もう40年近くも前の話だが、夏休みの登校日で「特別平和授業」を受けた時のことだ。

担任の先生から、今も忘れられないほどに強烈に怒られたことがある。

 

なお特別平和授業とは、昭和の頃には全国の小中学校で普通に行われていたように思うが、要するに反戦教育である。

地域により多少の温度差はあると思うが、戦前の日本の”愚行や蛮行”といったような説明から始まり、

「軍隊は暴走するので、絶対に持ってはならない」

というオチで終わることが、毎年恒例であった。

そして夏休み明けに反戦作文を提出し、その内容に応じて優秀賞などが選ばれ校内に貼り出されるまでがセットというものである。

 

小学6年生にもなるともう、何をどう書けば「先生が喜ぶのか」わかっている。

そのためその年も要旨、私は以下のような内容で“反戦作文”を書き上げていた。

 

「日本は悪い国であり、悪い民族だったと知って本当に驚きました」

「こんな国は滅ぼされても当然だったでしょう。日本は謝罪し続けなければなりません」

「多くの日本人が死んでしまったのは残念ですが、日本が悪いので仕方ありません」

 

これで今年も、優秀賞が狙えるだろう。

夏休み明け、意気揚々と提出した作文だったのだが、後日担任の先生から放課後残るように言われると、意外なひとことを突きつけられることになる。

 

「桃野くん、これは本音で書いてますか?」

 

「タバコはもう諦めろ」

話は変わるが先日、友人と居酒屋に入ろうとした時のことだ。

完全禁煙というだけでなく、喫煙スペースも設けられていないことを告げられると、友人がこんな愚痴をこぼすことがあった。

「高額のたばこ税を支払ってるんだから、国はもっと喫煙者を優遇してくれてもいいのになぁ…」

 

友人は長年のヘビースモーカーで、酒を飲みながらタバコを吸えないことがいつも不満そうだった。

国の財政にこれだけ貢献しているのに、なぜ喫煙者が迫害されるんだと、納得いかないということなのだろう。

 

「そりゃあ無理だろう。たばこへの重課税は税収のためじゃなく、喫煙者を絶滅させることが目的なんだから」

「何のためにそんなことするんや?生産者も困るし、税収も減るし、誰も得せんやん」

「そうだな…例えばこんな話を知ってるか?」

そういうと私は、1895年(明治28年)から始まった日本による台湾統治の話を始める。

 

日本が統治し始めた頃の台湾は、清国(中国)と同様にイギリスの“被害”をまともに受けており、多くの国民がアヘン漬けになって苦しんでいた。

そんな中、初代台湾総督に着任した樺山資紀は当然、この状況を許さずアヘンの製造・販売を厳しく取り締まるのだが、逆に現地の人々の激しい抵抗に遭い頓挫してしまう。

そして1年余りで職を解かれるものの、2代目総督・桂太郎、3代目総督・乃木希典と代を重ねても、状況は変わらなかった。

 

状況が変わったのは、4代目総督・児玉源太郎の時代だった。

児玉は民政長官(行政トップ)に後藤新平を抜擢すると、その進言に従い、事もあろうに政府の専売事業としてアヘンの流通・使用を認めてしまったのだ。

なぜ児玉と後藤は、国民をボロボロにし国を崩壊させかねない薬物の流通を保護してしまったのか。

 

実は後藤は元々医師なのだが、後に外務大臣や内務大臣も歴任することになる、非常に現実主義的な政治家でもあった。

そのため、「アヘンの製造・流通を政府の厳しい管理下に置き、50年かけて根絶する」という漸禁策を採用したということである。

 

そしてアヘンに重税をかけ、また登録者にしか販売を認めないなど入手困難なものに変えていき、一般民衆から薬物を遠ざける。

さらにアヘンの製造や流通で生活をしていた人々を保護し、時間をかけて別の仕事への転業を促すなど、社会の急激な変化を避け秩序を維持した。

このような現実的な政策の成果もあり、治安は劇的に改善し、50年の時を経てアヘンは台湾から完全に駆逐されることになった。

 

「どうだ、100年前の話とは思えないほどに、今のタバコの状況に似てると思わないか?50年後には、もうタバコは日本から消えてると思うぞ」

「うーん。タバコはアヘンほど有害じゃないだろ、これっぽっちも納得いかねえ」

「有害性については、俺は知らん。ただ税収目的なら、若者をタバコに馴染ませ喫煙習慣を作りに行くはずだ。国策は完全にその逆なんだし、もう諦めろ」

 

友人はそれでもブツブツ言っていたが、次にたばこ税をアップされたら、さすがに頭にくるから完全に禁煙すると宣言した。

どうやら100年経った今も、漸禁策は頑なな友人にも有効に機能するようだ。

 

