「あえて、人に、100回断られる」という試みをした男。
ジアン氏は第二のビル・ゲイツを夢見て中国からやってきた移民でした。[1]
奨学金を得て大学で学び、起業家をめざしてMBAも取得しました。
有名大企業でマーケティング部門の中間管理職につき、経験も積みました。
本気で起業を目指すのなら、拒絶に対する恐怖心を克服して、次のステップに進まなければなりません。
では、どうしたら拒絶に対する耐性をつけることができるのか。
熟慮の末、彼はついに、「拒絶セラピー」という方法を編み出しました。
断られるようなバカげたことをわざと人に依頼して、断られる経験を100回、重ねる。
その経緯をすべて録画し、動画をYouTubeにアップする。
「100日拒絶セラピー(“100 Days of Rejection Therapy”)」[2]という名のブログを立ち上げ、そこにも動画をアップする。
さらに、ブログを始めることにしました。
そうすれば状況を説明する必要性が生じるからです。それに、フォロワーがいれば途中でやめにくくなるのも「自分を追い込む」には好都合。
彼が考えた「わざと断られるようなバカげた依頼」の一部は以下のようなものでした。
- 見知らぬ人の庭でボールを蹴る
- 飛行機の機内アナウンスをする
- 高級ホテルの部屋に無料で泊まる
- パトカーの運転席に座る
- 飛行機のコックピットで機長の席に座る
~初目~
目の前に、突然、見ず知らずの若い男性が現れる。
そして、急にこんなことを申し出る。
「1万円(100ドル)、貸してもらえませんか」
「拒絶耐性セラピー」初日:ジアン氏と警備員 [2-1] https://www.rejectiontherapy.com/blog/2012/11/15/the-100-days-rejection-therapy/
ご想像のとおり、ジアン氏に声をかけられたビルの警備員はこう答えました。
「ノー」
「だめですか。わかりました。だめですよね。ありがとうございます」
ジアン氏は全速力でその場を立ち去りました。
断られることが目標なのですから、断られたのは成功です。
ところが、目標を達成したにもかかわらず、彼は怯え切っていました。
ブログとYouTubeにアップするために録画した動画を編集しながら、ジアン氏はあることに気づきます。
それは、「ノー」に続く次の言葉を聞き落していたことです。
「なんで?」
100ドル貸すのを断った警備員は、その理由を説明する機会を提供してくれていました。
それなのに、自分はせっかくのその機会を逃してしまった。
それは、恐怖心に支配されていたからだということに彼は気づきます。
もし、警備員がくれたチャンスを生かせていれば、拒絶耐性のプランについて説明することができたはずです。
あるいは、運転免許証を見せて、本当はクレイジーな男ではないことを伝え、相手を安心させることもできたでしょう。
「恐怖心はネガティブな結果につながる」
これが、初日の教訓でした。
~2日目~
彼は、アプローチを変えることにしました。
自信と冷静さ、それにユーモアをもって臨もう。
それで結果が変わるかどうか試してみよう。
2日目の舞台はハンバーガー・ショップのカウンタ―。
「ハンバーガーがすごくおいしかったので、お代わりしたいんですが・・・」
「え―、あ、あのう、なんですか」
「ドリンクのお代わり自由みたいに、ハンバーガーもお代わりってできないですか」
「拒絶耐性セラピー」2日目:ジアン氏とハンバーガーショップの店員 [2-2] https://www.rejectiontherapy.com/blog/2012/11/16/day-2-of-rejection-therapy-request-a-burger-refill
「できません」
「ドリンクはお代わりできるじゃないですか。ハンバーガーはなぜダメなんでしょうか」
「そうなってるんです」
店員は最後には笑いながら答えました。
「もし、ハンバーガーもお代わりができたら、この店がもっと好きになるんだけど」
そう言いながら、ジアン氏はその場を立ち去りました。
彼は、動画を編集しながら、店での会話を分析しました。
初日のようにパニックには陥っていない。
少しだけ会話を楽しむ余裕もみられる。
断られても逃げ出さずに、会話にもちこみ、店員の笑いまで引き出せた。
2日目の教訓は、次の2つです。
まず、「頼み方」。
萎縮せずに、自信と落ち着きを失わずにいることが印象をよくするということです。
もうひとつは、
「会話を最後までやり通すことができれば、拒絶された痛みの大半を取り除くことができる」
ということでした。
彼は、もう初日の彼ではありませんでした。
自分を幾分か取り戻し、次はどうしようというアイディアが次々に浮かんできます。
「ノー」という言葉を聞いても、さほど怖いとは感じなくなったような気すらしました。
