日本のサービスは、やりすぎだ。

「モンスターカスタマー」という言葉があるように、電話口で何時間も怒鳴り続けたり、コンビニ店員を土下座させたり、電車の遅延にキレて車掌につかみかかったりなど、とにかく横暴な客が多い。

 

こんなのおかしい。

そこまでへりくだらなくてもいいじゃないか。

 

ドイツに住んで改めて思うが、客と店員は対等な立場であるべきだし、そうすることによってお互い思いやりを持てる。

「日本はドイツを見習うべき!」という主張はあまり好きではないが、この点に関しては、日本はもっとおおざっぱになっていいんじゃないかと思う。

 

……というのがわたしの考えだったが、よくよく考えると、日本で客と店員が対等な立場になることは、そもそも不可能なのかもしれない。

なぜなら日本には、「店員を呼ぶベル」があるからだ。

 

日本では呼んだらすぐに店員が来るのに、ドイツでは……

だいぶドイツの生活に染まったわたしではあるが、いまだにイライラすることがある。

それは、レストランで店員がまったく来ないときだ。

 

注文が決まったのに店員が来ないから注文できない。会計して家に帰りたいのに店員が来ないから帰れない。

店員を呼ぶまで10分以上待ち、やっと店員を呼べたかと思えば「あとで来るから」とさらに待たされようやく注文……なんてことも珍しくない。

 

日本と海外では接客のスタイルがちがうことは重々承知しているが、それでもいまだに「遅い!」とイラついてしまう。

そこでふと思ったのだが、なぜわたしは、店員がすぐ来ないことにこんなにもストレスを感じるのだろう?

梱包の雑さや役所の仕事の遅さなどには、ずいぶん耐性がついているのに……。

 

そこで思い至ったのが、「店員を呼ぶベル」の存在である。

卓上ベル、通称ピンポン(人によってはチャイムと呼ぶかもしれない)。

 

日本は店員を呼ぶための卓上ベルが多く、高校生のときに通ったサイゼリヤや大学時代の行きつけのチェーン居酒屋、最近では回転寿司など、どこにでもベルがある。

タッチパネルで注文の店は端末から店員を呼ぶので、それもまた「店員を呼ぶベル」の一種といえるだろう。

 

このベルがあることによって、客は「呼べばすぐに店員が来る」と認識する。

たとえベルがない店だとしても、呼べばすぐに店員が来る環境に慣れているから、ベルの代わりに大きい声で「すみませーん」と店員を呼ぶことにも、抵抗がない。

 

わたしにとって店員は「呼べばすぐ来る」ものだったからから、ドイツで「店員を待つ」状況にストレスを感じるのかもしれない。

 

ベルで呼びつける=上下関係が成立している

「ベルで呼べばすぐに来る」と言われて、みなさんはなにを思い浮かべるだろうか。

 

わたしは、執事だ。

アニメなんかでよくある、王族や貴族がチリンと鳴らし、「お呼びでしょうか」と老年の紳士や年若い淑女がやってくるシーン。

 

呼びつけるのには当然、主従関係、上下関係が存在する。執事が伯爵を呼びつけることはありえない。

たとえば、部活の顧問が「せいれーつ」と言えば、部員はすぐに雑談を中止して顧問のもとへ駆けつけるが、逆はない。

 

「呼べば来る」というのは、「呼ぶ側の立場が上」で、「呼ばれる側の立場が下」のときにのみ成立するのだ(親と赤ん坊のような例外的な関係もあるが)。

呼びつけることが許される=上の立場が確定する。

 

そうなれば当然、呼びつける側は、「俺様は偉いんだから俺様の言いつけはすぐにやれ」と考え、横柄な態度になる。

逆に、呼びつけられる側は、ご主人様のもとへはせ参じる時点で「自分は立場が下」という意識が生まれるので、相手に強く反発したり要求を断ったりすることが難しくなる。

 

……というわけで、「呼びつける」ことを許容している時点で、すでに客と店員の上下関係が成立しているんじゃないかと思う。

 

「店員を大きい声で呼ぶのは失礼」という価値観

ちなみにドイツの飲食店でベルを見たことは、いまのところ一度もない。

(ホテルのフロントにはよくあるが、ホテルは時間を問わずゲストが来るし、フロント担当者はバックヤードでも仕事があるから、それはまた飲食店とはちがうと思っている)

 

ではドイツのレストランで店員をどう呼ぶか?

 

そもそも、この考えがすでにまちがっているのだ。

「呼ぶ」のではなく、「待つ」のだから。

 

店員が「ご注文はお決まりですか?」とか「問題はありませんか?」とか、話しかけてくれるのをひたすら待つ。レストランが混んでいれば、10分や20分店員が来なくても、ひたすら待つ。

いくら待っても話しかけてもらえなときは、しかたなく大きい声で呼ぶ……のではなく、次は「店員をガン見して目が合うのを待つ」。

 

通りかかる店員をガン見して、こっちを見てくれることを祈る。

目が合えば成功、目が合わなければさらなるチャンスを待つ。

 

待っても無理そうだな、という場合は、相手の視界に入るように、控えめに手を挙げてアピールする。ここまでやれば、たいていだれかしら来てくれる。

そう、「来てくれる」「来てもらう」という認識なのだ。

 

「客のほうが偉い」という前提がないので、「呼んだらすぐに店員が来て自分の思い通りに動くべき」なんて考えにはならず、おとなしく待つという選択肢を選ぶ。

とりあえずわたしが行ったドイツレストランは、基本的にどこもこんな感じである。

 

客が自動的に「上」に位置づけられる慣習

実際わたしがドイツのレストランで働いてみたら、あまりのラクさにびっくりした。

待たせてもお客様が怒らない! ミスしても許してくれる! とにかく優しい!

