ここ数年、進化生物学の書籍を年に数冊は読むよう心掛けているのだけど、20年前からは随分進歩したことを言っていて、たとえば過去に話題になった『銃・病原菌・鉄』もだいぶ遠くになったなぁと思ったりする。

 

特に最近の私が特に関心をもって眺めているのは、人間の子どもがきわめて未熟である点だ。

人間が、それ以前の人類と比較して幼若な状態で生まれてくる傾向があるのは20世紀から言われていたことだ。いわゆる「ネオテニー」という現象である。

 

旧い種だったら未熟すぎる状態で生まれてきて、成長してもその幼若さの面影が残るネオテニーは、ホモ・サピエンスと旧人類を分ける大きな特徴のひとつだった。

が、そのネオテニーに関連して、そもそもホモ・サピエンスの新生児が自力では首すら持ち上げられないほど未熟な状態で生まれてくる:このことに私は関心を持ち続けている。

 

なぜなら、ホモ・サピエンスの新生児がとりわけ未熟な状態で生まれてくるとは、生まれてきた段階では神経発達、特に脳の神経発達がまだまだの段階にあるってことだからだ。

 

人間は脳の神経ネットワークが未完成な状態で生まれてきて、その後、乳幼児期から思春期にかけては身体的な発達と並行して神経ネットワークも発達させていく。

そうであるなら、人間の神経ネットワークの形成のある部分は先天的だとしても、ある部分からは後天的な刺激や環境要因によって左右されるはずである。

 

この「人間の神経ネットワークの形成のある部分は先天的だとしても、ある部分は後天的な刺戟や環境要因によって左右されるはず」の部分についてアップトゥデートな見解を持っておくことが、臨床的にも、子育てのうえでも、本当は大事ではないかと思えてならない。

 

生まれたての脳は脆弱で発展途上

人間は非常に大きな脳を持って生まれてくる動物で、そのことが女性の骨盤のかたちや難産的傾向の背景ともなっている。

手許の成書によれば、生まれたての新生児の脳のサイズは350gで、成人になる頃には1450gにまで成長する。当然、その間は神経細胞の数が増え続けるし、神経ネットワークも拡大し続ける。

 

中途からは増大と拡大だけでなく、神経細胞や神経ネットワークの“刈り込み”も行われる。そうして人間の脳が解剖学的にも機能的にも拡大し続けることが知られている。

 

実際に子育てをしてみると、人間とその脳がいかに発展途上な状態で生まれてくるのか、うかがい知ることができる。

生まれてきて間もない赤ちゃんの頭はふにゃふにゃとしていて柔らかく、壊れ物のように扱わなければならない感じがする。

 

頭がふにゃふにゃしていることは、狭い産道を通過するにあたっては有利だろう。この、ふにゃふにゃとした頭のつくりは大泉門と小泉門という頭蓋骨の隙間によるものだ。

隙間のある頭蓋骨は、赤ちゃんが産道を通り抜けるうえで有利なのに加えて、巨大化していく脳にあわせて頭蓋骨を拡張していくにも適したつくりになっている。

 

そうした頭の隙間が閉まるか閉まらないかぐらいの時期の赤ちゃんの頭を触ると、心臓のような拍動を感じる。

赤ちゃんが何かに夢中になっている時には、頭のてっぺんが少し紅くなって熱を持ち、すごい量の汗をかいたりする。

 

そのとき赤ちゃんの脳は膨大なエネルギーを消費し、五感や身体を稼働させるのと同時に神経ネットワークを急速に構築しているのだろう。

頭のてっぺんが熱を持つ現象は小学校低学年ぐらいまで持続し、『マインクラフト』のようなゲームをプレイしている時などは、頭から湯気が出るのではないかと思うほど激しく汗をかいていたものだ。

 

ハードウエアとしての脳の発達と並行して、ソフトウェアとしての脳も発達していく。

精神分析的な発達理論によれば、乳児期から幼児期にかけては心理発達にとってきわめて重要で、養育者との情緒的な結びつきや超自我の形成など、その後の対人関係や社会適応の基礎を身に付けていく時期とみなされている。

この時期に虐待やネグレクトがあったり、望ましいコミュニケーションの応答ができなかったりした場合には、後にさまざまな精神疾患の呼び水たり得るとされている。

 

「精神分析など古臭い」、と思う人も当然いよう。しかし、これとコンパチブルな話を進化心理学の著作物で見かけることが最近は増えてきた。

たとえばケヴィン・レイランド『人間性の進化的起源: なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか 』には、子どもが親の目線や指差しに早い段階から反応し、親と視線を共有するさま等、ホモ・サピエンスの赤ちゃんが親から学習する能力の高さが記されている。

 

そうした学習内容のなかには、精神分析でいう超自我に相当するエッセンスも含まれている。

同書には、人間が協力的な集団を作って暮らすためにも幼い頃から規範を学ばなければならず、また、大人たちはそれを教えなければならないと記されている。

 

またジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』によれば、人間の幼児は3歳の段階でもその場の社会規範を読み取り、それに違反している者に抗議することができるという。

 

言葉を話したり、身体を動かせるようになったりするだけが発達なのではない。

社会規範を読み取り、目の前の人間がそれを遵守しているか否かを判断するのも、これはこれで高度な社会的認知能力を要する能力だ。

先人がエディプス期と呼んだ時期には、このような社会的認知能力、かつては超自我とも呼ばれた能力も、神経ネットワークの形成と同時進行で育っていく。

 

