あるベテランのラジオのパーソナリティーが、新人パーソナリティーの番組にゲスト出演した。

そこで語られたのは、虚空に向かってひとりでしゃべる才能、ないしは病についてであった。

ひとりで二時間あまりしゃべることができるのは、一種の才能である。一種の病である。

 

ラジオ好きのおれはそれをおもしろく聞いた。

しかし、よくよく考えてみると、自分自身のことじゃないかと思った。

おれは虚空に向かってしゃべる才能がある。病がある。

 

しゃべるといっても、声を出して話すわけじゃない。

だれが読んでいるかもわからない、だれも読んでいないかもしれないブログに、自分の言葉をひたすらに書き続けてきた。そのことだ。

民放ラジオなんかに比べたら、無に近いほどはるかに規模が小さく、それこそ本当の虚空を相手にして。

 

それでもおれは書き続けてきた。

おれには才能がない。金になるような才能がない。

それでも、おれは虚空に向かって書き続けてきた。

 

泡沫のブロガー。マネタイズもオンラインセミナーも無縁。

ブログで食う、なんていう一昔前の言葉とも無縁。

無縁仏が墓場から、道行くあなたたちに語りかける。

あなたたちからの反応を期待できるだろうか。あまり期待できない。

ただ、ほんの少数の人がおれの言葉に反応することがある。霊感があるのか?

 

とまれ、おれは圧倒的な虚空に向かって言葉を連ねる。おれにはそれしかできない。それしか能がない。

 

虚空に向かって語りかけろ

おれは昔、ブログを書き始める人に向かって、「ひたすら少数の者のために手紙を書くがいい」と言った。

少し盛っていた。何者でもないおれやあなたが言葉を発しても、それは少数の者に届くとは限らない。

届かないことが大半だ。それが真実だ。

 

だから、あらためて言い直そう。

虚空に向かって語りかけろ。

その先は闇、すべては暗いところに落ち、沈み、見えなくなってしまう。ブラックホールがある。

 

しかし、おれは語り続けることをやめない。

子を残さない自分にとって、自分がいた痕跡をこの世界に残す。

残らなかいもしれないが、ワンセンテンスだけでも残ればそれで本望だ。

 

本望? 望み? 望みなど一切捨てろ。

おれの言葉も、あなたの言葉も、だれにも望まれていないし、だれも残そうとは思わない。

そう考えろ。それでも、やってみる。やってみろ。

 

形はなんだっていい。

文章じゃなくたって、いい。音声データを残してもいいし、動画だっていいだろう。

歌を歌ったり、踊りたければ踊っても。おれは歌ったり踊ったりできないから言葉を打つ。

 

ああ、日々、ネットの海に流されていく表現、表現、表現。

どれに価値があって、どれに価値がないとも言えない。

なにが残り、なにが消されるかもわからない。

プラットフォームが消えてしまえば、コンテンツも一緒に死ぬ。そんなものは運次第だ。

 

しかし、最初からだれにも届かないものと思えば、一つの表現をして、一人の他人が見たら、それだけで十分だ。

たった一人でいい。

 

いや、一人も見なくたっていい。

「公開」のボタンを押す、それだけで何事かが成就する。

そうは思えないか。そう思うしかないのではないか。

 

恵まれない人生、報われない労力、目を閉じて、身体はこわばり、ベッドの中で石のようになっている。

収入は低いし、貯金もなければ、受け取る予定の遺産もない。抱え込むのは持病の精神病。

 

生きていて、だれかの役に立つことがない。

周りには迷惑だけかけて、それでもおれは口をつぐまない。

おれは沈黙を好まない。

おれの自分勝手な言葉で虚空を塗りつぶしたい。

逃れられない本当の宿痾はそこにある。

 

世界がどうあろうと、どうなろうと関係ない。

あなたがどうあろうと、どうなろうと、おれには関係がない。

ただ、おれはおれの吐き出す言葉とだけ関係を結ぶ。

 

