月に一度、精神科のクリニックに通院している。

 

先日、わたしは久々に弱った状態で主治医に会った。

その時、主治医が驚きの一言を放った。

 

それがどういう意味なのかわかるようなわからないような気持ちでいたが、その真髄がハッキリわかる出来事があった。

 

久々に涙が出た。

基本わたしは病状をうまく管理できるようになってきたので、最近は症状が極端に変化するということはない。

季節の変わり目や天候に体調を大きく左右されがちだが、「そういうもの」として付き合っている。

 

だから、診察と言っても数分で終わる。

しかし先日。

天候が不安定な時期にもかかわらず予定を詰め込みすぎたためか。

「ちょっと、もう限界です」

と診察室で言ってしまった。

 

これは、うまく調整できなかった自分が悪いといえば悪い。

 

「体がきつい」ことはしょっちゅうでも、

「鬱々とする」レベルまでちょっと無理をしてしまった。

 

誰が見ても分かるような顔面蒼白でライブハウスに駆け込み、吹くだけ吹いてそさくさと帰った日もあったくらいだ。

体力の余裕を失うと、精神の余裕を失う。落ち込む。

この流れは、精神疾患にはつきものである。

 

久々に涙が出てきた。

しかし、そんな私に、主治医はこう言い放ったのである。

 

「幸せにしようなんてこれっぽちも思ってない」

状況をひととおり聞いた後、主治医はこう言ったのだ。

「あのね、僕は清水さんのこと幸せにしようなんて、これっぽっちも思ってないからね」。

「???」と思った。

 

え、ちょっと冷たくないか?とも思った。

 

ただ、主治医が言いたかったことはなんとなくわかる。

それは、例えば、

「僕は受付時間を過ぎてしまえば、いくらしんどいからなんとかしてくれ、って言われてここに駆け込まれても診ないもん。時間が過ぎればそこで終わらせるの」。

 

ということである。

確かに、医療行為は慈善活動ではない。

 

そんな要望に応え始めたら、極端な話、医師は24時間365日クリニックを開けていなければなくなってしまう。

それは、できない相談だ。。

だから、自分のキャパを超えてなんでもかんでも引き受けてばっかりじゃダメだ、自分で線を引け、ということか。

 

そんな程度の話だと思っていた。

しかしのちに、その言葉はもっと深い意味を含んでいたことがわかった。

 

まさかの長時間作業

というのは、ある音源制作の作業をしていた日のことだ。

先輩プレイヤーの自宅スタジオを借りて、その先輩ともう一人のプレイヤー、エンジニア、そしてわたしの4人で録音をしていた。

 

わたしを除けば、他は数十年の付き合いなのだという。

さて、その先輩プレイヤーの録音になって、ことは起きた。

 

全く弾けないのである。

特に、正しいリズムをまったく刻めないのである。何度やっても間違える。

 

苦手なジャンルにしても、その状態なら私の方が100倍リズム感が良いということになってしまう、そんなことはないはずだ、というレベルなのである。

 

長らくプロとしてやってきた人に、そんなことがあるわけがない。

しかも困ったことに、間違っているかどうかも本人はわかっていないのである。

 

ちょっと休んで、落ち着いてから録りなおそうよ、エンジニアはそう何度も言い続けたのだが、本人は次で決めるから、といってきかない。

 

それ以前に、多少休んだところで弾ける見込みがないのはわたしもエンジニアもうすうす気づいていた。

見ていて原因がわかればいくらでも手段はあるのだけれど、それ以前の問題だということにも気づいていた。

 

しかし本人は引き下がらない。

そのまま数時間が過ぎた。地獄の時間だった。

そうこうしているうちにアンプが熱暴走を起こした。

 

他のアンプでやる、となったのだが、そうすると音色がガラリと変わってしまう。

そんな基本すら、本人は気にかけていない。

 

もうすぐ終電だから、という時間になってようやく強制終了である。

結局、1音も収録できなかった。

2曲分収録という予定だったものが、ほぼ収穫がないという日になってしまった。

 

さて、すると後が大変になる。

というのは、すでに他のプレイヤーを巻き込んだ先の予定を立てて、スタジオも予約してあったからだ。

 

この予定が大幅に狂ってしまうのである。

レコーディングには順序というものがある。

 

一般的には、ドラム→ベース→ギター→鍵盤→ボーカル、という順である。

これが途中で止まってしまったら、後ろの収録作業すべてに影響する。
カラオケなしに歌え、と言われてもボーカリストは困ってしまうのだ。

 

とはいえ、スタジオをキャンセルしようものならそれはそれで料金が発生する。

ほかのプレイヤーのスケジュールも調整しなおさなければならない。

 

最近は比較的穏やかな生活をしているため「怒り」の感情を抱くことはなかったが、そのわたしですら、怒りを通り越して言葉が出なかった。

 

収録中、終始言い訳が続いていたし、

挙句の果てには曲そのものに難癖をつけ始めた瞬間もあったからだ。

ただただ疲れ果てた。

 

