今日は、社会適応の話がしたくなったので良かったら付き合ってやってください。
昨今は、年功序列をバッシングして、自由選択/自己責任を寿いできた言説も一巡した感がありますが、それでも、組織のしがらみや会社の保守的風土は叩いて良いもの・忌避すべきものとしてインターネットでは語られています。
では、そうしたしがらみや保守性を忌避する人たちは、しがらみや保守性と無縁でいられるのでしょうか?
私は、違う気がしてならないんですよ。X(旧twitter)でしがらみをバカバカしいと言い捨て、会社の文化・風土みたいなものをけちょんけちょんにしている人が、案外、自分自身が既存のメンバーの側で新参を迎える時には保守的風土の一部をなしていたり、新参の新しいムーブを牽制していたりすること、ままあるように思うんですよね。
それってダブルスタンダードだと思うのですが、国際政治などをみればよくわかるように、人間においてダブルスタンダードは例外ではなく通常運転でしかありません。あるのは、ダブルスタンダードとして後ろ指をさされないためのテクニックの巧拙ばかりです。
ですから、「私たちには進取の精神がある」「私たちは自由なやりとりを尊重する」と言っている人のうち、少なくともある割合の人々は状況が変わったら違ったことをさえずり始めるに違いない、と思ってかからなければならないと私には思われるのです。
しがらみや保守性から純粋にフリーな人なら、組織やコミュニティに新参が入ってきた時、その新参が目新しい提言を次々にしはじめたとしても、違和感はおぼえないものでしょう。その新参の提言に実用性や説得力があるならば尚更です。
でも実際にそのような新参が入ってくると、口ではしがらみや保守性を批判していた当の人物が、新参の提言が採用されることに難色を示し、ああだこうだと実現の難しさを指摘し、さらには新参の発言力を削りにかかることすらあるじゃないですか。
そのとき、その新参を批判したり発言力を削りにかかったりする人は保守的な顔をしていて、会社の保守的風土を体現する人として行動しているでしょう━━少なくとも新参側からはそう見えるはずです。
この現象は、人が集まっているコミュニティや組織では高頻度に発生しがちで、もともと保守的だと喧伝されているコミュニティや組織ではいざ知らず、開明的で自由だと考えられているコミュニティや組織においてはダブルスタンダードと(新参側には)感じられるやつです。転じて、どこのコミュニティや組織にも、いわば「保守性」や「部族」っぽさはあると思うのですよね。
「そういうあんただって部族の民じゃん?」
私は今、「部族っぽさ」というフレーズを出しました。
ここでいう「部族っぽさ」とは、コミュニティや組織のメンバーのそれぞれが、内部の文脈に沿ったかたちで自分たち自身のプレゼンスを獲得・蓄積していて、それに沿ったメソッドを作ってしまっていて、それらを簡単には手放したくないし、手放さないためにあれこれと言を弄する、そのような性質のことを指しているつもりです。
たとえば、コミュニティや組織のなかで有る仕事を請け負っていて、評価もされていて、それがアイデンティティの一端ともなっている人が、いきなりやってきた新参の出しゃばりによって仕事も評価もアイデンティティも奪われそうになった時、文句の一つも言ってやりたい気持ちになるのは自然でしょう。
いや、文句の一つも言える場面だったら文句を言うだろうし、新参の出しゃばりを掣肘できる方法があるなら掣肘したくもなるでしょう。
が、そうやって元からいた人が既得権益を守ろうと行動している時、新参側からは「部族っぽいムーブだ」「口では自由だと言っているけれども、既存のしがらみや文脈に結局縛られているじゃないか」とダブルスタンダード的にみえるのは避けられません。
私が世間のあちこちを見て回った観測範囲では、こうしたことは革新性や風通しの良さを旗印にしているコミュニティや組織でも案外起こるもので、例外はあまりありません。
角度を変えて言い直すなら、「人間には、自分の属しているコミュニティや組織、あるいは場で獲得・形成・蓄積した既得権益を防衛しようとするかなり強いインセンティブがある」となるでしょうか。
ここから導かれる教訓は、「どこのコミュニティや組織にも部族っぽさはあるし」「口で何と言っているかにかかわらず、人は既存の文脈や体制に沿ったかたちでことをなすための布石をしがち」となるでしょうか。
いわゆる「部族っぽさ」は組織の性質だけによってできあがっているとは思えません。人はしばしば「部族っぽく」振舞うものなのです。
では、新参はどう振る舞うべきか
以上を踏まえて、新参の挙動について考えてみましょう。
人間に上掲のような性質があるとしたら(そして実際にはあるでしょう)、新しいコミュニティや組織に入ってきたばかりの新参が何の配慮も計算もないまま新風を吹き込もうとするのはリスキーでしょう。その試みはコミュニティメンバーの既得権益のさわりになるとみられるかもしれず、面子や面目を損ねる言動と解釈されるかもしれず、抵抗を受ける可能性があります。
もしコミュニティや組織のメンバーが十分に利口だった場合、たとえ新参がいきなり出しゃばって献策したとしても、その行為に正当性が伴い、既存の文脈と照らし合わせても批判しづらい状況だったら表立っては誰も抵抗しないと思われます。しかし、何の予告も根回しも配慮もなくそうした場合、コミュニティや組織に貢献するために善意でやったことでさえ、恨みを買ったり、いつかどこかで足を引っ張られたりするリスクを冒すことになるでしょう。
既存のメンバー全員を敵に回して構わない場合や、敵対したくて仕方がない場合を除けば、そういった事態は避けたほうがいいはず。逆に、そうした事態を避けるためには、新参はいきなり出しゃばらず、まずはコミュニティや組織内の文脈や既得権益の網の目をよく観察し、よく把握することだと思います。
そして原則として、文脈や既得権益の網の目を尊重する挙動を心がけておいたほうが後々動きやすくなるでしょう。組織のメンバーの面子や面目や立場を脅かさない挙動を心がけているつもりの人も、念のため、人や場の観察に時間をかけるのが穏当ではないでしょうか。
世渡りの技術として当たり前だ、何周遅れだ、という人もいらっしゃるかもしれませんが、世渡りの技術って、わかっている人は果てしなく先行し、わかっていない人は遅れているものなので、こういう文章もあっていいんじゃないかな、と私はいつも思っています。それに、頭ではわかっていても、やりたくない人やできない人も多いですからね。
また、革新的と称しているコミュニティや組織の看板をあてにするあまり、「ここだったら新参がいきなり出しゃばっても誰も文句は言わないし恨みも買わないはず」と勘違いし、挙句、自分自身の居心地を悪くしていくに違いない“改革案”や“献策”を連発する人ってやっぱりいますよ。それって、すごくもったいないことじゃないですか。
ですから、既存メンバーを全員叩き潰してやりたいと思っているのでない限り、新参はかならず慎重に振る舞って、そのコミュニティや組織の内部にある既得権益や文脈を把握すること、いわばそのコミュニティや組織に存在するであろう部族っぽさを掴んでいくことが大切だと私は何度も言いたいです。
最も革新的だと評判のコミュニティや組織にこれから入っていく人においても、それは例外ではありません。
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(2024/12/6更新)
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo:Nemesia Production