成功したい人、何かを成し遂げたい人、功成り名遂げたい人が意識して磨くべきことと言って皆さんは何を連想しますか?

 

ライバルたちより抜きんでた素養?

ユニークな感性?

 

あー、まー、そういった素養や感性も大事ですよね、それらに秀でている人は幸運ですし、その幸運を生かすための努力を忘れないようにすべきでしょう。

 

それはそうとして、バッターボックス(打席)に何度も立てなきゃダメですよね。

ここでいうバッターボックスとは、作品を最後まで完成させることだったり、作品をどこかに出展することだったり、経済的成功のかかったトライアルに挑むことだったり、とにかく、自分の挑んでいる分野で成功の足掛かりになりそうな挑戦を指します。

 

トライアルも色々で、いつでもどこでも挑戦できるものから年に1度しか挑戦できないもの、はたまた、どこかからスカウトがあってはじめて挑戦権が獲得できるものもあります。

どういう挑戦であれ、とにかくバッターボックスに立てる回数を稼がなければいろいろお話になりません。

 

たとえば凡人に比べて優れた素養や感性を持っていた漫画家の卵さんがいたとしましょう。はじめてバッターボックスに立った時の打率は、なんと3割。

はじめてバッターボックスに立って30%は成功する漫画家ってどんな人だろうと思いますが、そういう仮の設定だと思ってください。

 

でも、そのウルトラ素養や感性に秀でた漫画家さんでも、たとえば商業デビューでバッターボックスに立てる回数が1回きりだったら、ヒットやホームランを打てる確率は30%でしかありません。

それほどまでに素養や感性に秀でた漫画家さんでさえ、バッターボックスに立つ回数が1回きりなら7割は鳴かず飛ばず……ということで終わってしまいます。

 

一方、そこまで素養や感性に秀でていない漫画家さんでも、何度も何度もバッターボックスに立てるならヒットやホームランに至る確率は高くなるでしょう。

それと、バッターボックスに立つたび強くなる、という要素もあります。前回の挑戦では至らなかったところ・反省すべきところを改善させたうえで立つ二度目三度目のバッターボックスは、一度目よりもヒットやホームランを打ちやすくなるはず。

 

それから業種やジャンルにもよるでしょうけど、二度目三度目のバッターボックスのほうがスケールアップする……みたいなことが起こるかもしれません。

たとえば二度目や三度目までは二軍のバッターボックスだった人が、四度目にはついに一軍のバッターボックスに立てる、といった風に。こうした挑戦のスケールアップを期待するためには、複数回の登板が必須です。

 

ですから仕事上であれ趣味上であれ、バッターボックスに何度も立てること、それ自体が重要な才能でサクセスとそのスケールを左右するのだと私は思うのです。

 

無名だった人が少しずつ知名度を高め、ついに大舞台に上りつめるシンデレラストーリーを裏で支えているのも、畢竟、バッターボックスに立ち続ける才能、バッターボックスに立つ回数を増やす才能ではないでしょうか。

あなたがどんなに素晴らしい宝石の原石だとしても、バッターボックスに立てる回数が少なければ、結局それは磨かれないし発見もされないし認められもしないのではないでしょうか。

 

「バッターボックスに立てる回数を増やす才能」の内訳

「バッターボックスに立てる回数を増やす才能」は、どんな要素群から成っているでしょうか。

これはさまざまでしょう。

 

ひとつには精神的なガッツやタフさ。せっかくバッターボックスに立ったのに「三振」してしまった……というのは結構堪えるものです。

バッターボックスに立ち続けるとは、失敗したり挫折したり打ちのめされたりしてもまた立ち上がることですから、精神的なガッツやタフさ、それから失敗が自己否定に直結しないような精神性が必要です。

 

また、身も蓋もないことですが経済力も重要でしょう。

「実家の太さはことの成否を大きく左右する」、とも言えるでしょう。たとえば大学受験などもそうですよね。3~4浪できる実家の人と一度きりしか受験できない実家の人では、バッターボックスに立てる回数が大きく違いますし、そのぶん、高望みできる範囲も違うでしょう。

 

漫画『ブルー・ピリオド』の芸大受験の話などもそうだったと言えます。

もし、高校3年生・現役時代の一度きりしかバッターボックスに立てないとしたら、ちょっとぐらい素養や感性に優れていても芸大受験に合格できず、結局それっきりで終わってしまうやもしれません。

 

もっとも、社会人になってから問題を緩和できる挑戦もあるかもしれません。

たとえば社会人として自分の収入を得ながら小説を書き、作品をあちこちに投稿している人は今日では珍しくありません。働かなければならないという制約はあるにせよ、収入という後ろ盾がしっかりしていればそのぶんバッターボックスに立てる回数を増やせます。

 

経済力が乏しいなかでの挑戦は、バッターボックスに立てる回数だけでなく、プレッシャーや体調管理など、ほかの要素にも影を落としがちなため、ハンディとしては大きいと言わざるを得ません。

なかには「経済力が乏しいからバッターボックスに立っているんだよ!」と主張する人もいらっしゃるかもしれませんが、それは、大きなハンディを背負いながらライバルたちに臨むということでもあります。

 

それから、たぶんコミュニケーション能力。バッターボックスに立つと言っても、自分一人で立てるバッターボックスにはしばしば限界があります。どこかの企業、誰かの協力を仰ぎながらバッターボックスに立つことが大きな意義を持つジャンルも多いかと思います。仕事上のトライアルもたいていそうですよね。

 

その際、協力してくださる人々に好印象を与える人と悪印象を与える人では、「次もまたよろしくお願いします」と思ってもらえる確率は違ってくるでしょう。最悪、業界に悪い噂が駆け巡ったりすれば広範囲の人から敬遠されてしまうかもしれません。

 

だからコミュニケーションに疎漏がないようにすることも、バッターボックスに立てる回数を増やす才能の一部だと思うのです。つまり礼儀作法にかなっていること、厄介者っぽいリアクションをとらないこと、不信の念を与えにくいこと、等々は無視できません。

 

バッターボックスに推挙してくれる人からみれば、どうせ同じぐらいの才能や能力の持ち主なら、好印象の人、礼儀正しい人、行き違いの心配をしなくて済みそうな人と一緒に仕事がしたいはず。である以上、そういうところをおろそかにしてバッターボックスに立てる回数が減ってしまわないよう、挑戦者である私たちは努めたほうがいいんじゃない? と私は思うのです。

 

ピンチヒッターに抜擢された時に対応できますか?

