氏についても言及していて、まるで巫女さんのようだといっている。
わたくしは石牟礼氏の作はほとんど読んでいないが(その昔、水俣病など公害が大きな話題になっていた時に、「怨」などと大書した筵旗をかかげて東京におしよせてくる人たちがいて、いやな人達だ!と思っていた。石牟礼氏もその一派であろうと勝手に思い込んでしまったので、まったくその著書を読もうとは思わなかった)、ここ何年か、石牟礼氏の長年の同伴者である渡辺京二氏の著作に親しむようになり、それを通して石牟礼氏について一つの勝手なイメージを抱くようになった。
それは「石牟礼氏は日本のD・H・ロレンスである」というものである。
その心は、「高度の知性をもつ前近代人」。
小川和夫氏は「チャタレイ夫人の恋人」のなかの自然描写の一節を引いて、「主人公のコニイとともに作者が花々の生命のなかに、のめりこんで、いわばその生命のさなかから描いている」ということをいっている。(小川氏訳 ロレンス「無意識の幻想」の「あとがき」)
石牟礼氏にとってもまた、水俣の海も自然も、自分の外にあるものではなくて、内なるものでもあったので、その汚染や破壊は自らの肉体が侵害されるような強い苦痛をともなうものであった、それが石牟礼氏の文学の一番の基底にあるものである、というような勝手な思い込みである。
近代人は自分というのは身体の内部のどこかにいて、それが外部にあるいろいろなものを眺めていると思っているのだが、前近代の人間は自分と外部が混然一体となっていて、その境がない。
会社が、教会やお寺に代わって人々の救済をしている
以下少し書いてみたいと思うことは、一つは、その前近代の感覚なしには宗教というのは成立しないのではないかというようなことである。
そして、前近代の感覚が失われて、われわれが神も仏もあるものかと思うようになれば、教会やお寺に代わって人々の救済の役割を担わされてくるのが会社(あるいは広い意味での共同体)なのではないというようなことである。
世の中の学問にはいろいろなものがあって、その中の一つには宗教学というものもあり、その分野のひとにいわせると、日本における仏教の形態はキリスト教の変種という分類をされることもあるらしい。
阿弥陀様に救われて西方浄土に導かれるというのは、主に救われて天国に導かれるという構図そのものだということのようである。
仏陀が生きたころのインドは輪廻転生の考えが極めて盛んだったのだそうであるが、仏様のいったことは、輪廻転生の輪の外に出て、死んだらそこまでで、そこで生を終わりにする。ということだったのだそうである。
後世の人間からすると、いつまでも何回も繰り返して生き続けるという輪廻の考えは素敵である。
なぜならまだまだ死にたくない、生き足りない、もっといろいろなことをやりたいし見たいし聞きたい、まだやり残したことが一杯あると思っているからである。
しかし、仏陀のころのインドでは、生は今とはまったく違って、ただただ苦行であると思われていたので、輪廻転生の輪から逃れられないということは、永遠に地獄の業火に焼かれ続けるというようなただただ悲惨なこととしか思われていなかったのだそうである。
そうであれば、生を自分の死をもって終わりにすることを宣言できた仏陀は当時のインドでは革命的な思想家であったことになる。
わたくしは宗教にはまったく関心のない縁なき衆生であるので、以上はすべて橋本治さんの「宗教なんかこわくない!」(マドラ出版 1995年)からの受け売りである(ついでにいえば、上記の007の話も橋本さんのこの本から)。
この本には「キリスト教も仏教になる」なるなどという恐ろしいタイトルの章があり、「ゴーダマ・ブッダの得た悟りとは、近代合理主義の開祖であるフランスのデカルトの「我思う、ゆえに我あり」に近いのである」などというとんでない文も含まれている。
「宗教なんかこわくない!」は、1995年のオウム真理教事件を契機に書かれている。
この事件には多くの高学歴の人間が積極的に参加していたことも大きな話題になった。お医者さんもいたはずである。
「宗教などというものは、もう遠い昔にその存在理由を失っている」とする橋本氏は、オウム事件の実態を知っても、それでも、そこから宗教を排除して考えられない多くの人々の思考法をいぶかっている。
