新幹線は山側にしか座らない。
とても混雑していて海側しか空いていないだとか、複数人で利用していて自分に選択権がないなど、そういった場合を除いて選べる状況であれば必ず山側に座るようにしている。
東海道・山陽新幹線は特徴的な新幹線路線だ。東京から新大阪を抜け博多まで到達するこの路線は、日本の主要都市をカバーする大動脈ともいえ、利用客も本数も多い。まさに日本を代表する路線だろう。
それとは別に、この路線にはもうひとつ大きな特徴がある。座るサイドによって見える景色が大きく異なるという点だ。
山側に座れば、静岡県に入ってしばらくすれば富士山が見えるようになる。
それ以外にも山々が見えるし、どこまで続いているのか分からないほどの平野の向こうにちょっとした街並みやイオンが見えたりする。なかなか牧歌的な風景が多い。
反面、海側に座れば延々と海の景色と、その海沿いに立ち並ぶ家々、海岸線に沿って真っすぐ伸びる道路などを見ることができる。
どちらを選ぶかでここまで大きく景色が変わる新幹線路線はそう多くはない。
山が見たいなら山側、海が見たいなら海側、見たいサイドを選んで座ればそう問題はないが、事はそう単純ではない。
なぜなら、独り身で乗る場合は圧倒的に海側の方が座りやすいからだ。これには新幹線のシート事情に起因している。
2016年に大ヒットした映画「君の名は。」(監督・脚本:新海誠)には明確な間違いがある。
主人公たち3人が真相を知るために飛騨地方へと向かうシーンだ。主人公たち3人が3列シートに並んで座り、車窓から富士山を眺めるシーンがある。
どうしても3人が並んで座るシーンを描写し、なおかつ富士山を出したかったのだろうけど、本来、東海道新幹線は山側に3列シートがこない。上りでも下りでも山側は必ず2列シートだ。
物語の描写において重箱の隅をつつくような指摘はあまり好きではない。それどころか、この作品は鉄道の描写においてはやけにちぐはぐな描写が多いので、意図的にやっている可能性があり、意味のない指摘なのかもしれない。
とにかく、新幹線において山側か海側かは座りやすさで考えても、なかなか深い事象なのだ。
自由席に独りで座る場合、窓際に座ることを考えると圧倒的に3列シート、つまり海側が座りやすい。
3列シートの真ん中座席は、よほどの混雑がない限り人が座ることがないからだ。
窓際がぜんぶ埋まると、3列シートの通路側が埋まる。そしてそこも埋まると2列シートの通路側が埋まる。
そして最後に埋まるのが3列シートの真ん中だ。ここが埋まるときはほぼ満員状態だ。つまり、隣に人が来ない快適な状態を狙うなら海側に座ることがベストとなる。
それなのに、僕は選択できる場面ではあえて海側に座らず、山側に座る。
けっこう早い段階で隣に人が来ることになる2列シートの山側に座る。それには理由があるのだ。
その日、僕はいつものように山側の窓際に座っていた。本来ならお酒を飲んで寝てしまうところだけど、その日はそうはいかなかった。
締め切りがあったのだ。なかなか切羽詰まった締め切りで、なんとか新大阪に到着するまでに書き上げなければならない状況だった。間に合わなかったらどエライめに遭わされてしまう。そんな抜き差しならない状態だ。どうしてこんな状態になるまで放置していたんだ。
仕方がないのでパソコンを取り出してカチャカチャと原稿を書いていた。
僕は原稿を書くとき、おもしれーとニヤニヤしながら書くのでなかなか気持ち悪い。
そうやって気持ち悪い感じで書いていたところ新横浜駅でワッと人が乗り込んできた。やはり2列シートの山側なのですぐに隣に人が座ってきた。なかなか誠実そうな青年が、スタバのカップを持ちながら座ってきた。
とにかく新大阪に到着するまでに書き上げなければならないので一心不乱に書いていると、なぜか、その隣の青年が突如として話しかけてきた。
「すいません。もしかしてpatoさんですか?」
「なぜそれを!」
あまりの展開に驚いてしまい、けっこう大きめの声を上げてしまった。
僕はネット上で顔を出していないし、そこまで知名度があるわけではないので、こうして知らない人に指摘されるとテンパってしまう。以前にもサウナ内で同じように声をかけられたときは悲鳴を上げたほどだ。
