コロコロ、ボンボン、あるいはその以前のこと

おれにも子供だったころがある。

小学校の低学年くらいとかそのちょっと先くらいだ。

おれの家はその当時はそれなりに中流だったので、漫画雑誌『コロコロ』と『ボンボン』の両方を買ってもらっていた。

 

おれはおれなりに、実に普通に子供の流行りに乗っていた。

それはファミコンであり、ビックリマンであり、ミニ四駆であり、SDガンダムであった。

ポケモンは世代的にちょっと違う。

 

さらにちょっと遡れば、仮面ライダー(リアルタイムではBLACKになるか)であり、レンタルビデオショップで借りてもらった昭和歴代のウルトラマンシリーズだった。

もちろん、宇宙刑事モノにも、戦隊モノにも夢中になった。

 

子供心の決意

そんなころ、おれは心に一つのことを決めた。

すごく強い思いだったので今でも覚えている。

「大人になってもこの気持ちを忘れないぞ」。これである。

 

大人になってもミニ四駆で遊び、ウルトラマンや戦隊モノを楽しめる人間になりたい。

あるいは、そういったものの作り手になって、子供たちを楽しませたい。

そんな思いだ。

 

そしておれは、おもちゃメーカーに勤めた。子供向き漫画家になった。テレビ局で特撮の制作に関わることになった。……となれば話は美しく、簡単なのだが、そんなことにはならなかった。

まったくそんなことに関係なく、気づいたらニートになり、気づいたらべつに子供に関係ない会社員になっていた。

 

さらに言えば、おれはすぐにそれらを卒業してしまった。

ウルトラマンが平成になって復活しても、戦隊モノがいくら続こうとも、まったく興味を失ってしまったのだ。

 

それはある意味、当たり前のことだろう。

でも、おれにはいくらか後ろめたさのよようなものがある。

なぜなら、子供のころに決めてしまった誓いがあるからだ。

おれはガンプラやミニ四駆を作り続けられなかったし、特撮と呼ばれるものに興味を持ち続けることもできなかった。

 

まあ、ガンダムとは長い付き合いだし、『シン・ゴジラ』も楽しめた。

でも、それじゃあないんだ。ガンダムはガンダムの大人の鑑賞にも耐えられる(この言い回しは好きではないけれど)ものだし、『シン・ゴジラ』も単発だ。

おれはきっと『シン・ウルトラマン』も観るだろうけど、やはりそれも単発だ。おれは平成ガメラを知らない。

 

趣味者たち

一方で、おれが子供心に決めたような(決められなかったわけだが)、子供心を持ち続けられた人たちがいる。

それはやはり作り手に回った人たちであって、たとえば外国の有名な映画監督がそうであったりもする。

 

もちろん、ファンとして「ニチアサ」(というのかな)を追い続けている人もいるだろう。

おれはそういう人たちを見て、やはり少し後ろめたさを感じる。

いつまでも、子供心を持つことができなかった自分に。

 

まあ、そのあたり、家庭を持ち、子供ができることによって、一緒になって楽しんでいる、という人もいるだろう。

そんな場合もあるけれど、だ。

 

そしておれの主な趣味は野球観戦と競馬というスポーツ新聞の権化みたいなおっさんになってしまった。

おれは今度の日曜日の重賞に出る馬のことはいくらか知っているかもしれないが、今、どんな戦隊モノをやっているのか知らない。

ウルトラマンや、仮面ライダーについては、やっているのかどうかすら知らない。

 

当たり前の大人

ある意味で、というか、ある偏見からすれば、それは「当たり前に大人になったのだ」ということになるだろう。

でも、やはりそれはちょっとおれにとっては残念なことなのだ。

 

とはいえ、「当たり前の大人」という概念も古い考えかもしれない。

たとえば、そう、おれの知らないポケモンの展開を見ていて思う。

『ポケモン GO』が位置情報ゲームとしてたいそう評判になったのも、たぶん子供のころポケモンを愛していた世代によるものが大きいだろう。

 

それに対して、「大人なのにポケモンなんて」という声は見なかったような気がする。

そんなことを言えば、たとえばディズニーの世界なんてものも、大人が夢中になっていても「大人なのに」とは言われないだろう。たぶん。

 

ポケモンがその地位に近づいたのかどうか、おれにはよくわからない。

よくわからないが、それは悪くないことのように思える。

子供のころから何十年も好きなものがあったっていいじゃいか。

 

と、まあ、おれの競馬趣味についていえばテレビゲームの『ダービースタリオン』の影響が大きかったし、それも含めれば何十年、ということになる。

でも、やはりミニ四駆にはまり続けることはできなかった。

戦隊ヒーローを応援し続けることもできなかった。そういうことだ。

 

アニメは見ているんだけど

が、なんだ、おれはアニメを見ている。

三十歳のころ、テレビが地デジ化したことによって、U局というものが視聴できるようになり、深夜アニメに目覚めた。

アニメも子供の趣味とすることはあるだろう。おれはいまだにアニメに夢中だ。

 

でも、それってやっぱり深夜アニメ、なのだ。

内容的に「これは子供が見られる時間帯に放送して、次代のアニメファンを作ったほうがいいのでは」と思うものもあるが、多くは大きなお友だち向けといっていい。

 

あ、今どきはネット配信がすごいので、深夜も早朝もなく、子供もタブレット端末で見ているかもしれんので、なんとも言えんのですが。

まあ、そのあたりに考えが到るのが遅いのも、独身のおっさんの無知というものなのだろう。いやはや。

 

ま、ともかく、いちおう、「大人になってもアニメは観ている」とは言えるのだが……。

やっぱり、シーズンはじめ(だいたいアニメは季節ごとの四期に分けれれるのです)にアニメの初回全部録画、ということをしていても、「子供向けだな」というものは、やっぱり観ていられない。

 

「観ていられない」というのは質が劣っているとかそういう意味ではなくて、今の自分向けではないな、と感じる、そういう話なわけです。

で、そこに連なるホビー商品やカードゲームなどに通じることもない。

やはりそれは、そういう「子供向け」から離れてしまったな、と思うわけだ。

変なふうにツボにハマってしまうものもあるけど、それは特殊例。プイプイ。

 

童心を忘れないということ

というわけで、「童心を忘れない」というのは、非常に難しいことなのだと言いたいのだ。え、言いたかったの?

