ある日、新入社員が小首を傾げながら、こんな質問をした。
「すみません。毎日朝礼をするのはどうしてですか」
すると、ある先輩がこう答える。
「ルールだからね。出席しないとみんなに迷惑がかかっちゃうし」
新入社員は心のなかで、こう呟く。
「……説明になってないよ」
別の日。
「お疲れ様です、お先に失礼します」
あれっと顔を上げる上司。
「おい、どうして他に仕事がないか聞かずに帰るんだ?」
「どうしてですか? 自分の仕事、終わったし。定時なので、帰ります キリッ」
「……」
先輩vs.後輩、あるいは上司vs.部下のこうしたやりとりは、そう遠くない日に多くの職場でみられるようになるかもしれない。
いや、もう既にその兆候があらわれている職場もあるのではないだろうか。
なにしろ、あの「飲み会に残業代出るんですか」動画がバズったご時世なのだから。
でもそれは、決して悪いことではないはずだ。
あーあ、めんどくせ
唐突だが、以下のようなセリフを聞いたら、どんな人物像を思い浮かべるだろうか。
a.そうよ、わたしが知ってるわ
b.そうじゃ、わしが知っておる
c.そや、わてが知ってるでえ
d.そうじゃ、拙者が存じておる
e.そうですわよ、わたくしが存じておりますわ
f.そうだよ、ぼくが知ってるのさ
g.んだ、おら知ってるだ
話し手の性別や年齢、時代、地域、職業、階層、風貌、性格までもが、即座に浮かんできたのではないか。
ある特定の言葉づかいを聞くと、特定の人物像を思い浮かべることができる。
あるいは、ある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使いそうな言葉づかいを思い浮かべることができる。
このような言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。
日本語研究者の金水敏氏が2000年に提唱した概念である。*1
役割語の特徴は、ステレオタイプであること。
先ほどの例には、死語に近い言葉づかいも含まれている。そのことからもわかるように、その人物像に該当する実在の人物が、実際に使用するとは限らない。
むしろフィクションの世界で多用されているのだ。
漫画やアニメを思い浮かべれば、それぞれのキャラクタが独自の役割語を駆使しているのに気づくだろう。
「わくわくするぞっ!!」
「あーあ、めんどくせ」
「オトコのことなんかで、泣いてるヒマはありませんわよ」
ステレオタイプである役割語を活用することによって、作り手はキャラクタの属性を瞬時に伝えることができる。
まだまだです
以前、日本語学習者向けの日本語教科書に出てくる人物が、どんなキャラクタとして描かれ、どのような役割語を担っているのか調べたことがある。
すると、以下のようなタイプが多いことがわかった。
「日本語、上手ですね」
「いいえ、そんなことないです。まだまだです」
日本人っぽい、謙虚な態度を示すキャラクタである。
他の教科書の用例を重ね合わせても、「謙虚」「お行儀がいい」「丁寧」と、三拍子そろった「優等生キャラ」ばかりなのだ。
日本語学習者に「日本式の優等生らしさ」を期待しているのだろうか。
教科書作成者の隠れた意図に、思わず触れてしまったような気がした。
では、日本語学習者が「優等生キャラ」と結びついた役割語を上手に操ることには、どんなメリットがあるのだろうか。
それは、日本人に好印象を与えられることだろう。
なにしろ日本人は「優等生キャラ」が大好きなのだから。
ビジネスマナー本を開けば、それがよくわかる。
たとえば、身だしなみ。
そこにあるのは、ブラック校則さながらの「らしさ」の追求だ。
「上品で清潔感のあるもの」「そつがないように」という価値観が徹底的に貫かれている。
身だしなみ以外に目を向けても、その世界観は変わらない。
ビジネスシーンの1つひとつについて、相手目線の細かい決まりごとを、これでもかというくらい書き連ねてある。
「優等生キャラ」と結びついた役割語のオンパレード。
それが、神経症的なほど高精度に磨き上げられているのである。
そして、それらはすべて「相手中心」「相手に好感をもってもらう」というところに収斂していく。
ビジネスマナーは、ビジネスパーソンの行動特性の集大成でありエッセンスである。
ならば、そこには、ビジネスパーソンの価値観が内包されているはずだ。
それと同時に、こうした「優等生キャラ」という集団規範が、逆にビジネスパーソンの行動特性を規定しているという側面もあるのではないだろうか。
深く考えたわけでも、納得しているわけでもないのに、集団規範から逸脱しないように気を配り従順に従うという態度は、「同調」と呼ばれるものだ。
同調は集団からの圧力を感じた場合に生じることが多い。
