小説を読んでいて、

「この作品の作者さんは、どうしてこんな作品を書けたんだろう?」

「どんな脳をしていればこんな筋書きが思いつくんだ……?」

と思うことがたまにあるのですが、私にとって、その頻度が一番高い作家はオースン・スコット・カードかも知れません。

 

この記事で、私はオースン・スコット・カードの傑作中の傑作である「死者の代弁者」について、多少なりと未読の皆さんに興味を持ってもらえるようなお勧め記事を書きたいと思っているのですが、事前に二つ断らせてください。

 

・この記事を読むと、「死者の代弁者」の前作「エンダーのゲーム」の終盤の展開について、否応なく推測出来てしまうこと

・「死者の代弁者」についてのネタバレは最低限に抑えるが、それでも多少は内容について触れない訳にはいかず、完璧にゼロの状態で「死者の代弁者」に触れた時の楽しさを若干は損なってしまうかも知れないこと

 

「ネタバレ注意、と書いた時点でネタバレになってしまう」という作品が世の中には時折ありますが、「死者の代弁者」はこのカテゴリーに極めて近い作品です。

もちろんこの記事を読んで「死者の代弁者」に興味を持って頂きたいところは大なのですが、この記事を読んだことでちょっとでも面白さを減殺してしまうとすれば困ったことです。

 

もし海外SF小説がお嫌いでなく、かつまだ「死者の代弁者」をお読みでなければ、だまされたと思って是非「エンダーのゲーム」と「死者の代弁者」の二作を手に取って頂き、その後この記事に戻ってきて頂けると嬉しいなあ、と思うばかりなのです。

 

***

 

以前、こんな記事を書かせて頂きました。

オースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」が超絶名作なので読んで欲しいという話

 

ここで書いた「エンダーのゲーム」は、それ単体で読んでも素晴らしい傑作なのですが、なにより恐ろしいのは

「その続編である「死者の代弁者」が、「エンダーのゲーム」すら圧倒して面白い、傑作中の傑作であること」

であり、かつ

「続編でありながら、「エンダーのゲーム」と(少なくとも表面的には)まるで方向性が違う作品であること」

です。

 

本当私、これが心から不思議なんですよ。

カードは、何故「エンダーのゲーム」の続編として「死者の代弁者」を書けたんだろう?って。

最終的には通底するテーマがあるとはいえ、ここまではっきりと傾向の違う作品を「一つのシリーズの直接的な続編」として書くというのは、生半可な思考の転換ではないように思います。

 

上述の記事でも書いた通り、「エンダーのゲーム」は「エイリアンと戦う為に切磋琢磨する少年たちの物語」です。

少年たちの群像劇、エンダーという少年の成長譚と英雄譚、そしてバガーという異星生物との戦い。

数多くの謎や様々なトリックをその裏に隠しながらも、物語の構成自体は直線的で、かつ実にスリリングで、それでいて爽快な体験を読者に提供してくれる傑作。それが「エンダーのゲーム」でした。

 

ところが、「死者の代弁者」は、一見するとその「エンダーのゲーム」と殆ど180度違った物語であるように思えます。

少年の成長物語も、異星生物とのスリリングな艦隊戦もそこにはありませんし、その構成自体「エンダーのゲーム」よりずっと複雑です。

 

世界観は確かに「エンダーのゲーム」と繋がっています。

「死者の代弁者」は、「エンダーのゲーム」から三千年未来の世界。

この時代、かつてバガーを滅ぼして地球を救った筈のエンダーは、「異類皆殺し(ゼノサイド)」を行った極悪人として記憶されています。

滅びた種族であるバガー、そして輝かしい功績の陰に様々な負の側面を持ったとある青年について語った二冊の書物が、一部の人々にとってある種の聖典として扱われています。

 

その二冊の書物の著者は、自分のことを「死者の代弁者」と称していました。

それを受けて、死んだ人が語り得なかったことを率直に語るという一種の聖職者として、「死者の代弁者」という職業が出来ていきました。

 