日本人にとって”会社“は最大の宗教である
橋本氏はいう。
「日本人にとって”会社“は最大の宗教である」と。
そして「日本の教育とは会社社会に適応する人間を作る”洗脳“なのである」と。
さらにいう。
そいう構造を背景にして、現在の日本人が何よりも求めているのが、自分のことをよく理解してくれ、よく導いてくれる上司なのである、と。
しかし、だからといって、教育という洗脳の結果、唯々諾々とただ会社の方針に何も考えずにしたがうだけの人間を会社が歓迎するなどということは決してない。
「会社社会に対してある程度は反抗的」ではあるが、「会社の方針に決定的には反さない程度に」反抗的である、そういう人間こそが求められるのだ、という。
少し頭脳がある人間であれば、そこに強烈な偽善を感じて当然である。
それに悩む人間に「君にもっとやりがいのある人生を提供してあげましょう!」というキャッチフレーズで近づき、その心をつかんで、各人にそれぞれの居場所を提供することをしてあげたのがオウム真理教(という会社)の構造であった、そう橋本氏はいっている。
「“社員の忠誠心”という点では、麻原彰晃という卓越した経営者の作った新しい会社は、かなりのものだった。」と。
「宗教なんかこわくない!」を読み返していて、麻原彰晃尊師が衆院選挙にうってでて、結果、惨敗したが、それでも平然と、「票の操作がなされている」などと、自分達の当選を疑わないようなことを言ってのけた、と橋本氏は書き、その神経がよく分からない。
“イナカモノ”という言葉は、もしからしたらまだ穏当でありすぎる表現なのかもしれないが・・、というようなことをいっている。
ここを読んで、ちょっと某国大統領のことが頭にうかんだ。
橋本氏は、日本人にとって(一部の熱心なキリスト教徒を除けば)宗教とは内面の問題ではなく、儀式と行事に過ぎないとしている。
そうであるから、日本では“人間の内面”を管轄するものは、宗教ではなく、哲学である“ことになるのだ、と。
フォン・ノイマンは頭がよくても、死に方を知らなかった
わたくしが医者になって比較的すぐに感じたのが、医者をふくめた理科系の人間の持つ文科系(特に人文系)の学問への強い劣等感である。
われわれ理科系は所詮「モノ」(物質)をあつかっているだけの人間であって、文科系のひとたちがあつかう「ココロ」の問題については、われわれは手足もでないというような奇妙な感じ方である。
人類の歴史上、もっとも頭がいい人間の一人であったかもしれないフォン・ノイマン(但し、理科系の頭脳)は晩年、骨肉腫が発見されると、死をおそれるあまり完全な精神崩壊に陥ってしまったのだそうである。
まだ53歳という若さではあったのだが・・・。(「フォン・ノイマンは生き方は十分に知っていましたが、死に方は知らなかったのです。」(ハイムズ「二人の天才の生涯 フォン・ノイマンとウィーナー」1985年 工学社)
一方、文科系での頭のよさではこれまた歴史上、相当上のほうにくるだろう哲学者ヒュームは従容として死を受け入れた。有名なブーフエル伯爵夫人への手紙。
「私には死が次第に近づいて来るのが見えますが、不安も後悔もありません。大いなる愛情と尊敬をこめてあなたに最後の御挨拶を送ります。」 享年65歳。(渡部昇一「新常識主義のすすめ」 1979年 文藝春秋 による)
医者をやっていると、終末期の患者さんが「死にたくない!」とパニック状態になる場面に時に遭遇することがある(決して多いわけではない)。
ある時、先輩医師が受け持っていた患者さんがそういう状態におちいった。
どうするのだろうと思ってみていたら、精神科医師の往診をあおいでいた。
それをみて、精神科の先生だって特に有効な対応法をもってわけでもなかろうに、と思った(もちろん、聞くあるいは傾聴するということについては、精神科の医師は一番訓練をうけている人間ではあり、それはとても大事なのだが・・。)
アメリカではそういう場合には、牧師さんや神父さんを呼ぶというのだが、本当なのだろうか?
日本でお坊さんを呼んだらどうなるだろう? 縁起でもないとかいわれるのだろうか?