そう考えると、周囲に合わせようとするその態度は、一種の対人スキル、処世術ともいえるだろう。
だが、こんなことを続けていて、本当にいいのだろうか。
ミスコミュニケーション
実は、冒頭の職場でのやり取りは、経済産業省がYouTubeで公開している動画教材「職場でのミスコミュニケーションを考える」の一部である。
なぜ、「教材」なのか。
視聴すればわかるが、後輩・部下は外国人、先輩・上司は日本人である。
少子化が止まらず、日本の人口は減少の一途をたどっている。
しかも今後、人口減少はさらに加速するという。
人手不足も深刻化する一方だ。人手不足が原因で倒産した会社は、過去最多。
働き手がいないのでは、業績以前に、事業の存続自体が危うい。
こんな状況を背景に、政府は人手不足への対応策の1つとして、多くの外国人労働者を迎え入れる方向に舵を切っている。
日本人だけでは回らなくなりつつある産業分野で働いてもらおうというのだ。
その一環として、要件を満たせば、配偶者や子どもを呼び寄せ、ずっと日本に滞在することが可能な制度も創設した。
その目的は、魅力ある制度をつくって、外国人から「選ばれる国」になること。
裏返せば、今のままでは、外国人が日本に働きにきてくれるかどうか、危ういということである。
同じような状況を抱える先進国の間では、外国人労働者の獲得競争が既に始まっている。
今や日本より時給が高い国はざらにあるし、就労要件を段階的に緩めている国もある。
そうした国際競争に、日本は果たして勝てるのだろうかという切実な危機感があるのだ。
しかし、その一方で、外国籍社員とのコミュニケーションに課題を抱える企業が多い。
これまでは日本式のやり方を外国人社員が学び、受け入れて、それに合わせるのが当たり前になっていた。
でも、今後もこうしたやり方を押し通していくのは、さすがに無理がある。
そこで経済産業省は、さまざまな企業にヒアリングして職場の実態を把握した。そして、その実態を反映させた動画教材を作成し、相互理解を促しているというわけだ。
仕事終わったら帰っていいよ
この際、動画の外国人社員を、国籍に関係なく、若手社員や新入社員に置き換えてみたらどうだろう。
動画に出てくる後輩・部下は、「優等生キャラ」とは真逆のキャラクタである。
「優等生キャラ」は、相手を過度に気づかい、好印象を抱いてもらうことで、相手の心をつかもうとする。
そうした行動様式によって良好な人間関係を築き、その信頼関係によってビジネスを円滑に進めようという意図があるのはもちろんだ。
確かに信頼関係はビジネスに限らず、どんな分野にあっても人間関係の基本である。
しかし、相手を尊重することと相手中心とは、似て非なるものだ。
無理をしてでも本音を隠し、相手が望むように振舞うのが相手中心。それがじわじわと心を蝕むということはないだろうか。
厚生労働省の、その名も「令和5年版過労死等防止対策白書」によると、仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスを感じている労働者の割合は、実に82.2%に上るという。
その理由でもっとも多いのは、仕事の量。
定時退社を咎められても、冒頭の動画のように、
「どうしてですか? 自分の仕事、終わったし。定時なので、帰ります」
と言う方が、よほど健全ではないか。
「優等生キャラ」をよしとする価値観に縛られた集団は、ときに地獄のような企業風土をつくり出してしまう。
そこから自由になれたら、どんなに楽だろう。社員がそうできるかどうかは、経営陣の意識や手腕にかかっている。
定時退社は当たり前。「仕事が終わったらいつでも帰宅していい」くらいの思い切ったルールをつくってみてはいかがだろう。
社員がのびのびと働ける環境があれば、エンゲージメントは自ずと高まる。生産性だって上がるはずだ。
職場に多くの外国人労働者を迎え入れようとしている今、若手社員の確保が難しい今こそ、「脱・優等生キャラ」を掲げる絶好のフェーズではないだろうか。
【プロフィール】
著者:横内美保子(よこうち みほこ)
大学教員。パラレルワーカーとして、ウェブライター、ディレクターの仕事もしている。
仕事柄、多くの外国人と接しています。日本人の名前はなかなか覚えられないのに、外国人のややこしい名前なら、すぐに覚えられる。こういう現象に名前はついているのでしょうか。
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Photo:Sam Balye
資料
*1
金水敏(2015)「役割語とキャラクター言語」『役割語・キャラクター言語研究 国際ワークショップ2015 報告論集』(科学研究費「役割語の総合研究」)pp.5-13