おれもハッとしてみました
インターネット上の記事タイトルで「ハッとした」、「ハッとさせられた」という文言はわりとよく見られる。
それは外国人から日本文化への指摘だったり、子供の常識への純粋な疑問だったりする。
中身はそれぞれで、それは別にいいのだが、人目を引くために「そんなにハッとするなよな」という思いはある。
まあ、単なる好みなんだけど。
とはいえ、おれだって「ハッとする」ことがないわけじゃない。
そして、「あ、おれ、ハッとしちゃったな」と後悔する。いや、後悔はしないか。
このたびおれがハッとしたのは、穂村弘・フジモトマサル『にょにょにょっ記』(文藝春秋、2015年)という、ちょっと説明し難く、かなりすてきな本を読んでいたときのことだ。
「にょ」の数間違ってたらごめんなさい。
当該箇所を引用する。p.156-p.157。
12月26日 推敲
美容院に髪を切りに行く。
と日記の一行目を書いたところで、あれ、と思う。
なんか、ちがう。
髪は切りに行かないよ。
正確にはそうじゃなくて。美容院に髪を切られに行く。
うーん。
なんか変だ。
合ってるのに。
そうだ、美容院だろうと(関係ないけれどおれは怖くて美容院に入ったことがない)、理髪店だろうとなんだろうと、髪は美容師や理容師に切られるものだ。
なんで四十年生きてきて、そんなことに気づかなかったのだ。
おれは「ハッとした」。
自分で髪を切る人もいるけれど
「そろそろ髪を切ろうかな」。
「いつも日本ダービーの前の日は髪を切りに行く」。
「昨日、髪切ったんですよ」。
普通に、使う。
そりゃあ、世の中、一から十まで自分で自分の髪を切ってしまう人もいる。
ちょっとくらい切ってしまう人もいる。
でも、だいたいの人は、プロに任せる。
髪を切ってもらうのだ。
髪は切られるのだ。
たとえば、なにかの理由で外国語話者に日本語を教えることになったとき、こんなことを言われたらどうするだろうか。
「ワタシハ、昨日、髪ヲ切ラレマシタ」。
ちょっとドキッとすると思う。
なにか夜道でも歩いていて襲われたかのように感じる。
「いやいや、それは違います。『切りました』です」と教えるだろう。
でも、
「ナンデ?」
と言われたら、説明に窮する。
それこそ、合っているんだけどな。
髪以外はどうだろう?
髪だけ、だろうか。
頭のてっぺんから考えてみる。
「明日病院にピアスの穴を開けに行く」。
これは、言うよな、たぶん。
そして、「開けられに行く」とは言わないよな、たぶん。
関係ないけど、おれの三つのピアスは市販のピアッサーで自分で開けた。
あるいは、なんだろう、眉毛を整える専門の店があったとする。いや、あるかもしれない。
(あ、以下、こんな妄想がしばらく続きますが、実在のお店とは関係ありません、と断っておこう。「検索したらあったよ」って言われても、まあ自分でもちょっと検索して「あるのか」と思ったりしましたので)
まあ、眉毛屋、これだと眉毛を売ってるみたいか、整眉毛店というものがあったらどうだろうか。
「あなた、眉毛がもじゃもじゃだから、眉毛整えにいきなさいよ」。
言うと思う。
「眉毛整えられにいきなさいよ」とは言わないと思う。
眉毛を整えるのは眉毛師の仕事だ。
何年ぐらい修行したら眉毛師になれるんだろう?