科学的には、生死の差は微々たるたるもの
わたくしが思うに、理科系の人間も特に人文系の学問に劣等感を持つ必要はないわけで、文科系・人文系の学問だって、死をふくめた一見、深遠そうに見える問題に特別な回答をもっているわけではない。
ただただ、様々な見解があるだけである。
科学的にみれば、生きている状態と死んだ状態との差はまことに微々たるたるもの、ほとんどなきに等しいものであるらしい。
しかし、死ぬということがなぜ大変なことなのかというと、われわれ大部分の人間にとっては《自分=自分の意識》であって、自分の死とは《自分という意識》がなくなることだからである。
それでは逆に意識さえあれば肉体はいらないのか、頭から上さえあればいいのかという思考実験をした小説が倉橋由美子の「ポポイ」で、そこでは首から上だけでは知性がどんどんと失われていくことになっていた。
「中枢は末梢の奴隷」(養老孟司・島田雅彦)なのであって、末梢からの情報入力のない中枢神経系というのはまことにたよりないものらしい。
最新の生物学によれば、遺伝の主体は個体ではなく遺伝子のほうなのだそうで、遺伝子が自己の生き残りをかけて日夜闘い続けているのだそうである。(ここらのことも「宗教なんかこわくない!」でも簡明に説明されている。詳しくは、R・ドーキンス「利己的な遺伝子」。)
生き物の主体は遺伝子で、われわれはそれが生き延びていくためにただただ利用されているだけというのが現代生物学の公式見解で、そうであるなら、生殖可能年齢をすぎた人間が、「もっともっと長生きしたい」などというのは遺伝子の立場からすれば「勝手にしたら!」であって、まったくどうでもいい我関せずの話なのである。
生殖可能年齢を過ぎた動物は種にとってはただのお荷物である。
とすれば、わたくしのように現在73歳などという人間は最早まったく無用であることになる。
しかし、それは足し算引き算しか理解できないひとの単純すぎる理解らしく、高等数学を駆使する現代生物学の出す結論は、自分の遺伝子を半分有している子供、4分の1の遺伝子を持っている孫をわたくしが援助することも遺伝子生き残り戦略から見ると、時と場合によっては合理的選択であるということになるらしい。
( w△z=Cov(w,z)=βwzVz というちんぷんかんぷんな数式がブラウンの「ダーウィン・ウォーズ」という本の最後にでてくる。最初のwとzの上にはバーが載っている。この数式がジョージ・プライスという一人の有能な生物学者を絶望させ死に追いやったらしい。まだ西欧ではキリスト教は人を死に追いやるだけの力を持っているのである。)
上記のように、従来われわれが利他的行為と思っていた行為が遺伝学的にみると遺伝子の利己的行為であると見ることができるという身も蓋もない見解が現代生物学からはでてきて、欧米の学界においては「社会生物学論争」という一大論争をまきおこすことになった。(日本ではほとんどそよとも風はふかなかった。日本では宗教はもう何の力ももっていないのである。)
われわれがまだ死にたくない、もっと長生きしたいなどというのは、日本においてはまったく人文学の領域での話題であって、生物学の出番はない。
とすれば、かすかに生物学の驥尾にふす存在である医学においても、それに答えは持っていなくて当然ということになる。
一般に個別事象は科学の範疇外で、一般化ができない事象には科学の出番はないことになっている。
とすれば、個々の死については科学の出番はない。
語りえぬことについては沈黙しなくてはならない。
個々人の死は、科学からは何の答えもでてこない
昔、読んだ、中村光夫氏の随筆に、若いころは老いということを随分と観念的に考えていたが、まさか老いというのが、歩くと膝が痛くなることだというようなことには若い時には思いもよらなかった、と書いてあった。
わたくしもまた、以前は何でもなかった勤務先へのちょっとした坂が最近とてもきつい。
肉体が衰えてきているのだから、肉体の一部である脳髄も平行して衰弱していてきていることは当然で、無駄な抵抗はしても仕方がないと思っている。
要するに、個々人の死ということには科学からは何の答えもでてこない。
だからこそ、そこにこそ宗教の出番があるという見方も(少なくとも西欧では)でてくる。