いや、結ばない。

おれは言ったら言い切り、買ったら買い切り、それで終わりだ。

昨日、東から太陽が登ったと言ったら、次の日には西から太陽が登ったと言うかもしれない。

おれにサブスクリプションはない。まったくの無責任、しかし罪を感じたりもしない。

 

おれの言うことを信じるな。言ってるおれが信じてない。

じゃあおれが書いているこれはなんだ。

なにかであって、なにかでない。

 

言い切って、公開ボタンを押してしまうがいい

おれがあなたにそそのかしている表現とはなにか。

おれはそれを信じないし、あなたもそれを信じる必要はない。

言い切って、公開ボタンを押してしまうがいい。

押してしまって、あなたがどんな目に遭おうが知った話ではない。

その表現がブラックホールに吸い込まれようとも、天の光になろうとおれは知らない。あなたも知らないほうがいいだろう。

 

病むべくして生まれ、健やかにと命ぜられ、とは誰のなんの台詞かしらない。

われわれは病む。今病んでいなくても、いずれ病む。

病むし老いる。老いなくて死ぬこともあるし、老いて死ぬこともある。

われわれに自由はない。少なくとも、死なない自由はない。それだけは肝に銘じていい。

 

おれはまだ死んでいない。いくらかは老いている。

老いているのに、手取りは新卒の若者と変わりない。ボーナスは貰ったことがない。

馬券は当たらない。幸せになりたい。

幸せになりたいのか?

おれは当たりもしないジャンボ宝くじを買う。当たらないとわかっていても買う。それしかおれに人生の逆転はない。

 

逆転するということは、今、負けているということだ。

おれはおれが負けていると思っている。

あなたは今、勝っているか? おれは負けているようだ。

なじみの精神科医といつも冗談を交わす。「宝くじが当たれば治っちゃうんですけどね」。

 

そうだ、勝っている人間にはなにも語る必要はない。

おとなしくその平穏で恵まれた生活を送ればいい。

おれはそういう人間に用はない。

もちろんそういう人間におれのような敗北者に用はない。

ただおれは敗北を噛み締め、吐き出してやる。

 

金以外のものに価値を見い出せという人間の言うことを聞くな

現実に必要なものは金。

現実で勝てるものは金。

金、金、金以外のものに価値を見い出せという人間の言うことを聞くな。

 

かといって、自分の言う通りすれば金が入ってくるという人間の言うことも聞くな。

とはいえ、おれは金を稼ぐことにもっとも疎い人間の一人なので、おれの言うことを、やはり信じるな。

自販機の下の金をあされ。しかし、自販機ごとに縄張りがあるので、気をつけてやれ。

 

金、金、金があるからといってなんだというのか。

そこには安心がある。少なくとも、屋根のある部屋で布団にくるまって寝ることができる。

腹が減れば食うことができる。

ああ、金さえあればいい。マネー、マネー、マネー。

 

そうだ、金が大切だ。

金があるやつはすべてがうまくいっている。

おれはあまり他人の人生というものを知らないが、そうであることは知っている。

 

金のあるやつが愚痴ることを信じるな。

金があることによる不幸なんてものを信じるな。

金があれば、屋根のある部屋で寝られる、腹が減っても食うことができる。

 

そんな人間の悲痛にどれだけの価値があるのか。なにもありゃあしない。

たとえ病んだところで、十分な医療を受けて、苦しむことなく死ぬことができるのだ。

 

金のあるやつは、おれの言うことを否定するかもしれない。

これこれこういう不幸があると、不幸のマウントをとってくるかもしれない。

あるいは、おれよりも貧しいものが、おれに呪詛を吐くかもしれない。

 

だが、そんなものはなんだというのだ。上を見ればきりがなく、下を見てもきりがない。

それがこの世の無限だ。

 

