『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』(金間大介著/東洋経済新報社)という本を読みました。
古代のエジプトやギリシアの遺跡や有名な哲学者の言葉にも「最近の若者ときたら……」と、人生の先達から若者の行動や風潮への嘆きがあったという話を聞いたことがあります。
医療の仕事でいえば、「いまの若い研修医は、17時の終業時間になったら帰らせなきゃいけないし、研修時からお金とか待遇にこだわるヤツが多いし……」なんて嘆きもけっこう聞くのです。
ただ、僕が研修医だった頃も、研修医仲間では「上の先生たちは面倒な仕事を若手に任せて早く帰れていいよな」と言い合っていたのも思い出すのです。
結局は時代の変化と隣の芝生は青く見える、ということなのかもしれませんが、いまの40代から50代くらいって、自分たちが若い頃には体育会系の「若いうちは。きつい仕事を進んでやるべき」という文化が色濃くて、自分たちが中間管理職になってみると「若手になんでも押しつけて負担をかけるな」という社会になり、なんだか「悪いとこ取り」みたいになっているな、という気もするのです。
年を重ねればラクになる、と思っていたのに。
僕は、ネットで目立っている人たちを眺めて、「自分で自分の人生の舵取りをしたい、意識が高い若者」が増えてきていると思い込んでいました。
ところが、実際に若い学生たちと日々接している著者は、「意識高い系」ですら、もう過去の遺物になりつつあるということをデータを示しながら紹介しているのです。
世間ではよく、今の若者のことを「素直でいい子」「まじめでいい子」と評する。
と、同時に「何を考えているのかよくわからない」「自らの意思を感じない」と言う。
実はこれらは、別々の若者のことではなく、1人の若者を違う角度から見ただけのことだ。
本書ではこのような若者を「いい子」と称し、一見不可解な彼らの気質と愛すべき特徴を、軽いトーンで描いていこうと思う。
さっそくだが、いい子には次のような行動原則がある。・周りと仲良くできて、協調性がある
・一見、さわやかで若者らしさがある
・学校や職場などでは横並びが基本
・5人で順番を決めるときは3番目か4番目を狙う
・言われたことはやるけど、それ以上のことはやらない
・人の意見はよく聞くけど、自分の意見は言わない
・悪い報告はギリギリまでしない
・質問しない
・タテのつながりを怖がり、ヨコの空気を大事にする
・授業や会議では後方で気配を消し、集団と化す
・オンラインでも気配を消し、集団と化す
・自分を含むグループ全体に対する問いかけには反応しない
・ルールには従う
・一番嫌いな役割はリーダー
・自己肯定感が低い
・競争が嫌い
・特にやりたいことはない本書では、今の若者のこうした行動原則や心理的特徴を「いい子症候群」と定義する。年代は、大学生から20代半ばまでを想定する。
これを読んで、僕は思ったのです。
えっ、これ、「若者」だった30年前の僕にもけっこう当てはまるのでは……
「協調性」や「さわやかさ」は無かったし、当時はオンラインで仕事ができる時代がこんなに早く来るなんて予想もしていなかったけれど。
あの頃も、みんな「リーダー」にはなりたがらなかったし、自己肯定感も低かった。
若者って、そういうものじゃないの?という気もします。
僕のような「教室で最少人数のグループになんとか拾ってもらっている存在(陰キャ)」には程遠い、スクールカースト上位の「さわやかな若者」でさえ、当時の鬱屈しまくっていた僕みたいな感じになっている、ということなのだろうか。
10年ほど前、講義の後のちょっとした流れで学生に怒られたことがある。それが本章のタイトルでもある「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」だった。
ほかにも、皆の前でほめた後、急に発言が減った学生もいた。これはどういう心理なのか?