一方で、日本が台湾で採ったこのようなアヘン追放政策について今、詳しく知る人はどれほどいるだろうか。

恐らく近現代史マニアか、日本の統治政策に興味を持って学んだ人くらいのものだろう。

50年後に成果が出るような政策なので、当然と言えば当然なのだが。

 

政治家や組織のリーダーとは、目先の利益ばかりを追い求めているうちはきっと大した仕事などできないのだろう。

社会を変えるほどの大きな仕事とは、10年後、20年後、時には50年後の変化を見据えて種を撒く必要がある、地道な努力の連続なのだから。

そしてその成果が実る頃、その英断を下したリーダーはもうこの世にいない。

それどころか、児玉や後藤がそうであるように、誰もその決断を記憶すらしていない“虚しい”仕事なのかもしれない。

しかし間違いなく、私たちが学ぶべきことが多い逸話の一つである。

 

歴史に残すべきリーダーの選択としてぜひ、多くの人に知ってもらいたいと願っている

 

「かっこいい人のやることではありません」

話は冒頭の、”反戦教育”についてだ。

なぜ私は、大人が喜びそうな作文を提出したのに放課後に呼び出され、先生にコテンパンに叱られてしまったのか。

 

「桃野くん、これは本音で書いてますか?」

「・・・え?」

「これが桃野くんの本音なのであれば、先生はもちろん何もいいません。答えて下さい」

「・・・」

「この作文は返します。もう一度、よく考えて下さい」

 

口調や態度はとても穏やかで冷静だが、しかし先生は明らかに怒っていた。子どもにもわかるほどに冷たく、そして悲しそうに私の目を見つめていた。

そしてそれは、内容そのものにではなく、心にもないことを書き“点数を取りにいっている”ことを見抜いているからなのは明らかだった。

 

私は、自分が本当はどう思っているのか、何を疑問に思っているのかを口に出すことを諦めていた。

それほどに“反戦教育”の圧は、子どもには強烈なものだったのだろう。

僅かでも疑問を口にしたら怒られるのなら、大人が言って欲しそうなことを書いて褒められる方が得ではないか。

そう思い「現実に妥協した」立ち居振る舞いだったのだが、先生は逆にその態度をこそ間違っていると、本気で叱ってくれたのだった。

 

結局私は要旨、以下のようなことを書いて再提出した。

「子どもでもわかるような愚かなことを、なぜ大人たちはしたのですか?理由がわかりません」

「空を飛ぶ敵機を竹槍で突き落とそうとしたというのは、本当の話なのでしょうか。おじいちゃんたちがそこまで頭が悪いとは信じられず困っています」

 

先生はそれを読むとただひとこと、こう言った。

「疑問に思ったことは諦めず、積極的に学べる人になって下さい。心にもないことを書いて褒められるのは、かっこいい人のやることではありません」

 

・・・よくわからない涙が溢れた。叱られて嬉し涙が出た記憶は、人生でこの時くらいだろうか。

結局その年、私は何一つ賞をもらえなかったが満足だった。

今も生涯でただ一人、尊敬できるといい切れる恩師に本当の意味での教えを頂けたのだから。

 

思えば大なり小なり、私たち昭和の教育を受けてきた世代にはいつも、このような“圧”があったような気がする。

「決定権のある人間が考える正解」におもねって、その意図通りに解答(回答)する技術が求められる、クソみたいな“教育”だ。

そしてそんな昭和の教育の“成果”は今、社会の中心で活躍すべき世代に色濃く、後遺症として残っているように思えてならない。

すなわち、「上司の言う通りにすればいい。正しいかどうかなど、どうでもいい」という諦めである。

このような思考停止を唯一の正解にする狂った教育や仕事の在り方は、いい加減に私たちオッサンの世代で終わらせなければならない。

 

児玉源太郎や後藤新平がそうであったように、どれほど頑張っても、その果実や名誉を自分自身が受け取れることは、恐らく無いだろう。

しかし10年後、20年後、あるいは50年後のために今、社会で責任ある立場にあるリーダーには、そんな価値観で部下や組織を率いてもらいたいと願っている。

 

「自分の頭で考え、判断しなさい」

「小手先の上手さなど、人生では何の足しにもなりません」

先生の教えが、40年近くたった今になってこそ心に沁みる。

まさに50年後の未来のために種を蒔いて頂いたのだと、本当に感謝している。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

恩師・熊尾マサ子先生は私の卒業後、程なくしてお亡くなりになったのですが、一昨年、お墓を探しあてることができて30数年ぶりの”再会”を果たしました。
するとそこには、小さな墓石に、お名前の代わりに一遍の自作の詩が刻まれていました。

見上げてごらん 青い空
雲は悠然 鳥は悠々
そして絆 悠久

いつの日か、教え子が訪ねて来た時の為に用意したのでしょう。
改めて、素晴らしい先生でした。

twitter@momono_tinect

fecebook桃野泰徳

Photo by : Boudewijn Huysmans