だからといって、おれは右や左と手を繋ぐつもりもない。

自分の敗北は自分で決めろ。

ただ一人、虚空に向かってろくでもないものを投げつけろ。

投げつけたものがこの星のどこかに痕跡を残せたらそれでいい。

たった一ミリの傷でもいいから傷跡を残す。

 

そのためにおれは、今、こうやってキーを叩いている。

いや、もうそのためかどうかわからないままにキーを叩いている。

おれのなかに言葉があるからキーを叩いているのか、キーを叩くから言葉が紡がれるのかすらわからない。

 

語りたいから語るのか、語っているから語るのか。

おれにはその因果すらわからなくなっている。

それが、落伍者のできるせめてのことだ。

 

そこで読んでるあんた、あんたもなんか書け

歌えるなら歌う。踊れるなら踊る。

おれは歌も踊りも苦手だから、文章を打ち込む。

打ち込んだところで要塞は揺るがない。それで上等だ。

あー、あー、あー、おれはここにいるぞって言ってみせる。

ドン・キホーテかなにかしらないが、道化にだってなってやる。

 

興に乗ってきたぞ。

そうだ、そこで読んでるあんた、あんたもなんか書け。

たとえあんたが金持ちだって、いい。おれは寛容だ。

え、書くことがないだって? そんなことないだろう。たとえば、あんたの原初の記憶はなんだ? それを書け。

人を好きになったことがあるか? あるなら書け。なければなかったと書け。

 

今日食った昼飯のことを書け。昼飯を食ってなかったら、晩飯でもいい。

朝も昼も夜も食っていないとなると、ちょっと心配だから、なんか書く前になんか食え。

たのしいじゃないか、言葉のバーベキュー。

CQ、CQ、CQ、だれか聞いてますか? 聞いてなくてもいいのですが。

 

生きてるって言えるのか?

おれはその問いに答えられない。

生きているようで死んでいるかもしれない。ゾンビみたいなものかもしれない。

それほど生きがいのない人生。

けれど、文章を打ち込んでいる間だけは、生きているような気がしているぜ。

 

みんながみんな、気持ちを文章にすることが好きじゃないって知ってるぜ。

だったら、声に出せ、歌え、踊れ……。

なにもない?

なにもないことがあるのか。おれにはよくわからない。

 

べつになんだっていいんだ。

ボトルシップやジグソーパズルを完成させて写真をアップしたっていい。

なんでもいいから公開ボタンを押すんだ。

 

おれの言ってることは、もう古い人間の考え方かもしれない。

インターネットというものに過大な期待が抱かれた時代の話だ。

今はもっと、SNSという管理されたプラットフォームで、清潔でコンプライアンスに則ったやりとりをするのが正しいのかもしれない。

上っ面のコミュニケーション。いいね! もはや廃れてしまった個人ホームページやブログでなにかを表現するのはおかしなことかもしれない。

 

だが、なんかやるべきじゃないか。

……おれほどやる気のない、なにもやる気のない人間がこんなことを言うのはおかしなことだ。

おかしなことだが、脳が麻痺して、身体が動かなくなるような精神障害者のおれは、そう思うのだ。

むしろ、おれのようなやつこそそうするべきじゃないのか、そう思うのだ。

 

まともな人間に一石投じてやれ、岩をぶつけてやれ、爆弾だ、言葉の爆弾を投げつけろ。

そうだ、あんたはすばらしい擲弾兵だ。そう思うのだ。

あらためて言っておくが、その先にはなにもない。その可能性が高い。

それでもやってやれ、やってみせてくれ。

おれたち歴史の中になにも残せぬ敗残者の声を、刻みつけてやるんだ。

強くキーを打て。傷をつけてやれ。負けていく人間がいることを、自分の声で刻んでやれ。

インターネットとかいうものがある今は、それができるのだから。

 

虚空に向かって叫べ。

強くキーを打て。

公開ボタンを押せ。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Syed Ahmad