自分で何度も検討を重ねた結果、人前でほめるくらいなら何も言わないでほしいと学生が願う背景には、2つの心理状態が関係していることがわかってきた。1つ目は、自分に自信がないことのギャップだ。
現在の大学生の多くは、自己肯定感が低く、いわゆる能力の面において基本的に自分はダメだと思っている。その心理状態のまま人前でほめられることは、ダメな自分に対する大きなプレッシャーにつながる。つまり、ほめられることはそのまま自分への「圧」となるのだ。
この「ほめ」と「圧」という図式は、いい子症候群の大きな特徴なのでぜひ覚えておいてほしい。2つ目は、ほめられた直後に、それを聞いた他人の中の自分像が変化したり、自分という存在の印象が強くなったりするのを、ものすごく怖がる。
ほめられて嬉しいと感じる気持ちはもちろんあるが、そんなものはミジンコ級に感じるほど、目立つことに対する抵抗感は絶大だ。
それでもなお、人前でほめられ続けるとどんな気持ちになるかと複数の学生に尋ねたところ、「ひたすら帰りたくなる」そうだ。
著者によると「(いまの若者は)人前じゃないところでほめられることは原則として好意的に受けとめる」そうです。
僕が読んできたビジネス書とかリーダー論には「褒めるときはみんなの前で、注意するときは1対1で」と書いてあるものが多かったのですが、いまの日本では「みんなの前で」ということそのものに「怖さ」を感じている若者が多数派なのです。
みんなの前で褒められるのがプレッシャーになることは、理解できるのですが。
この本を読んでいると、「ようやく時代のほうが僕に追い付いたのか?」と言いたくなるほど、著者が提示している「現在の若者たち」と若かった頃の僕が似ていることに驚かされました。
自己紹介がイヤで、最初の人がつくったフォーマットをみんな真似するところとか、先生に授業(講義)中に当てられたくないとか、30年前から、僕の周りの人たちは、みんなそうだったのではないか、とも思うのです。
しかしながら、読み進めていくと、いまの若者たちは、より一層、「目立たないようにしている」し、「野心や欲望が無くなっている」とも感じます。
少し前に「最近の若者は課長にすらなりたくない」という統計データが広まったが、それはすでに時代遅れだ。
日本生産性本部の「新人社員『働くことの意識』調査」で、「どのポストまで昇進したいか」という質問に対し、10年前と比べ最も増加した答えが「どうでもよい」となる世の中だ。出世したくないのではなく、もはやどうでもいいのだ。
こういった傾向から、仕事に対する意識の低さを「今の若者はワークライフバランスを重視するようになったから」と理由付けする論調が非常に多い。例えば、次のような感じ。“最近の若者の中には、特にやりたいことはない、という人が増えましたよね。一方、プライベートの時間を充実させたい、私生活を豊かにするために働きたい、と考えるのがイマドキの若者です。
したがって、就職先を選ぶときも、ワークライフバランスを最重視する。端的に言えば、給料はそこそこで早く帰れる会社、となります。”
あるいは、次のような感じ。
“現在の若者は非常に多様な趣味を持っています。昔のように、皆が車を持つ、といった時代ではなく、それぞれが好きなことを大事にする時代。よって、働き方を考えるときも趣味の時間の確保が最優先となる。それが今の若者の仕事観です。就職先の選択において、ある程度の給与がもらえる安定した会社、という条件が一番に挙がってくるのも、趣味の時間を意識した結果でしょう。彼らは、節約するところは徹底的に節約する一方、好きなところにはお金を惜しみません。”
いかがだろう? 専門家のコメントを引用したように見せているが、実は私の完全な創作だ。それでもどこかで読んだことがあるような感じがするのではないだろうか。
しかし、世に出回っているこれらの論調には2つの重大な誤解が含まれている。
第1の誤解は、若者のプライベートな時間の重要度が上がったがゆえに、仕事に対する意識が低下した、と考えることだ。
これの何が誤解かというと、「今の若者は積極的にワークライフバランスを取りにいっている」と考える点にある。人並み以上に努力する=意識高い系の人たち、ワークライフバランスを重視する=そのほかの人たち、というイメージだろうか。
しかしよく考えてほしい。いい子症候群の視座からは、積極的にワークライフバランスを取る時点で意識高い系なのだ。(中略)
第2の誤解は、そのプライベート時間の解釈にある。先のなんちゃって引用文の中で、「若者は多様な趣味を持っている」という”専門家”の意見を紹介した。
が、実際にはその可能性は低い。
