とても面白い本を読んだので紹介しよう。
『闇の脳科学「完全な人間」をつくる』だ。
本書は脳に電極を突き刺し、電気で刺激を与える治療の創始者であるロバート・ヒースの生い立ちを追ったものである。
「脳に電極を突き刺す」だなんて…いかにもマッド・サイエンティスト的だが、実はこの深部脳刺激(DBS)という治療はいま現在最もホットな治療法として注目を集めているものだ。
今まで治療法が無かった精神疾患や神経疾患に対して抜群の効果があるとの事でかなり真剣に協議されているのだという。
本書の主人公ともいえるロバート・ヒースがこの治療法を始めたのは今から60年近く前の1950年代だ。
そしてその治療内容が実に凄い。
何が凄いって治療を通じて人間の人格すら変革させているのである。
多くの読者は冒頭に出てくる”治療された”同性愛者の姿をみてぶったまげるだろう。
同性愛者に深部脳刺激(DBS)を用いて治療すると、なんと異性愛を目覚めたというのである。
脳に電極をぶっ刺して刺激すれば、人間は性的嗜好すら変えられるのである。
これを驚異といわずしてなんといえよう。
快楽で人を”正しく”導くことができる
深部脳刺激(DBS)の効果は色々だ。
重度のうつ病に陥ってしまい精神が深い闇の中にある患者が”喜び”を取り戻したり、統合失調症という現代でも治療の難しい病気に対して一定の効果を示したりと、実に衝撃的な結果を示している。
この本の中で興味深いのは深部脳刺激(DBS)による刺激でもたらすモノの目的が2つある点だ。
同じ脳に電極をぶっ刺す行いでも刺激でもって何を想起させるのかが少しだけ異なっており、そのほんの少しの差異が人間の本質をよりくっきりと炙り出している。
その2つとは快楽とリセットだ。
あるグループは深部脳刺激(DBS)で被験者に”快楽”を与える。
それにより、脳に正しい動機付けを行い、何をすれば気持ち良くなれるのかでもって脳の”誤った”思考を修正できるように導こうとする。
冒頭にあげた同性愛者を異性愛者へと導いた治療はこの手順を用いて行われたもので、異性の裸体をみて”欲情”するように導く事で同性愛者を異性愛に目覚めさせる事に成功させていた。
これが一時的な”治療”なのか永続的に効果を示すものなのかは追跡調査がされていないのでわからないけれど、この記述を読むだけでなんていうか色々と壮絶である。
あなたも私も、脳に電極を刺され快楽でもって導かれたら、色々なものに”目覚めて”しまう可能性があるのである。
パブロフの犬という有名な条件反射の実験があるけれど、人間にとって快楽というのは「それをすれば気持ちよくなれる」≒「自分が進むべき道を明るく照らし出してくれる灯火」として機能するのだろう。
欠点こそがその人の魅力なのかもしれない
その一方で、深部脳刺激(DBS)を用いて脳をフラットな状態に戻す事を目的とするグループもいる。
この手法を用いると、いわゆる脳の暴走状態が取り除かれて、脳がニュートラルなスタンスへと立ち返るらしい。
こちらもうつ病やADHDといったもので一定の治療効果がでているのだという。
この治療を行っているヘレン・メイバークという医師はこう言う。
「私は患者たちを苦痛から解放し、病気の進行を阻止します。落ち込んでいる穴から患者を引っ張り上げ、マイナス十の状態からゼロに戻します。」
「でも、そこからは患者自身の責任なのです。治療によって患者は自分自身の人生に目覚め、そのとき自分は何者なのかという問題に目覚めるのです」
こちらの治療は特にデメリットもなさそうで非常に魅力的な話に聞こえる。
マイナスがフラットになるんだから、素晴らしいことじゃないかと。
だが、面白い事に治療後に自我が変わる人も一定数いるそうだ。
ある人は治療前の病気であった頃の自分の個性を”好み”、またある人は治療後の自分の個性を望ましく思うという。
つまり、病気ですら自分の個性のうちの一つであり、治療によってその根幹は揺るぐのだ。
私達の個性というのは非常に不確かでファジーなものだけど、得意な事も不得意なものも単純なメリット・デメリットでもって区別できるようなものではないのかもしれない。
高須クリニックで有名な美容外科医・高須克弥氏は「欠損があるから人は人を愛する事ができる」と言っていたが、不得意というのもある意味ではその人の魅力につながる何かなのだろう。
それは正に整形後の自分の顔と整形前の自分の顔でのアイデンティティの違いみたいなものなのかもしれない。
病気は治って日常社会により適応できるようにはなったけど、好きだった自分の魅力がなくなってしまう事をあなたは受け入れられるだろうか?
