新型コロナウイルス感染症が世にはびこって二年以上の歳月が流れ、仕事の方法もツールも大きく変わった。

パンデミックは多くの人を苦しめると同時に、リモートワークやリモート学習といった、平時にはなかなか普及しなかったものを爆発的に普及させた。

 

私も御多分に漏れず、この二年ほどzoomやskypeなどを使い続けているのだけど、あまり上手く使いこなせているとは言えない。

いや、今年のはじめ頃までは、「もうリモート会議とかリモート打ち合わせなんて何度もやっているんだから平気でしょ」とおごり高ぶっていたのだけど、実はそうではなかったと痛感せざるを得ないことを経験してしまったのだ。

 

今日は、その「実はzoomの勝手がわかっていなかった」話と、それを緩和する工夫ができている人の話をする。

 

1.いきなりzoomで生放送についていけなかった件について

先日、あるテレビ局から「zoomで生放送の番組に出て欲しい」とご依頼をいただき出演してきた。

連絡をくださった番組ディレクターの方はたいへん折り目正しく、詳しく事前にヒアリングをして、番組出演の段どりについても資料を送ってくださっていた。

 

これまでテレビやラジオに何度か出て、生放送も割と経験できていたつもりの私は、「これならきっと、番組のお役に立てるに違いない」と上手く出演できることを半ば確信していた。

念のため手許にはアンチョコを準備し、自分が何を喋るべきか、事前におさらいもしていた。

 

にもかかわらず、当日の生放送は良くなかった。

まず私は、オンエアーの前から妙に落ち着かない状態になっていた。アンチョコを確認しても頭に入ってこない。

しかも悪いことに、番組の進行が押していたせいで、アシスタントの方からzoomのスタートを告げる電話連絡が2~3分ほど来なかった。

これらの結果として、私はますます不安になってしまっていたように思う。

 

でもって、いきなり番組出演。

スタジオの芸能人さん達の会話のなかで、私は急に紹介され、やがてコメントを求められた。

このときの私のコメントは事前打ち合わせにあったコメントの勘所を少し外していた。

その瞬間、出演者サイドの顔に「ヤバい」というシグナルが点灯したのを私は確かに見た。

 

いや、正確には「見たと感じた」と訂正すべきか。

zoom越しに見た限り、スタジオサイドは、この熊代というメンタルヘルスの専門家には番組を不安定にするリスクがあると判断し、生放送という繊細なコンテンツを安定させるために警戒し始めているようにみえた。

 

実際にはそれ以外にもさまざまな思惑があったのかもしれない。

けれども、私のzoom越しに見えるスタジオはそのように見えたし、zoom越しにはそれ以上のことがうまく見えなかったのである。

 

結局私は、生放送の間じゅう、足の裏に汗をかいた泥人形のごとき状態になってしまった。

何か喋らなければと思ってもコメントできる機会が少ないことに焦り、そのくせ、実際に自分にコメントが回ってきても、やはりそのことに焦り、自分の言いたいこと・言うべきことが十分に言えなかった。

声が少し甲高くなり、話し方が早口にもなっていた。

 

スタジオ出演者サイドを盛り上げるためではなく、スタジオ出演者サイドに助けられたという感触が残った。

反省しなければと思った。

 

2.そうか、zoomはいきなり始まっていきなり終わってしまうのか!

で、反省をした結果、「zoomで生放送に出る」という条件の特殊性について私が理解しておらず、対策を意識できていなかったことが問題点として浮上した。

 

どういうことか。

zoom以前のテレビ収録やラジオ収録の場合、出演者である私はまず局に到着して、出演者と顔合わせをしたり打ち合わせをしたりして、それからスタジオに入っていた。

そうするうちに少しずつ気分が収録に向かって調整されていくと同時に、出演者やスタジオの意向や考えに探りを入れ、意思疎通の前段階を形作っていったのだと思う。

 

ところがzoom経由の収録には、局に到着→廊下を歩き打ち合わせスペースに移動→スタジオに移動という、ひとつながりのシークエンスのなかで気分を調整していくプロセスが欠如していた。

出演者との顔合わせや打ち合わせも無く、意思疎通の前段階に相当するものが欠如していた。

 

振り返ってみれば、今回、オンエアー前に私が落ち着かない状態になっていたのは、今までの収録にあったはずの手順や前段階が欠如していて、いわば”いきなり自宅のzoom環境からスタジオと意思疎通する”状態に直面して、本能的におそれをなしたからだと思う。

 

場所を問わずに人と人とを繋げるzoomのようなツールは確かに便利だ。

しかし場所を問わずに人と人を繋げるからこそ、従来あったはずの手続きや前段階を省略してしまうので、気分や意志疎通を形作るのに今までにない工夫が必要なのだと私は思い知った。

 