それと、「いつでもピンチヒッターを引き受けられる」即応力も大切ではないでしょうか。

 

世の中には、本来は自分よりも格上の人が占めているはずのバッターボックスが、唐突に自分のところに回ってくることがあります。ピンチヒッター的な登板ですね。

格上の人が急に体調を損ねたとか、スケジュール上の問題でどうしてもバッターボックスに立てなくなったとか、そんな時にお声がけいただいたとして、即座にそれに応じられるでしょうか?

 

そういったお声がけをいただくためには、もちろんある程度の前評判が必要で、さきほど書いたような礼儀作法の問題、印象の良し悪しの問題が問われるでしょう。

でもそれだけでなく、いきなりお声がけいただいた時に即座に応じるだけの材料というか準備というか、そういったものも必要ですよね。

 

たとえば私の場合、まだ企画化していない構想をまとめておいたり、習作づくりをやっていたりします。ブログを書くのもその一環と言えるかもしれません。

 

私のような物書きにとって、ブログは練習をする場所であり、構想の卵や素材を試作する場所であり、そのうえで外部の人に「私はこんなことにも関心があります」と知ってもらえるかもしれない、簡易展示場のような場所でもあります。

そうやって、ブログなりチラシの裏なりであれこれ書いたり作ったりしていることに今まで何度助けられたかわかりません。

 

同じことが、他の色々な職業やジャンルにもきっとあると思うのです。突然にピンチヒッターとして抜擢された時、徒手空拳の無為無策なのか、それとも常日頃から備えてきたのかでは、ピンチヒッターが引き受けられる度合いも、引き受けた時にピンチヒッター以上のことをやってのけられる可能性もぜんぜん違ってくるでしょう。

 

だから「最近、なかなかバッターボックスに立てない」と思っている人も備えはあったほうがいいし、手は動かしておいたほうがいいのだと思います。代打をすぐに引き受けられる即応力も、バッターボックスに立てる回数を増やすという才能の一部です。

 

これは男女交際にも当てはまる話。

ところで、バッターボックスに立てる回数を増やす話って、男女交際にも当てはまりませんか?

 

私は「彼女/彼氏が欲しい」っていう悩みがよくわからなくて、「『彼女/彼氏が欲しい』じゃなくて、『自分が好きになってしまった相手と付き合いたい』じゃないの?」と思ってしまう性質ですが、どちらにせよ、異性へのアプローチを考えなければならない場面は唐突にやって来るもので、と同時に、そういう場面の多い/少ない状況に左右されるものです。

 

ということは異性へのアプローチも、バッターボックスに立てる回数を増やせるかどうか、それといつでもピンチヒッターに立てるかどうかって話を多分に含んでいますよね?

 

いわゆる「異性にモテるかどうか問題」も、顔立ちが良いとか気が利くとかいった純粋に個人的な素養で決まるのでなく、バッターボックスに立てる回数を増やせるかどうかが本当は大きな部分を占めていると思うんですよ。

 

十代ならいざ知らず、一定年齢を越えれば異性にいきなり告白するわけでも、付き合っているか付き合っていないかが明瞭なわけでもないわけでしょうから、ごく単純に異性へのアプローチが起こり得る確率が増えれば良い、もっと言えば異性とコミュニケーションし、夕飯を食ったりコーヒーを飲んだりする回数が増えるだけでもいいと思うのです。

 

出張の帰りに空腹のきわみだったから (恋愛感情の無い) 異性の同僚と焼き鳥屋で夕飯を食った、そういう経験も無いよりはあったほうがいいでしょう。それだって一種のバッターボックスですよ、たくさん異性とコミュニケートしたり時間を過ごしたりしていれば、そのぶん経験は増えるし、そこから色恋の糸口が見えてくることもあるでしょう。

 

また、異性を相手に気が利く態度とはどういうものなのかを学習し、本当に異性にアプローチしたい時に参考になる知識と経験を得ることだってできるでしょう。

 

そうした知識や経験を獲得することもひっくるめて、男女交際の領域でもバッターボックスに立てる回数の多寡がとても重要ではないでしょうか。

ちょっとぐらい顔立ちが良かったり気が利いたりしても、バッターボックスに立てる回数が皆無なら、その人は非モテに甘んじるほかありません。バッターボックスに立たなきゃうまくならないし、うまくなれるわけがないんです。

 

ピンチヒッターの話もそうです。いつキューピットの矢に射抜かれても構わないよう、常日頃から身なりやTPOには気を遣っておいたほうがいいし、できれば、どうでもいい会食・ちょっとした会食・しゃれっ気を出したい時の会食、等々ができるお店のことなども知っておきたいところですね。

 

そうしたわけで、かなり広い分野において「バッターボックスに立てる回数を増やす」は才能の基幹をなしていて、ともあれ、その回数を増やせる人はサクセスに近づけるでしょう。

2024年が皆さんにとってバッターボックスに立てる回数の多い一年であることを祈念し、この文章の結びに代えさせていただきます。

 

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Mark Duffel