『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』(暦本純一著/祥伝社)を読みました。

 

ユーザーインターフェース(機器やソフトウェア、システムなどとその利用者の間で情報をやり取りする仕組み)研究の世界のトップランナーのひとり、暦本純一さんが「新しいアイデアの生み出しかた」について語っておられる本です。

 

マルチタッチシステム、SmartSkin(スマートスキン:スマートフォンの画面を指2本で広げたり狭めたりする技術)を発明したのが著者の暦本さんだということを、僕はこの本を読んではじめて知ったのです。

 

以前、同僚が「うちの2歳の子どもは、iPadの操作に慣れてしまって、紙の本でも指で広げて文字を拡大しようとするんです」と言っていたんですよね。

ああ、いまの子どもたちは、「デジタルネイティブ」なんだなあ。

小学生の頃に「マイコン」が世に出て、「キーボードで押した文字が画面に出る」ことに感動した自分の記憶がよみがえってきました。

 

スマートスキンという発想って、実現されてみると、「誰もが思いつきそうなこと」だったのですが、暦本さんがこれを発明する前までは、画面を拡大したいときには、マウスを操作して拡大していくのが普通だったのです。

 

このスマートスキンの原型は、スマートフォンのようなタッチパネルで操作するモバイル機器以前に開発されたもので、暦本さんはテルミンという楽器からイマジネーションを得たのだそうです。

たとえば私は発明したスマートスキンやマルチタッチの研究、人間拡張のアイデアについて、その発想はどこから得るのかとよく聞かれるが、アイデアの源泉は、いつも「自分」だ。誰に頼まれたわけでもなく、むりやり絞り出したわけでもなく、自分の中から勝手に生まれてくるのだ。そう、それは「妄想」である。妄想から始まるのだ。

我々は、現在の延長で物を考えがちである。妄想は、今あるものを飛び越えて生まれるものであり、だからこそ「新しい」。いや、何かを妄想しているとき、最初からそれが新しい発想だと自分でもわかっていないかもしれないのだ。むしろ「なんでこうなっていないんだろう」「こっちのほうが自然じゃないだろうか」と漠然と思っているだけで通り過ぎてしまう場合も多い。だから、妄想によって「新しいことを生み出す」には、思考のフレームを意識して外したり、新しいアイデアを形にし、伝えたりするためのちょっとしたコツが必要だ。頭の中の妄想を、手で思考するのだ。

著者は、「アイデアを思い浮かべる」だけではなくて、なるべくすぐに手を動かして、それを形にしようとしているのです。

スマートスキンについても、学会発表の際に、論文だけでなく、それを実際にやることができるハードも自作しています。

 

この本のなかでは、何度も「イノベーションのスタート地点には、必ずしも解決すべき課題があるとはかぎらない」と述べられています。

 

ある問題がすでに存在している、「課題解決型」のイノベーションというのは、世の中に必要なものではありますが、その着地点は「想定内」におさまってしまうことが多いのです。

それに対して、「何の役に立つかわからないけれど、こんなことができると面白そう」という発想が「妄想」であり、そこから生まれたものが、後に世界を変えることもあるのです。

私がスマートスキンを開発した2001年の時点で、2007年のiPhone誕生を予測した人はいなかった。わずか6年後の未来さえ、予測不能だったわけだ。
未来の予測ができなければ、当然、「どんな課題を解決すべきか」もわからない。「やるべきこと」が見えないのだから、課題解決型の真面目なやり方だけでは、予測不能な未来に対応するイノベーションを起こすことはできないだろう。

逆に、自分の「面白い」から始まる非真面目な行動原理は、最初は何の役に立つかわからなくても、それが役に立つような未来を切り拓いてしまうことがある。ある発明によって、誰も予想もしなかった楽しさや利便性が生まれるケースは少なくない。
これは、私のやっているような技術開発だけではないと思う。
どんな仕事でも、常に新しいアイデアは求められるだろう。

僕も半世紀近く生きてきて、AI(人工知能)やロボットの進化をみてきました。

いまや、人間が機械よりも優れているところは「最初のアイデアを思いつくところ」だけではないか、と感じるのです。

 

将棋の世界でも、AIの棋力が上がってくるにつれて、終盤の詰将棋では、ほとんどミスをしなくなりました。

AIから学んだ人間の棋士も、勝敗を分けるのは、終盤の攻防から、序盤から前半にいかに有利な状況をつくるか、になってきています。

 

著者はやみくもに「妄想しろ」と言うだけではなくて、この本のなかで、「アイデアの出し方」や「それを形にして、周りに伝えるにはどうすればいいのか」についても、自らの経験を軸に公開しているのです。

私たち研究者は、自分たちの研究対象のことを「クレーム」という言葉で表すことがよくある。日本では苦情や抗議を意味するカタカナ語として定着しているけれど、もともと英語の「claim」は「主張」や「請求」といった意味だ。