見事な科学エッセイをたくさん書いたS・J・グールドに例外的に何とも奇妙奇天烈な本がある。
邦訳名は「神と科学は共存できるか?」であるが、原題は「Rocks of Ages」、これを単数にして「The Rock of Ages」とすると、「年を経た岩」で、「堅固な拠り所としてのキリスト教信仰」ということになるらしい。
宗教が教導するのは「究極的な意味と道徳的な価値」であり、一方、科学が教導するのは「事実と理論、宇宙はどうようなものからできていて、なぜそのようになっているか、など」であり、両者は別々の分野を担当し、重なり合わないといったことを主張している。
「利己的な遺伝子」のドーキンスが「悪魔に使える牧師」や「神は妄想である」ではなんともお粗末なことをいっているのとどっこいどっこいで、こういう本を読むと、キリスト教というものが深く西欧に祟っていることを強く感じる。
社会生物学論争における「サンマルコ寺院のスパンドレル」についての論争なども同様である、傍からみれば滑稽な限りなのだが、当事者は真剣そのものである。
「神がいないのなら、すべてが許される」というドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の一節が西欧の人をずっと呪縛しているのだろうと思う。
これとどこかで通じる見方なのかもしれないが、中村光夫は三島由紀夫との対談で、「キリスト教がどうして日本でうまくいかないか、逆にいうとキリスト教がどうして西ヨーロッパだけで栄えたかというと、やっぱり西ヨーロッパ人がキリスト教というタガにはめるに足る強い肉体を持っているということだね。西洋人の性欲というのはほんとにすごい」といっている。(中村光夫 三島由紀夫「対談 人間と文学」講談社 1968年)
わたくしも最近、ショーン・コネリーの訃報をきいて、久しぶりに「薔薇の名前」を見返してみたのだが、それと似たようなことを感じた。
日本では、神様ではなくひとがお互いを見張っている
しかし、いずれにしても西洋人よりはずっと植物に近いらしい日本人は神様などいなくても平気の平左である。
なにしろ「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である」(夏目漱石「草枕」)と思っているからである。
その唯のひとがお互いを見張っているのでわれわれは天上の神様などいなくても、あまり悪いことはしない。
イザヤ・ベンダサン(もう山本七平としていいのだろうか?)は、「日本人とユダヤ人」で「『草枕』を読まずに日本を語ってはならぬ」といっている。
だからこそ鴻上尚史・佐藤直樹「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」(講談社現在新書 2020年)といった本が書かれることにもなる。
佐藤氏は1998年に「日本世間学会」というのを立ち上げたのだそうだが、もともと世間ということを言い出したのは阿部謹也氏だったと思う。
その阿部氏の「『世間』への旅」に「石牟礼道子遠望」という文章があり、そこには「私は西欧の社会の個人と日本の個人とが全く異なるものであることに気づいたのです」と書かれている。
われわれは何もかも、すべていいとこ取りをすることはできないわけで、われわれ日本人は「神様」というお荷物を背負わずにすんだ代わりに「世間」あるいは「世間の目」というという重荷を背負わされている。
「世間」というのは、ただただ人間関係しかない世界である。
そして会社は人間関係の縮図である。
「鍵のかかる自分一人の部屋」を持てることも大事
ここに参加させていただき、いくつかの記事を読ませていただくと、働く方々を主なターゲットにしているということの関連かと思うが、人間関係にかかわる記事がとても多い。
対上司、対同僚、対部下、対顧客・・・。
それぞれの局面における見方、考え方についてのさまざまな方の見解が示されている。
しかし一日がただただ会社のなかの人間関係だけで終わってしまったら、とてもつらいだろうな、と思う。
対人関係から離れた自分ひとりの時間を持つこともまた重要なのではないだろうか?
