「頭がいいからという理由だけで18歳程度の子供が医学部を目指すのは間違っていると思うんですけど、どう思いますか?」

医者をしているという事もあってか、時々こんな事を尋ねられる事がある。

 

この問いに「そうですね」と答えるのは簡単だ。

実際、医療業界は結構特殊な世界である。

金銭目的だけで入ると後々苦しくなる事も多いだろう。

 

けど、それは選んでいる側の本質を捉えていない発言でもあるなと思う。

 

多くの頭がいい若者が地位とか年収に惹かれて医学部を目指すのは、なにも強欲だからではない。

そういう人だって一定数はいるだろうが、だいたいの学生はピュアだ。

 

ではなぜそのピュアな学生が医学部を目指すのかといえば、幸せになりたいからである。今日はその話をしよう。

 

多くの若者は金に目がくらんでるのではなく、不幸になりたくないだけ

幸せになるのは一筋縄ではいかない。

だが不幸になる方法はとても簡単だ。貧乏になればいい。

 

多くの人は清貧という概念を良いもののように言う傾向があるが、実際には貧乏と幸福を両立するのには特殊な才能が必要だ。

貧乏と幸福の両立が不可能だとは言わないが、お金があれば避けられる不幸は現実問題とても多いし、お金がないと選びにくい幸福もとても多い。

 

現実社会においてお金の心配をしなくて良い状況を作り出す事は幸福を追求する簡便な状況設定の一つで、お金のことを考えなくていい生活は極めてストレスフリーである。

 

そして医学部は18歳の若者にそれを極めて明快に提示している珍しいものの一つである。

高い偏差値を持つものの中で医学部に進路を定めた若者は、傍から見れば地位だとか名誉に惹かれているだけにみえるかもしれないが、より深い本音を言語化すれば「不幸をできる限り自分の身から遠ざけたい」という理由が最も大きいように思う。

 

繰り返すが、医学部を目指す多くの無垢な若者は強欲なのではない。

できる限り不幸な人生を避けたいだけだ。

他に魅力的な選択肢を大人側が提示できていないのがむしろ問題だ。

 

若者のそういった不安を直視することなく「不純な動機で医学部を目指すな」と叩くのは、色々と筋違いなのではないかと僕は思う。

 

素人目にはお金を手に入れる選択肢に多様性が無い問題

世の中は多様性が大切だという。

実際問題として多様性が大切なのは間違いない。

幸せになる道は沢山ある方がいい。

 

職業選択だって多様性の担保は様々な人の幸福の基盤になりうる。

選べる仕事の種類は多いほうがいい。

これは間違いなく事実だ。

 

ただお金儲けに関していうと実のところあまり選択肢は豊富ではない。

というか、限りなく多様性が乏しいといった方が過言ではないかもしれない。

特に素人がリーチできる情報となると、ほぼ選択肢など無い。

 

身近に莫大な利益を叩き出しているような人間がいるのならまだしも、なんのコネも無い勉強のできる高校生がそれを手にしようとして…目に見える選択肢に医学部ぐらいしか無いのではないだろうか?

 

そういう状況下において、優秀な若者に「キチンとした理由が無いのなら医学部を目指すな」というのはぶっちゃけ酷だ。

それは不幸になりたくないという若者に対して「茨の道を歩まない方法を選ぶ権利はお前には無い」と言い放っているのと同じである。

 

本当の意味で優秀な若者を医学部から遠ざけたいのなら…優秀な人間が選ぶ選択でもって、お金に困らない社会を大人が作らないといけないし、そういう意識を育んでゆかねばならない。

なぜなら資本主義の世の中においては消費者の集合意識でもって社会が形成されるからだ。

 

地方のイオンモールを作り出しているのは大衆の集合意識

かつてと比較して世の中はとても豊かになった。

人々は多くの自由を手にし、多くの選択肢を手に入れる事になった。

けど、その自由と選択肢は資本主義の競争の果てに現れた”割安”のものを手にするという権利にどちらかというと強く偏っている。

 

実は安くて便利なサービスを利用するという自由を行使するという事は、誰かが安く買い叩かれるという状況を作り出す事と等しい。

私達が賢い消費者をやればやるほど、世の中の誰かが割をくらう。

 

結局、世の中の状況を最終的に作り出しているのは大衆の集合意識だ。

資本主義のこの世の中ではお金というのは一人一人が持つ投票券のようなものとして社会を動かしてしまう。

 

かつて地方には多様性がかけらもなく全てイオンモール一色になってしまうと憂いていた記事を読んだ事があったけど、あれだってある意味ではそういうものを皆が本当は望んでいるから生じた現象だろう。

安くて便利な世の中と…皆がお金の心配をせずに幸福を追求できる世の中は…恐らくだけど両立が難しい。

 

優秀な人間にキチンと幸せになれる道を作ってあげられてないのなら、大人が何かを若者にいう権利など何処にもない。

若者は若者なりに幸せになろうと必死だし、大人は大人で幸せになろうと必死だ。

そんな世の中だからこそ、黙って背中で幸せを語れるヒカキンさんのような人間を私達大人は演じないといけないのだろう。

 

幸福は本気で打ち込めるものがみつかった人の元に訪れる

繰り返しになるが、貧乏だと人は不幸になる。

これはこの世の真実の一つである。

それを避けようと全力で行動する人間をどんな形であれ、笑う気には僕にはなれない。

 

だがこの世にはもう一つの真実もある。

それはお金で幸福が買えるわけではないという事だ。

最後に、どうやったらお金の心配をあまりしなくよくなった大人が幸せになれるのかを書いて、文章を〆よう。

 

幸福が何で手に入るか。

仕事に限っていえばそれは時を忘れるほどに何かに打ち込めるか否かが大きい。

 

世の中には本気でやってみて初めて見えてくる世界というのがある。

例えば世間では無駄だ無駄だと言われている受験勉強だって、ガチでやった事がある人間なら誰しもが面白い体験の一つや二つはあるだろう。

 

何度読んでも理解できなかった難しい概念が、あるとき突然サーッと脳に染み込むように理解できた時。

例えば全国模試で偏差値100を叩き出し、ダントツの1番をとった時。

 

このような体験をした時に脳が感じ取った感情の揺れ方というものはお金で買えるようなものではない。

そういうものを何個死ぬまでに持てるか。

これが長い人生を幸せに生きぬくコツのように思う。

 

自由や安心というものを基盤とした上で、こういう尊い体験を心に何個刻み込めるかは人生のクオリティを圧倒的に左右する。

それは他人からみれば1円にもならない一見無駄にしかみえないものでもあるけれど、感じ取ってる人間からすれば金では絶対に変えない最高の魂が震える瞬間だ。

 

本気になって何かを勝ち取った時の体験を思い出した時に感じる心の充足感は人生の本懐である。

人生は長いようで短い。

本気になって何かに夢中になれるのにも時間制限がある。

 

別にウマ娘だろうが賭博だろうが何でも良いとは思うのだけど、そういう時を忘れるほどに何かに没頭できる時間を、一週間の中にどれぐらい作れるかが人の幸せにおいては極めて肝心だ。

 

そしてそれを仕事としてやれるのならば、それは最も幸福な生き方の一つに違いない。

仕事を人生最高の暇つぶしにし、それを後ろに続く人にも繋げてゆく。

 

清貧なんてクソ喰らえである。

心が健やかで豊かな清富な社会を、私達は作ってゆかねばならぬのである。

 

 

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【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

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noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

Photo by Micheile Henderson