往年の仲間は見ていた

帰り道、エンジニアの車の中で駅までのあいだ、どうしたものかと3人で話していた。

変則的な順序での収録も考えた。

 

しかし、一番よくないのは「妥協」である。

それ以上に、わたしの気持ちがおさまらない。

今回はわたしが書いた曲を、自分のために録音しているからである。

 

彼を含めプレイヤーにはギャランティも支払っているし、他にも費用がそれなりにかかっている。

そして、自分自身の演奏も録る。

こんな気持ちのまま演奏はしたくない。

 

考えた挙句、

「正直、ありえないレベルで、ブチ切れかけてるんですけどわたし・・・」

と、その日いたメンバーにLINEで相談した。

 

すると、

「俺もやばいと思いながら聞いてたよ」

と返ってきた。

 

やはり、おかしいと思っていたのはわたしだけではなかったのだ。

 

「考えてることが腕に反映されていないというか、記憶するとかまとめるみたいな作業が散できてなかったね」

そして、こう続けた。

「あいつはまた昔に戻ってしまったかもしれないね」。

 

スマホの画面の向こうに、そのメンバーの肩を落とした姿が浮かんだ。

 

なんとかしてあげたくてもできないという現実

実は、彼は、かつてアルコール依存症に陥った人である。

それをなんとか克服し、今は多少気分の波があったり時々入院したりはしているが、ある程度の自己管理はできているように見えていた。

 

しかし、その録音の日。

私はスタジオ部屋に籠りっぱなしだったので気づかなかったが、待っている間にメンバーが、彼の家にビールの空き缶の山を発見していたのだ。

 

度々具合を悪くしていることは、往年の友人だから知っている。

それに、確かに言動が支離滅裂なところもあったし、わたしもカチンとくるような言葉も吐かれた。

 

「なんとかしてあげたいと思ってるけど、これはもう本人の問題だからなあ」。

その通りである。

 

いい大人なのだから、周囲がああしろこうしろと言うことではない。

 

日々の生活まで関与するわけにもいかないし、言ったところでそれを受け入れるかどうかは本人次第だ。

その病歴とどう付き合っていくかも、最後は本人次第なのである。

周囲ができるとすれば、助けてと本人が言えば多少手は貸せるかもしれないが、そうでない限り見守ることしかない。

 

「やつはもう、完治しないだろうな、このまま」。

 

主治医の言葉の真髄

「僕は清水さんのこと幸せにしようなんて、これっぽっちも思ってないからね」。

件の主治医のひとことである。

 

そうか、こういうことなのか、とわたしはようやくその真意を理解した。

してあげたいと思ったとしても、本人が自分で自分をコントロールしない限り、それはできないことなのである。

 

依存症のきっかけは外部にあったかもしれない。

しかし、残酷かもしれないけれど、自分でなんとかしなければいけないというのは厳然たる事実だ。

 

彼からは、年末にもう一度録り直しをしたいという申し出があった。

 

しかし状況が状況、そして見てしまったものは見てしまったのである。

慌てたところで録れる気がしないし、これこそ、慈善活動でやっているわけではない。

各メンバーはちょっと歩いて行ける距離に住んでいるわけでもないし、それぞれに別の仕事があり、急な予定なんて組めない。

 

却下せざるを得ない話だ。

わたしは急遽、他のプレイヤーを確保した。

引き受けてくれる人がいるかどうかヒヤヒヤしたが、なんとかなって助かった。

 

しかしその人にも都合がある。

全員の予定を考慮し、年明けに仕切り直しとした。

 

できるなら少しでも楽しい方がいいから

「幸せは歩いてこない」。

チーターの言う通りなのだなあと、しみじみと思った。

自分の足で歩き続けなければならないというのは、正直、時にはしんどい。

 

かつ、時には自分の判断で足を止めなければならない。

こちらのほうがしんどいかもしれない。

しかし自分をコントロールするというのはそういうことである。

以前わたしは、「生きることに未練はない」とここで書いた。

 

その感覚はずっと変わらないが、ただ、生きることを選んだ以上、ただただ耐えるのではなく、「悪くない瞬間もあるもんだよな」と思えることが多少はあったほうがいいよな、と思っている。

それを求める先が、わたしの場合は音楽だったというだけのことだ。

 

彼の元を去っていった人を見たことがある。

「もうあの人と音楽はやらない、やりたくないって言ったんだよね」と。

 

自由でない体で、かつ生きることを選んだ以上、「3歩あるいて2歩下がる」ことができなければ、人脈や仲間を失い、結果として自分の首を絞めてしまう。

その現場を生々しく見ることとなった。

 

 

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【プロフィール】

著者:清水 沙矢香

北九州市出身。京都大学理学部卒業後、TBSでおもに報道記者として社会部・経済部で勤務、その後フリー。
かたわらでサックスプレイヤー。バンドや自ら率いるユニット、ソロなどで活動。ほかには酒と横浜DeNAベイスターズが好き。

Twitter:@M6Sayaka

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