環境への再注目としての「逆境体験」と「保護的・補償的体験」

ネオテニーな人間が、脳が未完成の状態で生まれてきて、脳のサイズも神経ネットワークも発達させながら学習能力や社会的認知能力をフル活動させて成長していくのだとしたら、月並みだが、生まれた後の学習環境、いわゆる後天的な学習環境がもたらす影響はけっして軽視してはいけないはずだ。

 

動物を観察した実験では、環境からの適切な学習や刺激が得られなければ神経ネットワークがうまく形成されない例が見つかる。

たとえば生まれたばかりでまだ目のみえない子猫に目隠しをしっぱなしで育てると、視力を獲得する機会は永久に失われる。

ラットの母親が赤ちゃんに哺乳する行為も、赤ちゃんからの哺乳刺激が不十分な場合、ラットの母親の母性本能は発現せず、赤ちゃんを殺してしまう転帰を迎える。

 

こんな具合に、動物の行動や能力のなかには、遺伝子には問題なくても、適切な環境や刺激が欠如していればうまく発達しないものが少なくない。

そして人間は他のいかなる動物と比べてもよく学び、よく教え、よく環境に適応する生物だから、生育環境や学習環境の良し悪しによって発達の程度がかなり変わる生物と推定される。

 

精神分析が流行に乗っていた時代には、この、後天的環境がもたらす影響が過大に喧伝されたという。

子どもが上手く育たなかったり精神病になったりした時、病気の原因とみなされたのは親の子育て、とりわけ母親の子育てだった。

 

ところが21世紀になり発達障害ブームを迎えてからは、これと正反対のことを言い出す人も出てきた。

つまり、子どものメンタルヘルスの問題を先天的要素や遺伝的要素に還元しすぎるような、極端な意見を述べたてる人々を私はSNS等でときどき見かけた。

私はそれを、「そこまで言い切ってしまうのは腑に落ちないな」と思いながらずっと見つめ続けてきた。

 

たとえば発達障害として知られるASDやADHDは、先天的要素や遺伝的要素の大きさが統計的に知られている。

統合失調症や双極性障害なども先天的要素や遺伝的要素の関与が大きいとされ、そのことを示すエビデンスも多い。

正真正銘の精神疾患の多くについて、先天的要素や遺伝的要素を意識するのは至当である。

 

他方、正真正銘の精神疾患未満の領域、それこそスペクトラムな診断基準にかするかかすらないかの状態や悩みに関しては、どこまで先天的要素や遺伝的要素で、どこから後天的要素や環境的要素によるのかは、判然としない。

カナー型自閉症のような、発達障害の中核群なら議論するまでもないとしても、たとえば昨今、ブロードバンドに判定される発達障害スペクトラムのグレーゾーンに関しては、どこまでが遺伝的要素によるもので、どこからが環境的要素のよるものだろうか?

 

たとえば、まともな生育環境で育つことができなかった生活歴を抱え、知的発達症のグレーゾーン、ASDのグレーゾーン、ADHDのグレーゾーン、双極性障害のグレーゾーンといったグレーゾーンそろい踏みと喩えるべき状態の症例に出会った時、その人のそうした状態がどこから遺伝に由来し、どこから環境に由来するのか、本当は私にはよくわからない。

 

環境への再注目といえる動きもある。最近は、小児期の逆境体験(Adverse Childhood Experiences: ACEs)や保護的・補償的体験(Protective Childhood Experiences: PCEs)に注目する専門家もいる。

小児期の逆境体験とは、虐待やネグレクトやトラウマになりそうな状況だ。

 

『小児期の逆境的体験と保護的体験』に記載されているイギリスにおける研究では、高学歴で中流階級の中年の3分の2は逆境体験を体験したことがあるという。

 

小児期の逆境体験は、肥満や心臓病のリスク、心臓病やがんのリスク、さらに薬物乱用のリスクや自殺未遂のリスクをも高める。

体内のストレスホルモンであるコルチゾールの分泌パターンを逸脱させることもあるという。

 

環境が悪ければ悪いほど、メンタルヘルスだけでなく身体的なリスクも含めて悪影響が出るという研究結果は、多くの医療関係者や福祉関係者が予感していたものだろうが、それをきちんと統計的に検証したところにこの研究の価値があると思う。

 

と同時に、同書は小児期の保護的・補償的体験についても述べている。

さきにも挙げたように、小児期の逆境体験はありふれていて、体験したことのない人のほうが少ないぐらいだ。

それでも多くの人が成人後もどうにかやっていけるのは、逆境体験に対して保護的・補償的に働く体験、レジリエンスを高めるほうに働く体験があればこそだ。

 

友人がいること、コミュニティや集団の一員であること、生活が規則正しいこと、メンターがいること、教育を受けること、趣味を持つことなどは保護的・補償的に働く体験にあたる。

音楽やダンス、武術などをやることもそうだ。

 

本書を読みどころは、こうしたことを昔ながらの精神分析的な発達論から説き起こし、統計的な研究結果を踏まえて神経発達の生物学的理論と接続させている点にあると私は感じた。

こうした温故知新な知見を踏まえるにつけても、やはり、環境は子どもの人生を左右するきわめて重要な要素と考えずにはいられないし、そこで子どもが体験すべきことは多岐にわたると思う。

 

昨今、子どもの学習や環境を考えるといって難しい勉強をさせたりハードな習い事をさせたりする向きがあるが、そうしたことが教育虐待にあたり、ここでいう小児期の逆境体験に相当するようでは本末転倒だと思う。

何をもって逆境とするか、何をもって順境とするかという難しい問題はあるにせよ、ともあれ、環境が子どもにもたらす影響には敏感でありたいものだ。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Ben Wicks