「以前、イベントで見たことがあるんでもしかしたらそうかな、でも似てる人なのかもしれないしと思って迷っていたんですけど、ちょっと見えちゃったパソコンのそれ、書いてる内容が明らかにpatoさんなので」
画面を盗み見るなんてふてえやろうだと思ったのだけど、まあ、仕方がない。この内容なら看破されるよな、という低俗な内容の原稿を書いていた。
「前にイベントで見たときは話しかけられなかったんですけど、お話する機会があったらきいてみたいことがあったんです」
青年は目をキラキラさせながらグイグイと話しかけてくる。
「僕もWebライターみたいなことしているんですけど、なかなか上手くいかなくてですね。なんというか、言われたままのものを言われたままにパソコンに打ち込むだけみたいに感じるんです。そんな仕事しか来ないんです。どうしたらpatoさんみたいに人の心を揺さぶるような上手な文章を書けるんだろうって、ずっと疑問で、その秘訣を聞きたかったんです」
僕はなぜかこの手の質問をよくされる。
僕自身は自分が文章上手だと思わないし、それどころかその“文章が上手”という概念が良く分からない。本当にそんな概念があるのかと懐疑的に思っているくらいだ。だからこの手の質問は答えに窮してしまう。
「Webライターとして活動しているということは後輩さんだね」
特に書く活動をしていない人が相手なら、角が立たないように「たくさん書いて読むべし」みたいな無難なことをアドバイスしてお茶を濁すのだけど、すでにWebライターとして活動している人が相手だと無難なアドバイスは足を引っ張ってしまいかねない。ここは真摯に本質的なアドバイスをするべきだ。
「僕は“文章が上手”という状態はよく分からないし、自分がそうだとは思わない。けれども、面白い文章を書くなあ、という人は例外なく“気づき方と切り取り方が上手い”と思う」
「気付き方と切り取り方、ですか?」
青年は首を傾げてみせた。
「人生において稀にものすごい大事件が起こることがあるでしょ。それを文章にすれば確かに面白い。でも、みんなの人生、そんなに何度も大事件、起こらないよね」
その言葉に青年が深く頷く。
「そうなると、みんなと同じ日常を生きながら、その中から何かに気付き、切り取ってくる必要があるわけ。あれはなんだろう。どうしてそうなってるんだろう。ということはこういうことか。気づいて切り取って料理して思考を展開させていく。それはすぐに面白い文章になったりしなくても、いつかどこかで役に立つ。そういうことを日常からしている人の文章は面白いなあって思うよ」
切り取り方が上手いかどうかが重要で、俗に言われる文章力なんてものはあとでいくらでもついてくる。僕は常にそう信じている。
「ちょっとよくわからないですね」
青年はあまりピンと来ていない様子だった。
けっこう失礼なことをズバズバいうタイプだな。そこは嘘でも納得した感じを出しておけよ。
仕方がないのでパソコンの画面を彼の方に向け、フォルダから1枚の画像を開いて見せた。
「これ、なんだかわかる?」
青年はすぐに答える。
「地下鉄の案内図ですね。車内に貼ってあるやつですね」
「そう、丸ノ内線の車内に貼ってある案内図だね。これをみて目的の駅まで何駅あるかとか、乗り換えを調べたりするわけ」
「そうですね」
「これは日常の中にあるもので、特に不思議でもなんでもない。ただ、なんとも思わないかもしれないけど、いくらでも「気付く」要素がある」
「気付く、ですか?」
「新宿はやはり乗り換えが多いんだなとか、赤坂見附と大手町も乗り換えが多いけど、地下鉄ばかりだぞとか、とっかかりはいくらでもあるよね。新宿は他の路線への乗り換えが多いのに、なぜ赤坂見附は地下鉄ばかりなんだろうとか。これが気付き。気付くことで“地下鉄ばかりの駅、赤坂見附”という概念が生まれてきて、これを温めておく」
「なるほど」
「その概念がどこかで活きる。例えば赤坂見附で乗り換えたってことは必ず地下鉄に乗ったってことになる。その知識が創作の場面などでも活きることがある。ミステリにも使えるかもしれない。これは日常から気付いて思考しないと手に入りにくい知識だ」
青年はパソコン画面に近づき、食い入るように画像を見ていた。
「ただ、この画像からはもっと本質的な“気付き”ができる」
「駅名の頭についている赤と青の三角形だよ」
「ああ、確かについてますね、駅名の上に三角形」
