学生にとって三月というのは、ただ単に慌ただしいだけでなく"進路"という名の運命が決まる月でもある。

 

思い返せばン十年前の今頃、わたしはとんでもない親不孝と周囲への裏切りを敢行した。

だがそれは、同時に自分の中でのけじめであり、むしろゴールを駆け抜けられたことに満足していた。

 

果たして、それが正解だったのかどうかは分からないが、後悔はしていないと断言できる。

 

授業中の居眠りがきっかけで

「なんで寝てるのがバレるか、分かる?」

座席が前後の友人から、突如、こんな質問を投げかけられた。わたしはなぜか、授業中に居眠りをするとすぐに気付かれるのだ。

 

そして正直なところ、バレる理由が分からなかった。なんせわたしは、モロにうつ伏せるわけでもなく、手元の教科書に釘付けっぽい姿勢を保ちながら、さり気なく眠っていたのだから。

それなのに、意識が遠のいた頃に決まって起こされるので、どうせ目を付けられているのだろう・・・くらいに思っていたわけだ。

 

ところが、彼女いわく「わたしの居眠りがバレるのは、それなりの理由がある」とのこと。まさか、いびきでもかいているのか——。

「あのね、アナタが寝ると机がカタカタ鳴るの。寝るとピアノを弾き出すから、バレるんだよ」

 

それは衝撃的な告白だった。たしかに、無意識で指が動く感覚は自分でも把握していた。とはいえ、寝ている間は自分をコントロールできないため、睡眠中に指を止めることなど不可能。ということは、わたしは授業中に居眠りすら許されないのか——。

 

そんなある日の昼休み、彼女は笑顔でこう告げた。

「アタシ、大学は音楽じゃないところにした。アナタを見てると、ピアノで受験する人はこうでないとダメなんだろうな・・って思い始めちゃってさ」

 

小学校の頃からピアノを続けてきた彼女は、もちろんピアノを使って大学受験をし、音楽の道へと進むものだと思っていた。

ピアニストのような演奏家ではなくても、音楽教師やピアノ講師など、ピアノに付随する職業に就くのだろうと勝手に予想していたのだ。

 

それに比べてわたしは、ピアノや音楽で生きていくつもりはなかった。なんせ、4歳から始めたピアノは親の勧めによるもので、センスや才能があるわけではなかったからだ。

それでも、気がつけば若干なりとも"武器"となっており、将来の夢も希望も特にないわたしは、その武器を使って大学受験を突破しようと考え始めたのだ。

 

音大や芸術系の大学を受験するには、ピアノだけを練習すればいいわけではない。当時はセンター試験による学力テストの他に、実技の課題曲と自由曲、音楽理論(楽典)、聴音、新曲視奏、声楽など様々な難関が待ち受けていた。

そのため、一般的な受験生と比べると、受験対策の内容が複雑かつ膨大だったことを思い出す。

 

だからこそ、音楽系の大学を受験すると決めたならば、最後までその方向性を貫くのが筋・・・というか、そうでなければカネも時間ももったいなくて、親を含む関係者に顔向けできないのである。

それなのに彼女は、「ピアノで受験することを諦めた」と言うではないか。にわかに信じられない。

 

「寝ても覚めてもピアノのことを考えている人でなければ、音楽の世界では生きていけないと思う。だからさ、アナタは絶対に受かってよ」

そう言いながら、彼女は涙をこぼした。

 

それを聞いたわたしは、返す言葉が見つからなかった。

「なんで?頑張って続けようよ!」と励ますのは簡単だが、もはや何を言っても彼女には響かない気がする。

しかも、よりによってピアノの演奏ではなく、授業中の居眠りが原因で彼女の夢を奪ったとなると、真偽のほどは別として、なにを言っても嫌味に聞こえるだろう。

 

