一社員として会社組織を見上げると、実務能力から人格に至るまで「なぜこんな人間が?」と思うような人物が高い役職に就いていることがある。

 

そういう人物には関わらないのが一番だが、トップがそもそも組織のガンである場合、社内全体に病が転移していることもあるし、運が悪ければ自分の直属の上司が病巣であったりする。

 

組織として一番いいのはそのようなガンを即摘出することだが、それは人事や経営陣の仕事であって、自分に必要なのは、相手に引きずられて自分まで狂わないための付き合い方を身につけること。

 

本稿では、そんな上司からいかにして身を守り、心安らかに働くべきかということについて述べる。

 

(1)「俺に逆らった」ということを「やる気がない」と言い換える上司

世の中にはやたらと「やる気」を求める上司がいる。

よく言う言葉といえば、仕事への意欲がない、情熱が足りない、そんなだから何も進まない、などなど。

 

指摘が的を射ている場合もあるが、その実「俺の言うことを聞け」と強弁しているだけというケースが少なくない。

 

例えば、将棋でいえば3手どころか2手先も読めていないようなイカれた指示を上司が出してきたとする。

そこで論理的に問題点を指摘したり、はたまたズバッと不可能である旨を言ったりすると、こいつは否定から入る、つまりやる気がないという認定を下される。

 

でもこれって客観的に見て意欲どうこうの問題ではなく、要は「俺に逆らった」ということを「やる気がない」と言い換えているだけなのだが、本人にはその意識がない。

 

また、こういうことを言う人は往々にして、自分の指示に問題があったとは考えない。

なんなら無理やり部下にやらせて失敗したり大事故につながったりしても、お前らのやる気が足りないからだなどと言い出すわけだ。

 

こういう輩への有効な対処策は、面従腹背とサボタージュである。

もっと簡単に言えば、「やります!」と言いつつも、本当に実行に移すと会社なり部署なりに損害をもたらすことは、やってるフリに留める。

 

むろん、そのような姿勢に誠実さはカケラもないが、やる気のない奴認定はひとまず避けられる。

何より、愚かな指令をバカ正直に実行して会社にダメージを与え、しかもその責任をなぜか下っ端である自分が負わさせられるという最悪の事態は回避可能である。

 

そうして服従している演出の間に、ゴミクズ上司から離れるか他所に移る算段をつける。

もしくは残る価値がある会社だと思うのなら、演じ続ける。

 

正々堂々戦ったとしても、そもそもそんな人間を責任ある立場に置いている組織の中で正論が勝つとは限らない。

だから「やってるフリ」「服属しているフリ」というものは決して非難されるに値しないと筆者は考える。

 

(2)命令する権限があることと、何かを実現できることがイコールだと考えている上司

人が権力を一手に握り、いさめる人物がいない場合、しばしば何かを命じることが仕事の全てと考えがちだ。

その中でも特に問題なのは、全能感を持ってしまっているタイプである。

 

命令する権限があることと、何かを実現できることはイコールではない。

ところが組織や部署に君臨する人は、絶対的存在としてこじらせていればいるほど、この単純な道理を理解できない。

 

自分は誰よりもこの業界、この仕事を分かっている(本当は分かってない)。

だからこそ今の地位にいて、社内の全ての人間は自分の指示通りに動くし、俺の言った通りにやれば間違いない(と思い込んでいる)。

 

では、そんな暴君が己の命じたことが実現されていなかったと知った時、どう考えるか。

指示自体が間違っていたかどうかという自省に至るはずもなく、「俺の言った通りにやっていないのは誰だ」と、犯人探しが始まるわけだ。

 

この類型にありがちなのは、まずオーナー社長。

あとは、かつて実績を上げて一定の地位に就いたけれど、スキルの陳腐化や加齢などの影響ですでに過去の人になっているにもかかわらず、それを自覚できていない人。

 

