これはもしかすると、身内すらも知らない秘密に、わたしだけが勘づいたのではないか。なぜなら、その場にいる全員が誰一人として、渦中の二人を観察していないからだ。

そして、もう二度と会うことも触れることも叶わない……そんな現実に直面したとき、こぼれ落ちる涙と共に見せた真実を、わたしは見逃さなかった。

 

美人薄命

常識を無視した生活を送っていると、ある日突然、右往左往しなければならない時がくる。その典型が「葬式」である。

いわゆる冠婚葬祭の場面では、日本人にとって最低限のマナーがあり、中でも葬式に関しては、非常識な振る舞いは絶対的にNGだ。

そんな常識を試される場に参上するにあたり、身なりから不祝儀袋の書き方、はたまた焼香の作法について、どれをとっても自信満々に遂行できるツワモノが、この世にどのくらい存在するのだろうか。

当然ながらわたしは、常識ある友人に教えを請うたりネット検索したりしながら、手探りで「葬式についてなんとなく理解しているヒト」を演じるのであった。

 

 

先日、若くしてこの世を去った友人の葬式に参列するべく、大慌てで喪服セットを引っ張り出したわたしは、不慣れな格好に苦戦しながらも葬儀場へと向かった。

それにしても、ここ最近の葬式は明らかに様変わりしている。

故人の年齢にもよるだろうが、友人の葬儀はとても華やかで明るいものだった。流れる音楽はシャレた洋楽で、彼女が好きなミュージシャンの曲が繰り返し流されており、思わず口ずさんでしまったり——。

 

そういえば過去の葬式で、アイドルやビジュアル系バンドのBGMが流れるという、既存の葬式の概念を打ち砕くような演出に驚かされたことがある。

ひと昔前(?)の常識である、神妙な面持ち、かつ、しめやかな雰囲気ではなく、大好きなものに囲まれて笑顔で送り出そう・・というのが今風なのだろう。

 

突然だが、亡くなった友人は美人だった。クールビューティーを代表するような清々しいオンナで、それこそヒマを弄ぶ要員のオトコがたくさんいた。

おまけに、ボーイフレンドたちは全員が見栄えのいい金持ちばかり。どうやったらあんなエース級のイケメンばかりを揃えられるのか、凡人にとっては不思議で仕方なかった。

 

「だって、一緒にご飯行くならカッコイイほうがいいでしょ?」

それはごもっともだが、いとも簡単に最強の戦闘態勢を整えることなど、一般的な顔面偏差値では至難の業。だが、ご尊顔を装備した彼女にとってはごく当たり前のことで、それをサラッと述べる潔さみたいなものが、わたしは大好きだった。

 

オトコに困るわけでもなく、仕事もプライベートも順風満帆だった彼女だが、少し前に癌が見つかった。そしてあっという間に全身を蝕み、気がつけば彼女をこの世から連れ去ってしまったのだ。

 

あまりにあっけなく居なくなってしまった友人を思うと、悲しみよりも先に信じられない気持ちが湧き上がり、ついこの間までバカ話で盛り上がっていたことが嘘のようである。

それでも、彼女の死が事実であることを裏付けるかのように、しばらくするとわたしの元へ告別式の通知が届いた。こうしてわたしは、友人と最後の別れをするべく葬儀場へと向かったのだ。

 

出棺で露呈した真実

穏やかな表情で眠る友人は、まさに眠れる森の美女のオーロラ姫だった。姫を包み込むように敷き詰められたユリや薔薇の棺を囲んで、大勢の友人知人らが彼女と最後の時を過ごしている。

 

そういえば、彼女とわたしの共通の友人というのはほとんど存在しない。いつも二人で会っていたので当然といえば当然だが、こういう場で一人というのは、ちょっと気まずいような落ち着かない気分になる。

とはいえ、友人との別れのために訪れたのだから、他人と喋る必要はない。よって、自分の順番が回ってくるまで、式場の片隅で静かに待つことにした。

 

