ツイッター(X)上で、研究者の待遇の悪さを嘆いているポストが投稿され、喧々諤々の議論が勃発していた。

まず第一に、待遇という観点でのみ言えば研究者の期待値は最悪である。

恐らく似たような能力を持った人間が民間に行ったのなら、年収は2倍~5倍は稼げるだろう。起業まで視野にいれれば、10倍以上かもしれない。

 

研究者のメリットってなんなの?

じゃあこれをもって研究者という人生を選ぶことが馬鹿げた事なのかと言われれば、それは断じて否だのだが、じゃあ実際問題として研究者になると何が手に入るのかを分かりやすい言葉で説明する事は意外と難しい。

 

好きを人生にできる…

偉くなれる…

博士として崇高な人生を歩める…

 

こういった言葉で若者に「研究者って、イイよ!」と勧誘したとしても、ほとんどの人は

「いや…年収のがよっぽどエエやん…」

となるに違いない。

 

僕もかなり長いあいだ、研究者の人生をどういったアナロジーでもって説明すればいいのか検討がつかなかったのだが、最近になって

 

「ああ、研究者ってプチ出家と同じなんだな」

 

という事にようやく気がついた。今日はその事を書こうかと思う。

 

お金には夢がある

人間のお金に対する期待値は非常に高い。

過去の僕を含めて、多くの若者は働き始めてすぐにお金の魔力にヤミツキになるはずである。

 

お金の何が凄いかと言えば、個人のワガママが即座に実現する部分にある。

タワマンに住みたければ住めるし、車に乗りたければ乗れる。

おいしい食べ物が食べたければ食べられるし、魅力的な異性を誘うのにだって有用だ。

 

このようにお金の魔力は否定しようがないほどに強い。故に若者が

「これを1000万、1億、10億にしたら…超やべー事になるんじゃねぇの?」

と思うのは至極当然だとも言える。

 

お金単体だと限界がある

しかし…残念ながら人間というのは飽きる生き物でもある。

どんなに凄い快楽であったとしても…数回繰り返してしまうと、多くの人間はそこに退屈さを見出してしまう。

 

あんなにも好きだったパートナーと結婚したのにセックスレスに突入したり、あんなにも心震えたフェラーリ乗車やシンガポールのマリーナベイ・サンズ等の5つ星ホテルの最上階の宿泊だって、数日もたては飽きるのが人間の凄い所である。

 

そもそも…お金で買える自由というのは、個人の想像の枠外を絶対に超えられない。故にどんなにお金があろうが、想像力が乏しい人間は素晴らしい体験を得ることは難しい。

 

「あいつはお金の使い方がわかってない」とクラシカルな貴族が新参者を馬鹿にするのは、嫉妬も一部にはあるだろうが、その本質は

「そんなつまらない遊び、もう数年前に通過しちゃってるんだよね…」

という情報格差を暗示しているのである。

 

センスがいい友人知人の価値

故にお金を楽しく使うにあたっては、個人のセンスや情報源が非常に重要となる。

現代社会においてインフルエンサーと呼ばれる人たちが人気を博するのは、彼らが有益な情報をもたらしてくれるからだが、その有益さというのを一言でいえばセンスである。

 

「あいつがオススメしているラーメンなら間違いない」

そうやってインフルエンサーを後追いしていれば、センスが無い人間は自分よりもマシなものにありつけるし、センスがある人間ならばインフルエンサーを吟味する過程で自分自身のセンスが育まれる。

 

それでも新しいものには限界がある

このように有益な情報とお金を組み合わせる事で、人間は個人だと想定の範囲内で収まりがちな行動を、想定の範囲外へと広げる事ができるようになる。

 

その結果うまれるのが最適解である。古くは竹の子族やシノラー、最近だとぴえん系といったように、インフルエンサーを膨大な人間がフォローし模倣すると、必ずといっていいほどにお決まりの”型”が生じるようになる。

 

最適解は強い。ラーメンだと魚介豚骨つけ麺が一時期乱立したし、最近だと二郎系や家系が大ブームとなっているが、最適解となりうるものは、そこに収まるだけの王の器が確かにある。

 

そうして多くの最適解が熾烈な競争の渦に巻き込まれ、ダイヤモンドのように硬度を増してゆき、尊い一滴をポロッと生み出して…流行の最先端から脱落する。

 

なぜ人は出家するのか

俗世は常にこの繰り返しである。

輪廻転生という言葉がある。これは何も死者が再生するという事を言っているのではなく、俗世に生き続ける限り、基本的には人間は予定調和を何度も何度も繰り返すのだという事を述べているのである。

 

どんなに最高の映画であっても二回目は初回よりつまらないのと同じく、俗世も一~二周すると基本的には飽きる。

その殻を突き破る事も才能ある人間には不可能ではないが、その才能を持てるものは基本的には稀だし、その才能ある人間だって何度も繰り返したら必ず限界にぶち当たる。

 

そうして同じ日々の繰り返しに嫌気がさして、加速する人生の速度に恐怖を覚えた昔の人間が行き着いた先が、出家である。

 

俗世の価値観にとらわれているうちは、出家の妙に気が付けない

出家が面白いのは、基本的には俗世の価値観とは別の基軸で動いている部分にある。

例えば瞑想なんて、俗世に染まりきった人間からすれば

 

「なんで黙ってじっと座って数時間も動かずにいるの?」

「その時間でスポーツしたり、アニメみたり、好きな人と遊んだり…」

「どう考えても、もっと面白いこと沢山あるに決まってるじゃん」

 

としか思えないだろう。

 

しかし出家した人間からすれば

「いや、もうそういうの十分なんで…」

「ってか、そういうのが嫌で、俗世から離れたんですし…」

となるのである。

 