 

それならわたしも、この人のためになにかをしたい。

いいお客様には、より楽しんでもらいたい。

日本のときの「どんな状況でもお客様に尽くすべき」とはまたちがったベクトルで、「いいサービスをしたい」と思ったのだ。

 

……という経験から、「こういう関係性のほうが健全、日本も客と店員が対等の立場になったほうがいい」と考えていた。

でもよくよく考えてみれば、日本では「サービス提供者が必然的に立場が下になる慣習」がたくさんある。

 

そのひとつが、前述した店員を呼びつける卓上ベルだ。

ほかにも、たとえば店員は「いらっしゃいませ」と言うが、客が返事をすることはほとんどない。挨拶を無視するなんて失礼にもほどがあるが、「客」なら許される。

 

トイレには、「従業員も利用します。ご了承ください」という張り紙がぺたり。了承もなにも、従業員だって人間なのだから、トイレくらい行くだろうに。

実際、トイレを待っていて中から従業員が出てくると、「失礼いたしました」と頭を下げられることすらある。いやいや、トイレくらいゆっくりどうぞ……?

 

こういった小さな積み重ねが、「客が上で店員は下」という上下関係をガッチリつくってしまっているのだろう。

「挨拶を無視しても許され、ベルで呼びつける権利をもち、トイレすら優先的に使えるお客様」と、「挨拶は無視されて当然、ベルが鳴ったら駆けつけ、トイレは申し訳なさそうに使わなきゃいけない店員」が、対等な立場になれるわけがないのだ。

 

日本で「対等な接客」は幻想?

でもこれは、「鶏が先か卵が先か」と同じ話かな、とも思う。

トイレの話でいえば、「従業員がトイレを使っていて客の自分が待たされた」なんていうバカみたいなクレームをつける人がいたから、「文句を言われないように……」と張り紙をしたのかもしれない。

「お客様を不愉快にしないように」と先んじて配慮したのか、「うるせぇ客を黙らせるためにしかたなく」と事後に対策したのか、どちらが先かはわからない。

 

でも少なくとも、日本のレストランにはこういった小さな上下関係構築システムが、いたるところにある。

そういったシステムのなかで、「客と店員は対等に」なんて言っても、まぁ無理だろう。

そもそも、「対等な接客」というコンセプトが、日本では成り立たない、日本の文化とは相性が悪いのだ。

 

共同作業によって成立する「おもてなし」

……なんて書いていて思ったのだが、そもそも日本の文化ってなんだろう?

客の理不尽に耐え忍ぶことが日本の自慢なのか?

 

日本のおもてなしには、茶道の精神が深くかかわっているという。

わたしは茶道の完全素人なので、少し調べてみた。

 

日本文化を紹介する和樂というサイトの『茶の湯の作法には意味があったんだ!これを知れば一服は怖くない!』という記事によると、

 

・最後に入ったお客さんは音を立てて襖を閉め、亭主に全員入ったことを伝える

・お菓子を食べる際に使った懐紙と楊枝は、床を汚さない折り方でしまう

・お茶をいただくときは、「お点前ちょうだいします」と亭主に両手をついて挨拶

 

などの作法があるらしい。

 

亭主が客をもてなすのはもちろん、客も亭主への感謝を伝え、粗相がないように丁寧に振る舞う決まりがあるのだ。

どかどかと茶室にやってきて、どすっとあぐらをかいて座り、「おい、茶をよこせ」なんて言う人には、「客」の資格はない。

 

上座や下座があり、もてなす側ともてなされる側がいる。

それでもお互いが感謝し、敬意を持ち、良い時間を過ごせるように協力しあうからこそ、「おもてなし」は「美しいもの」なのだと思う。

いわば日本のおもてなしは、共同作業なのだ。

 

いいサービスのために、いい客であれ

そう考えると、いまは多くの客が思いやりを忘れ、上下関係だけが存在しているから、なんだかおかしくなっているのだと思う。

 

別に、店員を呼ぶベルがあってもいいのだ。

ただ客が、駆けつけてくれる店員に感謝し、たとえ遅くなっても「忙しいなかありがとう」といえる心の余裕をもってさえいれば。

 

たかだかレストランの客。

それなのに、ベルを押しただけで店員が小走りで来てくれる。

 

だからこそ、もてなされるのにふさわしい、いい客であれ。

ワガママを言わず、相手への感謝を忘れるな。

 

相手の奉仕に感謝しつつ、いい客であろうとする気持ちを忘れなければ、たしかに日本のサービスは素晴らしいものなのだ。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

Twitter:amamiya9901

Photo by :Atomic Taco