「鞄の薄さは 頭の薄さ」

「服装の乱れは 心の乱れ」

「リップ光れば 車も止まる」

 

アホみたいな標語だ。

今思い返してもアホみたいだが、30年前にもアホかと思っていた。

なのに、どうしていつまでも覚えているのだろう。

 

これらはそのむかし、門バア(かどばあ)と呼ばれた伝説の鬼婆が、女子中高生だった私たちに向かい口癖のように唱えていた言葉たちだ。

 

その心は、学生鞄(1980年代に全国共通だった革製の学生鞄のこと。

ぺたんこに潰れているのがイケているとされていた)に教科書を入れず薄く潰すような、勉学を疎かにして流行を追う者は、頭が悪く薄っぺらい人間だということ。

 

服装の乱れとは、制服の改造を指す。

当時はセーラー服の脇を少し詰めてボディラインに添わせたり、スカート丈を短くすることが校内でオシャレとされていた。

逆にスカート丈を長くするスケバンスタイルの場合は、大人への反抗心を表した。

 

「リップ光れば」とは、化粧をして唇をツヤツヤに光らせていると、その気があると見なされて、女子中高生と遊びたがるようなタチの悪い男たち(ロリコンの社会人や大学生、改造車でイキがっている不良)から直ぐさま目をつけられますよ、という戒めである。

 

門バアは、母校の名物教師だった人だ。

家庭科と礼法(礼儀作法)の授業を受け持ち、茶道部の顧問をしていた。生徒指導部の部長もしていたはずだ。

それ故に、生徒たちの服装指導には特に厳しかったのだ。

 

彼女は私たちの親世代が女子高生だった頃から、すでに鬼教師としてその名を轟かせていた。

その頃から既に「門バア」と呼ばれていたようだが、私が初めて先生に会った時にはゆうに70歳を超えていて、正真正銘のお婆さん先生だった。

 

私学であるゆえ母校には定年制度が無かったのだろうか。本人が辞めると言うまで勤め続けることができたようだ。

あるいは門田先生は他の先生方と違い、特別に留任されていたのかもしれない。

校内には高齢の教師が珍しくなかったけれど、70歳を超えてまだ教壇に立っていたのは門バア1人だけだったと記憶している。

 

入学して早々、私は自分の担任が門バアだと知って、「よりによって有名な鬼婆が担任とは…」と落胆してしまった。

吹き込まれていた数々の鬼婆伝説によって身構えていた為、あの時の私は公正な目で先生を見ることができなかったのだ。

 

もし先入観なしに門田先生を見ていれば、素敵な先生だと思ったはずだった。

門田先生は、あの世代のご婦人にしてはすらりと背が高く、ご高齢ではあっても背筋がしゃんと伸びていた。

もうお婆さんだからと地味で目立たない格好をするようなことはなく、白髪は明るく染め、きちんと化粧をし、華やかなワンピースに大ぶりのネックレスやペンダントを身につけるのが定番のスタイルで、いつもオシャレにしていた。

先生が東京の女学校を出ており、若い頃には目を見張るほど洋服の着こなしがスマートだったと知ったのは、つい最近のことだ。

 

母校の校友会から実家へ送られる会報にきちんと目を通すことは滅多にないが、先日帰省した際に届けられていた会報紙を気まぐれにめくり、そこに在りし日の門バアを見つけた。

 

懐かしい先生のお写真と共に寄稿文が紹介されており、そこに門田先生の経歴と着任当初の様子が簡単に添えられていたことで知ったのだ。

平成29年12月3日にお亡くなりになったと書かれているので、まだお元気でいらした頃に頂いた寄稿文の再掲載なのだろう。

 

没年月日がそれほど前でないことに、まず驚いた。伝説化していた先生は、つい5年前までまだ生きていらしたのだ。

私が中学生だった頃には既に70代だったはずで、あれから30年以上も経っているのだから、先生は100歳を超えて生きていたことになる。

今のお年寄りは長寿が当たり前なので驚くには当たらないのかもしれないが、あの強靭な精神力には生命力もともなっていたのかと思うと、つくづくすごい人だと感嘆せずにはいられない。

 

生涯独身を貫いた方だったので、退職後は高齢者向けシェアハウスに入られたと風の噂に聞いていたが、人生を女子教育に捧げた後はどのようにお過ごしになっておられたのだろうか。

 

寄稿文に目を通してみると、そこには先生なりの人生訓と哲学が綴られていた。だが、正直言って読む者に分かりやすく伝わってくる文章とは言えない。

どうも門田先生という人は、文章を綴って思いを伝えることはあまりお上手でなかったようである。ただ、門田先生らしいなと感じる言葉は、文中のあちこちに散りばめられていた。

