『よふかしのうた』ロスになっています

『よふかしのうた』(コトヤマ,小学館,2019-2024)というマンガを読み終えた。

アニメのPVか何かを見かけて、よくあるバトルものだと思って敬遠していたのだが、実際に読んでみたら、わりと純然たるラブストーリーであり、ジュブナイルだった。

 

マンガにせよ、小説にせよ、いい作品は読み終えた後に、ああ物語が終わってしまった…まだ終わってほしくなかったのに…という軽い「ロス」状態になることがあるが、『よふかしのうた』を読み終えた後の「『よふかしのうた』ロス」あるいは「ナズナちゃんとコウくんロス」がけっこうキツくて、2週間くらいもぬけの殻だった。

 

それじゃ、一体何が「ロス」の原因になったのかというと、たぶんナズナちゃんとコウくんの「夜の時間」から、読者である自分だけが置いていかれてしまった、と感じるからかもしれない。

 

もっと二人が夜の街を歩き続けているのを見たかった。

あるいは、ずっと部屋でゲームしてるだけの二人を、おいおいそれでいいのかよとヤキモキしながら見ていたかった。

 

そういった二人の「関係性」から切り離されてしまったことに強い喪失感を覚えていたわけである。

 

そのくらい『よふかしのうた』の登場人物たちは魅力的で、まるで本当に彼らと一緒に同じ時間をすごしてきたと感じさせる力があるのだろう。

そして、そこにはストーリーだけではない、マンガならでは体験があるのだとも思う。

 

たとえば、賛否あると思うが、ナズナちゃんはちょっと個性的すぎる格好だし、やせすぎている気もする。

コウくんの14歳という年齢も、見た目も、「夜の時間」を背負うには、ちょっと幼すぎる気もする。

 

だけど、そんな不完全な二人だからこそ、周りの人たちは「ああ…もう…違う、違う…」と身もだえしながら、しかし辛抱強く見守っているわけである。

 

僕はいわゆる「推し活」というものがよくわからない。

あえて「推し活」というならば、子どもたちの応援をするだけでもう手一杯だ。

 

ただ、この吸血鬼の少女と吸血鬼になりたい少年が、ゆっくりとお互いの想いを育んでいく様子だけは、もっと見守り続けていたかったな、とも思った。

そして、この感情は一体何なのだろうとも思った。

 

何かを喪失することは、不可逆な変化を引き受けること

一方で、人間は定期的に(いや、不定期でもいいのだが)喪失を体験したほうがいいのではないか、とも思った。

そうでないと、本当に大きな喪失に出くわしたときに、耐えられなくなるのではないだろうか。

 

人は、突然大切なものを失う。

それは人かもしれないし、モノかもしれないし、それ以外のことかもしれない。

自分が生きていた世界そのものが失われることだってあるだろう。

 

そのことに鈍感になれということではない。

むしろその喪失に向き合い、味わい、ちゃんと悲しみ、ちゃんと苦しみ、少しずつそれらが身体を通り過ぎていくのをじっと待つ。

そういう時間の過ごし方を知っておいてもいいのではないか、と思うのである。

 

じゃあその方法とは具体的に何か。

それは言ってしまえば、「時が過ぎるのを待つこと」でしかない。

どのくらいの時が必要なのかは、その状況や内容、その人によって違うだろう。

 

一生戻ることはできないかもしれない。

ただ、喪失とは、そういうものなのだ。

 

一度それを失う経験をしたら、それよりも前の自分に戻ることはできない。

つまりは、そうやって変わってしまった日常にどうやって順応していくか、そのプロセスを否応なしにでも経験する。

それが喪失の意味なのだと思う。

 

失うこととは、変わること。

生きることとは、その変化を受け入れていくことなのだ。

 

さよならだけが人生だ

ぼくの小さな人生の中でさえ、「喪失」は不可逆な変化をもたらしてきたように思う。

例えば、大学受験に失敗して、それと同時に当時付き合っていた子にフラれた。

わかりやすい喪失である。

 

ぼくはそこでいくつかの重要なことを学んだ。

努力したって報われないこともあること。

それでも報われたいなら、自分がイメージしている努力よりも、圧倒的に上回る努力をしないといけないこと。

人の心は変わるものであること。

そして、これについてはいくら努力したって、もう元に戻ることはないということ。

 

この最初の喪失については、初めての経験だけにかなり引きずった。

たぶん、3年くらい引きずった。

浪人して余計に成績が下がり、不本意な大学に入学した。

 

そこで気持ちを切り替えられたらよかったのだが、ぼくは心を閉ざしたままだった。

ただ、そのおかげでコピーライターという仕事に出会った。

あるいは文章を書く、ということに出会った。

 

自分の中で起きている変化を文章にすることで、その状況を知ることができるようになった。

やっと、何かを失うことで起こる不可逆な変化を、自分自身で見ることができるようになったわけである。

 

そこから、またぼくは色んなものを失い続け、そして変化し続けていった。

変わらないものを見つけるほうが難しいくらい、たくさん。

だけど、冷静に振り返ってみれば、何も変わっていないんじゃないと思うくらい、ほんの少しだけ。

いずれにしても、人生というのは失うことの連続なのだと思うのだ。

 

出会った瞬間から別れは決定づけられている

『よふかしのうた』は、きわめてピュアなボーイミーツガールの物語である。

少女と少年は、それぞれ違う理由で、恋をすることから距離を置いている。

きっと、彼らはそれが不可逆なものだとわかっているのだ。

 

一度誰かを好きになった後は、もう元には戻れないことを、本能的に知っているのだ。

だからといって進まないわけにもいかない。

物語は始まってしまっているから。

 

これは彼らだけの身に起きることではない。

ぼくたちの誰もが、自分以外の誰かと出会ってしまった瞬間、不可逆な変化は起きてしまっているのだ。

それが恋人であろうと、家族であろうと、会社の同僚であろうと、なんだろうと同じことだ。

 

ChatGPTは何度でも反応をやり直させることができるが、人間はそうはいかない。

その人と出会った瞬間に、その人との別れは決定づけられてしまっているのだ。

「さよならだけが人生」なのだ。

 

まあ、だからといって悲観することは全くないとも思う。

誰かと別れても、そこで起きた不可逆な変化はぼくたちの身体の中に刻みこまれたままだ。

その人はぼくの中で生き続けるのだ。

ナズナちゃんも、コウくんも、二人と一緒に夜ふかしを楽しんだあの時間も。

 

これほど自分を変えてくれる出会いが、残りの人生の中でどのくらいあるのだろうか。

わからない。

わからないけど、ぼくの物語はもうとっくに始まり、終わりに向かって進み続けている。

立ち止まるわけにもいかなさそうだ。

 

 

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【著者プロフィール】

著者:いぬじん

プロフィールを書こうとして手が止まった。
元コピーライター、関西在住、サラリーマンをしながら、法人の運営や経営者の顧問をしたり…などと書こうと思ったのだが、そういうことにとらわれずに自由に生きるというのが、今ぼくが一番大事にしたいことなのかもしれない。

だけど「自由人」とか書くと、かなり違うような気もして。

プロフィールって、むずかしい。

ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。

Photo by:Rico Zamudio