他にも実務以外の部分で認められて出世した方などいろいろだが、いずれにせよこのような人間から直々に仕事を命じられてしまった時点でクソゲー確定である。

せめてできることとして、自分にとって大事なものは何であるかを突き詰めた上で対応を決めるしかない。

 

筆者がかつて日本の出版社に勤めていた頃、オーナー殿が業績不振を理由に外注スタッフのギャラ一律カットという方針をぶち上げ、それを各方面に通達せよとの指令を受けたことがある。

 

はっきり言って、そんなの悪手もいいところだ。

相手とモメることは確実で、何よりも外に向かって「いよいよこの会社、やばいんだな」と喧伝する行為に他ならない。

 

それでも上に媚びて言われた通りにするか、それとも自分と長年付き合いのあるフリーランサーたちとの関係を守るか。

筆者は、その話が出た時点で自分が5年後ここにいることはないと判断し、後者を選んだ。

 

一方、今辞めたら転職で年収が半分くらいになりそうな人などは会社に残るメリットの方が大きいと考え、外部とのギャラ交渉に取り組んでいて、それはそれでこの人のプラマイ計算に沿った判断なのだろうなと思ったことを覚えている。

 

指示を出した時点で仕事終了、具現化のためには指一本動かさず、実現しないとブチ切れるーーそんな人間であっても、一応相手をしないといけないシーンは会社の中で普通にある。

 

大事なのは、どう振る舞おうがバッドエンドという場合でも、その中で自分にとってよりマシな選択肢を選び、ダメージコントロールをすること。

さらには結果としてボロクソに詰められたり責任を問われても、内面的には動じないことである。

 

相手は全知全能の神ではなく、裸の王様。

何を言われようが、「あなた全裸ですよね」と心の中で思えばよい。

 

(3)ダブルスタンダードを振り回す上司

これは長々と説明するまでもなく、程度の差こそあれどこの会社にもいるタイプだろう。

社員に経費を削減しろとか言いつつ自分は会社の金で連日飲みに行く役員、責任感を持って仕事をせよと訓示を垂れながらも自分は絶対責任を被らない管理職など、例を挙げればキリがない。

 

一言でいえば非常に不快な人間だが、これらの人々への対処法は簡単で、憐憫の心を持って接することである。

そのダブルスタンダードはある組織や環境の中では有効かもしれないが、彼らは外に出れば己が特別な存在でもなんでもないことにいずれ向き合わざるを得なくなる。

 

介護業界の取材のために老人ホームで働いた経験を持つ筆者の元放送作家の知人によると、そういう二重基準の中で生きてきた人ほど、「自分は特別」という思いを死の間際まで捨てられないものなのだという。

彼が言っていたのは、事あるごとに俺はどこそこの大手新聞の編集委員を務めていたんだと言い放ち、周りの人間はすべからく俺に敬意を払って当たり前というノリで介護士や他の入居者に上から目線で接する人の悲しみだ。

 

「職場でどんな感じだったか丸分かりだし、人間の本質ってこういうところで出るんだなって気付かされたよね」とはその知人の談だが、社内でダブルスタンダードを平気で他者に押し付ける者には、そんな未来が待っている(かもしれない)。

そう考えれば、ダブスタ上司の不条理極まりない小言も、憐れみの心を持って許せるというか、一定程度スルーできるようになるはずだ(煩わしいことに変わりはないが)。

 

 

……と、ここまで後ろ向きな話を書き連ねてきたわけだが、要は何が言いたいかというと、いかにブルシットな上役であろうと組織人たるものちゃんと向き合うべきなどという綺麗事より、自分の身と心を守るのが一番大事じゃね? という話だ。

また、逆説的だが、狂った上司や役員、オーナー社長はある意味よき鑑である。

 

「こんな人間になったらおしまいだ」

彼らは社会人、そして人間として大事なことを、身をもってあなたに教えてくれている。

 

 

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【プロフィール】

御堂筋あかり

スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。

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Photo by Artyom Kabajev