そのためには「鍵のかかる自分一人の部屋」を持てることも大事である。
「自分一人だけの部屋」というのは女性の自立を訴えたヴァージニア・ウルフの著作の題名だが、男にだってそれは必要である。
そしてもう一つウルフが必要と考えたのが経済的に自立していること、つまりindependent であること、であった。
もしも、何かするべきことがあり、それで世の中にかかわることができ、経済的にも自立できて、しかも仕事を離れた時間には自分一人の鍵のかかる部屋で孤独になれる時間も持てるという贅沢までをも享受することができるならば、それはもう充分に生ききることができたということで、ひょっとすると、来世などもうなくてもいいと思えるようになれるのかもしれない。
つまり解脱である。
しかし、ウルフ自身は神経症に悩み、最後は自殺してしまった。
勿論、それで、ウルフの人生が敗北だったというわけでは決してないが・・。
吉本隆明さんが、こんなことをいっている。
「結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値ある存在なんだ。」 勢古浩爾「ぼくが真実を口にすると 吉本隆明88語」(ちくま文庫 2011年)から。
吉本さんも恐ろしいことをいうものであるが、これは吉本氏の得意戦法で、この言い方でほとんどのインテリの論争相手を薙ぎ倒してきた。
「大衆の原像」というやつである。
まあ、多分にはったりという要素もあるのだから、あまりびくつくこともないのかもしれない。(昔、どこかで吉本さんが、買い物籠をぶら下げて、八百屋さんの店先で品定めをしているところを撮った写真をみたことがある。こういう光景をとらせて平然としているところが吉本さんの吉本さんである所以で、丸山真男が八百屋の店頭にいる姿はちょっと想像しにくい。)
ヴァージニア・ウルフは大インテリであった。
自分だけの鍵のかかる部屋などというのは、だからちょっと乙にすましすぎているのかもしれない。
渡辺京二氏が、石牟礼礼子さんの仕事場について書いた文があって、それによると石牟礼氏が文章を書いていたのは、わずか畳半畳のスペースで、そこに粗末な机がおいてあるだけであった、ということであった。
リンドバーグ夫人も「海からの贈物」で「わたしがものを書く机は台所用のもので、その上に吸取紙とインクの瓶が置いてあり、文鎮の代わりに雲丹の殻が一つ、ペン置きにはおおの貝を使って・・・」と書いている。
これから在宅勤務が進んでいくと、自分だけの部屋 A Room of one’s own にも仕事が否応なしに入り込んでくることになるのかもしれない。
とすれば、その中で、公と私をどのように切り分けていくか、ということが切実な問題として浮かびあがってくる可能性がある。
そしてこれは、リタイアした後の生活にも大きくかかわってくるかもしれないと思う。
旦那が死んで「これからがわたしの人生だ!」と喜ぶ女性
外来をやっていると、もうすぐ定年になるという御主人をもつ女性がうつ状態に落ち込むというケースを少なからず経験する。
「もう少しすると、あの人が一日中、家にいるようになるのかと思うと、ぞっとします。もういやで、いやで、気が滅入って・・。」
とりわけ、昼食をつくるということがとてもつらいらしい。
ご主人が仕事にいっていたときは、昼は残り物ですましたり、面倒なら食べなかったり、どうにでも適当にやることができた。
しかし相方がいればそういうわけにもいかない。何か作らなければならない。ただただ苦痛である。
ということで、ちょっと気のきいたご主人は定年後も昼はそとにでて一人で食べるように心掛けるらしい。
だが、会社をやめるとやることがなくなり、暇でしかたのない御主人連中の多くは、奥さんの後を金魚のフンのようにつけまわし、今日はどこへ行くんだ? といって、本当に奥さんの病院受診にまでついてくるのである。
そうであるから、ご主人が亡くなったとき、それを悲しむどころか、「これからがわたしの人生だ!」と叫んだ女性をわたくしは何人か知っている。
定年後の最大の楽しみは、退職者の集まり
例えば、定年後の最大の楽しみが、一年に一度の会社主催の退職者の集まりであるという男性はとても多い。
普段家にいると孤独なのであろう。
北は北海道、南は九州沖縄まで全国津々浦々から嬉々として集まってきて旧友と回顧談を交わし、会社の業績の現状に悲憤慷慨し、○○君(社長や会長の名前)は一体なにをしとるのだ!と嘆き、もしも俺が今の会社の舵取りをまかされるとするならば・・と怪気炎をあげる。
しかし御老体があつまって酒をのんで大騒ぎなどというのは、医療の側から見れば危険極まりない事態で、わたくしなどはそういう会のたびに病院で待機させられた。
実際、ある時、一人のお年寄りがその場から救急搬送されてきた。
奥さんが本人にいわずに嫌酒剤を食事に混ぜてのませていたのであった。
ウォーム・ショックというのをはじめて経験した。
仕事をやめたあとの人間まで面倒をみてご機嫌をとらなければいけないのだから、会社の人事担当の方々もご苦労様なことである。
その会社では百歳をこえた退職者に例年、金杯を授与していたのだが、あまりに百歳を超えるひとが多くなりやめたのだそうである。
高齢化社会というのも本当に大変なことである。
おそらく新型コロナウイルス騒ぎで今年は、その会は中止になったのではないかと思う。
会社もほっと一息をついているのではないだろうか?