そんな中、銀河各地に領土を広げた人類は、ついにバガーに継ぐ知的生命体である「ピギー」たちに出会います。

ルジタニアという惑星において、「ピギーたちを人類の文化で汚染しない」為の厳格なルールを自ら設けた人類は、手探りの交渉を開始します。

幾重もの制約の上に積み上げられる、異種同士の慎重な接触。ところがある時、ピギーたちは人類側の接触者である異類学者を無惨に殺傷してしまうのです。

死んだ異類学者の「代弁」を求める依頼が、物語の主人公である「死者の代弁者」の元に届きます。

 

物語はここから始まります。

この「死者の代弁者」という作品は、基本的には「謎解きの物語」でして、物語開始以降に提示される数々の謎、その真相に迫っていくミステリーとして構成されています。

 

ピギーは何故、自分たちに対してなんら危害を加えない異類学者を殺したのか。

ピギーたちが時折発する謎めいた言葉の意味は一体なんなのか。

ルジタニアにかつて蔓延していた疫病、「デスコラーダ」とは一体なんだったのか。

 

これ以外にも、劇中様々な謎が新たに現れては読者に解釈を迫り、「これは一体なんなんだ?」という疑問を持つことを強制します。

そして、物語のある段階に達した時、読者は全ての疑問がたった一点に収束していたのだ、ということに気付くのです。

この瞬間のカタルシスこそ、「死者の代弁者」を最高傑作たらしめているものだ、と断言してしまってもいいでしょう。

ただし、「死者の代弁者」の物凄いところは、このお話が実に色々な側面をもっていて、どんな読み方をしても上記のカタルシスを読者に提供してくれることです。

 

つまり、「ゴールは一ヶ所だけれど、そこにたどり着くルートは一本ではない」ということを、こともあろうにSF小説の舞台でやっているんです。これが本当に物凄い。

 

例えば、「人類と異なる知的生命体との接触」という側面。

上述しましたが、「死者の代弁者」では、極めて重要な立ち位置として「ピギー」という知的生命体が登場します。

一見すると直立する子豚のように見えるピギーたち。

無邪気なようで実はしたたかで、友好的なようで時には激しい衝撃を人類社会に与えて、そして分かり合えているようで実は恐ろしく謎めいている。

 

ピギーはSF用語的にはいわゆる「宇宙人」というものに当たるのですが、劇中描写される彼らとの「意思疎通」は、通じているようで、どこかで根本的な違和感、根本的な齟齬が発生しています。

 

先述した「ピギーを文化汚染しない為」という理由の為、学者たちがピギーと接触出来る手段や経路はひどく限られています。

その対話には、「そうか、全くの異類との交渉というのは、こういうことになるのか」という不思議なリアリティがあります。

 

序盤から描写される、ピギーたちとの一見シンプルな、それでいてどこか謎めいた対話。

ピギーたちの不思議な生態。

「限られた方法で、限られた情報しか得られない」という仕組みが、少しずつ謎が提示されていく物語の構成とも合致しています。

それが後半「死者の代弁者」の活躍もあって一気に解き明かされていく展開は、登場人物と同様読者にも「何か破壊的な力で、恐ろしい勢いで目の前が開けていく」という体験を提供してくれます。これを味わう為にこの小説を読んでもいいくらいです。

 

例えば、「狭いコミュニティにおける、複雑に絡み合った様々な人間関係を描いたヒューマンドラマ」という側面。

「死者の代弁者」には、幾つかのコミュニティが存在します。

狭いカトリック教圏であるルジタニアの居住区。

「代弁者」を呼び寄せた異生物学者であるノヴィーニャの一家。居住区の主長であるボスキーニャや、カトリックの主教であるペレグリーノたち居住区の権力者と、もちろんピギーたちを含めた異類とのコミュニティ。

 

特にこの物語の中核となるノヴィーニャの一家は、急死した父親であるマルカンがノヴィーニャに日常的に暴力を振るっていたこともあり、家庭内に様々な問題を抱えています。

ピギーに殺された異類学者だけでなく、この父親についての「代弁」の依頼も発されており、その依頼を出したのは長女のエラ。

「死者の代弁者」がこの一家の人々と近付き、複雑にもつれ合った糸のような関係を解きほぐし、その中から真実を露わにしていく過程にも、謎解きと同様のカタルシスがあります。

例えば、「ルジタニアにおける生物学的な謎の考察をする物語」という側面。

 