知的財産関連では、「特許請求の範囲」のことを「クレーム」という。特許を請求するときに「私の発明として主張するのはここです」とその範囲を明確に書いたものだ。私も特許をしてこれまで山ほどクレームを書いてきた。それと同じようなニュアンスで、「私はこの研究ではここを主張します」という言明のことをクレームという。

クレームで重要なのは短く言い切れることだ。そして、それが本当かどうかが決着できそうなことだ。たとえば、遺伝子研究や、音声認識について、クレームではこんなふうに言い切る。
「DNAは二重螺旋構造をしている」
「口腔内の超音波映像を解析すれば喋っている内容がわかる」
どちらも何を主張しているのかを具体的に言い切っている。そして(少なくともその分野の専門家であれば)それが本当かどうかの決着をつけるための方法も見えてくる。妄想の言語化は、このクレームを書くことから始まる。モヤモヤしているアイデアをひとつのクレームとして表現することで、話が先に進み出す。

(中略)

だから、クレームは一行で書き切るのがベストだ。頭の中ではモヤモヤと無限に広がってしまいそうなアイデアを、できるだけ短い言葉に落とし込む。それをやらないと、思考を整理したことにはならない。モヤモヤの中からクレームとして切り出せるのは何だろうかと考えることそのものがアイデアを洗練させていく。グループで議論しているときでも「この議論の中で、クレームとして切り出せるものはなんだろう」と考える。それが「言語化は思考するためのツール」ということだ。

これは、多くの仕事に共通することだろう。

前章で紹介した「悪魔のように細心に! 天使のように大胆に!」という名言を残した黒澤明監督も、映画の企画を一行で説明することを心がけていたそうだ。
「百姓が侍を七人雇い、襲ってくる山賊と戦い勝利する」
これは『七人の侍』を説明するクレームだ。
「あと六五日で死ぬ男」
こちらは『生きる』だ。そのまま映画のタイトルにしてもいいぐらいの端的さである。
黒澤明監督の名作の数々は、そういう短く具体的なクレームから始まった。それを言い切れた時点で、本人の頭の中では作品が出来上がったも同然だったかもしれない。そこで大まかな道筋が見えれば、あとはそのクレームに肉付けしていけばいい。

「妄想」というモヤモヤとしたアイデアの種は、こうして「言語化」されることによって、実現に近づいていくのです。

この「一行のクレームにする訓練」というのは、「新しい発想」を求められる仕事をしていくために、かなり有用ではないかと思います。

失敗やダメ出しを怖がる人は、そもそもアイデアの実行になかなか着手しない。じつはそれがいちばんの問題だ。

慎重な行動を美徳と考えて「自分は熟考型なんだ」などと思っている人もいるだろう。しかし「石橋を叩いても渡らない」とでも言わんばかりに時間をかけて熟考していると、打席に立つ回数は増えない。「見る前に跳べ」という題名の詩や小説があるが、良いアイデアを思いついたら様子を見ていないで手を動かすことだ。手を動かしていれば、たとえ失敗しても熟考の何倍もの発見があるだろう。

著者は、「GAN(Generative Adversarial Networks=敵対的生成ネットワーク)」を考案したイアン・J・グッドフェローさんの例を挙げています。

グッドフェローは仲間と一緒に夕食をとりながら話をしているうちに、このアイデアをひらめいたという。そして食事を終えると、すぐに思いついたばかりのアイデアを試してみた。まさに、見る前に跳んだわけだ。
そこでなかなか良い結果が出たので、グッドフェローはその翌日にすぐ論文を書いて発表した。そのときの経験を、彼はこんな言葉で表現している。
「99パーセントの霊感と、1パーセントの発汗」
これはエジソンの有名な「発明とは1パーセントの霊感と99パーセントの発汗」をひっくり返した言い方だが、大事なのは、この「発汗」だ。「このアイデアは面白そうだけど、本当にうまくいくだろうか」などと、じっと熟考するのではない。ダメ元でもいいのでまず手を動かしてみる。実際、1パーセントの発汗でも先延ばしにしてやらない人は多い。そこで慎重に熟考していたら、せっかくの霊感も鮮度を失ってしまったかもしれない。

僕自身「石橋を叩いて、あれこれリスク要因を見つけ出して、結局渡らない」タイプだけに、この話は身につまされました。

良い研究者というのは、論文を書くことや実験を始めることに関しては、本当に「手が早い」人ばかりです。

 

この本、「役に立つ話」だけじゃなくて、著者がいま行っている面白い実験の数々(ある人の顔が映ったディスプレイを「お面」としてかぶって、「その人」として役場に手続きに行ったら、職員にどんな対応をされたか、なんて、結果を知りたくなりませんか?)や、「人間と機械の境界が曖昧になってきている世界」への探求心など、著者の「妄想」も満載なのです。

読みながら、「面白いなあ、これ!」と、僕の「SF魂」みたいなものが疼きまくりでした。

 

ここまで読んで、少しでも「面白そうだな」と思ったら、ぜひ、手にとって(Kindleでダウンロードして)みてください。

おすすめです。

 

 

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【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

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