「クリスピー・ドーナツ神話」の誕生
~成功の兆し~
そして、3日目。
この日、事態が大きく展開しました。
行き先はクリスピー・クリーム・ドーナツ。
店は混んでいました。
列に並び、順番を待つ間、彼はあらかじめ練り上げておいたセリフを頭の中でリハーサルします。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」
対応したのは、この時間帯のシフト・リーダーとおぼしき女性店員でした。
「特別なドーナツを作ってほしいんですが」
「特別なというと、どんなドーナツですか」
「あ、つまり、ドーナツを5個並べて、五輪マークみたいにしてもらえませんか」
時は2012年、ロンドン五輪の年でした。
「ああ・・・、お時間はどのくらい大丈夫ですか」
「お時間は・・・?」
予想に反した答えでした。
断られるものとばかり思っていた彼は、こう考えます。
タイムリミットが厳しければ、彼女だって断らざるを得ないだろう。
「15分以内で」
「じゃあ、ちょっとやってみます」
「拒絶耐性セラピー」3日目:クリスピー・クリーム・ドーナツの店員・ジャッキー [3] https://www.youtube.com/watch?v=7Ax2CsVbrX0
数分後、店員が箱を抱えてやってきました。
「これでいかがでしょう」
箱の中には注文どおり、五輪マークのドーナツが!
「ワオ! これはいいね、すばらしい!」
店員の名前はジャッキー。
彼女は、支払いをしようとするジアン氏にこう言います。
「お金はいいです。こちらで出しておきます」
彼は感動し、興奮していました。
もし、クレイジーな依頼をしなかったら、あの素晴らしい瞬間は生まれなかった。
少しだけ勇気を出して依頼したことが、幸せな状況を産み出した。
世の中は善意と可能性に満ちている。
そう、この日の教訓は、「可能性」でした。
初日と2日目の経験は彼の視点を変えました。
でも、3日目のこの経験はマインドセット自体を変え、いわば世界観を転回させました。
彼は「イエス/ノー」にこだわるのをやめました。
もはや他人が自分をどう思うかも気にならなくなり、そのことが心を解放し、自分は自由だと思うことができるようになっていました。
~神話誕生~
彼は、わずかなやる気と工夫によって何が可能になるのか世間に示したくなりました。
この動画を観た人は、人間への信頼感が高まり、心をオープンにしてくれるかもしれない。
そんな思いをこめて彼がブログに投稿した動画が神話の始まりでした。
動画は人々の感動を呼び、忽ちのうちに世界的なセンセーションを巻き起こします。
ヤフーのトップページに載せられたのを発端に、『ゴーカー』、『MSN.com』、『ハフィントン・ポスト』、イギリスの『デイリー・メール』など名だたるサイトに掲載され、一夜にして数百万回もの再生回数を記録しました。
5分ほどのこの動画は、現在YouTube上で595万回以上、再生されています [3]。
動画が世界を駆け巡ると、クリスピー・クリーム社にはジャッキーを称賛する電話が殺到しました。
そればかりでなく、動画が拡散した翌週、同社の株価は7ドル23セントから9ドル32セントへと29%跳ね上がりました。
額にして数百万ドルという経済効果です。
マーケティング理論の権威・コトラー博士は、近著『コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則』の中でこのエピソードを取り上げ、ジャッキーの行為は顧客との強固なエンゲージメントを築くものだと評価しています [4]。
ジアン氏の生活も一変しました。
テレビやラジオなどのインタビュー依頼が殺到し、テレビ番組や映画の企画も持ち込まれました。
TEDの登壇も果たしました [5]。
TEDでジアン氏が使ったスライド [5] https://www.youtube.com/watch?v=ZFWyseydTkQ
さらに、このエピソードがきっかけとなって、彼のロール・モデルであるザッポスのCEOトニー・シェイから仕事のオファーを受けます。
ジアン氏のプレゼン能力を買って、プロの講演者として雇うというのです。
こうして、この神話は、ジアン氏、ジャッキー、クリスピー・クリーム社の3者に、見事なwin-win-winの関係をもたらしました。
伝説を産み出した男の法則
ジアン氏は大成功といっていい状況に恵まれ、ビッグ・チャンスを手に入れました。
でも、彼は懐疑的でした。
まだ挑戦を始めたばかりなのに、もてはやされていることに違和感を覚えます。
けれど、一方で、千載一遇のチャンスに飛びつかなければ、もう2度とチャンスは訪れないかもしれないという思いにも囚われました。
思い悩みながら、彼は「ファン」から届く夥しい数のメールに目を通しました。
