現世と冥府の境目のような場所が存在する。
島根県松江市、その少し外れにある東出雲町という地域に黄泉比良坂(よもつひらさか)と呼ばれる場所が存在する。
日本神話において現世と黄泉との境目にあると語り継がれている場所だ。
イザナギは亡くなったイザナミに会いに黄泉の国へ行く。
イザナギはイザナミを連れて帰ろうとするが、そこで醜く腐乱した彼女の姿を見て怯んでしまう。
それに怒ったイザナミは様々な追っ手を差し向け、最終的には自分自身もイザナギを追いかけるが、黄泉比良坂まで逃げ延びたイザナギは千引の石(ちびきのいし)を置いて道を塞いだ。
その場所が黄泉比良坂だ。
現在でもこの坂は残り、千引の石とされる巨石もそこに残っている。
イザナミを祀る揖夜神社も存在する。
島根県にお立ち寄りの際は是非とも見に行って欲しい。
さて、この世は明確に差異が存在する世界だ。
まるでこの世とあの世のように明確に異なる世界が隣り合う場所がある。
その狭間に、黄泉比良坂のような境界の世界が存在するのだ。
今日はそんなお話だ。
長崎県佐世保市、ハウステンボス。
ここにも現世と冥府の境目のような場所が存在する。
ハウステンボスとは、単独のテーマパークとしては日本最大の敷地面積を誇る場所である。
オランダの街並みを再現した一大リゾートだ。園内にはオランダ風の建物が並び、綺麗な花で彩られている。
中にはリゾートホテルや別荘も建ち並んでおり、一日では歩ききれない広さがある。
そのテーマパークの入場ゲート近く、入場してしばらく歩いた場所にひときわ目立つ建物がある。
そう、ここには俺たちのハズレ馬券で建立されたJRA場外馬券売り場、ウィンズ佐世保があるのだ。
立派なお城のようなどでかい建物で、それだけでもかなり目立つのに、燦然と輝く「JRA」の文字に、ハウステンボスを初めて訪れたお父さんなどは、なんでこんなところにJRAが? 競馬ってオランダと関係あったっけ? と困惑することとなる。
やはりテーマパークと競馬が繋がらないのだ。
このウィンズ佐世保、明らかにハウステンボスに溶け込む形で存在しており、建物のデザインも景観に配慮され、ハウステンボスのイメージを損なわないようになっている。
ハウステンボスの一部なのでは? と考えてしまうが、現在ではハウステンボスとウィンズの間での行き来はできないようになっている。
つまり別個の存在なのだ。
強固な柵に阻まれており、あくまでもハウステンボスの客はハウステンボスの客、ウィンズの客はウィンズの客と、明確な住み分けができているわけだ。
ファミリーでハウステンボスを訪れ、子どもの歓声を聞きながら花を愛でたり観覧車に乗ったり、少し割高なご飯を食べたり、そういった休日スタイルが展開される一方で、柵の向こうでは「そのままー!」「ヨシトミー!」「審議! 審議! いまの審議だろ!」と叫ぶおっさんたちが群れを成している。
これは明らかに現世と冥府レベルの差異だと思う。
どちらが冥府だなんて僕の口からはとても言えないが、明らかに差異が存在するのだ。
さて、問題は黄泉比良坂である。
この明確に差異が存在する場所にも、黄泉比良坂のような境界の場所が存在する。
現世と冥府の境目となる場所だ。
それがここだ。
俺たちのハズレ馬券で建立されたお城のような立派な場外馬券場の建物、その一角にひっそりと小部屋が存在する。
まるで売店のようなスペースだが、ウィンズ内からはまったくアクセスできなくなっている。
実はこの小部屋だけはハウステンボス内からアクセスできるようになっているのだ。
建物内は撮影禁止なので画像を用意することができなかったが、この小部屋の中は6畳ほどのスペースとなっており、中に3台の馬券発売機を備えている。
つまり、馬券を買えてしまうわけだ。
現在はコロナ禍の影響で休止しているが、部屋の中には数台のモニタが備えられており、抜群の臨場感でレース観戦することができる。
つまり、6畳ほどの小さなウィンズがそこにあり、ハウステンボスから入場できるのだ。これはじつに面白い存在だ。
この6畳の部屋はまさに黄泉比良坂だ。
どちらが黄泉の国とは僕の口からはとても言えないが、競馬もハウステンボスも、どちらも楽しめる場所になっているわけで、まさにこの世とあの世の境界だ。
ここをハウステンボス側から眺めていると、面白いことに気が付く。
ハウステンボスを訪れるファミリーに対しても競馬の引きがなかなか良いのだ。
昨今は、スマホアプリゲームの影響もあって競馬ファン人口が増加していると聞く。その影響もあるのだろう。
「うわ、JRAの建物がある。でけー」
「競馬もあるんだー」
「でもこっちからは入れないみたいよ。完全に別の施設なんだね」
「あ、でもここからだけ入れるみたい。なんか馬券を売っている部屋があるよ」
「天皇賞って書いてある」
