しんざきはこれでも管楽器奏者でして、ケーナという南米の民族楽器を好んで吹いています。

「SE」だとか「ブロガー」だと言う前に「ケーナ吹き」と名乗る程度には、ケーナという楽器に思い入れがあります。

 

ケーナって日本で言うと尺八に似ている、葦や竹に穴を開けて作られた楽器なんですが、滅茶苦茶いい音がする楽器なんで良かったら一度聴いてみてください。

個人的には巨匠ウニャ・ラモスのケーナ曲が特にお勧めです。

Camino de llamas(リャマの道)、一生聴ける度が高過ぎます。

あとHonoはマジのガチで名曲中の名曲。演奏しようとするとクソ難しいんですけど。

 

さて、私がケーナを始めたのは大学に入ってからの話です。

元々は長距離走をやっていた流れから、大学でも何かしら運動部に入ろうと思っていたところ、道端で街頭演奏をしていた民族音楽グループをぼーっと眺めていたらそのまま拉致られるという、数奇な運命を経て民族音楽愛好会というサークルに入ることになりました。

高校までは楽器演奏とはほぼ無縁な人間だったので、これについては周囲からかなり驚かれました。

 

ケーナって最初音を出すまではかなり大変なんですが、音が出始めてからは初めての楽器演奏の楽しさにずぶずぶとハマり、授業の時以外はほぼサークルに入り浸っておりました。

学生会館っていう廃墟一歩手前みたいな建物で、どんな生物が住んでいるのか分かったものじゃないどんより濁ったプールの横で、毎年死ぬ程発生する蚊やハエと戦いながら練習してきました。

 

以来、大体20年ちょっとの間ケーナを吹き続けています。

公民館とか老人ホームとか企業のイベントとか、結構色んなところで吹かせて頂いているんですが、やはりコロナ後はそういうイベントも激減してまして、ここ一年程はゲーム音楽演奏以外の活動はあんまり出来てません。

 

話しは変わるんですが、ここに「ジャイアン」こと剛田武さんというキャラクターがいます。

 

皆さんご存知かと思うんですが、剛田さんは「ドラえもん」という国民的な漫画に登場する主要キャラクターの一角でして、傍若無人ないじめっ子ガキ大将としてのキャラクターが著名です。

ここ最近のアニメ版では相当マイルドにアレンジされたものの、原作ドラえもんを読んでいると正直人として相当ひどいことをやっていまして、これそのまま流すのはさすがにちょっとアレなんだろうなーと思うと、まあマイルド化もむべなるかなという感はあります。

 

なんで大長編の時だけ「粗暴だけど実は友情に篤い男」みたいなキャラなんだ、原作だと友情なんかゼロ通り越してマイナスだろあいつ。

 

それはそうと、剛田さんのもう一つの側面は「非常に音痴な歌い手である」ということです。

剛田さんは、自分では「歌の才能がある」と思い込んでおり、歌が大好きなのですが、その歌唱力は相当ひどいものでして、聴いた人の気分が悪くなったり気絶したりします。

 

特に大長編の方だと、ジャイアンの歌はしばしば特殊兵器として運用され、時にはドラえもん一行がピンチを脱する為の重要な手段となったりします(魔界大冒険とか南海大冒険とか)。

あとギガゾンビの逆襲っていうファミコンのゲームでは、まじんのマイクで強力な全体攻撃をしたりもします。

地底編のバランスブレイカーです。

 

今回テーマにしたいのは、この「歌い手としてのジャイアン」「アーティストとしてのジャイアン」が有している強烈な強みについてです。

 

その強みは、以下の二点に要約することが出来ます。

・「自分の歌は皆に求められているに違いない」ということを信じて疑わない、強靭極まるメンタル

・自分の歌を発信したいという強い欲求とその為に費やす無尽蔵のエネルギー

 

一見するとジャイアンって「歌い手としての悪い見本を戯画化した存在」みたいに描写されていますけれど、ことこの二点についてだけは、「コンテンツを発信する者」「コンテンツの表現者」として強く見習うべきところなんじゃないかと思うんですよ。

「お前のものは俺のもの」的な傍若無人いじめっ子メンタル以上に、ジャイアンの凶悪な強みだと思います。

 

まず一点目、自分の歌唱力に対する絶対の自信と、「自分の歌が求められていること」に対する信仰。

 

ジャイアンって、リサイタルを「皆が喜ぶと思って」やっているんですよね。

みんな自分の歌を聴きたいに違いない、と基本的には信じて疑わない。

例えば「ふつうの男の子にもどらない」(テントウ虫コミックス版40巻)の時のように、「どうも人気がもりあがらない」みたいな悩みを持つこともあるんですが、この時も引退リサイタルをする振りをするだけで、「やめる振りをすればみんな大慌てするに違いない」と信じ込んでいるわけです。

 

これ、一見すると滑稽な独り相撲のようですし、実際作中でもそう描写されているんですが、表現者としてはとんでもない強みだと思うんですよ。

 

表現者にとって最も重要なものは「表現をしたい」というモチベーションです。

もちろん純粋に「書く/描くと楽しい」「歌うと楽しい、歌いたい」という完全一人称のモチベーションも重要なものであって、それが「表現したい」という欲求の一つの源泉になるのはとても尊いことなんですが、それでもやはり二人称の欲求、「誰かに自分の表現を受け取ってもらいたい」という欲求が重要なモチベーション源となることも事実です。

 

