『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』という本で、おもしろい主張を見かけた。
それは、「お金で解決するのは遠回り」というものだ。
筆者主催のSNSコミュニティ内で、開設1周年イベントのために東京に行きたいけど、交通費がない遠方住みの人がいたらしい。
そこで「じゃあお金をカンパしてあげよう」という話になるが、著者は「お金を渡す以外の解決手段を考えよう」と止めたそうだ。
たとえば、「クルマで行く人がいたら乗せてくれませんか」といえば、「レンタカーでお金を出し合ってみんなで行けば安くなる」と協力してくれるかもしれないから、と。
レンタカーを乗合して行くなら、段取りを決めなきゃいけないし、ひとりだけよだれをたらして寝るわけにもいかないし、面倒くさいこともある。
でも、それを避けるために2万、3万の旅費を稼ぐほうが面倒くさくない?と、筆者は問いかける。
むかしの人なら当たり前にできた「気づかい」とか「間合い」とか、現代人はほんとうに不得意です。いや、不得意だと感じるんじゃなくて「絶対にイヤ」「カネを払ってでも避けたい」と考えてしまう。
この煩わしさを最小にするために、「お金という手段」を使うことしか思いつかない。ほかの手段を思いつかなかったから、僕たちはいつの間にか「意味もなく必要以上にお金を使いすぎる」民族になってしまった。
カネ以外の方法を探せば安く済むのに、人間関係が面倒だからカネを余計に使う。
なるほど、おもしろい考え方だ。
でもカネで解決しようとするのは、しかたないことだとも言える。
だってこのご時世、「なにかあったら困る」から。
書生という言葉が死語になったのは、みんな「カネで家を借りるから」
昔……とはいっても、まだわたしが生まれていない70年代や80年代は、「間借り」や「下宿」というかたちで、他人の家に住んでいる人がそれなりにいたらしい。
マンガや小説でも、友人の子どもが上京するから住まわせてやるだとか、家事をしてもらうかわりに売れない芸人に1部屋与えるだとか、そういうシーンが出てくる。
でもいまじゃ、そんな話はほとんど聞かない。
せいぜいホームステイや友人同士のシェアハウスくらいだろうか。「書生」という言葉も、もはや死語だ。
人の家に住まわせてもらったり、同居人とシェアしたりすれば安く住めるのに、大半の人はわざわざ高いカネを出して自分の家を借りる。
それが、冒頭で紹介した「カネという手段しか思いつかない」ということなのだろう。
でも、いったいなぜそうなったんだろうか。
なぜ書生が消え、下宿や間借りといった、カネ以外の手段が廃っていったのだろう。
なにかあったら困るから、とりあえずカネを払っておく
よく、「経済成長により家族のあり方がかわったから」「人間関係が希薄になったから」「社会保障が充実して人に頼る必要がなくなったから」だとかいわれるが、それだけじゃないと思う。
それは、「なにかあったら困る社会」になったからだ。
たとえば、子どもが就職して部屋が空いたので、親戚の大学生を下宿させることにした。
でももしその大学生が喧嘩して、相手にケガをさせてしまったら?
責任は親にあるのか、下宿先の自分にあるのか。いずれにせよ、かなり面倒な事態だ。
逆に、下宿させた大学生が風呂場で滑って浴槽に頭を打ち付けたとしたら、「ちゃんと掃除をしていなかったからだ」と親に責められるかもしれない。後遺症が残ったら訴訟ものだ。
そんな状況で、おいそれと下宿や間借りなんてさせられないだろう。
大家も、不特定多数の人が出入りするのを嫌い、シェアハウスを禁止していることが多い。
だって、「なにかあったら困るから」。
『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』という本のなかで、「(人間関係によって生まれる)煩わしさを最小にするためにお金という手段を使う」と書かれているが、それはあくまで2番目の理由だと思う。
わたしたちが「カネで解決しよう」とするのは、第一に、「なにかあったら困るから」。
「トラブルの責任を負ったときの経済的・社会的損失を最小にするためにカネを払っておく」といったほうが、しっくりくるんじゃないだろうか。
ボールが他人の庭に入っただけでも一大事になるご時世
たとえば、『ドラえもん』の1シーンのように、のび太が空地で遊んでいて、ボールが他人の家の庭に入って盆栽を倒してしまった……という状況を想像してみてほしい。
『ドラえもん』の世界であれば、かみなりさんがゲンコツを落とし、たんこぶをこしらえたのび太を見て、ママが「気をつけなさいよ」と言って終わり。
でも、2022年なら?