歯、歯どうだろう。
「明日、歯を抜くんだよ、怖いな」。
言うだろう。
ドアノブに糸をくくりつけて……というのは今どき通じるのか知らないが、歯を抜くのは歯医者だ。
「虫歯が気になる。抜くか!」と言って口の中に手をつっこんでむしり取る人がいたら、それは豪傑かなにかだろう。
ひげ。ひげ屋があるとする。
「ちょっとひげ整えに行くわ」。
言うよな。
大きな鏡と、各種ひげのお手入れ用具が並んでいて、さあ自分でやって、というひげ屋は想像できない。
やはりひげ師がプロの技で整えてくれる。
肩たたき……いや、これは名詞化しているか。
マッサージ、これもか。
「マッサージしに行く」とは言わない。
「マッサージ受けに行く」だ。
ネイルサロン、はどうだろうか。
おれはネイルサロンにも行ったことがないから、よくわからない。
試しに「ネイルに行く」と検索してみたが、そういう表現は出てこない。
ただ、爪を切るのが専門の爪切り屋があったとしたら、やっぱり「爪を切りに行く」だろうな。
でも、こんな文例が頭に浮かんだ。
「動物病院に猫の爪を切りに行く」。
これはどうだろうか。
言うような気がする。
というか、実家で長年猫を買っていたけど、爪切りどうしてたっけ?
まあそれはいい。
「猫の爪を切られに行く」というのはあきらかに変だ。
「猫の爪を切ってもらいに行く」なら合っている。
「猫の爪切りに行く」ならまず間違いない。
だんだん息切れになってきたが、全部出してスッキリしよう。
献血はどうだ?
「ちょっと血を抜いてくるわ」。
ん? 変か?
というか、おれは献血の経験がないけれど、わざわざ「血を抜きに行く」とは言わないような気がする。
「献血行ってくる」だ。
「ちょっと血を抜かれに行くわ」。
とか、言ったら、「あなた、吸血鬼に取り憑かれてるのよ、モルダー」ということになりかねない。
でも、血を抜くのは献血師、いや、看護師か医者だろう。
というわけで、ずったらずったら歩きながら(歩き妄想には注意しましょう)、おれはこんなことを考えていた。
そして、こう思った。「自分の身体に属するものを、自分の意思でどうにかしようとする場合、あくまで主体は自分なのではないか」と。
身体以外だとどうだ
が、今、こんな文章が頭に浮かんだ。
「調子が悪いので、自転車屋に自転車を直しに行く」。
直すのは自転車整備士だ。
自転車整備士ではないかもしれないけど、自転車屋の人だ。
世の中にはプロ用の工具がズラッと揃えられていて、自分で直すような店もあるかもしれない。
おれは昔、ちょっとはスポーツ自転車に乗っていたので(クロスバイクで1日200km近く走ったこともある)、そんな店があったらあったで楽しいかな、とも思う。
ま、それはいいが、「自転車を直されに行く」とは言わない。
「自転車の整備に行く」、「自転車を整備に出す」……。
身体関係ないじゃん。
というか、自転車に限らず「眼鏡」だって、「時計」だって、「スマホ」だって同じじゃん。
となるとこれは、文法の問題だな。
そういう用法があるのだ。
日本語使ってるのに、文法、知らんぞ
というわけで、デジタル大辞泉(小学館)で、「に」をひいてみる。
あなた、ひらがな一文字を辞書でひいたことがありますか?
うーん。
[格助]名詞、名詞に準じる語、動詞の連用形・連体形などに付く。
これかな。
それの、これかな。
動作・作用の目的を表す。「見舞いに行く」「迎えに行く」
「白馬 (あをうま) 見―とて里人は車清げにしたてて見―行く」〈枕・三〉
で、なんで「白馬」なのに「あをうま」なの?