 

門田先生は、忠恕(ちゅうじょ)という言葉が好きだったそうだ。寄稿文から意味を汲んで要約すると、

 

「忠恕とは、真心と思いやりがあり、忠実で同情心が厚いこと。それは『礼法』の『礼』に通じます。

忠恕は社会の秩序を保つためのものであり、そのしきたりが『礼』となるからです。

礼とは心のうちに留めるのではなく、言葉、態度、動作で表現することができるもの。

身勝手な自分の都合でコロコロと変わる心を最優先に考えるのではなく、社会におのずとできたしきたりによって自分の形を変え、整えることが肝要です。

借り物でない本当の美しさとは、忠恕の精神に裏打ちされた、心の在り様が滲み出たものなのですから」

 

なるほど。礼法を受け持っていた先生らしい教えだ。

私は「礼」に通じる心の持ちようなど全く理解できていなかったが、叩き込まれた作法だけは体が覚えている。

 

門田先生は理解の悪い生徒に対し、

「このアンポンタン!」

と言って叱り飛ばした。

私はいつ「アンポンタン!」という鋭い声が自分に飛んでくるかとヒヤヒヤしながら、訳もわからず立ち方、座り方、歩き方、襖の開け方のテストを受けたことを覚えている。

 

バカみたいだ思いながら「ごめんくださいませ」「入ってもよろしゅうございますか」「失礼いたします」と復唱し、北朝鮮かよと反発しながら斜め15度の会釈、30度の敬礼、45度の最敬礼の練習をし、何の役に立つのかと疑問を持ちながら丁寧語、謙譲語、尊敬語の違いについて暗記した。

 

いつのことだったか、先生が私たちを見回して言ったことがある。

 

「あなた方が、私を門バアと呼んでいることは承知しています。さぞ嫌な教師だと思っていることでしょう。構いませんよ。今は何にも分からないでしょうから。

私は、校外を歩けば卒業生たちからよく声をかけられるのです。彼女たちは皆、『いざ社会に出てみると、学校で学んだことで一番役に立ったのは礼法の授業です。門田先生のおかげです』と言って、私に礼を言います。

ですから、私は今あなたがたに嫌われてもちっとも構わないのです。あなた達もいつかは私に感謝する日が来るでしょう」

 

その時にはただ、「そんなこと自分で言うかよ。ケッ」と思っただけだった。

なのに、何故かその時の情景を克明に記憶している。

 

あれから私も大人になり、社会にも出た。教えを享受してから今までの間に、果たして私が門バアに感謝した日があっただろうか。残念ながら無い気がする。

ただ、卒業後に一番よく覚えているのは門バアの授業であり、逆に、生徒に優しく耳障りの良いことばかり言っていた人気者の先生のことは、まるで記憶に残っていないのだ。

 

「私は嫌われて結構。あなた方の為です」と言い切っていた門バアには、他の先生方には無い信念があった。

もしも信念が無ければ、数十年もの長きに渡り、理解しようとしない相手に同じことを言い続ける虚しさや、「煩いババアだな」と嫌われ続けるやりきれなさに耐えられなかっただろう。

 

門バアから授業で教わった内容が、果たして私の人生で役に立ったのかどうかはよく分からない。

けれどあのころ目の当たりにした、強い信念を貫いた一人の女の生き様には、今になって励まされる思いがする。

 

私はブログを通じて、他者を顧みず自己中心的に生き、詐欺まがいの手法で金儲けすることを是とするカルトの信者達に

「そんな生き方は素敵じゃないし、美しくない。何より、あなた達がやっていることは正しくない」と糾弾し、だから「バカなことはやめなさい」「目を覚ましなさい」と訴え続けている。

 

正直に言って、最近は少々疲れてきた。いくら訴えても届かない人の耳には届かないし、教祖達を潰すこともできやしない。

 

「ゆきさんのおかげで目が覚めました。ありがとうございます」と言われることもある一方で、詐欺師達に引っかかる弱者たちは後から後から湧いてくる。

キリがないし終わりがない。

 

「アホは救いようがない」と諦めて知らん顔をしてしまう方が、簡単だし楽に違いない。

例え間違ったことをしていても、コミュニティの中で充足している人たちを見ると、横から口を出す方が間違っているんじゃないかと揺らぎも生じる。

 

そんな時、私は門バアのことを思い出す。私に門バアほどの信念は無いし哲学もない。

それでも門田先生の心の持ちようと生き方を、少しばかり見習ってみようと思うのだ。

 

 

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(2024/12/6更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

マダムユキ

最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。

Twitter:@CrimsonSepia

Photo by Aris Sfakianakis