いやはや、やはりこの治療は一筋縄ではいきそうにはない。
ロバート・ヒースという稀代なる魅力的人物
この本は深部脳刺激(DBS)療法についてのわかりやすい一般向けの解説書ともいえるのだけど、それに加えてもう一つの観点がある。
それがこの治療の創始者でもあるロバート・ヒースという人物がどういった人間なのかについてだ。
いくらやってのけた事がマッド・サイエンティスト的だとはいえだ。
現代の医療ですら治療できない病を1950年代に既に治療していたのだから、その業績が再評価されていてもおかしくはないのに、なんとこのロバート・ヒースのやった業績は現代医学でほとんど”無かった”ことにされていたのだという。
実際、この本の筆者が様々な深部脳刺激(DBS)の学会などに出かけてロバート・ヒースの名前を尋ねても、ほとんどの人がヒースの事を知らなかったという。
ヒース自身についての情報もほとんど”無かった”ことにされており、その隠されたヒース像に筆者が迫っていく記述は迫真に満ちている。
いったい何故ヒースの業績はここまで”無かった”ことにされているのか。
それを追い求める過程で徐々に明らかになるヒースという人物の魅力や危うさが実に面白い。
筆者自身の意見も「ヒースはやっぱり凄い」という肯定的なものから「やっぱこいつアカンわ!」と否定的にと二転三転し、まるで一流のミステリーを読むかのような面白さがある。
ロバート・ヒースという人物を一言でいえばカリスマだ。
僕自身、おそらくヒースのような人物が目の前にいたら強烈に惹きつけられていただろうし、彼ほどに先見の明がありエネルギッシュで行動的な人物は知らない。
彼という魅力的な人物に出会えるというだけでも、この本を読む価値はある。
深部脳刺激(DBS)に関する記述がオマケに思えるほどにヒースという人物に出会えた事にあなたは感謝するだろう。
快楽は繰り返せない
本についての紹介はこの辺りにしておいて、最後に快楽についての僕の雑感を書いていこうかと思う。
かつて僕は快楽に夢中だった。
快楽の味を知ったのは小学校5年生ぐらいの頃だ。
経緯は置いておくとして僕はその頃あたりで精通を経験した。
多くの人がそうだったとは思うのだけど「こんなものがこの世にあるのか」と相当に衝撃をうけた。
当然というかしばらくの間はその快楽を何度も求めて夢中になるわけだけど、何度も何度も経験するにつれてその悦びのようなものは薄れていった。
その後、人生を積み重ねるにつれて性以外にも色々なものに快楽が宿っているという事を理解した。
名曲に聞き惚れる事で得た恍惚感。
美味しい食事を食べた時に脳が味覚に引っ張られる感覚。
武道で格上の相手に一本を決めて勝った瞬間の時が止まる経験。
この他にも色々あるが、どれもこれも本当に素晴らしい経験だった。
感じている瞬間は間違いなく生の実感のようなものがあったし、そこに人生の意味すら感じ取る事ができた。
快楽はしょせん入り口に過ぎなかった
しかしこれらの快楽にはどれも一つの問題があった。
いずれも一度目が最高で、二度目、三度目は色褪せてしまうのだ。
「気持ちいい」に二度目はなく、同じ刺激を求めても同じやり方では同等以上の愉悦は絶対に得られない。
快楽はとても刹那的なものであり、花火のようにパッと消えて無くなってしまう。
それ自体を目的にするには、あまりにも儚すぎた。
そうして僕は多くの活動に興味を失ってしまったが、それでも上に書いたもののうちのいくつかを僕は未だに継続している。
そして継続する事で強靭なバックボーンが自分の人格に組み込まれていく事を日々実感するようになった。
物事は継続することで快楽以上の何かを個人にもたらす。
何かを継続するという事で得られるものの大きさは快楽の比ではないほどのインパクトがある。
このインパクトが何なのかを言葉では説明しにくいのだが、人格形成への寄与というニュアンスが1番近いように思う。
活動自体が己のアイデンティティとして組み込まれるとでもいえばいいのだろうか。
”何者かになる”という言葉が1番それらしいかもしれない。
若い頃は快楽こそが全ての目的だと思っていたけれど、実は快楽は単なる入り口に過ぎなかった。
性の快楽をキッカケに子供を産み育て親になるというように、人間は快楽という通過儀礼を通り抜けた先を掘り進む事で想像以上に面白い何かを手にする事ができる。
そういう意味では深部脳刺激(DBS)は何にも興味を持てなくなってしまった人に生きる希望を取り戻すといったキッカケ作りにもなりうるのかもしれないなと思う。
冒頭で快楽でもって人の嗜好をコントロールできる事に恐れを抱いた人もいるかもしれないが、ようは使い方の問題だろう。
歳をとったら新しいものに興味を持てなくなってしまったという人も深部脳刺激(DBS)を通じて生きがいのようなものを取り返し、そこから第2の人生を始めるといったような使い道もひょっとしたらありうるのかもしれない。
思うに、快楽とはたぶん祝福なのだ。
偉大なる頂きの最初の入口に立ち、そこを登るための資格を手に入れたというファンファーレが鳴り響いているのが快楽の本質で、そこで喜んでいるようでは奥にあるもっと凄いものに辿り着く事は永遠にない。
その先に広がるもっと凄いモノの正体がしりたかったら…人生を丁寧に真剣にやっていくしかない。
その先には快楽なんて比べ物にならないほどに深い何かがある。
たぶん、それこそが人生をかけて手に入れる価値のある本物の何かなのだ。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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