「そういえばコロナで婚姻数ってどうなったんだろう」と思い検索してみたところ、予想通りというか凄い事になっていた。
「リモートワークは出社しなくていいからラクチンだし、不快な人間関係も無くなるから幸せ」
「これが一生続けばいいのに」
自分はもう中年近いという事もあってか、どちらかといえばそのような意見を聞くことが多い。
コロナは持たざるものにあまりにも厳しい
けど、人間関係がまだ発達途上にある人間からすれば、正直これはたまらないだろう。
生きることは苦であると説いたのはブッダである。
私達は誰もが自分自身の欲望を持っており、その欲望はしばしば他人と対立する。
対立した欲望は軋轢を産み、そこにザラザラとしたものをもたらす。ここに暴力性が皆無だという人はいまい。
しかし、同時にこの暴力の中にしか無いものがあるのも事実である。
私達は誰かと合うことで暴力性に触れて疲れる。そして自分一人の時間を作ってそれを癒やし、また暴力の渦へと突っ込む。
そうして私達はその暴力の渦の中から、豊かに生きるにおいて大切なものを獲得していく。
気の合う友人知人は当然として、パートナーに仕事の技術やコネ、承認欲求などなど…暴力の渦には魅力的でキラキラしたものが沢山詰まっている。
我々は皆、この暴力性に満ちた社会の狩人だ。
ブッダがいう通り、確かに生きる事は苦そのものではあるが、その苦から強制的に隔離された先にあるのも、残念ながらまた苦である。
何も持たぬものにとって「誰とも繋がれず、何も獲得できない」というのは繋がる苦以上のシンドさがあるに違いない。
婚活アプリは地獄そのもの
「とはいえ現代はネットが発達したんだから、結婚したいんならアプリとか使えばいいんじゃない?」
そう思われる方も多いだろう。確かにだ。
日本は諸外国と違って自粛はあくまで「お願い」であり、破って何かしたところで国から罰される事は無い。
しかし婚活アプリには別の地獄があるようだ。その事を痛感させられたのが下の記事である。
28歳年収650万非モテ男がマッチングアプリ始めた結果がヤバすぎる
この記事は婚活アプリでマッチングを試みた男が自尊心をメタメタにやられて惨敗したという悲しいものだ。
この記事の「この男側にも問題がある」というのは確かに事実だろうが、そもそもである。
28歳で年収が650万もある婚活男がマッチすらスタートできないというのは相当におかしい。
何が問題なのか。一つには選択肢があまりにも多すぎる問題があげられる。
選択肢が多すぎると人は何も選べなくなる
選択肢が多すぎると逆に人は選べなくなる。この事を証明したのがジャム実験だ。
<参考 選択の科学 シーナ・アイエンガー>
これはスーパーの試食で数種類のジャムと何十種類ものジャムを試食させるのを比較すると、数種類のジャムのみしか用意されてない時の方が売れ行きが良いという事が判明した実験である。
この例がわかりにくかったらジャンケンを考えてみれば良い。グー・チョキ・パーしか選択肢が無かったら
「この前はグー出して負けたから、パーを出そう」
とか
「コイツはなんかチョキを出しそうな顔をしてるから、グーにしよう」
という風に”考えた”上で”決断”がしやすい。
しかしである。逆にジャンケンの手が1000個あったらどうだろう。
戦略を考えようにも、あまりにも手が多すぎて何も考えられないのではないだろうか?
更に言えばだ。多くの人はそもそも1000個も選択肢があるジャンケンというゲームなんて”プレイしない”。
くじ引きとかサイコロとか、他のもっと手軽にできる勝負に流れるのが普通である。
選択肢がいろいろあることは一見すると大変に良い事のように思えるが、実際には多すぎる選択肢は人間を”思考”と”決断”から遠ざける。
そして人は当たりくじをハズレと誤認するようにすらなる。
多すぎる選択肢があると当たりくじですらボケてみえる
多すぎる選択肢の問題は”思考”と”決断”を難しくし、人の目を曇らせる。
そもそもである。この28歳年収650万男はデータから客観的に考えればどう考えても”当たり”だ。
大吉ではないかもしれないが、小吉~末吉ぐらいには及第点なはずだ。少なくとも凶や大凶ではない。
仮に選択肢が目の前に数個だけ用意されており、かつ選べる回数が1~2回程度であったなら…この人が選ばれない理由は多分ない。
それが目の前に膨大な選択肢と際限ない選択回数を提示されてしまったら…この当たりくじは見事にハズレにみえるようになる。
異常な環境にさらされると、普通の人間はそこそこの選択肢を”選べなくなる”。
ジャムなら…気に入らなければ捨てればいい。コンテンツなら…早送りなりネタバレを参照するなりで、ある程度は気苦労を減らしつつ、次に行けば良い。
だが結婚となるとそうはいかない。
結婚は基本的には皆一度きりで終わらせたい性質のものである。だからみな普通に大当たりを引いて、サッと終わらしたいと誰もが思ってしまう。
そんな条件下で膨大な選択肢を停止されると、目の前にある小吉や末吉が途端にハズレにみえるようになる。
選択肢多すぎ問題は人間の目に歪んだ色眼鏡をかけさせるのである。
アンパンマンみたいな分かりやすい世界じゃないと、人間は安心できない
僕が思うに、この28歳男性には基本的には何も問題はない。
そりゃ女性扱いが手慣れていないのは事実だろうが、そもそも初心者なのだからそういうものだろう。
