ものすごい記事を読んだ。

夫が裏垢で70人と不倫していたのが発覚した日の話①|ego@離婚協議中|note

はじめまして。ego@離婚協議中(@ego_929)です。
昨年不本意ながらサレ妻デビューしてしまい、現在1年ほど夫と離婚協議バトルをしています。
(※サレ妻:不倫された妻のことを言います。誰が考えたの?ありがとう)

当時、まさか自分が夫と修羅バトルすることになるなんて思っていなかったので、本当にどうすればと困惑しました。そんな時に同じ境遇の方のブログなどがすごく参考になったので、もし誰かの役に立てばとnoteに整理していくことにしました。

概要を簡単に述べよう。

ある日フツーに暮らしてたはずの29歳女性であるegoさんが、なにげなーく夫のスマホをみたところ、旦那がTwitter上で一万人近いフォロワーを抱えてコッソリ女性を食い散らかしまくっていたという話である。

 

もうこのあらすじの時点で十分お腹いっぱいになりそうな話ではあるが、そこからどう物語が動き出すかは記事を参照いただきたい。色々な意味で学びが多い。

 

僕がこの記事を読んで「面白いなー」と思ったのは本筋…ではなく作者の作中描写だ。

 

この記事には女性が「やって欲しい事NO.1」である良い共感のお手本が描かれており、それが実に味わい深いのである。

以下でそれを書いていこう。

 

不倫モノには珍しい、第三者の介入

大雑把に腑分けすると、作中では2つの陣営が発生している。

妻側と旦那側だ。

この2つのサイドに分かれて不倫の”サレ”側と”やった”側の心理が丁寧に描かれており、それがこの物語をユニークな作品へと昇華している。

 

普通ならばだ。この手の物語には第三者はあまり登場せず、当事者だけで話が行われるケースが多いのだが、興味深い事にこの物語には第三者が高頻度で絡む。

・妻側は不倫サレ妻に加えて、egoさんの親友が

・旦那側はオフパコ旦那に加えて、義理の両親が

それぞれ加わる事になるのだが、この”善意”の第三者の行為に女性が最も求める行為NO.1である共感のお手本が敷き詰められている。

 

共感とは、どんな理由であれ相手の見方をする事

ここではあえて敵サイドである旦那側からモノを眺めてみよう。

盗人にも三分の理という諺がある通り、義理の両親は基本的にはオフパコ旦那を守るように働きかける。

まあ大切な息子なのだから、当然と言えば当然なのだが。

 

作中では何度かオフパコ旦那の母が不思議な理屈でもって息子を擁護するような意見を発するのだが、実はこの義理の母の行為にこそ実は女性が求める共感ポイントが詰まっている。

共感の本質を一言で言ってしまえば、それは「私は貴方の味方ですよという意思表明」である。

 

世の中には「こっちが正しく」て「こっちが間違い」だという事例が数多くある。

何が価値判断の基準となるかは、倫理観や一般常識、法律、社内規定など様々ではあるが、このようなものがあるが故に私達は

「世の中というのは善悪二元論的であり、勧善懲悪モノなのだ」

という認知をうっすらとではあるが持つに至ってしまう。

 

価値観は意外と簡単に変わってしまう

しかしである。それはちょっと考えればわかるが、非常に恐ろしい世界だ。

何が正しくて何が間違っているかは時代やタイミング、居る場所によって簡単に変わる。

 

最近もコンプライアンス意識の高まりに伴って

「昔だったら許されていたけど、今の時代だともう無理」

みたいな事例を目にする人が実に多いと思うが、このように世の中の”正しさ”というのは案外うつろいやすいものである。

 

だから”正しさ”を基軸に生きる事を選択する事をモットーとしてしまうと、実は後からキャンセルカルチャーのような憂き目に誰もがあいかねない。

 

たとえ価値観に変化が生じても、仲間はいつだって味方だ

こんな恐ろしい世界において、その恐怖を和らげてくれる存在が”仲間”だ。人間は共同体を形成する事で、その内部では

「なにがあっても、俺はお前の事を守る」

「たとえ全世界がお前の事を敵だといったとしても、俺だけはお前の見方で居続ける」

という魂が安らぐ場所を手に入れる事が可能になる。

 

共感はロジックや道理を超越し、相手を肯定する作業

共同体において、一般常識や社会的正義は必ずしも最も大切なものではない。

もちろん長い目でみたらだ。一般常識や社会的正義に大きく反する共同体は存続ができない。

だから、共同体であったとしても、それらを学習する義務とは無縁ではいられない。

 

しかし一般常識や社会的正義というのは先程も書いた通り、簡単に移ろう。

カンが良すぎる人ならばまだしも、大多数の人は変わってしまった価値観に常にアップデートして迎合し続ける事なんてできない。

 

このような難しい社会を生きる私達にとって、共同体というのは時間の流れが異なる真に魂が安らげる場所として機能する。

そこでは一般常識は理念ではないし、社会正義は必ずしも守らなくてもよい。

何があろうが貴方の存在は肯定され、何をやろうが貴方の行為は尊重される。

 

それを私達人間はどのように確認しているのか。

実はこれが共感なのである。しょーもない事でアーダコーダと井戸端会議をして時間をつぶすのは、貴方にも相手にも「その時間を使うだけの価値」がある事の逆証明ともいえる。