この三角形の意味は、左下に記載された凡例をみればすぐに理解できる。該当の駅においてどちら側のドアが開くのかを示したものだ。
「本当、どっちのドアが開くかなんてそうたいした問題じゃないと思うんだよね。座るサイドによって快適さや景色が違う新幹線じゃあるまいしね。地下鉄は景色も見えないし座席構成も同じだから、どっちにいようが、どっちのドアが開こうが関係ない。ただ、この印が絶大な威力を発揮する場面がある」
「満員電車ですか?」
僕のあまりの勢いに引き気味だった青年も次第にノッてきた。食いつくように回答する。
「そう、身動き取れないレベルの満員電車はどちらのドアが開くのかが重要だ。何駅も前から徐々に準備して開くサイドに移動する必要がある。だからこんな記載があるんだろうなと想像することができる。絶対に満員にならなさそうな田舎の路線にはなかなかこんな表記ないからね。都会ならではの表記かもしれない。これが“気づき”だよ」
「そしてこの表記が面白いと思わない?」
青い三角は電車の進行方向が案内板と向かい合った状態で左側の時に“こちら側のドアが開く”駅、赤の三角が進行方向が右側の時に“こちら側のドアが開く”駅を表している、どちらもの三角もこちら側のドアが開く進行方法を示している。なぜこんな表記方法しかできなかったのか。
東海道新幹線の2列シートが上りでも下りでも必ず山側にあるように、丸ノ内線も上り線であっても下り線であっても車両は同じ方向を向いて運用される。どこかで車両が転回することがないのだ。
地下鉄駅の構造上、上りと下りでは入るホームが異なり、開くドアが左右逆になることが多いので、このように“進行方向に対してこちらのドアが開く”という遠回りな表示になってしまうわけだ。
進行方向によって開くドアが異なることをどう表現するか、そこにかなりの苦労があった形跡が読み取れる。
「ただ、それだけじゃなく本当はもっと「気付く」要素がある」
「まだあるんすか」
青年はちょっと面倒そうな感じになっていた。正直なやつだ。
「もういちどよく案内図を見て欲しい。とても不思議な駅がある」
「霞ヶ関ですか」
「そう!」
なぜか、霞ヶ関駅だけどちらのドアが開くのかの表記が存在しないのだ。
「ダイヤによって開くドアが変わるからじゃないですか。この時間のやつはこっちが開くとか」
「それは池袋駅で使われているね。大手町駅の下あたりに注意書きもある。池袋は終着駅だから、上り下りの概念がない。入るホームによって開くドアが異なる。そういう時の表記は白抜きの三角が両方だ。だからそれは違うことになる」
「じゃあなんなんでしょう」
「そこが気づきからの思考、“切り取り”なわけよ」
「霞ヶ関」とは国家の中枢機関が集まる重要な場所だ。その地下深くにある地下鉄駅もまた重要な駅で、テロなどの標的にもなりやすい。
つまり、どちらのドアが開くのかの情報は国防上の重要機密であり、例え地下鉄の車内の案内表示であっても軽々に明かすことができない情報じゃないだろうか。
もちろんこれは間違いなのだけど、こういった思考を巡らすことができる。
「霞ヶ関」とは国家の中枢機関が集まる重要な場所だ。当然、官僚などが多く利用する駅だ。
官僚的な世界では往々にしてバカげた無駄な事象が生じることがある。一見すると無意味な何かの陰には政治家や官僚の意図が絡んでいる。利益誘導や個人的な感情だ。おそらく、この霞ヶ関のドア表記においても政治家や官僚の意図が絡んでいるに違いない。
国土交通省に努める官僚は狙っている女がいた。銀座にある行きつけのバーでしっぽりと飲んだのち、そろそろいい時間なのでと丸ノ内線に乗り込んだ。
官僚はできれば女をお持ち帰りしたい。女はまだ早いと考えている。悩みに悩んだ官僚は、地下鉄に乗り込むとすぐに女に切り出した。
「知ってる? 確定しない未来を確定させる方法」
「なに?」
「どっちかに決め打つんだ。決め打ってしまえば、その未来はその決め打ちが「あたり」か「はずれ」かに確定する。決めた瞬間にどちらか確定するんだ」
「わかんない」
女は難しい話が苦手だった。男は少しだけ顔を近づけて呟いた。
「ほら、次は俺の職場がある霞ヶ関だよ。霞ヶ関ってのは不思議な駅でね、どちらのドアが開くのか全くランダムなんだ。まるで確定していない未来、僕たちみたいだと思わない?」