親に連絡がいって親と一緒に謝りに行き、弁償したりだとか、場合によっては警察沙汰になったりだとかするかもしれない。
だから親は、「他人に迷惑をかけないよう公園で遊ぶのはやめなさい」と言う。なにかあって学校に話がいって、内申に影響したら笑えないしね。
でもそれじゃ子どもがかわいそうだから、カネを出して近所のスポーツクラブに入れる。
家主のほうも、知らない子どもを家に招き入れたら通報されるかもしれないし、割れた盆栽の花瓶で子どもがケガをしたら責任問題になるから、おいそれと「取りにおいで」とは言えない。
とりあえず子どもにボールを渡し、もうボールが入ってこないよう、カネを出して庭に柵をつけるだろう。
『ドラえもん』の世界ように、家に招き入れて子どもにおかしをふるまうなんて人、まずいないはずだ。
アレルギーがあったら困るしね。子どもだって、他人の家になんてホイホイ上がらない。
そしてその後、空地には「ボール遊び禁止」の看板が立つのだ。
だって、なにかあったら困るもの。
他人と関わると、「安上り」どころか結果的に「高くつく」かもしれない。
それが、いまの社会だ。
弱い人を守るためのルールが「カネで解決」に導いた
もともと日本……というより、多くの国では、「人間関係」を基盤に社会がまわっていた。
子どもを預かってもらったらそのぶん家の野菜をプレゼントしたり、仕事できつく叱った部下を飲みに連れて行ってはげましたり、恩師の退職時には卒業生が集まったり……。
そんなに豊かではなかったから、人々は協力して生活するしかない。
人間関係の煩わしさもあったが、その一方で、助けられたことも多かっただろう。
「いいですよ、お互い様ですからね」と許したり、「それはダメだろう!」と叱られて謝ったり。
しかし人間関係で清算できてたのは、良くも悪くも、権利や健康に対しての認識がガバガバだったからだ。
出来のいい部下に自分の娘を紹介して結婚を勧めたら「面倒見のいい上司」だし、非科学的なしごきで鍛えた野球部員が甲子園に行ったら「熱心な先生」。
仕事を辞めたら根性なし、親が出かけるなら子どもに店番をさせればいい。
そんなざっくりとした時代だったからこそ、人間関係で持ちつ持たれつできたのだ。
でもいまは、権利や健康を守るためのルールがたくさんある。
上司が部下の結婚に介入するのはセクハラ、生徒に過度な練習を課したら体罰扱い、うつ病や適応障害で退職したら企業の責任、子どもの店番は児童労働。
だからこそ、結婚したければ入会金を払って結婚相談所と契約、トレーニングは専門のコーチを雇う、企業は弁護士やカウンセラーを確保、店番は雇用関係のあるアルバイトに。
そうやって、カネで解決する。
安全や健康を守ろうとすればするほど、弱い立場の人を守ろうとすればするほど、弱い人を傷つけたときのペナルティは重くなっていく。
そんななかでうっかりトラブルになると困るから、自分を守るために、カネを出してだれかに責任を負ってもらおう。と、こうなったわけだ。
カネを払ってさえいれば、なにかあったときに「責任をとれ」って言えるから。
わたしたちは「人間関係が煩わしいからカネを払う」のではなく、「他人に責任をとってもらうためにカネを払う」ことを選んだのだ。
言葉を選ばずにいえば、人間関係に頼らずカネで解決するしかなくなったのは、「繊細な社会にしたツケ」。
もちろん、それが悪いというわけじゃない。
だってそれは、虐げられる人を守るため、多くの人が望んだ「進歩」だったはずだから。
繊細な社会ではカネで解決するのが手っ取り早くリスクが低い
ここ数年だろうか。
やたらと「評価経済」や「恩送り」、「ギブ&ギブ」といった言葉を聞くようになった。
人とのつながりを大事にし、それによって生活を営んでいこう、というのは、人間関係で清算していた社会への回帰欲求だ。
「人間関係で清算」の負の遺産を消し去ろうとして「なんでもカネで清算」になった結果、反動として「人間関係で清算社会に戻ろう」というのだから、人間とは本当にふしぎなイキモノだ。
でもわたしたちはもう、「人間関係で清算社会」には戻れない。
いやだって、部屋が空いてるからって、親戚の大学生を下宿させる? 家の中で骨折でもしたらどうするよ?
落ち込んでる部下がいるからって、安易に飲みに誘う? パワハラになるかもしれないのに?
価値観が変わったいまの世の中で、「人とのつながりで豊かになろう」というのは、正直かなりむずかしい。
だって、「なにかあったら困る」もの。
カネさえ払えば、トラブルを予防、もしくは解決できる可能性がグっと上がる。
じゃあそうしない理由はないよね、というだけの話。
人間関係で清算する社会がいいのか、カネで解決する社会がいいのか。その答えは、人によるだろう。
ただ言えるのは、わたしたちは「カネで解決するのが一番手っ取り早く確実でリスクが低い」社会で生きているってことだ。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
- 0. オープニング(5分)
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」 - 1. 事業再生の現場から(20分)
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例 - 2. 地方創生と事業再生(10分)
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む - 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説 - 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論 - 5. 経営企画の三原則(5分)
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
Twitter:amamiya9901
Photo by FuFu Wolf