これから徐々に慣れていけばいいだけの話である。
しかしこの記事への言及をみると、男性への批判が殺到している。
なぜみんなこんなにも男性が悪いと避難してしまうのか。
この現象は公正世界仮説から読み解くことが可能だ。
公正世界仮説は人間の行いに対して、公正な結果が返ってくると考えてしまう私達の持つ認知バイアスだ。
これがあるから、私達は成功した人間は「成功するに値する事をしたから成功した」と思い、失敗した人間を「失敗するような悪い事をしたに違いない」と思い込む。
原因と結果は必ずしも一致しない
本当の事をいえばだ。原因と結果は必ずしも一致するようなものではない。
極悪非道な事をやって幸せになる人間もいれば、物凄く真っ当に誠実な事をやって不幸になる人間もこの世にはいる。
しかし私達の脳はこの現象を基本的には認めたがらない。
そんな世界を認めてしまったら、いったい何が正しくて何が間違っているのか訳が分からなくなるからだ。
だから物語では基本的には正義は勝つものだし、悪は負ける。アンパンマンは脳に優しい物語なのである。
先の婚活話にも公正世界仮説が働いているからなのか、婚活男をバッシングする意見が物凄く散見される。
「失敗した人間は、失敗した原因があるに違いない」
そう思わないと、人間は安心できない。だから婚活男の粗を探し、失敗した原因を必死で探し出し、それを指摘して”安心”する。
「こいつが婚活に失敗したのは、こいつに悪い所があるからだ。あー、スッキリした」
と、そこで9割ぐらいの人が物語をアンパンマン化して納得して終わらせる。
失敗した人間は失敗するに値する人間だと認知できないと、脳は納得できないのである。
ってか、チャレンジしただけで本当はエラくないか?
しかしである。改めて考えてみて欲しいのだが、この婚活男はそもそもちゃんと戦に挑んでる時点で、かなり立派ではないだろうか?
そういう戦に挑んで、おまけに惨敗報告というこの世で最もツライ行為をやって、それで誰かから説教されるだなんて…ちょっと世の中が修羅すぎるにも程があるのではないだろうか。
昨今の若者は草食化が加速しているとよく言われている。
実際、「20代の若者のデート経験なし4割」という内閣府の報告もある。
これをもって「最近の若者はガッツが足りない」と言う人がとても多いのだが、冷静に考えてみて欲しい。
物凄く厳しい環境に晒されていて、その逆境にも関わらず勝負に挑んで、それで負けたら自己責任と言われるような社会で…果たして人間は挑戦なんてできるのだろうか?
本来なら、この婚活男性に本当にふさわしいのは「よく頑張った」という賞賛、あるいは「自分がいい女の子を紹介してあげるから、はよ私に連絡しな」という大人の手引のように自分は思う。
少なくともよっていたかって袋叩きにしているようじゃ、駄目じゃないかと自分は思う。
キレイで清潔な社会は、この世で最も怖い場所になった
当メディアでも執筆なさっている熊代先生の”健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて”という本がある。
この本を通じて、熊代先生は現代日本がいかにキレイで清潔になっていっているかを書いている。
この本を読んでいた当初、僕は単純に「まあ、キレイな方が色々と便利だし、そういう方向に社会が流れるのも仕方がない」としか思わなかった。
しかし最近、キャンセルカルチャーやらコロナに伴う道徳警察の発生のようなものをみるようになって、自分はこの綺麗すぎる社会は若者にとってメチャクチャに怖い場所になってしまったのではないかと思うようになった。
何かをやったらぶっ叩かれるのは昔からの常ではあるが、現代の透明度合いはちょっと異常である。
イキることすら許されないし、誰も挑戦した事を褒めてくれない
ちょっと前まではバカッターといって、アルバイト中の若いのが不謹慎な行動をインターネット上にアップしてイキリまくっていた姿が散見されたけど、最近の若者は本当に静かである。
これは単にしつけが行き届いて若者が行儀よくなったというよりも、もうバカすらやれない位に現代日本はクリアになりすぎていて、徹底した恐怖の目が行き届いて、何かやろうにも恐怖で身がこわばるような環境になってしまったと考えるほうが妥当ではないだろうか?
社会が不潔だった頃はよかった。バカをやったら仲間からは称賛されつつも、有識者から「そういう事はやっちゃ駄目だぞ」と裏に呼び出されつつも「けどまあ、自分も若い頃はそういう事をやったもんだ」と秘密裏にやらかしを処理してもらえた。
こうして人はヤンチャを程よく発散できていた。また年配者も「若いってそういうもん」と、表ではキチンと説教はしつつも、裏で挑戦を褒めていた。
しかし冒頭であげた婚活事例のように、現代ではヤンチャをやろうにも加害と避難され、かつ誰も年配者は後始末も手引もしてくれない。
それどころか本来なら支援すべきはずの大人がよっていたかって若者を叩く側に回るのだから…冗談抜きで僕は今の日本は若者にとって、ガチで怖いだけの場所になっているのではないかとすら思う。
それこそ世界で一番ヤバイかもしれないぐらいに、だ。
本当に、難しい世の中である。
こんな世の中で挑戦しろとか結婚しろという方がムチャだ。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
Photo by Ryo FUKAsawa