で、これはどんな表現者でもそうだと思うんですが、「自分の作品に対する評価」というものは物凄くメンタルにもモチベーションにも影響を及ぼしやすいんですね。

「自分の作品は本当に求められているのか?」とか「自分の作品を面白く読んでくれている人はいるのか?」とか気にし始めてしまうと、どんどん調子を崩してしまう。

中にはそのまま精神を病んでしまう人だってたくさんいるわけです。

 

更に、これも一般的に言ってしまっていいと思うんですが、「百の好評よりも一の悪評の方が表現者の心に刺さってしまう」という問題もあります。

何故だか、たくさんの人が自分のコンテンツを褒めてくれていても、ほんの一件非難のコメントがあるだけで、まるで世界中から自分のコンテンツが拒絶されるような気になってしまうものなんですよ。

 

この辺の話は以前も書きました。気が向いたら読んでみてください。

「少数の非難や批判を必要以上に大きく捉えちゃって、どんどん状況を悪化させてしまう系案件」の話。

 

ともあれ、「評価を気にせずモチベーションを保ち続けられる」っていうメンタルは、表現者として圧倒的な強みなんですよ。

大抵の人はそういうメンタルを保てません。プロだって難しいでしょう。

 

ジャイアンは、作品内でこの点一切ブレません。

聴衆がどんなに嫌な顔をしていても、たとえ体調を崩したり電子機器がぶっ壊れたりしても、そんなことは気にもしないで気持ち良く歌い続ける。

作中では単なる身勝手で傍若無人なことの表現なんですが、ことこの鋼鉄のメンタルについては、剛田さんに対して強いリスペクトを捧げるところなんです。

 

もちろんジャイアンの難点は、この強みと引き換えに「受け手の反応を見て自分の表現の質を向上させる」ということが一切出来ない点でして、ここが改善されればもうちょっと歌唱力もレベルアップするのではないかとは思うんですが、まあ突っ込むのも野暮なのでそれは置いておきます。

 

もう一点、「自分の歌を発信したいという強い欲求と、その為に費やす無尽蔵のエネルギー」。

 

まずですね、ジャイアンの凄いところって、彼「リサイタル」の企画立案から集客運営まで、曲がりなりにもほぼ全部一人でやっちゃうんですね。

たまーにのび太にチラシ配らせたりもしますけど、基本的にはチラシ作成から集客から進行からMC・司会運営まで、全部やっちゃう。

いくら「空き地に人を集めて歌を聴かせるだけ」っていっても、あれ小規模とはいえ立派なイベント運営ですからね。

 

もちろんそこには「ガキ大将としての権力を横暴に振り回している」という側面があり、その点褒められたことでないのは確かですが、実際自分でライブ運営をしていると、「集客」とか「宣伝」というものがどれだけ精神削られるものなのかってよく分かるんですよ。

 

宣伝のチラシを作ったりそれを展開したりといった物理コストもさることながら、誰に求められているのかも不明なまま虚空に呼びかけるように宣伝をする過程とか、実際お客さんが来てからどう楽しんでもらうかの思案とか、ライブ主催ってMP使うものなんです。

冗談抜きで一回ライブやると2~3kg痩せますからね。

 

本来、表現者っていうのは「求められているか」なんて気にするべきではないんですよね。

人が1000人いれば1000の好みがあるわけであって、どこかに必ず自分のコンテンツが刺さる人はいる。

しかし、殆どの表現は、まずその「刺さる人」の元に届かない。アピールを届かせる為の苦労って途方もないものなわけです。

 

だから、多くの表現者は、「他人に届かせよう」という努力の過程で力尽きてしまいます。

演奏の質は高いのにライブにあまり人が来ずに折れてしまうバンド。

面白い小説を書くのに評判がなかなか高まらずに筆を折ってしまう作家。

今までにそういう人たちがどれだけいるでしょうって話です。

 

これ、質に関係ありません。

「質が高ければ売れる」というのは一種の宗教です。

実際には、「どんなに質が高かろうが、然るべき受け手に届かなければ売れない」というのが正解です。

 

そしてこれは質それ自体についても影響する部分でして。

皆さん、「楽器が上達するコツ」って何か知ってますか?

 

これは珍しく「間違いない」って断言出来ることなんですが、答えは「コンサート/ライブの予定を入れること」です。

とにかく、まず人前で演奏する予定を立てちゃう。

誰かに届くとなれば必死に練習するし、必死にそれに打ち込む。

だから更にコンテンツの質が上がる。当たり前の話ですよね。

 

刺さる人がいることを信じて、届ける為の努力をし続ける。

そして、誰かに届ける為に頑張る内に、コンテンツの質も必然的に上がっていく。

だから、「誰かに届かせたい」という欲求を持つこと、それに折れないエネルギーを注げることというのは、本当に尊く、かつ重要なことなんです。

 

ジャイアンは、どんなに嫌がられようと、尽きないエネルギーと表現欲求でリサイタルを開催し続けます。

「表現したい」「その表現を誰かに届けたい」という無尽蔵の欲求を持ち続けます。

まあ、表現の質は色々アレなんですが、結果的には彼自身、南海大冒険のベティという「自分のコンテンツが刺さる人」を見出すわけです。

 

この「折れない心」「尽きないエネルギー」については、楽器演奏者として、また一人の表現者として、素直にリスペクトしてしまうし、見習いたいとすら思ってしまう、と。

そういう話だったわけです。

 

今日書きたかったことはそれくらいです。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

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