戦国武将好きなら一番に思い浮かべる人も多いであろう織田信長だが、信長の凄さと言われて一番に何を思いつくだろう。
天下統一に片手を掛けたこと。
海外から最新の情報を仕入れ、時代の最先端を行っていたこと。
楽市楽座などの経済政策・・・
多くのことが思い浮かぶかと思うが、中でも桶狭間の大勝利を一番に挙げる人も多いのではないだろうか。
一応の通説とされているものは、信長軍2~3,000人の兵力で、2万とも3万とも言われる今川義元軍を打ち破ったという戦国最大の大逆転劇だ。
その勇気、決断力、危機にあってのリーダーシップなど、多くの人が信長の凄さを語る上での定番になっている出来事である。
確かに、2,000~3,000の兵力で10倍の敵を打ち破ったのは凄いことだろう。
どうしようもない状況に心折れず、最後まで諦めず戦った姿勢もとても素晴らしいことだ。
しかしだからこそ、この戦いは信長本人にとっては、実は人生でもっとも恥ずべき戦いの一つになっていたと考えている。
それはどういうことか。
「踏んだり蹴ったり」の思い出を聞いてほしい
話は変わるが、私は中学高校と、とても「運が悪い」少年時代を過ごした。
特に思い出深いのは、中学と高校の部活の引退試合だ。
中学3年生の時、円盤投げの選手であった私は引退試合を前に、戦い方を悩んでいた。
円盤投げは通常、3回の試技で予選が行われ、上位8人が決勝に進みもう3回、投げることができる。
そして上位に入った3名が、その上の大会に進むことができる仕組みだ。
この際、私の実力では決勝に残るのがやっとだった。
但し、成功率10%程度の必殺技が決まれば、決勝どころか近畿大会に進めるかも知れない奥の手を隠し持っていた。
その必殺技とは、「秘技・フルターン投法」である。
円盤投げには3つの投げ方がある。
通常、中学生レベルで一般に使われるのは、腕の力と腰のひねりだけで投げる「立ち投げ」だ。
野球の横投げのように、横に振りかぶって投げるシンプルな投法である。
それに対しフルターン投法はオリンピックなどでよく見られる投げ方で、サークルの中で1回転半のターンを付けて遠心力で投げる。
言うまでもなく、腕力に腰のひねり+遠心力が加わるので、圧倒的に飛距離が伸びる。
但し、習得が非常に難しく、今はどうか知らないが当時は中学生で使っている選手などいなかった。
本来の自分の実力では、とても勝つことなどできない。
であれば、一か八かフルターン投法だ!
そう決めた私は、本番1ヶ月前くらいから付け焼き刃でフルターン投法の練習を始めた。
その結果、10本に1本くらいの成功率で前に飛ぶようになり、なおかつ余裕で自己ベストを更新できてしまったのだった。
この状況で迎えた大会当日、私には2つの選択肢があった。
3本のうち1本は立ち投げで記録を残し、残り2本でターン投法に挑むか。
もしくは記録無し(失格)覚悟で、3本ともターン投法で投げるかである。
ただでさえ成功率が低く、3本投げて1本前に飛ぶかどうかなので悩みどころだ。
そして始まった試技。
1本目・・・ターン投法で投げ、真横にぶつけて失格。
2本目・・・ターン投法で投げ、勢い余ってサークルを飛び出し失格。
予想以上に酷い。というか、緊張で体が動かない。
この状況に、3本目を前にさすがに悩んだ。
3年間の集大成が記録無しなんて、あまりに辛い・・・どうするか。
いや待て、日和るな。ここで立ち投げで平凡な記録を残して、満足なのか?
敗けていい思い出を作るために、俺はやってるんじゃない・・・!
そう決めてゲートに入ると、私は3本目も堂々と、フルターン投法のポジションに立った。
心なしか、私の決断に審判員が驚いた顔をしている。
他の選手も「マジか・・・」と言いたげにこっちを見ている。
私はゆっくり深呼吸をしながら、気合を入れるためにハチマキに手を当てた。
他の選手や審判の顔を見る余裕が、今の自分にはある。大丈夫だ。
次は、必ず前に飛ぶ。そして俺は、近畿大会に行ける・・・!