「うそだあ」
「ほんとだよ、国防上の理由で空けるドアをランダムにしていて、どちらのドアが開くのかは明らかにされていないんだ、ほら、車内に貼ってある案内図を見てごらん、他の駅はどっちのドアが開くのか書いてあるのに霞ヶ関だけ書いていない」
「ほんとだ」
女は国家の秘密に触れたみたいに感じ、胸の高鳴りを感じた。顔が紅潮する。
男はさらに顔を近づけ、耳元で囁く。
「未来を確定させよう。ランダムに開く霞ヶ関のドアを俺が当てたら今日は俺と過ごす。外れたら今日は解散ってことで」
「え?」
「決め打ってしまえば未来は確定する。僕と君に縁があるか、それともないのか」
当然、男はどちらのドアが開くのか知っている。ランダムでもなんでもないからだ。このあと、ズバリと言い当てるのだ。このように官僚がナンパに使うために霞ヶ関のドアが隠されている可能性がある。
「そんなわけないでしょ」
青年は即座に否定した。けっこうズバズバ言うタイプだな。
「もちろんそんなわけないけど、こうやって延々と理由を考え、ストーリーを紡いでいくんだよ。それが“気付く”ということ。これが上手い人の文章は面白い」
実際に、この霞ヶ関駅の表記に関する正解は、赤坂見附駅を見れば解くことができる。
赤坂見附駅は白抜きではない赤と青の三角が両方記載されている。
なぜこんな記述になっているかというと、赤坂見附駅の構造に起因する。
赤坂見附駅は多くの地下鉄が乗り入れる駅だ。
赤坂見附駅で乗り換えたということは必ず地下鉄に乗り換えたと言えるくらい、地下鉄が多い。そして、それ故に駅の構造がかなり複雑になっている。
地下鉄駅の多くは、上り線と下り線が向かい合って存在するか、島構造になって存在する。
ただし、丸ノ内線赤坂見附駅においては、上り線と下り線が、地下1階と2階に分かれている。そして、どちらの階であっても同じサイドに列車が入ってくる。
つまり、上り線であろうが下り線であろうが、同じサイドのドアが開く。どっちであっても、この案内図がある方のドアが開くので両方の三角で表現されている。
「ということは、霞ヶ関駅は」
「そう、表記がないんじゃなくて、上りでも下りでもこちらじゃないほうのドアが開くという表記がされているに過ぎない」
方向によって開くドアが変わる特性を案内するのに「こちら側のドアが開く」という表現を用いたため、「こちら側のドアが開かない」という表現ができなくなった。だから霞ヶ関駅にはドアの表記がないように見えただけだ。
「本当にそうなんですか?だって霞ヶ関駅は上りも下りも同じ階のホームに入ってくるんですよね、それなのに絶対に案内図と反対のドアが開くってどんな構造をしているんですか」
「こういう構造をしている」
丸ノ内線の車内で案内図を見て、いろいろと思考した結果、そういう思考に辿り着いたので本当にそういう構造なのか用事もないのに霞ヶ関駅で降りて確かめた。
手前側が池袋行きの車両が、奥側が荻窪行きの車両が入る。その間が鉄の柵で閉鎖されている。
もともとは奥側の島式ホームで上下線をさばいていたけど、その後に単式のホームが増設されて、島側の片方は利用されなくなり、こうなった。どちらも同じ手前側のドアが開く。
疑問に思ったら思考を巡らせてここまで確認する。これが大切なのだ。
切り替わる列車の進行方向に対して「こちら側のドアが開く」と分かりやすい表記をしようとしたために「こちら側のドアが開かない」という表記ができなくなった、何かを合理的に表現しようとして何かが表現できなくなる、そんな教訓めいた何かを含んだエピソードが誕生する。これが“気付き”の次に来る “切り取る”ということだ。
「問題はね、これを切り取ってすぐに“これで1本なにか書いてやろう”としちゃいけないんだよ。こういうのは知識として取っておいて、しかるべきタイミングでこれを使った何かを出すんだよ。これだってずっと温めてあって、新幹線で隣の席に座った青年に“切り取り”を説明するのに出しているわけだしね。で、僕はこんな“切り取り”をたくさんストックしている」
「なるほど、これが切り取りなんですね」
「面白い文章だなあというものはだいたい、この切り取りが上手い。みんな見てるものは一緒だけど、そこから何を取り出すかで力量の差がでる」
あまりに熱心に説明しすぎていて新幹線は静岡を通りすぎ、名古屋に近づきつつあった。
