「飲食店で量が少なめのものを頼みたくても、“レディースセット”なんていう名前がつけられているから、頼みにくい」

Z世代の男子はそんなところにジェンダバイアスを感じるのかと、ほのぼのした気分になった。

 

高校生・大学生を対象にした意識調査が面白い(SHIBUYA109 lab.調べ)。

「これまで生きてきた中で、ジェンダに関する不平等を感じたことがある」が半数弱。

それでも、「価値観が合わない人がいるのは仕方ないことだと思う」「価値観が合わない人とは戦わずに距離を置きたい」という回答がどちらも7割を超えているのだ。

 

いやいやいやいや。

そんな呑気なことを言っている場合じゃありません。

近い将来、その「価値観」に命を奪われかねないんですよ、という話をしてみたい。

 

誰かを救うために誰かを犠牲にする

唐突だが、「トロッコ問題」をご存じだろうか。

イギリスの倫理学者フィリッパ・フット氏が1967年に提起した思考実験である。

 

ブレーキが故障したトロッコが暴走している。もしそのまま直進すれば、その先にいる5人をひき殺してしまう。

進路を変えればその5人は助かるが、変えた進路の先にも別の人がいて、その人が死ぬことになる。

「ある人を助けるために他の人を犠牲にすることは許されるか」という倫理的ジレンマがテーマだ。

 

一生のなかで、そんな究極の状況が果たして生じるものだろうかという疑問を持つ人もいるだろう。

しかし、この問題は、最近にわかに現実味をもって注目されるようになってきた。

それは、現在レベル4まで進んできた、自動運転の文脈からである。

 

近い将来、自動運転車に搭載されたAIが人間の命に関わる意思決定を迫られるだろう。

人身事故が避けられない状況で、AIはどのような倫理的意思決定をすべきなのだろうか。

倫理アルゴリズムを設計するためには、皆が納得できる倫理規則を構築しなければならない。

まずはそのための「議論の材料」を用意しようと、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボのチームが立ち上がった。

 

こうしてできたのが、人間の視点を収集するためのプラットフォーム「モラルマシン」である。

デバイスに、2車線の道路を走行する車のイラストが映し出される。

参加者は「事故を観察する第3者」として、2つずつ示される「避けられない事故」のシナリオのうち、どちらがより容認できるか判定する。

MIT MediaLab「モラルマシン」(日本語版)

 

13セットで1回。日本語バージョンもあり、何回もやることができる。

年齢、性別、最終学歴、収入、政治的信条や宗教など個人データの提供は任意だ。

 

犬の次

誰かを救うために誰かを犠牲にする。

実際にやってみるとわかるが、架空であっても、これが予想以上にキツいのだ。

 

命とはそれ自体が尊いもので、その重さはどれも同じ。私たちの社会は、生命の平等性を絶対的な価値観として成り立っている。

ところが、この実験では、救える命と救えない命があるという前提で、どちらを救い、どちらを犠牲にするのか、命の優先順位をつけなければならない。

 

倫理的ジレンマを抱えるのは、災害現場でのトリアージと同じだが、トリアージには、限られた医療リソースを最大限に活用して、可能なかぎり多くの命を救うという明確な目的がある。

また、訓練を受けたプロフェッショナルが、確立された基準にしたがって行う。

 

一方、モラルマシンでは、判定基準ごとまるっと参加者に委ねられてしまう。

 

重視すべきは救える命の数だろうか、それとも交通法規の遵守か。

乗客か、歩行者か。

車を操作するのか、そのままの進行方向を維持すべきか。

 

それらに加えて、性別、種(人間/犬/猫)、年齢(乳幼児/子ども/大人/高齢者)、体型(アスリート体型/肥満体)、社会的地位(医師/経営者/犯罪者/ホームレス)、妊婦などの属性も絡んでくる。

 

では、参加者はどんな判断を下したのだろう。

 

2018年にネイチャー紙に投稿された論文によると、その時点で233の国と地域から数百万人が参加し、4,000万のサンプルが集まったという。

国際的に共通する最も顕著な傾向は、救える人命の多さ、動物より人間、高齢者より年少者を優先することだった。

 

属性別にみてみよう。

優先される属性:Nature“The Moral Machine experiment” p.3

 

優先的に「助けられた対象」は、多い順から、乳幼児、少女、少年、妊婦。

一方、優先順位が低く「殺された対象」は、猫、犯罪者、犬が圧倒的に多く、女性高齢者がそれに続く。
私は犬の次かあ。

 

自分の属性を殺す意味

実は、この結果は、なんとなく予想できていた。
この実験では判定後、「最も助かった対象」と「最も殺された対象」が表示される。私の場合、「最も殺された対象」に女性高齢者のマークが示されることが数回あったのだ。

こんなふうに。

なぜ私は自らの属性を一番多く「抹殺」したのだろう。

 

その要因はいくつか考えられるが、一番のポイントは、「事故を観察する第3者」にはなり切れなかったということだろう。

自分と合致する属性をみて、「その属性をもつ人々の集合体」と捉えるのではなく、自分自身をそこに投影させてしまう。

 

そして個人としてなら、自分の命と引き換えにしてでも助けたいと思える対象が多いのだ。

たとえばベビーカーのイラストをみれば、自分の子どもや孫が赤ん坊だったころの、ぷっくりした頬っぺやくびれた手首、ミルクの匂いが蘇ってくる。

妊婦のキャラクタをみると、娘や自分が妊婦だったときの、希望と不安のないまぜになった気持ちやあのころ着ていた服を思い出し、懐かしさでいっぱいになる。

 