心理学者の東畑開人先生は、『心はどこへ消えた?』のなかでオンラインミーティングについてこんなことを述べている。

オンラインミーティングにはだいぶ慣れて、結構やれるじゃんと思っているのだが、一向に慣れないのがミーティングの終わり方である。教授会にせよ、ゼミにせよ、さっきまで和気藹々と仲良くやっていたのに、「じゃあ、これで終わります」という声と共に、ブチッと画面が消え、自分ひとりの部屋に放り出される。これが切ない。長年付き合ってきた恋人から「終わりにしましょう。返信は必要ありません」とたった一通のメールで別れを告げられたような気持ちになる。

オンラインミーティングはスイッチひとつで始まり、スイッチひとつで終わる。

対して、今までのミーティングはミーティングがぽつねんと存在していたのでなく、会議が終わった後も余韻にような会話が続いていた。

たとえば会議室から退出する廊下でのコミュニケーションも案外大事だったのではないか、と東畑先生は指摘する。

廊下が足りていない。教授会の終わりに、「今日もあの教授のカラオケ状態でしたね」とか「マラカス鳴らそうかと思ってたぜ」とか、廊下で愚痴りあうのが楽しかった。雑談も陰口も密談も全部廊下での出来事だった。事件は会議室でも現場でも起こるけれど、人間らしいことは大体廊下で起こっていたのである。

同書で指摘されているのは、専らミーティング後の”廊下”の重要性だが、これは、ミーティング前にも当てはまることじゃないだろうか。

してみれば、zoomというツールは事前にも事後にもここでいう”廊下”に相当するエッセンスが欠けやすく、会議なり収録なりに前後して存在したはずの時間的・空間的プロセスを期待できない前提で使わなければならないものだったわけだ。

 

こうしたzoomの性質は、たとえば私のように気分や意志疎通に準備段階の必要な人間にはディスアドバンテージになる反面、おそらく、いきなり気分や意志疎通をマックスの状態に持っていける人間にはアドバンテージになるものなのだろう。

 

3.オンラインミーティングで雑談をする編集者さん達

ところで新型コロナウイルス感染症が襲来して以来、私は編集者さんとの打ち合わせもzoomでやるようになった。

どの編集者さんも「本当はじかに会って話すほうがやりやすい」とおっしゃるし、私もそれは同感だ。

 

とはいえ、蔓延防止措置の真っ最中に直接会って長時間の打ち合わせをするのは勇気の要ることだし、世間体もよろしくない。

そもそも、そのような打ち合わせに適した場所がなかなか確保できない。

 

で、編集者さんとzoomで打ち合わせをやっていて、当初、怪訝に感じていたことがあった。

それは「どの編集者さんも、本題に入る前にけっこう長い雑談をする」ということだ。

 

これは、私がお世話になっている編集者さん達がたまたまそうなのかもしれないが、皆さん、本題に入る前に関連したネットの話題などを持ちかけてくることが多い。

そうした雑談が乗りに乗って、気が付いたら、本題に入るのがすっかり遅くなってしまっていることもある。

 

新型コロナウイルス感染症が流行してこのかた、遠方の人としゃべることに飢えている私にとって慈雨のような雑談なわけだが、時間を惜しまず雑談してくださる編集者さんのタイムスケジュールは大丈夫だろうかと勝手に心配してしまうこともあった。

が、今になって振り返ってみれば、その雑談が案外重要だったように思える。

 

本題に入る前に周辺話題の雑談をすることで、編集者さん達は打ち合わせにふさわしい気分と、意思疎通の前段階を準備してくれていたのだ。

もし、雑談が無かったら? ──たぶん私はくだんの生放送の顛末に似て、気分の調整も意思疎通の手続きもできないまま、躓き気味の打ち合わせになってしまっていたに違いない。

 

メインディッシュに手を付ける前にスターターや前菜やスープがあったほうが良いのと同じように、zoomの打ち合わせも、いきなり本題に突入する前に一定のシークエンスやプロセスがあったほうが集中できるのだと今はわかる。

 

と同時に、編集者さんのアビリティのなかには、そうやって打ち合わせの本題に入る前に上手に暖機運転をしておく、そういうものもあるのだろうと思う。

少なくとも私を担当してくださっている編集者さんたちに関しては、(意識的なものか無意識的なものかはさておき)そういう暖機運転が上手いし、私はそれに助けられているのだとわかった。

 

前掲の東畑先生は、オンラインミーティングと”廊下”についての文章を、以下のように締めくくっている。

言い換えると、それは必ずしも物理的な廊下じゃなくてもいい。……オンライン研究会が終わってからもLINEで冗談を言えるし、オンライン教授会の後に短歌を内輪のメーリングリストに流すこともできる。それが心に廊下を創りだす。行われているのは遊びだ。遊びによって心に廊下ができるのだ。そうやって、私たちは日々孤独とつながりの間を行き来しているのだと思う。人間らしいことは大体廊下で起こっているのだ。

心に廊下を創りだすこと。

遊びによって心に廊下ができること。

 

zoomに限らず、デジタルなコミュニケーションに際して気を付けたい名文だと思う。

私も、そういう遊びによって心に廊下ができるような、そんなコミュニケーションができる人間でありたい。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo by iyus sugiharto