ちょっと楽しみにしていた富士山はいつの間にか通りすぎていた。
「そうかあ、切り取りかあ。難しいなあ」
青年はまた深く頷き、少し困った表情を見せた。
「難しいよね。ただ、僕だって自然にできたわけじゃないよ。こうやって何かを切り取ることを“人生を一生懸命こなしている”って表現した人がいてね。僕はその人に倣ってやっているんだ」
また話が長くなってしまいそうな気配が漂ってきたが、仕方がないここまできたら最後まで話をしてしまおう。
「今もこうして僕は山側の席に座っているんだけど、僕はできるだけ新幹線では山側に座るようにしているんだ。それには理由があってね」
また僕の長い話がはじまった。
*
はるか昔のことだった。その日も新幹線に乗っていた。車内は格段に空いていていくらでも自由に席を選べる状態だった。
何の気もなしに、ちょっと富士山が見たいなと僕は山側の2列席、その窓際に座った。すぐに隣に人がやってきた。サラリーマン風のおっさんで、座るや否や、テーブルを出し、足を放り出して眠ってしまった。
その前の席には、スーツ姿の女性が二人、座っていた。どうやら職場の先輩と後輩のようで、これから出張に行くのだろう、しきりにプレゼン内容の確認などをしている話し声が聞こえていた。
「これで完璧だね」
先輩のそんな声が聞こえる。新幹線内はかなり静まりかえっていて意識していなくともやや高いトーンで話す二人の会話が聞こえてくる。
何らかの準備が終わったのか、二人の間には弛緩した空気が流れていた。
「あ、名古屋を過ぎたんだね。ちょっとごめんだけど、席を変わってくれる?」
通路側に座っていた先輩風の女性がそう切り出した。
窓の外の風景はあっという間に名古屋の街並みを置き去りにし、のんびりした田畑と川を映し出していた。
「いいですけど、どうしたんですか?」
後輩風の女性が立ち上がりながら疑問をぶつける。
「わたしさ、出張でかなりの数、この新幹線に乗るんだけど、絶対に山側の席に座るようにしているんだ。それもできれば窓側座席」
そう答えながらしっかりと窓際座席に座る。
「じつはね、このあたり、私の実家があるんだ」
「へえ、そうなんですか」
後輩の方は食いつきが悪く、あまり興味がなさそうだ。
先輩の実家は特徴的な形をしていて、黄色い屋根なので見ればすぐに見つかりそうとのことだった。
ある日、あまりに連日の新幹線乗車、出張にうんざりしていた先輩は、ふと窓の外を見たら、見知った街並みだった。
「もしかしたら実家が見えるかも」
これが“気付き”である。なんとなく新幹線が住んでいる町のあたりを通っていたけど、もしかしたら見えるかもしれないと気づいたことで、彼女の出張ライフが大きく変わった。
「私の実家はたぶん新幹線からギリギリ見えるかどうかなのね、もしかしたら見えるかもしれないし、見えないかもしれない」
「へえ、そうなんですか」
後輩ももうちょっと興味があるフリして聞いてやれよ。
「もし実家が見えたら、仕事を辞めて実家に帰ろうって決めたのね。深い理由はないんだけど、とにかく見えたら辞めようって思ったの」
「え?先輩、辞めるんですか?」
いきなり後輩が食いつきだした。
「新幹線から実家が見えたらね。まあ、ちょうど見えそうな場所は新幹線のスピードが速くてぜんぜん見つけられないんだけどね」
彼女は確定しない未来を漠然と生き、うんざりしながらも東京-大阪間の出張を繰り返していた。
そこに「実家が見えたら辞める」という確定要素を持ち込んだ。すると不思議な感情が自分の中に芽生えてきたらしい。
「今回も見えなかった。仕事を辞められなくて残念だなあって気持ちになることが多いんだけど、不思議なことにね、いまは大きなプロジェクトが始まったところだから見えないでよかった、って安心することもあったの」
ずっと漠然と“出張いやだ”だとか“仕事を辞めたい”だとかそんな気持ちだけだと思っていたのに、“今はもうちょっとやりたい”だとか“見えなくてよかった”って感情があることに初めて気が付いたらしい。
未来を確定させたからこそ自分の気付かない感情に気付いた。
彼女は“実家が見えるかも”というところに気が付き、そこで“見えたら辞める”と思考を展開したことで“自分でも気づかなかった感情”に気が付いた、という切り取りを行ったのだ。