 

相手が多少変な事をいっていたとしても、決して否定せずに「ウンウン」と黙って頷いて相手の話を聞く。

こういう「なにがあろうが、決して相手を批判しない」という行為は、言葉で表現されるモノ以上に重要なメッセージとして相手に意が伝わる。

 

この物語に第三者が登場するのは必然である。

なぜならそれは女性心理からみれば”最も求められている”モノに他ならないからなのだ。

 

もしこの物語を男性が書いたら…

男性は問題解決を好む一方で、女性はコミュニケーションを好む傾向があるという話を聞いたことがあるだろう。

その原則はこの物語にも通じるものがある。仮にだが、この物語を男性が書いたのなら、このような記述は絶対にしない。

 

男性は基本的には自分が困難を乗り越えた手柄は自分のものとして提示したいという欲を持つ。

故に男性がこの物語を記述したとしたら、恐らくなのだけど「自分がいかに優秀なのか」を提示するようなモノの書き方になると思われる。

 

手を下すのも基本的には自分自身である。

「大将の首を取ったのは自分だど~」と言わずにいられないのが、男という生き物のサガである。

 

男にとって、自分が優秀である事の顕示はとても重要だ。

なぜなら、優秀ならば味方も異性も結果として勝手に寄ってくるのに対して、無能だと味方も異性も全く寄ってこないからである。

 

男の世界は非常に冷徹である。共感する以前に、そもそも能がなければ無価値なのだ。

故に男性は共感の価値を”本当に”まったく理解できない。

ぶっちゃけ「そんな事している暇があるなら、仕事しろよ」と女性が楽しそうにおしゃべりしているのをみて思った事の無い男性など居ないのではないだろうか?

 

人間の妄想力を舐めてはいけない

そういうこともあって自分自身、かなり長いあいだ共感が嫌いであった。

「愚痴とか不平不満とか、マジで一ミリも生産性が皆無」

「そういう事で盛り上がる暇があるなら、もっとやる事ちゃんとやればいいのに」

そうずっと思っていたのである。

 

しかし最近になって、職場や家庭の風通しのようなモノを意識するようになってから、どんな形であれコミュニケーションが介在しないのはマジでヤバイと思うようになってきた。

人間という生き物は、良くも悪くも想像力が豊かな生き物である。

これはいい方向に働けば、科学技術の発達や素晴らしい小説のような創作物を産むのだが、悪い方向に働くと変な妄想や陰謀論のような方向へと発展してしまう。

 

会話が無いと、人はだいたい相手の事を悪くとらえる

先ほども述べたが、共感というのは本質的には味方同士である事の確認行為である。

では、共感が無くなるとどうなるかというと…多くの人は疑心暗鬼にかられるようになる。

 

貴方も何度か「言ってもいない事」で勝手に誤解された事があるのではないだろうか?

あるいは「話したこともない」人に、妙なレッテル張りをされた事もあるかもしれない。

 

このように、人間というのは会話が成立しない相手に対して、基本的には悪いイメージを拗らせる傾向が強い。

コミュニケーションというのは良くも悪くも、それが成されるだけで、相手の事が”わかった”つもりになる。

仕事先や旅先などで知らない人と接してみて、何らかのキッカケを通じて”話し合って”みたら、案外思っていたよりも”相手をいい人”だと感じた事が誰しも一度や二度はあるだろう。

 

言うまでもなく、こんな少しの会話で相手のことなど”わかりようが無い”のだが、それでも私達はほんの少しでも会話が成り立つと、基本的には相手に対して”安心”してしまう。

 

そう、私達はチョロいのである。ほんのちょっと会話しただけで、疑心暗鬼の氷は解けるのだ。

 

コミュニケーションはなぜ大切なのか?それは妄想をこじらせない為である

それ故にである。私達にとって、挨拶や雑談は思っている以上に自分のイメージを高める方向に作用する。

たとえほんのちょっとでもだ。

身近な人との間に1日1回の会話の機会を設けるだけで、人は相手に悪い妄想は拗らせられなくなる。

 

もちろん、こんなほんの少しの会話で相手の事が”わかる”だなんて事は無い。

相手の事を本当に理解しようと思うのなら、腰を据えての話し合いは必然だ。

 

しかしである。そもそもそんなに沢山の他人の事を「理解」する必要なんてあるだろうか?

世の中には沢山の人がいるが、その中でも本当に深く通じ合いたい人など、ほんの数人程度が関の山だろう。

 

大切な人にキチンと時間を使うためにも、それこそどうてもいい人にはカラ挨拶やカラ共感、カラ雑談をキチンとやって、自分の周りに敵を作らない事が肝心である。

 

そして本当に大切な人にキチンと時間をかけるのである。

キチンと相手の目をみて会話して、時には厳しい事も言いつつも、その後でのフォローも忘れない。

 

大切なモノに、キチンと時間を使う。その為に、どうすればいいのか。学ぶべきはそれである。

 

「わざわざ言わなくたって、常識的に考えればわかるでしょ?」という甘えは、誰に対しても早々に捨てておくのが無難である。

大切で無い人にも、大切な人にも、必要なのは会話だ。ゆめゆめこの事実を忘れてはならない。

 

 

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【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

Photo by : Obie Fernandez