無論、「寝ても覚めてもピアノのことばかり考えている」なんてことはなかった。

そもそもレッスンが憂鬱で、ピアノに対する情熱も執着心も持ち合わせていないのだから。

思うにきっと、わたしは夢の中でうなされていたのだ。そのプレッシャーが指に現れて、勝手に机を叩いていた、という点では「寝ても覚めてもピアノのことを考えている」というのも、あながち嘘ではないが。

 

とにかく、ピアノや音楽の才能など皆無であるにもかかわらず、ちょっとした勘違いから一人の女性の夢を奪ってしまった事実に、わたしは罪悪感を覚えた。

(せっかくここまで続けてきたのに、なんでやめちゃうんだよ……)

 

わたしの決断

それがきっかけとなったわけではないが、わたしはピアノに対して真摯に向き合う覚悟を決めた。

そして、じっくり考え抜いた末に「とあるゴール」を設定した。

 

努力家としての資質ゼロのわたしが、ピアノや声楽の練習に明け暮れることができたのは、明確なゴールがあったからだろう。

正直なところ、わたしのピアノの実力では合格困難な大学ばかりを希望していたため、自由曲を他大学の課題曲でまかなったり、その課題曲すらも山を張って一曲に絞ったりと、普通に考えれば合格など到底無理な話だった。

 

それでも、迫りくるタイムリミットに向かって全力疾走した。今となっては、あの当時を思い出したくても何も思い出せないくらい、無我夢中でピアノに没頭していたのだ。

 

 

3月のある日の午後、外出していたわたしに母から連絡があった。

「〇✕大学から大きな封筒が届いている」とのこと。さっそく中身を確認してもらうと、それは志望校の合格通知と入学手続きの案内だった。

 

なんの因果か、ピアノを辞めた例の友人と一緒にいたわたしは、とりあえず合格したことを彼女に告げた。すると彼女は、まるで自分のことのように泣いて喜んでくれた。

 

——だがわたしは、合格を知った瞬間に喜びとは別の感情に浸っていた。ようやく全てから解放されたことと、無事に終焉を迎えられたことに安堵したのである。

大袈裟ではあるが、悔いのない最後を迎えるべく人生を賭した一年間だった。そしてわたしは、心の中でこう呟いた。

(これでようやく、ピアノを辞められる……)

 

そう、わたしが決めたゴールは「志望校に合格したら、ピアノを辞める」というものだった。

つまり、ピアノを使って進学はしない・・・ということを予め決めていたのだ。

もちろん、この事実を知っている者などいない。両親をはじめ二人のピアノの先生、声楽・楽典の先生も誰一人として、わたしの"異常な決意"を知る者はいなかった。

 

というか、当たり前だ。ピアノ科に合格するべく、大勢の関係者の協力を得てここまでたどり着いたのに、合格したら辞退するなど"気がふれた"としか思えない奇行である。

それでも揺るぎない決心というか、むしろ、このゴールのためだけに全てを注いできたわけで、見事に駆け抜けたわたしはピアノ人生の幕を下ろそうとしていた。

 

その後に待ち受ける大混乱は想像に難くないが、唯一、わたしの決断に理解を示してくれたのは、高校2年の頃からピアノ指導をしてくれた夏目先生だった。

「実力不足のあなたがせっかく合格したのに、ピアノを辞めるという選択には拍子抜けしました。でも、それもまたあなたの人生ですから」

 

——こうしてわたしは、晴れてピアノとお別れしたのである。

 

 

あれからン十年経ち、わたしは再びピアノを再開した。きっかけはよく分からないが、

「誰かと競い合うような椅子取りゲームではなく、自分自身のためにピアノと向き合ってみよう」

と、急に思い立ったのだ。

 

大学受験という人生の通過地点における選択は、その後の未来を左右する可能性が大きい。それでも、その時点で選択しなかったからといって一生交わることはない・・・とも限らない。

だからこそ学生諸氏は、良くも悪くも胸を張って四月を迎えてほしいのである。

(了)

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

URABE(ウラベ)

ライター&社労士/ブラジリアン柔術茶帯/クレー射撃スキート

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