そう信じ、ターンを開始して足がもつれて転んだ。
こうして、私の3年間は終わった・・・。
ゲートを出る時、審判員のオッサンが私の目を見てもう一度、赤旗(失格)をピラピラっと振って見せた。
苦笑いをしながら。
なんて運が悪いんだ。
この世には神様なんていないし、努力なんて無意味なんだ。
さらに高校の引退試合の時の話だ。この時の運の悪さはもっと酷い。
私は短距離の選手に転じており、専門は400mH(ハードル)だった。
地区予選は順調に通過したものの、府の予選はさすがに壁が厚く、今のままでは敗退は見えていた。
しかしせめて、準決勝くらいには残って盛り上がったレースで引退を迎えたい。
陸上では、決勝はもちろん盛り上がるが準決勝も、決勝のレーンが決まるレースなのでかなり盛り上がるのだ。
そのため、残り1ヶ月でなんとか1秒、タイムを縮められないか悩んでいた。
そして一つの答えに行き着いた。「秘技・両足踏み切り」である。
もはや嫌な予感しかしないだろうが、もう少しお付き合い願いたい。
ハードル選手は通常、利き足というものを持っている。
利き足は踏み切る方の足で、その逆が振り上げる方の足だ。
これはお箸の右持ち左持ちと同じようなもので、両利きの選手はなかなかいない。
そして400mHでは通常、一流選手はハードル間を13歩で疾走し、バテる後半を15歩に切り返る。
私を含む一流とは言えない選手は15歩で、後半は17歩だ。
この際、なぜ奇数かと言えば、利き足で踏み切るためである。偶数歩になると足が逆になってしまうので、奇数しか選択肢がないのだ。
するとこの際、17歩に切り替える時に、必ず詰まってしまうという問題が発生する。
15歩では届かないが、17歩ほどはバテていないハードルを越える際、「チョコチョコ走り」で歩幅を調整する必要があるためだ。
当然のことながら、短距離走でチョコチョコ走りなど入れると、無視できないほどの大きなタイムロスになる。
逆に言えばこの際、切替時に「16歩」、つまり利き足とは逆の足で踏み切ることができれば、この詰まりを解消でき、大幅なタイムの短縮が見込めるという理屈だ。
さらにこの時、友人の両足ハードラーから、「俺の場合、両足踏み切りを習得して1.5秒縮んだ」と聞かされた。
「もはや、最後の手段はこれしかない・・・!」
そして私は、引退試合の1ヶ月前から両足踏み切りの練習を開始し、大会2週間前に逆足で転んで足の骨を折った・・・。
しかしそれでも諦めきれない私は、ギプスで固められた足を擦りながらかかりつけ医に必死になって訴えた。
「先生!引退試合を失格どころか棄権なんて、辛すぎます!大会当日の朝、ギプスを外して痛み止めの注射を射ってくれませんか?」
「桃野くんねえ・・・オリンピックの決勝なら100歩譲って考えるよ?でも君、準決勝に行きたくてそんなことするの?しかも府の予選で(苦笑)」
「・・・」
「そんなことして、骨に一生の異常が残るようなことできるわけ無いでしょ。はい却下。次は2週間後に来てね。」
こうして私の引退試合は、棄権という形で幕を閉じた。
なんて運が悪いんだ。
この世には神様なんていないし、努力なんて無意味なんだ。
「奇跡の勝利」を信じてはいけない
話は冒頭の、信長の桶狭間の戦いについてだ。
私は信長の凄さを一つ挙げろと言われたら、桶狭間の戦いを成功体験ではなく失敗の教訓として学習したことだと思っている。
それはどういうことか。
桶狭間以降の信長の戦略は常に、「勝てる戦しかしない」というスタイルを貫いている。
別の言い方をすれば、「必勝の環境が整うまでは、ひたすら耐える」というスタイルだ。
政略を仕掛け、同盟を結び、兵力を蓄え、勝てる環境が整って初めて戦争を仕掛けている。
たったの一度も、桶狭間のように「10回やったら9回は敗ける」ような戦いに、家運を委ねてなどいない。
だから信長は、桶狭間の戦いを失敗の教訓として恥じていたのではないかと考えているということだ。
戦争は力自慢の武術大会でもなく、次がある格闘技の試合でもない。
やるからには必ず勝たなければならず、勝てなければどんな手段を使ってでも避けなければならない。
それがリーダーの仕事というものだ。
そのリアリズムにこそ、信長の凄さがある。
翻ってみて、学校教育の歴史で教える信長像はどうだろうか。
「桶狭間の凄さ」など、果たして教える価値があるだろうか。
むしろ、ポルトガルの宣教師を取り込んだ目的とその効果、他の大名がそれをできなかった理由。
楽市楽座の経済効果と領域のGDPの伸び、そして兵力との関係。
その結果としての、信長の戦略の変化と版図拡大の時系列の方が、よほど学習価値が高いのではないだろうか。
にも関わらず、歴史の教科書には桶狭間の奇跡の勝利、楠木正成の赤坂城の戦い、源義経の一ノ谷の戦いなど、「奇跡の勝利」ばかりが踊る。
なおかつこれらの話には多くの創作要素があり、史実として学ぶ価値があるのかも怪しい。
このような教育の影響を受けてしまえば、中二病を発症して「無茶をしてチャレンジする俺カッコイイ!」となってしまうに決まっているではないか。
そして私はそんな教育を真に受け、すっ転び、骨を折ってしまったのである。
言うまでもなく、運が悪かったのではなく、頭が悪かったというだけだ。
歴史から学ぶべきは、
・正しい選択と努力をすること
・間違った選択と努力は、間違った結果にしか繋がらないこと
・奇跡の勝利は再現性が低く、真に受けてはいけないこと
ということではないのかと、声を大にして言いたい。
しかしその上で、江戸四大剣術のひとつ、心形刀流の第10代師範・伊庭想太郎は
「万策尽きて窮地に追い込まれたら、一瞬も迷わず捨て身の行動に出よ。それがわが流派の極意だ」
と門下生に説いている。
この考えは、今も私の行動指針の一つになっている。
結局、頭の悪さはオッサンになっても治らなかった。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
六花亭のバターサンドと言えば、昔は全く美味しいと思わない有名菓子の定番でした。
しかし今では、アソートボックスを頂いたらバターサンドから食べてしまいます。
味覚の変化で、オッサンになったことを感じる今日この頃です。
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