そんな愛おしい存在が暴走車にひき殺されるなんて、架空のできごとであっても耐えがたい。

そして、そういう対象が多ければ多いほど、自分自身の命の優先順位は相対的に下がっていくのだ。

それはむしろ幸せなことではないだろうか。

 

しかし、そこが問題でもある。

なぜなら、こうした「自己犠牲」を伴う心の動きが、実験結果には、あたかも「女性高齢者軽視」であるかのように反映されてしまうからだ。

 

猫の次

私は犬の次だったが、猫の次の人もいる。

 

最近、こんな犯罪が報道された。

24歳年下になりすました女を再逮捕 健康保険証を不正取得した容疑

実在しない人物の戸籍を作成し、24歳年下の「妹」になりすましたとして警備員の吉野千鶴容疑者(73)=東京都大田区=と夫(65)が有印私文書偽造・同行使などの疑いで逮捕された事件で、警視庁は10日、偽造書類で国民健康保険証をだまし取るなどしたとして千鶴容疑者を詐欺容疑などで再逮捕し、発表した。容疑を認めているという。

犯人は犯行当時アラセブ、70歳前後の女性である。

「陰でひとくくりに“ばばあ”呼ばわりされるのは嫌だ」

「元気でやる気もあるのに、トシだからと軽い仕事しかさせてもらえないなんて理不尽だ」

それが動機だったという。

 

問題は能力ではなく実年齢。変えるのは不可能だ。

そんなとき、無戸籍の人が新たな戸籍を取得できる制度があることを、偶然、知った。

 

「だったら、うんと若い妹の戸籍をつくって、妹になりすましちゃえば、いいんじゃない?」

 

閃いた彼女は作戦を練り、百戦錬磨の弁護士や家裁を手玉に取って、思いどおり24歳年下の架空の妹の戸籍を取得してしまう。

法律のプロフェッショナルたちの前で、「戸籍のない妹」の生い立ちを詳細に語り、自身と「妹」を演じ分けていたというのだから、驚きだ。

 

60代後半で働いていた警備会社では隅に追いやられていたが、40代半ばの妹になりすまして別の警備会社に就職すると、状況は一変する。

仕事の幅が広がり、トシのことを言われることも全くなくなったのだそうだ。

年齢に関係なく気持ちよく働きたいという彼女の願望は、こうして叶えられた。

 

しかし、犯罪は犯罪。

「身分証明制度の根幹を揺るがす悪質な犯行」として、懲役3年、執行猶予5年の判決を一審で言い渡された。

 

だが、彼女は、本当に悪党なのだろうか。

そもそも誰も傷つけてはいない。

ひとさまの金品に手をつけたわけでも暴力をふるったわけでもない。

 

手段はともかくとして、エイジズムに抗ったのだ。

むしろアッパレではないか。

 

ところが、モラルマシンでは「犯罪者」として、それこそ極悪非道な殺人鬼などと一緒くたにされてしまう。

そして、命の優先順位は最下位から2番め、猫の次だ。

 

ひとくくり

ちなみに70~74歳の女性の就業率は25.1%。その割合をどう捉えるかは微妙だ。

4人に1人は働いているのだから、そうレアでもないが、多いわけでもない。

 

私は犯行時の彼女と同じくアラセブで、周りが引くくらいあくせく働いているが、同年代の女友だちの生活は多様である。

子どもをもたずに大企業でバリバリ働いていた友人は、定年になるとすっぱり仕事をやめ、親の介護を終えた今は、趣味に打ち込んでいる。

半世紀近くピアノ教師を続けている人もいれば、家業を手伝いながら「孫育て」を楽しんでいる人もいる。

ずっと専業主婦で一度も働いたことのない友だちは旅行三昧だ。

 

[女性×高齢者]という属性は共通しているけれど、それぞれがそれなりの事情を抱えながら、できる範囲で自由に自分らしく、唯一の人生を生きている。

それなのに、ある属性をもつ人々をひとくくりにして、ステレオタイプなジャッジを下すのは、暴力でしかない。

 

それは、他の属性でも同じこと。

モラルマシンではそうした暴力が横行してしまっているのではないか。

 

そんな場合ではない

しかし、私も偉そうなことはいえない。

「犬の次かあ」などと言うのだから。

 

「命はそれ自体が尊いもの」というのなら、生き物の命の重さは種を越えてすべて同じはずなのに。

ステレオタイプとは、なかなかに厄介なものである。

 

とはいえ、AIが命の優先順位をつける状況が訪れつつある。

AIの判断のもとになるのは、人間の判断を蓄積したビッグデータだ。

人間の判断にバイアスがかかっていれば、AIの判断も同じように偏ったものになるだろう。

 

「価値観は人それぞれ」なんて、呑気なことを言っている場合ではない。

ステレオタイプに気づいたら、とにかくシビアに撥ね返していこうと思うのだが、いかがだろうか。

 

 

 

 

 

【プロフィール】

著者:横内美保子(よこうち みほこ)

大学教員。パラレルワーカーとして、ウェブライター、ディレクターの仕事もしている。

今あくせく働いているのは、若い頃のツケが回ってきているからです。人間は死ぬまでにプラマイゼロになるといいますが、そうするためにはまだまだ働かないと(・・;)

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Photo:Nimrod Persson

 

資料

株式会社SHIBUYA109エンタテイメント「Z世代のジェンダー・多様性に関する意識調査
ファッションを中心にジェンダーレスに楽しむのは当然!?不適切発言に違和感は6割。」
(2024年4月25日 14時00分)

MIT MediaLab「モラルマシン」(日本語版)
https://www.moralmachine.net/hl/ja
https://www.natureasia.com/ja-jp/phys-sci/research/12745

Nature“The Moral Machine experiment” p.1, p.3