 

そうだな、たとえば良寛にこんな歌があるのは有名だ。

「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」

 

大の大人である良寛が、時を経つのもを忘れて子供らと遊ぶというのは、並大抵のことではない。

……って吉本隆明が言ってたような気がする。

 

良寛の号は「大愚」である。大いに愚か。

普通に考えれば大いに愚かなことはよくないことだ。

マイナスだ。でも、ここには大きな価値の逆転があって、大愚というのは非常にありがたいことなのである。

えらいことなのである。大愚になって、子供と無心になってかくれんぼをし、手鞠遊びをして一日を過ごしてしまう。

 

重要なのは、無心であることよな。決して「自分は子供心を持っていたいんだ」なんて考えてはいけない。

その純粋さというのは、求めたところで得られないし、求めてしまったところですでに失敗しているといっていいだろう。

 

この考えは、中国の禅僧が似たような号を用いたこともあるから日本に限らないことであるだろう。

あるいはジュール・ルナールの名著『にんじん』について、作家の高橋源一郎は「子供『を』描いたのではなく、子供『で』描いた」と評していた(ような気がする)が、童心、無心についての価値は世界的に普遍的なことなのであろう。

 

あれは、とんでもなく難しい誓いであった

はい、そういうわけで、おれが幼い日に思った、「子供心を持ち続けよう」という願いは、かなり難しいことなんじゃねえかということになりました。

もしも、あなたが幼稚園や小学校低学年のころから、同じ趣味を無心に持ち続けられていたとしたら、それはかなり大したことだ。

 

それはおれが願って叶わなかったことだし、たぶん、多くの大人が失ったことを嘆くようなことなのだ。

人間、その年齢に合った趣味というものが用意されていて、容易にそれにのっかってしまって、気づいたらゴルフとかやってる。

あ、昭和的価値観? まあおれ、ゴルフやったことないけど。

 

まあしかし、これについて少なくない人が自覚を持っている。

それも大人になるということといえば、そういうことだろう。

そして、世の中には、童心を取り戻す系の話が溢れているといってもいい。

子供の頃の夢や希望を取り戻すという、そんな話。

 

でも、そんなの取り戻せないから話になる。実際のところはむずかしい。むずかしいから、題材になる。

とはいえ、そんな物語を観たからといって、無心の境地に到ることはできない。

それでも、ちょっぴり思い出すことはあるだろう。

思い出したところで、それはもう「思い出す」というだけであって、「それ」になることはできない。

 

それは、少し悲しいことだ。

まあ、おれにはついぞわからないことだが、自らの子を持つということによって、幼児期を再体験する、共有する、という話もあるだろうが。

 

子供に本当に向き合える人に拍手を

と、ここまで、「子供向けのもの」を受け取ることについてばかり書いてきたようだ。

一方で、子供向けのコンテンツを作る人たち、というのがいる。

 

これも、並大抵のことじゃないんだ。

よく、本気で向き合わなければ子供は相手にしてくれないというような話を見るが、それは本当だろうと想像する。

自分自身も子供そのものになって、そこに楽しみ、喜び、あるいは悲しみすら一体とならなければならない。

「しょせん、子供向け」という程度の志で、子供の心は掴むことはできない。

 

とはいえ、一方の手でソロバンを弾かなければいけない、電卓を叩かなければいけない、えーと、なんだ、EXCELとにらめっこしなくてはいけない。

一緒に遊んでるだけでは商売にならない。

おもちゃやカード、ゲームを売らなくてはならない。そこがすごい。

 

おれには、ちょっと想像がつかないな、と思えてしまう。

あるいは、すべてが計算づくで、童心なんぞに帰らなくても、子供心を掴むためのビジネスのテクニックというものが存在するのかもしれない。

 

でも、それはあんまり想像したくないな。そうあってほしくないという、勝手な想像だ。

子供向けのコンテンツというものは(コンテンツ、なんて言葉もあまり使いたくないが)、やはり童心、無心になるところがあって、そこでがっぷり四つで子供たちと向き合っていてほしい。

そういうものがヒットしてほしい。そう願ってしまうのだ。

 

勝手な願いかもしれない。

けれども、かつてそう願い、そうはなれなかった者としては、そう思うのだ。

おれには子供を夢中にさせるなにかを作ることはできなかった。

だから、それができる人には最大限の拍手を贈りたい。

そして、夢中になった子供たちの中に、その夢中を維持できる人、あるいは、作り手に回る人が少しでもいてくれたら、それはいいことだと思うのだ。

 

とまれ、結局のところ、かつて凡庸な子供でしかなく、自らの子を持つこともなく、凡庸に老いてしまったおれに言えるのは、それくらいだ。

 

 

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(2021/04/12更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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