いずれにしても、定年後というのは大変である。
「100万回生きたねこ」のように相思相愛で晩年を迎えている老夫婦というのは実際にはなかなか見ることがない。
ということで、たとえ今、現役でバリバリと活躍し、順風満帆、何の不満もないという方でも、定年後の修羅場に備えていろいろ準備しておくことは必要なのではないかと思う。
諸悪の根源は、平均寿命の延び
誰だったか(富岡多恵子氏?)、男たちが、「仕事、仕事!」と忙しそうな顔をして駆け回っているのは、死と太陽は見つめることができないからである、といっていた。
現役時代には、かりに会社が精神に安寧を保障してくれる教会の役目も兼ねてくれていたのだとしても(多くのかたにとっては、会社こそがすべての精神的葛藤の根源であるのだとは思うが・・・、つまり悩みが生じるのも、それが解決されるのもすべて会社という組織のなかでということになるのであろうが)、仕事から引退した後にはまだまだ大変な問題は山のように控えている。
そして、その時は、もう会社という組織には頼ることができない。
おそらく、平均寿命の延びが諸悪の根源なのであろう。
敗戦の直後は男50歳、女55歳くらいであったものが、1960年には男65歳、女70歳、80年には男70歳以上、女75歳、最近では男も80歳以上、女は87歳くらいである。
お医者さんはこれを日本の医療の進歩によるなどと胸をはるが、そんなのは嘘の皮であって、敗戦直後の主な死因は結核、それが脳卒中になり、やがて心臓病、今はがん、やがては老衰という経過は、要するに日本人の栄養状態の改善、つまりはその背後にある経済の発展と成長を表しているにすぎない。
結核などの感染症は貧困による低栄養からおきる病気である。
やがて少し栄養状態が改善してくると脳卒中(それも脳出血から脳梗塞へ)が主となり、さらに栄養過多になってくると心臓病が増えるのだが、日本人は欧米にくらべ魚をたくさんたべるのが心臓病予防にはいいらしく、それで寿命がさらに延び、ほかに死ぬ原因がないとがんが残るというのが現状である。
偉くなればなるほど寿命が延びる
そしてこれはまだ証明されていない話だと思うが、日本が欧米にくらべれば比較的、格差が少ない社会であるということも、日本人の長寿に寄与しているらしい。
現在、一部で話題になっている格差医学という公衆衛生分野があって、それによると、実に見事に、いわれたことをやるだけのひとは、少しは自分の裁量権がある人にくらべて寿命が短く、かなり広い範囲を自分の裁量できめられるひとはさらに寿命が長くなり、人に命令を下せる立場のひとがもっとも寿命が長いという統計がでる。
要するに偉くなればなるほど寿命が延びる。
日本は欧米にくらべて平社員とトップの差がずっと小さい。
これが日本人の寿命の延びにある程度は寄与しているらしい。
しかし、日本もこれから格差社会がどんどん進行していくのだとすると、日本人の寿命はこれからどこかで延びがとまり、やがて短命化に転じるかもしれない。
1960年頃の日本人は忙しい、忙しいと駆け回り、まだまだ明日の食べ物の不安も完全にはなくならないなかで、「まあ何とかなるだろう!」などとあたふたと駆け回っているうちに、ふと気がついたら死の床についていた、というようなケースがとても多かったはずである。
それが現在は仕事をやめても、まだ先に膨大な時間が残されている。
それでリタイアするとあわてて歎異抄を読む、などという変な方向にいく。
そんなことにならないように、現役の時代から、少しは自分だけの時間を持てるようにしておくことがとても大事なのではないかと思う。
そうすれば、少なくとも、奥さんの後をただただついてまわるような、ちょっとみっともないことはしなくてすむのではないかと思う。
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【著者プロフィール】
著者:jmiyaza
人生最大の体験が学園紛争に遭遇したことという団塊の世代の一員。
2001年刊の野口悠紀雄氏の「ホームページにオフィスを作る」にそそのかされてブログのようなものを始め、以後、細々と続いて今日にいたる。内容はその時々に自分が何を考えていたかの備忘が中心。
Photo by Pablo Rebolledo