それにしても、これも最近の流れなのかは分からないが、カチッとした喪服姿は全体の半分くらいで、ややもすると「マナー違反!」と叩かれそうな服装の参列者も散見するなど、いい意味で拍子抜けしてしまった。

言われてみれば、告別式の通知に「堅苦しい格好ではなく、普段通りの姿で送り出してあげたい」というような文言があり、たしかに彼女らしい配慮だと思った。破天荒で天然キャラの友人ならば、言われるまでもなくラフな服装を好むだろうから。

 

そして意外だったのは、圧倒的に女性が多いことだ。一般的に友人・知人といえば同性が多いのは理解できるが、ボーイフレンドの人数もそれなりだったはずなので、ちょっと意外に感じたのである。(とはいえ、さすがに元カノの葬式には来ないか・・)

まぁ人それぞれの事情があるだろうから、その辺りは触れないでおこう・・と自己完結させようとしたところ、パンツスーツに身を包んだ一人の女性が現れた。その瞬間、彼女に見覚えのあるわたしは、頭をフル回転させて記憶を辿った。

 

(・・あ、友人と仲のよかった友達だ!)

いつだったか、友人がハワイへ行った時の写真に写っていたのがその人だった。

「気が合うだけでなく、信頼できる大切な友達」と、友人の口から聞いたことがある。——そうか、彼女も当然ながらお別れをしに来たわけだ。

 

長身で華奢な彼女の後ろ姿からは、顔など見ずとも悲痛な面持ちであることがうかがえる。そして棺に手をかけたまま、じっと友人を見下ろしていた。

仲のいい友がこの世を去る悲しみは、想像を絶するものだろう。しかも人生半ばの早すぎる旅立ちは、わたしですら信じられないわけで、それが親友ともなればなおさら——。

 

そんなこんなで故人との別れを惜しむ参列者たちが、続々と棺の周りに集まり、各々のやり方で言葉を交わしていた。もちろんわたしも、これまでの感謝を伝えると静かにその場を離れた。

 

そしていよいよ、出棺の時がやってきた。

遺族の手で棺をストレッチャーへと載せ替え、先導員の合図を待って火葬場へ移動・・というその時、あのスレンダーな女性が思わず棺に手を伸ばしたのだ。大粒の涙が頬を伝い、何度も何度も友人の名前を呟いている。

それを見た式場スタッフが、「危ないので下がってください」と制止するも、彼女は断固として引かなかった。

 

遺族ですら棺から離れているこの状況で、心中は察するがさすがにやり過ぎではなかろうか——。

そう思わせるほどの独断ぶりだが、半ば強引に引き離された彼女は、最後まで手を伸ばして棺に触れようとしていた。

 

そんな彼女の左手を見たわたしは、それこそ目が覚めるような衝撃を受けた。(あの指輪、見覚えがある・・・)

そう、彼女の薬指に光る指輪は、かつて友人が薬指につけていたものと同じだった。斬新なデザインゆえに、鮮明に記憶していたのだ。

「その指輪、かわいいね」

「でしょぉ〜、お気に入りなの」

そう言いながら左手を頭上に掲げて、嬉しそうに目を細める友人の横顔が脳裏をよぎる。

 

その瞬間、すべての謎が解けた——というか点と点が繋がった。モテモテの友人がなぜ結婚しなかったのか、そして、なぜこの女性がなりふり構わず棺にすがるのか・・思い返せば全て、得心がいくではないか。

つまり、彼女こそが「真のパートナー」だったのだ。

 

 

現世では無情にも引き裂かれた二人だったが、心は固く繋がっているはず。だからこそ、どうか来世では幸せに結ばれる運命であってほしい——。そう願わずにはいられなかった。

去り行く故人と、悲しみに暮れる彼女の背中を交互に眺めながら、そんなことを思っているのはわたしだけだろう。

(了)

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

URABE(ウラベ)

ライター&社労士/ブラジリアン柔術茶帯/クレー射撃スキート

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Photo:Michael Fousert