自分の好きなことに惜しみなくお金をつぎ込む姿勢も、やはり私から言わせれば、ごく少数の意識高い系のすることだ。仕事もそこそこに後はやりたいことに熱中する人は、はたから見ても生き生きしているはずだ。
それでは、多くの若者がプライベートの時間に何をしているかといえば、ゲーム、ユーチューブ、Amazonプライム・ビデオ、Netflix、そしてSNSだ。これらかコロナ禍のステイホームによってより加速した。
は? そんなこと? と思うかもしれないが、そう、そんなことだ。もう一度言うが、本書で議論しているいい子症候群の若者たちには、特にやりたいことはないのだ。そもそも、人に譲れないほどの趣味を持つ人なら、仕事もそれなりにがんばれる。ある意味で自分の中に1つの軸ができているから、陰キャぽくもメンヘラぽくもなったりしない。
最近の若者はプライベート重視で、仕事にも出世にも興味はない。ないはずなのに、職場の飲み会に行く割合は、長らく続いた減少傾向から一転して増加基調にある。多くの識者はその解釈に苦しんでいるようだ。
最近の新人は飲み会に誘うと「残業手当はつきますか」って言うんじゃなかったっけ? と思う人もいるだろう。
しかし、考えてみれば簡単で、そんな断り方をするなんて確固たる自分、ゆるぎない強固な意志を持っている証拠だ。そんなものはいい子症候群の若者にはない。
あるのは、表面的に周りに合わせる抜群の協調性だ。それがいい子というものだ。しかも最近の飲み会は昔と違ってクリーンだ。「一気飲みコール」なんてないし、若者にピッチャー片手に注ぎに回らせるなんてこともなくなった。上司たちの自宅位置を把握した上で、絶妙のタイミングでタクシーを呼ぶなんて必要もない。適当に周りに合わせてご飯を食べて帰るだけだ。
飲み会に参加するめんどくささと、飲み会に断固として行かないと自己主張するめんどくささを天秤にかけると、「どっちもイヤだけど、2時間我慢して座ってご飯食べていたほうがまだラクだし後腐れもないかな」という結論に達するのは、わかるような気がします。
僕自身もずっとそんな感じだったし。
ネットでは、「絶対定時に帰る」という人や「自分がやったことにはきちんと対価や手当を要求する」ことが称賛されがちですが、よほど突き抜けた能力を持っている不可欠な人材でもないかぎり、それを貫いて生きるのは、かえって大変そうですよね。
中高年層の立場からは、「ちゃんと日中に仕事をして、終わらせてから定時に帰れよ……結局、他の『いいやつ』にしわ寄せがいってるだけじゃないか……」と言いたくなることもありますし。
ネットで声が大きい人には、「意識高い系」というか「権利意識だけが高くて、自分の仕事をしない系」も少なくないはずです。
正直、僕もずっと「自分にものすごい理想や、やりたいことがあるわけではなく、流されて生きてきた」し、ほとんどの人は、若者、中高年層に限らず、一般人って、そういうものではないか、とも思うんですよ。
SNSでは、「他人の目を気にせずに、自分がやりたいことをやっている(ように見える)人」や「自分の『正当な権利』を断固主張する」人が多くのフォロワーを集めている一方で、「芸能人や有名人の秘密や悪行を暴露する人」も大人気となっているのです。
その暴露している人も、悪行のお膳立てをしていたり、相手からさまざまな見返りを得てきたりしているにもかかわらず。
結局、僕が観測してきたこの30年くらいでいえば、「多数派の若者たちの生き方」は、あまり変化していない、というのが実感で、そのなかで、「より合理的に、リスクを下げて生きるようになってきている」だけではないか、という気がするのです。
若者たちがそうなってしまったのは、自分の親世代をみてきたことと、ネット社会でチヤホヤされていた人たちがあっという間に転落していくのを日々目の当たりにしていることの影響と、人生よりもテレビゲームやNetflixのほうがめんどくさくないし、楽しい、というだけのことなのかもしれません。
自分の人生をめんどくさくすることや、「挑戦」は、YouTubeやTwitterで稼いでいる「インフルエンサー」に任せておけばいい。
彼らが成功しても、どうせすぐに転落するし、失敗しても、「自分じゃなくてよかった」と安心できる。
すでに50歳の僕だって、最近はそう思っているから。
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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Photo by Adrian Swancar