だいたい、どのファミリーもこの流れになる。
まず立派なお城のようなJRAの建物(俺たちのハズレ馬券)に目がいき、入れるのかな? 入れないや、あっ、でもなんか入れそうな場所がある、と小部屋の存在に気が付く。
ここまでくると、さらに何割かの家庭もしくはグループ内においてある現象が見られるようになる。
それが突如として競馬ファンになる、というやつだ。
「馬券を買えるみたいだよ! パパ、競馬好きでしょ、買わなくていいの?」
みたいな、やや冗談めかした展開になる。
パパの方もそれを受けてまんざらではない。
「やべー、今日、天皇賞じゃん。馬券を買わないと」
みたいになる。
家庭内でなくとも、ある程度の若者グループでも、一番のお調子者みたいなヤツがそうなる。
「たっつん、競馬好きじゃん、馬券を買わなくてもいいの?」
「やべーやべー、俺、競馬に狂ってるからさ、ちょっと買ってくるわ」
「もうたっつんったら!」
「よっ! 競馬狂い!」
みたいな流れになる。
この小部屋の前ではこんなやり取りが何度となく展開される。
僕はそれを「突如として競馬ファンになる」と表現させていただいた。
それはどういうことか。
奇しくも、この日は春のビッグレースである「天皇賞(春)」が開催される日だった。
狂っているレベルの競馬ファンならこんな日にハウステンボスには来ないし、家で身を清めてから観戦している。
ある程度のファンであっても僕のように事前にネット購入を済ませているはずで、ここにきて「やべ、馬券、買ってない」となる可能性はかなり低い。
そこそこの競馬ファンで、まあ売っているなら買おうか、みたいになるのなら理解できるけど、なぜかそこで「俺、競馬に狂ってるから」と豹変する人が多い。
突如としてディープなファンになるのだ。
ハウステンボスに来てまで競馬を忘れられない業の深い人になるのだ。
この境界にある小部屋はそんなふうに人を豹変させる魔性の力みたいなものがある。
やはり、ハウステンボスまで来てこの小部屋で馬券を買うなんて、かなりの競馬狂いに思われるが、もう既にそういった時代ではない。
ガチめの人はネット購入しているか、最初からウィンズの方に行く。
つまり、ここに来る人は比較的にライト層なのだ。
そう考えながら問題の小部屋に近づく。
入り口では緑の制服を着たJRAの人が暇そうに佇んでいた。
やはり人はいない。この境目の小部屋にはガチな人などいないのだ。
そりゃあ、みんな高い入場料を払ってハウステンボスに来たのだ。
ちょろっと馬券を買う程度ならわかるけど、ガチめに陣取る人などいない。
そりゃ暇にもなるさ。そう思いながら小部屋に入った。
「いけー! そのままー!」
めちゃくちゃガチめのおっさんがいた。
レース放映はされていないが、ラジオでレース中継を聴いているのだろう、耳にイヤホンをつけて叫んでいた。
手には九スポ(東スポの九州版)をもっており、見たこともない球団のマークが入った帽子をかぶっていた。
ってか、この人はここにいるってことは九スポを持ってハウステンボスに入ってきたのか。
おっさんは僕の姿を確認すると、ギラリとした鋭い眼光で射抜くようにこちらを凝視した。
その視線がまるでレーザービームかのように感じられた。
なんか動物的な直感で「絡まれそう!」と怖くなった。
基本的に、競馬狂のおっさんは話が長い傾向にある。
特に血統の話から入り始めたらかなりの覚悟が必要となる。絶対に絡まれてはならないのだ。
僕は既にネットで馬券を購入済みで別に馬券を買いたかったわけではない。
なんかガチのおっさんいるな、絡まれそう、怖いわ、と思って踵を返し、小部屋から離れると、このおっさんわざわざ僕のことを追いかけてきた。
ちょっと離れた場所でついに捕まり、競馬談義を交わすこととなってしまった。
「おい、天皇賞か?」
「はい、まあ」
なんとなくネットで購入済みみたいなことを言い出せなくなってしまった。
「予想を聞かせろ」
なぜかおっさんは、けっこう偉そうな感じだった。
おそらくではあるけど、誰かと競馬の話をしたかったんじゃないだろうか。
あと、血統の話ではなさそうなので安心した。
「カレンブーケドールですけど」
僕の大本命はGI勝ちの実績こそないものの、そろそろ勝ってもいいんじゃないというカレンブーケドール、5歳牝馬だった。
それを聞いたおっさんは激怒した。
「ふざけるなー! 天皇賞春は3200mの長距離戦ぞ、消耗戦ぞ、牝馬には厳しい。現に68年間、牝馬勝利のデータはない」
めちゃくちゃ感情的に怒ったかと思えば、けっこうデータを重視していてなんか笑ってしまった。
「天皇賞よりさ、東京8レース、一緒にやらないか。俺のおススメする穴馬がいるんだよ」
おっさん、どうやら一緒に競馬をやる仲間が欲しかったようで、しきりに誘ってくる。