出家は全然楽しくない

しかしそれでも俗世への未練は完全に捨てされるようなものではない。ハッキリいうが、出家生活は別に楽しいものでもなんでもない。

 

ドロッドロの人間関係や治外法権的なハラスメントは日常茶飯だし、お金による自由が乱用できないので、メチャクチャに不便である。

軽い気持ちで出家した人間は100%絶望して俗世に戻るだろうし、強い決心でもって出家した人間であっても数年で修行を辞めて日常へと戻るのが普通である。

 

修行でしか得られないもの

しかし…それでも出家しないと得られないものというのが、確かにある。

数年の修行でも強靭な精神力を獲得する事は不可能ではないし、もし仮に悟りにまで到達する事ができたのだとしたら、それは一生物の宝となる。

 

前置きが長くなったが、研究者の道も間違いなくそれだ。

大学に一度席を置けばわかるのだが、大学というのは非常に膨大な雑務と責務が満ち溢れた場所であり、かつそれでいて待遇は民間の半額以下である。

 

これは俗世の価値観からすれば「馬鹿」以外の何物でもないのだが、ことプチ出家という観点からみれば、その限りではない。

 

自分と他人を比較しない

人間の多くの不幸は自分と他人を比較する事から始まる。

非モテが辛いのはモテる人間と比較してしまうからだし、低年収が辛いのも高年収人間と比較してしまうからだ。

 

その比較の苦しみから身を遠ざけるには二つの方法がある。

一つは自分が圧倒的に突き抜けてしまい、高い側に身を置く事だ。こうすれば自分は他人を見下す側にいるわけだから、見下しつづける限りは心は安寧である。

 

しかし言うまでもなく、この見下し作戦は過半数以下は幸せになれない。過半数以上の人間であっても、上がチラついて見えてしまうような人間は、そのうち必ずといって言いほどに苦が訪れる。

 

インターネット上ではよく特定の属性に対して罵詈雑言を吐き続けているタイプの人種をみかけるが、あれは”自分より下が居ないと苦しくて苦しくて死んじゃう病”にかかってしまった人の末路だ。ああなったら人間おしまいである。

 

暇があるから誰かと自分を比較してしまう

もう一つの戦略である自分と他人を比較しない戦略だが、これは基本的にはまず自分を他人よりも低い位置に置かなければ話にならない。

そういう意味では大学の劣悪な環境というのは、ある意味では最高だとも言える。

 

任期付き、低年収、過重労働…

このような環境にいながら、自分と他人を比較する事なく心を安定して保てるようになるには、特殊な技術がいる。

 

具体的にいえばわき目も振らずに目の前の事に常に集中するという事なのだが、これができるようになってくると仕事が沢山あるという事が非常にありがたい事だという事にふと気がつけるようになる。

 

そもそも…人間の不幸は暇がもたらすものだ。目の前に集中しなくてはならない事があるような状況で、自分と他人を比較する奴はいない。

火の車を回し続けなくてはならないような環境下で苦が訪れるのは、火の車を回せなくなるぐらいに消耗しきった時だけだ。

 

”足りない”は人間が行動するにあたって最高のスパイスである。乾ききった時に飲む水は超絶に美味しいし、金がない時に拾う一万円は天上の雫である。

 

必死になって眼の前に夢中になっている時にでしか、本当の好奇心は目覚めない

こうして苦を忘れるほどに目の前に夢中になり続けていると…まず最初に過集中の技術が手に入るようになる。

人間は何もない所ですら集中する事が可能だ。瞑想者がやっているのはそれなのだが、これができるようになると物事に無心で取り組むだなんて朝飯前になる。

 

そうして雑務も業績の積み上げも虚心坦懐に処理し続けていると、あるとき突然

「あれっ?以前は辛くて辛くて仕方がなかった事が、全然キツくないぞ?」

「くだらない人間関係の事とか、マジで全然気にならなくなったし」

「他人の年収とか、マジでどうでもいいわ」

という事実に気がつけるようになる。

 

これが出家した先で得られる成長の第一歩だが、更にこれを徹底し続けていると、そのうちムクムクと自分自身の使命のようなものが薄っすらとだが見えてくるようになる。

 

この感覚を目覚めさせる事に成功すると、俗世での出来事が本当に些細な事に思えるようになる。むしろ使命を遂行するのに寿命が足りないのではないかと焦りすら感じられるようになる位である。

 

こうして真の意味での知的好奇心を目覚めさせる事に成功した研究者は、生涯のテーマに向かって一心不乱で取り組めるという最上の恩恵をあずかる事ができるようになる。

これが金で買えない、極上の尊きものの正体である。研究者のワンピースと言っても、過言ではなかろう。

 

それでも俗世は美しい

真の知的好奇心への目覚め…その恩恵は誰もが得られるようなものではない。

故に大変に価値あるものではあるが、それでもぶっちゃけた事をいえば、俗世に目がくらんでいるうちは

「生涯のテーマなんて一円にもならないし、自分の子供が生まれるわけでもない」

「単なる虚像でしょ?そんなのより、まずは焼肉ライスを腹いっぱい食べたいわ」

としかならないだろう。

 

出家で得られるものが光り輝いたものであるのは事実だが、じゃあそれをもって俗世が色褪せたものかと言うと、そんな事は無い。

 

俗世はやっぱり美しい。というか世の中を回しているのは、基本的には俗世である。

出家社会はそもそも俗世が無ければ成り立つようなものではないのだから、俗世にとどまって社会をやるのが、99%の人間にとっては幸せな事である。

 

自分自身がその99%に収まる器ではないと確信する事ができるのなら…博士になってみるのも一つの手かもしれない。

そこには確かに何かがある。それが貴方にとっての真の意味での幸せかどうかは、わからないけど。

 

 

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【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

Photo by:National Cancer Institute