前述のエラからも語られるのですが、惑星ルジタニアには、ピギー以外にも様々な不思議な要素があります。

「カーブラ」という家畜が、雌しかいないのに遺伝的な変動を伴った生殖をすること。水蛇が産んだ卵が全て無精で、それなのに水蛇がきちんと繁殖できること。本来埋められていてしかるべき生態的地位が全く埋められていないこと。

 

ルジタニアをかつて襲った恐ろしい疫病である「デスコラーダ」。その治療法を見つけ出し災禍を終焉させたのはノヴィーニャの両親なのですが、そのデスコラーダには、まだ人類が知り得ない様々な秘密があるということも作中で語られます。

この生物学的な謎についても本当に良く出来ていて、読めば読む程「なんでこんな描写が出来るんだ…!?」と絶句させられること大なんですよ。

そして、「英雄譚」という側面。

 

この作品が結局は「エンダー」というキャラクター無しでは成立しないこと、その点では「エンダーのゲーム」も「死者の代弁者」も同じ、「エンダーの英雄譚」である、ということ。

更にその根底には、「コミュニケーションとは何か」「分かり合う為には、結局何が必要なのか」という根本的なテーマが存在しているということ。

エンダーが持っている才能というのは、まさにその「分かり合う」というところにあるのだ、ということ。

それが、読んでいる内に読者にも分かってきます。

 

「死者の代弁者」がどうやってルジタニアの様々な謎に斬り込んで、その謎を解き明かしていくのか。

代弁者はどのような代弁を行って、それがルジタニアのコミュニティにどんな破壊的な影響を及ぼすのか、というのも、読んでいてものすごーーく気持ちいいところです。

「代弁者」と人々の関りや対話も、ピギーと異類学者の対話に劣らず、「様々な謎を解き明かす為の対話」であって、これまたカタルシスがあるんですよ。

 

この「死者の代弁者」という物語、キャラクターの描写も本当に見事でして、数々の名脇役がいるのですが、その中でも個人的にもっともお気に入りなのは、ルジタニアのカトリック司教であるペレグリーノです。

当初は「頑迷な狂信者」の代表格のような描写をされているペレグリーノなのですが、彼自身「代弁者」の代弁を聞いて考えを変えていきます。

このお話、ある側面ではペレグリーノの成長譚という読み方も出来るのではないかと思います。

 

「彼の名はヒューマンです」「そして、あなたの名もそうだ」っていう会話滅茶苦茶好き。

 

あと、「代弁者」がオリャードとウォー・シミュレーションゲームをやって、勝利を確信していたオリャードをこてんぱんにするところも好きです。

戦術眼がオーバーキル過ぎてここだけなろう小説っぽい。

 

これほど左様に、「様々な読み方が出来て、どの読み方でもゴールにたどり着くことが出来て、しかもどの読み方で読んでも物凄く面白くって気持ち良い」というのが「死者の代弁者」という作品の最大の特徴なわけです。

読み始めた当初は「あれ?これが何でエンダーのゲームの続編なんだ…?」と思ってしまう人もいるかも知れませんが、読み終わってみれば「これ以外にエンダーのゲームの続編はあり得ない…!」という考え方に変わっていることは請け合います。

 

最後に一つ、本当一つだけ、この作品で一番好きな一節を引用させてください。

大丈夫、ここだけ読んでも大したネタバレにはなりません。

「<代弁者>」とオウアンダが呼びかけた。「あなたは今、よき人類学的慣行のほぼあらゆるルールを侵犯しつくしてしまったわ」
「どれを侵犯しそこなったかな?」

カードの作品って基本的に真面目で、ユーモラスな部分ってそんなに多くはないんですが、時折見せるこういう会話劇の切れ味が物凄いんですよね。

その辺の味も、是非味わってみて頂けるとと思うばかりです。

 

長々と書いて参りました。

私が書きたかったことをまとめると、

「死者の代弁者マジでめたくそ面白いので、是非「エンダーのゲーム」とセットで読んでみてください、あとエンダーのゲームが気に入った人はエンダーのゲームをビーン視点から補完する「エンダーズ・シャドウ」も滅茶苦茶面白いから読んでねビーンとペトラ好き過ぎる」

ということだけであって、他に言いたいことは特にありません。よろしくお願いします。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

Photo by Mallory Johndrow