あ、そういう話ではなかった。
で、ようわからんけど、「動作・作用の目的を表す格助詞『に』を用いる場合、前につく動詞は受動態ではなく能動態に変化する」というような法則があるのだろうか。
でも、そんな法則があったら、たとえばこんな物言いが成り立たなくなる。
「いま、わざと倒されに行きましたよ!」
そう、なんかサッカーとかの、なんていったっけ、そうだ、シミュレーションとかの場合だ。
「わざと倒れに行きましたよ!」では……あれ、いいのかな、ちょっと変かな。
「倒され」は名詞なのかな。
ネイマールしに行きましたよ! ネイマールされに行きましたよ! うーん。
はい、まったくわかりません。
あと、よく知らないのに例に使って、ごめん、ネイマール。
言葉は難しい。
熱血ひとり国語教室
というわけで、このさきは国語学者におまかせします。
あるいは、おれ、日本で教育を受けてきたきたから、学校で習ったことあったのかな。
国語の授業なんて真面目に受けてなかったからな。
作者の気持ち考えるの得意だし。
と、そういえば、この間、ネットで見た記事。
自分の作品を現代文の試験に使われた作者に、その問題を解いてもらうというもの。
「国語の試験はお気持ちを解くもので、正解なんてない」と理系に馬鹿にされがちだが、おれは「ちゃんと文章のなかにきちんと導き出される答えがあるんだよ」と思っていた。
予備校の現代文の講師がそう言い切っていた。
が、その記事で、実際に入試に用いられた問題を読んでみたら、想像以上に曖昧で、作者自身が間違えていたので、その思い込みは音を立てて崩れました。
問1. 「その思い込み」の「その」は何を指すか50字以内で答えよ。
……とはいえ、最初の話に戻るけど、穂村弘はたぶん現代を代表する歌人のひとりだ。
言葉について考えて考えて考えているに違いない。
その人が、「なんか変」って思ったりするのだ。おれは悪くない。
ツッコミどころのない言語なんてあるのか?
まあいい、日本語は難しい、とは言わない。
言葉は難しい。たぶんそうだ。
どんな言語にもツッコミどころがある。そうに違いない。
たとえば、フランス語の講師が英語を「例外ばかりのでたらめな言語。だいたいなんでtheを『ザ』と読むのか。『トゥへ』だろ」とディスっていたのを聞いたことがある。
Ghoti、Ghoti。
でも、フランス語とてなにかツッコミどころはあるだろう。
ツッコミどころのない言語といえば、たとえば人工言語のエスペラントとかか?
エスペラント知らんので想像もつかないけれど。
あ、でも、ひょっとしたらプログラミング言語って、ツッコミどころがないのかな。
ツッコミどころがない分、三文字間違っただけで全体が意味をなさなくなる(動作しない)、みたいな。
雑に書いてもだいたいわかってくれるプログラミング言語とかないんだろうか。
これだけAIとか発達してるんだ。
「この枠にメールアドレスが入力されて送信されたら、そのメールアドレス宛にユニークなパスワード通知画面が表示される安全なプログラム組んでー」とか口に出して言ったら、勝手に生成してくれるとか。
あるのかな?
まあ、たまには言葉について考えるのもいいもんです
というわけで、まあたまには自分の使ってる言葉についてつらつら考えてみるのもいいもんです。
意外な発見があるかもしれない。
あったところで、べつに学会に発表するわけでもないし、30分後にチキン南蛮定食でも食べたら忘れてしまうかもしれないけど。
しかし、そう考えると、その点、外国語を勉強している人ってすげぇよな。
母国語についても、たぶんいろいろ謎があるのに、さらなる謎の世界に挑んでるだもん。
その上、一対一で対応しているものでなく、文化や歴史によるロスト・イン・トランスレーションが山ほどある。
って、「なに、言葉なんていいかげんなもんさ」って思えば、逆に他国語もいけるのかもしれない。
おれもいいかげんな人間なんで、ひょっとしたら外国語の勉強してみたらいいかもしれない。
……って、学校教育でどれだけ英語やらされたんだ。
英語、喋れねえぞ。
英文だって、ネットの翻訳サービスに丸投げだ。
とはいえ、これだけAIが発達してるんだ(そればっかりだな)、「ドラえもん」のほんやくコンニャクみたいなのできるだろ、たぶん。
というか、もうほぼ実用化されてるだろ。
そして、それについても、「まあ、通じりゃいいだろ」くらいのもんだ。
髪を切りにいくのだって、機械翻訳にかけりゃ「I’m going to cut my hair.」。
……って、どうもこれだと変らしく、外国人が回答しているようなサイトによると、「get my hair cut」とか言うらしいんだけどな。おしまい。
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【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
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