メールのほとんどは、動画を観て、自分も恐怖心と向き合う勇気を得たというものでした。
拒絶されることで落胆し、全人格が否定されたように感じて心が折れてしまったという内容のメールもありました。
こうしたメールを読んで、ジアン氏は自分だけではなく、多くの人々が拒絶への恐怖心を抱いていることを知り、自分のやっていることが見知らぬ人々の人生に役立っていることに驚きました。
メディアが彼の行動にエンターテインメントとしての価値を見出したのに対して、彼と同じ市井の人々は、それとは全く異なる価値を見出していることに気づいたのです。
皆が拒絶耐性を身につけることができたら、世界は今よりもっとよくなる。
彼は結局、アプリの開発をやめ、トニー・シェイからのオファーも断りました。
その代わりに、他の人々が拒絶耐性を身につけるためのサポートをしようと決意し、そのために「100日拒絶セラピー」を続けることにしました。
その過程で、彼はさまざまな法則を見出していきますが、究極の法則は以下のようなものです。
自分の努力や相手への態度といった「コントロールできる要素」にフォーカスし、他者による受容や拒絶という「コントロールできない結果」にはこだわらない。
学生、セールスパーソン、CEO、研究者―職業に関わらず、私たちは結果を求められます。
でも、「結果重視」は長期的にみれば悪い結果を招くことをジアン氏は学びました。
ベストを尽くしてプレイする、そして結果については心配しない―それが拒絶の旅から彼が得た結論です。
世の中のシンプルなセオリー
ジアン氏のエピソードに触れて思うのは、世の中は思いのほかシンプルなセオリーで回っているのではないかということです。
「クリスピー・ドーナツ神話」は、誰もが経験する拒絶と、誰にでもある感情や心理―恐怖、勇気、善意、ホスピタリティー、感動によって構成されています。
そういう意味では、私たちの身近にあるものといってもいいでしょう。
ただ、神話の誕生には、それを呼びこむ土壌が必要なのも事実です。
メニューにない特別な注文に応じる店員。
通りすがりの男性をパトカーの運転席に座らせる警官。
乗客にマイクを渡すキャビン・アテンダント。
見知らぬ乗客をコックピットに招き入れる機長。
私たちの社会は、こうした人々、こういう行為を許容するでしょうか。
そのときどきで柔軟に考え、オープンマインドで人に接するという態度が、評価されるでしょうか。
また、個人の問題として捉えたとき、コンプライアンスやルールの名のもとに、自らの頭で考え行動する自由と責任を、無意識のうちに放棄してはいないだろうかと考えさせられます。
そう考えると、「クリスピー・ドーナツ神話」は、私たちの近くにあって、なお遠いものなのかもしれません。
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【著者プロフィール】
株式会社識学
人間の意識構造に着目した独自の組織マネジメント理論「識学」を活用した組織コンサルティング会社。同社が運営するメディアでは、マネジメント、リーダーシップをはじめ、組織運営に関する様々なコラムをお届けしています。
webサイト:識学総研
Photo by Alex Radelich
参考文献
参照
[1] ジア・ジアン著 小西敦子訳(2015)『拒絶される恐怖を克服するための100日計画』株式会社飛鳥新社(電子版) [2] Jia Jiang “100 Days of Rejection Therapy”https://www.rejectiontherapy.com/100-days-of-rejection-therapy/ [2-1] https://www.rejectiontherapy.com/blog/2012/11/15/the-100-days-rejection-therapy/ [2-2] https://www.rejectiontherapy.com/blog/2012/11/16/day-2-of-rejection-therapy-request-a-burger-refill [3] Rejection Therapy Day 3 – Ask for Olympic Symbol Doughnuts. Jackie at Krispy Kreme Delivers! [4] フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清
美 訳(2017)『コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則』 朝日新聞出版(電子
書籍版) [5] Surprising Lessons From 100 Days of Rejection: Jia Jiang at TEDxAustin