そんなに仲間が欲しいならウィンズ本体の方に行けばいいのに、なぜかこちら側にいるのだ。
「いや、いいですよ。天皇賞ももうネットで買っていますし、わざわざ8レースまで買わないですよ」
と断るのだけど、おっさんは追いすがってくる。
「絶対に儲かるから」
「絶対に当たるから」
と、なかなかのしつこさだった。なにがそこまで彼を駆り立てるのか。
挙句の果てには親指を立てて、
「チャンスだぜ!」
そんな、絶対にそこまでチャンスじゃないパチンコのステップアップ予告みたいに言われても困る。
よほど一緒に競馬をやりたいのか、なんとか断っても、けっこうしつこく追いすがってくるので、でかい石でもあったらそれで進路を塞いでやりたいと思ったほどだった。
おっさんは最後まで「いいか東京8レースだぞ」と去り行く僕の背中に語り掛けていた。
競馬談義をしようという、おっさんの申し出を拒絶した時、僕はなんとなくだけど、この小部屋の存在意義が分かったような気がした。
この小部屋は、ハウステンボスを訪れた客に馬券も買ってもらいましょう、というものではない気がするのだ。
いや、もちろん、JRAやハウステンボスからしたらそうなんだろうけど、それとは別に意図しない形でこの部屋の存在意義が生まれている。
境界とは、自己の確立である。
現実的かつ大きな単位での境界を考えると、まず「国境」が思い浮かぶ。
国境とは人間が決めた取り決めであり、別にそこに線が引かれているわけではない。
ただし、その国境を定めた瞬間に、その内側に「国」という概念が生じる。
これは県境でも同じことだし、市の境でも同じだ。
所有する土地の境界でも、それこそ自分の部屋という概念でも同じで、最終的には自分と他人を隔てる皮膚や自己意識といったレベルまで落とし込まれる。
いずれも、そこに境界を設定することでその内側を確立させる。
ここからは他者が入っていい領域ではないと自分で設定することで、自分を確立させるのだ。
冒頭で述べた、黄泉比良坂のエピソードは、この世とあの世の境界として黄泉比良坂が登場するが、実は黄泉比良坂は明確な境界ではない。
この話における真の境界は、イザナギが、醜く腐ったイザナミを見て拒絶したところにある。
黄泉比良坂という境界の場所でそう感じたことに意味がある。
そのとき、生きる者と死んだ者の明確な境界が生まれ、イザナギは生きる者として強烈に自己を確立し、逃げるという選択をした。
このウィンズ佐世保にある小部屋、ハウステンボス側からウィンズに入れるようになっているが、ウィンズ側からハウステンボスに入れるようにはなっていない。
この曖昧な小部屋はハウステンボス側からしか意識できない。
そこに大きな意味が生まれている。
つまり、ハウステンボスを訪れた客が、この小部屋を訪れることによって少しだけ競馬を意識する。
そこで明確に境界を意識するのだ。
競馬とハウステンボスは違うんだ、と、その意識は内側に向かう。
つまり、ハウステンボスにいることを強烈に意識するのだ。
だから、訪れた人が競馬している場合じゃねえ、入場料払っているんだしハウステンボスを楽しまないと、となるため、この小部屋に居つく人は少なく、ほとんど人がいないのではないだろうか。
だから僕もおっさんとの競馬談義を拒絶した。
この小部屋にはハウステンボスに帰属させる意味があるのだ。
我々はいま、空前の正解なき世界を生きている。
感染防止を優先するのか、経済を優先するのか、マスクなんて意味ない、マスク警察、ワクチンは、五輪は、その自粛に意味はあるのか、どうしてこの業界だけ助けるのか、行動制限、どうして我々だけが、そんな多くの問題と混乱は、明確な正解と指針がないことによって引き起こされている。
正解なき問題が数多く混在すると、その選択肢ごとに境界が存在することになる。
そして、その境界はその内側にいる自己を強く認識させる。
あまりにそれらが多すぎて強固になりすぎた自己認識は、他者への不寛容、強烈な攻撃性を引き起こすのではないだろうか。
そんなケースがあまりに多すぎる。
このような状況において、あちこちに千引の石を置き「俺こそが正しい、他は間違っている」と境界線の向こう側を攻撃することにそこまで意味はないのかもしれない。
このハウステンボスとウィンズの狭間にある小部屋のように、どちらでもない曖昧な状況を知り、その上で境界線とのその内側の自己を意識することこそが、この正解なき世界では大切なのかもしれない。
境界の向こう側は異世界なんかじゃなく、誰かにとっての内側なのだ。
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著者名:pato
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