「あ、やっぱ見えなかった」
少しだけ民家や商店が見えるようになったところ、新幹線はなかなかのスピードを出していた。どうやら今回も彼女は辞めることにはならなかったようだ。
「残念な気持ちですか? それともちょっと安心していますか?」
後輩が質問する。
「いまはちょっと安心している気持ちかな。せっかく後輩が育ってきたところだしね。もうちょっと一緒に仕事したいもん、ね、マキちゃん」
「先輩……!」
僕はそのやりとりを後ろで聞きながら、深い感銘を覚えていた。
気付き、思考を展開し、切り取る、それによって彼女のストーリーが完成しているのである。
「なんか、ただ新幹線に乗っているだけだとあれだけど、こうやって何かを設定して向き合うと色々な感情に気が付く、それはなんだか人生を一生懸命に生きているように思わない?」
彼女は“切り取り”という言葉こそは使わなかったものの、切り取ることが人生を一生懸命に生きていると言い切った。
*
「ということで、俺も、こうして新幹線に乗るときは山側の窓際に座って、もし彼女の実家、特徴的な黄色い屋根の家が見えたら、なにか大それたことしてやろうと決意して臨んでいるわけ」
僕の言葉に青年が頷く。
「なるほど。なんですか大それたことって、見えたら何をするんですか」
「それは秘密。ただまあ、そうやって決めつけて新幹線に乗っていると色々な感情に気が付くよ。それを切り取る。それはなんだか一生懸命に生きている感じがする」
ただ、特徴的な屋根の黄色い家という情報だけで、どんな家かも分からないし、僕は彼女と無関係な人間なので正確な場所も分からない。
おまけに該当の場所は本当に新幹線のスピードが速く、家々は流れるように過ぎ去っていく場所だった。ほぼ、見えないであろうことは明白だった。
「そろそろその地域に差し掛かるんだけど、やっぱ新幹線のスピード速いなあ、これじゃあ……」
と言いかけたところで車内放送が入った。
その車内放送によると、この先の方で天候が荒れているため、スピードを落として通行するとのことだった。ガクンと新幹線がスピードを落としたのが分かった。
「patoさん……! スピード落としてますよ! 見えるんじゃないですか!?」
二人のテンションが少しだけ上がる。
「見えるかもしれん! うおおおお、やべえな、見えたら整形手術するつもりだったんだけど……」
「秘密じゃなかったんですか」
二人して窓に張り付く。
「そろそろじゃないですか?」
「うおおおおおおおおおおおおおおお」
いつもよりゆっくり、該当の場所を新幹線が駆け抜けていく。
「見えなかったですね……」
「黄色い屋根、なかったね」
彼女の実家が見えたら整形をする、そう決めて新幹線に乗ることにより、本当に見えそうな状況になると、いや、見えない方が良いだろという感情に気が付く。費用面もさることながら、けっこう自分の顔を好きなのかもしれないという気付きを得るのだ。
「なんか、一生懸命に生きている感じがしますね」
青年が笑った。
「でしょ。気付き、思考を展開させ、切り取って行動する。それは日常と自分自身を違う側面から見ることになる。それができる人が書く文章が面白いと僕は思う。それが秘訣かな。文章力なんてあとでなんとでもなる」
それから新大阪駅まで僕たちの会話は弾んだ。
「ありがとうございました。僕も頑張ってやってみます! 気付きと切り取り、ですね」
新大阪駅の新幹線ホーム、青年が深々と頭を下げた。
「がんばってね」
去ろうとする青年を呼び止める。
「あ、誤解のないように付け加えるけど、気づいて切り取ることが“人生を一生懸命に生きている”って表現したけど、決して、それをしていない人が一生懸命に生きていないわけじゃないからね」
「あれは、切り取る人がダイナミックに生きている感じを出そうと“一生懸命に生きている”という表現を選んでしまったことでそうでない人を表現しにくくなっただけだから、何かを効率的に表現しようとして別の何かを表現できなくなっただけだから。例えるなら地下鉄丸ノ内線には開くドアの表記があるんだけど、霞ヶ関の表記では……」
「もうわかりましたから!」
青年はそういってホームの雑踏へと消えていった。
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